デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




My Sweet Lord - George Harrison (2nd Cover) by Shoji & MartinStone21

アメリカのマサチューセッツ州のMartinStone21という青年が、昨年11月末に私がアップした「マイ・スウィート・ロード」に合わせて歌ってくれた動画を、動画レスポンスとして私にメッセージを送ってくれた。
彼の歌声の後ろに流れているのは、紛れもなく私の演奏だ。彼の動画を見ながら、私は曲のコーラスのパートを口ずさんでしまったぞ(笑)。そして見終わったら、私もエクセレント!と叫んでしまったぞ。
こういった形で共演していただいたことは、以前にもマトリョミンとの初共演であったが、今回もうれしさは格別だ!
さっそく、彼に英語での感謝のメッセージをコメント欄に送ったが、こういうときって気持ちが高ぶるせいか、おっちょこちょいになっちゃうねぇ。彼の動画へのコメント投稿後にマウスを動かした際、あやまって自分のコメントを削除する削除ボタンをクリックしてしまった。
まぁ、投稿しなおせばいいので、再度同じようなメッセージを投稿したのだが、同じユーザーからほとんど同じメッセージをあまり間を空けずに投稿したからか、なんと、再度投稿した分の私からの感謝と相手への賞賛のコメントはスパム扱いになっているではないか!
おいおい、YouTube、もうちょっと斟酌というものをだな…と言いたくなるが、私のドジだから仕方ないか。とにかく前面に表示されなくとも、相手にこちらのコメントが伝わってれば、それでよし(笑)。

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天守閣観覧までしばらく待たされたが、その間、職員さんから彦根城に咲く桜についてこなれた説明を聞いた。彦根城は桜でも有名だそうだが、染井吉野桜は江戸時代末の頃に江戸の染井村(現:東京都豊島区駒込)の植木職人達によって、江戸彼岸桜と大島桜を交配させてできた桜なのだそうだ。
もっとも城が城として機能していた頃には桜など植えてなかったらしい。つまり桜はは花が咲いて花びらが散るから、外から城の様子が丸見えになるような落葉樹は植えなかったからだという。つまり、彦根城に桜が植えられたのはそこまで昔のことではない、ということだ。



しばらく待ったあと、彦根城天守(国宝)へ。靴は備え付けのビニール袋に入れて持ち歩かねばならなかった。


どうやったら、こんなに上手く建てられるのか…






鉄砲が撃てるようにしている壁の穴。いくつもあった。



弓矢が放てるようにしてある壁の穴。これもいくつもあった。






天守内はけっこう薄暗かった。


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『カラマーゾフの兄弟』は、あと250ページぐらいで読み終えるが、その前に浦雅春訳のゴーゴリ『鼻/外套/査察官』(光文社古典新訳文庫)の解説を読んだ。『カラマーゾフの兄弟』の中の裁判の場面で、登場人物が引用し弁ずる有名なゴーゴリのトロイカのイメージ(この場合は比喩)について、気になったからである。
ドストエフスキー小説をただ夢中で読み漁っていたころ、その勢いのままプーシキンやゴーゴリの作品に手を出したのだが、そのきっかけとしてドストエフスキーが言ったとされる次の言葉が強く作用していたように思う。

われわれはみんなゴーゴリの『外套』から生れた

作家がそんなこと言ったとなれば、その作家の魂の「親」たる作家ゴーゴリの作品も読んでみようという気にもなろう?
ゴーゴリの作品を当時(19世紀半ば)批評した人物でベリンスキーという大御所評論家がいるのだが、この人は

社会の底辺に位置する哀れな小官吏に注ぐゴーゴリの眼差しを人道的なものと思いこみ、そこから作家の社会的抗議の姿勢を読み取り、リアリズム(写実主義)こそ新しい社会に必要な文学だと主張し
(『鼻/外套/査察官』(光文社古典新訳文庫)の解説より)

たのだが、この色眼鏡を通した見方は20世紀後半までゴーゴリ作品の「真」の言説として、ひょっとすると今でもおすすめの読み方として残っているかもしれない。
ゴーゴリを初読した頃、この読み方に私もどっぷり首まで浸かっていたのだ。当時の社会状況からすれば、ゴーゴリの作品をこういう風に捉えて支持した人は少なくなかったのだろうし、ドストエフスキーもベリンスキーから多いに影響を受けまた世話になっていただけでなく、ゴーゴリをよく読んでいて、ゴーゴリの細部の描写に影響を受けている部分も見受けられるので、上の"生れた"名言が出ても仕方ない。が、しかし現代に至るまでステロ化した評論めいた見方するのはどうなのか? そもそもゴーゴリのリアリズム作品なんてどれだけあるのか?

ひところ日本で訳されたゴーゴリの解説には判で押したように、ゴーゴリ作品は「人目にもつかぬ下級官吏の日常生活をユーモアを交えて活写しながら、その日常にひそむぞっとするような真実を明らかにしている」だとか、「その作品はのちのロシア文学の大きな流れのひとつとなった人道主義的傾向の発端となった」といった文言がならんでいた。読者のほうも、本当かねといぶかりながら、解説に書いてあるのだからそうだろうと、率直な感想を押し殺してきたのだ。どうやら「真実」だとか「人道的」という言葉に人は弱いらしい。ゴーゴリの時代の読者もすでにそうであったようで、毒舌家のナボコフなどは、「真面目な読者たちは、こんにちそうであるように、『事実』と『ほうとうの物語』と『人間味』をひたすら求めていた。哀れむべき魂たち」(『ニコライ・ゴーゴリ』青山太郎訳)と揶揄している。
(上掲書)

正直、痛いところを突かれた感じだが、同時に気分が良くなりもした(笑)。そういやゴーゴリより後の19世紀ロシアの小説で知られたもの、トルストイ『戦争と平和』『アンナ・カレーニナ』他、ドストエフスキー『地下室の手記』『罪と罰』『白痴』『悪霊』『カラマーゾフの兄弟』、ガルシン『赤い花』その他短編、チェーホフ『六号室』その他短編などの内で、作品の最初から最後まで絵に描いたような人道的な作品ってどれだけあるのだ? そもそも一つの作品を、人道的と判断するだけでも難をきわめるのではなかろうか。
「率直な感想を押し殺してきた」という話題に戻るが、これまでの解説にあったゴーゴリのリアリズム、ゴーゴリの笑い・ユーモアは、結局のところ私には楽しめなかったにも関わらず、ベリンスキーばりの見方だけはスノッブな知識として頭の片隅に残していたんだろうと思う。
これまで幸いにも人前でゴーゴリの「リアリズム」や「ユーモア」について語ることはなかったので、恥はかかないで済んでいたろうと思うが、それにしても、作品がおかしくなかったら無理に笑うことはないんだし、リアルだ!と思わなければ思わないで構わないといったことが、なぜ分からなかったんだろうなぁと自分自身に首をかしげる。
(そういえば、比較的最近のゴーゴリ作品の訳書だが、登場人物名まで日本語の駄洒落をイメージさせる名前で実験的かつ試験的に意訳?したものも読んだことがある。訳者による読者への最大限の気遣いの賜物だとは思うが、いまからすると少々滑稽なものになっている感を覚える)
この根幹には、作家や評論家(解説者)に対して創作の労力や研究成果に対する最低限の敬意以上に、当人にとってはかえって迷惑かもしれない読者が偉い人に対して覚える清廉潔白さのイメージや、無条件に崇めたてる気持ちが働いているのだろうなぁ。卑しいようだが、自分の読み方が作家や評論家のお気に召せば、感激癖でもって命すら投げ出しかねないような(笑)。(逆にいえば幻滅すると徹底して忌み嫌うのかもしれない(笑)。
哀しいかな、違う意味で笛吹かれたら否応なく踊ってしまう特徴(性格?)はどうしようもない。世界中の読書を愛する人々の中でも、おかしいものはおかしいと言える良質な読者は多かろう。しかし私のような者もいることで、救いを感じる人がいれば幸いだ。尤も自戒も込めて、私は今、佐藤優や亀山郁夫、塩野七生らの著書の影響もしくはその反作用を受けて、勢いでこれを書いていることを付しとく。最後は『カラマーゾフの兄弟』から引用して締めよう。

「…ひと時代前の大作家ゴーゴリは、彼のもっとも偉大な作品のフィナーレで、ロシア全土を、未知の目的に向かって突っ走る勇ましいロシアの三頭馬車(トロイカ)になぞらえ、こう叫びました。『ああトロイカよ、鳥のようなトロイカよ、だれがおまえを考え出したのだ!』そして、まっしぐらに駆けるトロイカを前に、諸国民はみなうやうやしく道をあける、と誇らしげに熱っぽくつけ加えております。
 たしかに、みなさん、これはこれでけっこう。うやうやしくあろうがなかろうが、道はあけていただきましょう。
 しかし、わたしなりの罰当たりな意見を言わせてもらえば、天才芸術家がこんな結末を書いたのは、子どもみたいに無邪気でおめでたい理想主義にかられたか、それとも当時の検閲を恐れていたかの、どちらかにほかなりません。なぜなら、その主人公であるソバケーヴィチとかノズドリョフ、あるいはチチコフといった輩にトロイカをひかせるというなら、だれを御者台にすえようが、そんな馬でまともな目的地にたどり着けるわけがないからです! しかもそれは昔の馬で、現代の馬には遠くおよびません。現代の馬はもっとすごいのです……」
 ここでイッポリートの演説は、拍手によって中断された。ロシアのトロイカという表現のリベラリズムが気に入られたのだ。もっとも、拍手を送ったのは傍聴席にいた二、三人のさくらだけだったので、裁判長も傍聴人に向かって「退廷を命ずる」などと脅しをかける必要もみとめず、そうしたさくらをきびしくにらんだだけだった。しかし、イッポリートはそれで勢いづいた。いまだかつて、他人の拍手を浴びたためしなどいちどもなかったからである! 長いあいだ他人に話を聴いてもらえなかった男に、とつぜんロシア全土にむけて発言する機会がおとずれたのだ!
(『カラマーゾフの兄弟4』(光文社古典新訳文庫)p514~p515


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時報鐘(じほうしょう)

12代藩主井伊直亮のとき1844年に鋳造したもの。現在も6時・9時・正午・15時・18時と1日5回ついているそうだ。
ちなみに日本の音風景百選というものの一つに彦根城の時報鐘と虫の声が選ばれているらしい。1996年に当時の環境庁(現・環境省)が音の聞こえる環境で後世に残したいとこを全国から公募したそうだが、全く知らなかった。


太鼓門櫓(たいこもんやぐら)及び続櫓(つづきやぐら)

要するに本丸の表口を固める櫓。重要文化財だそうだ。





いよいよ本丸へやってきた。



う~む。

観覧券売り場でも同じような表示があったが、いろいろな意味に解釈できた。私達が待った時間はそれほどでもなかった。この表示が出た頃には、本丸入場までにこれぐらい待ったのだろう。昼下がり、夏日の気温を記録し待っている時も汗が止まらなかった。

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先月、ミレーの「春」という作品について書いた。あれからというもの、3月・4月の間にあの絵のような光景に出くわさんかなと休日にカメラをずっと携帯していたが、そうはうまくいかなかった。
というわけで毎年桜を撮りに行っているところの風景しか今年も撮れなかったのだが、最後の写真を除いて、今年は暮れなずむ黄昏時にいくつか自分の気に入った風景があった気がする。というか、いつまでも変わってほしくない光景に出会えた、というのがいいのかもしれない。

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ご覧の通り快晴だった

天守閣までもう少し、というところまでくると、茶屋と土産物屋があって一服できるようになっていた。


国宝彦根城とある木刀(笑)



小柄まである

映画村に行ったときもそうだったが、こういったところに木刀は当たり前のように売っている。なんだかんだ言って、売れるんだろうなぁ(笑)。


写っている橋の下をみると、けっこう高さがあることが分かったりした。



「蕪村」とあった…

鮒ずしや
彦根の城に
雲かかる

江戸時代の俳人・画家の与謝蕪村も彦根城もしくは近江に来たことがあったのか。というか調べてみたら摂津(今の大阪市)に生まれて、晩年は京都で過ごしたんだそうだ。そりゃ、彦根城の句を詠んでもおかしくないな。
鮒寿司(ふなずし)って今や本当の意味での珍味となって値段もかなり高いと思う。最後に食べたの何年前だったか…。赤ワインのつまみとして食べたのだが、強烈なにおいと味だった。いつかアレを美味しく感じるような時がくるのだろうか。

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You light up my life

先月、分からない曲をめぐるおバカエピソードを開陳したが、そのときの曲を弾いてみた。難しい曲だなと思うし、また改善したいと思う。
オリジナルタイトルは「You light up my life」だが、邦題では「恋するデビー」としても知られている。オリジナルタイトルと邦題のギャップについては、つっこむまい…。
オリジナルを歌っているデビー・ブーンは、「アイル・ビー・ホーム」や「砂に書いたラブレター」などでもヒットを飛ばしたパット・ブーンの娘で、「You light up my life」は彼女のデビュー曲ながら1位を記録した。それは1977年のことだったが、77年以降の数あるヒット曲の中でも秀逸な作品の一つだろうと思う。
↑のYouTubeのページ上の関連動画でデビー・ブーンが歌っている動画も表示されてます)

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瓦に「井」の字が。井伊の井か…



天守閣へはひたすら上り坂。



暑かった…

普段から自転車に乗ってはいるが、自転車をこぐ筋肉と坂道を歩いて上る筋肉は違うことを改めて思い知らされた。気温もぐんぐん上がり、汗がしたたり落ちた。

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タイトルにある2.5というのは、現在第三巻の「バッカスの宴」は読み終えた、という意味である。

訳者の亀山氏は第五巻の解題で、以下のように書いている。

「 思えば、ドストエフスキーの作家としての傑出した力量は、登場人物のどのセリフにも真実があると思わせながら、しばしばそれとは正反対の内容をもつセリフによって裏切られるが、裏切られた「真実」もまた、かぎりなく「真実」をはらんでしまう点にある。登場人物は、真実のいくつもの層をそれぞれの役割に即して語っている。ポリフォニー性とは、真実のさまざまな層同士の対話ということになる。」
『カラマーゾフの兄弟5』(光文社古典新訳文庫)p253

本当にそうで、私などからすれば、いけ好かない登場人物がいたとしても、完全に悪と決め付けれないところに、以前はスッキリしなかったが、今は↑に書いてあることを、よくぞドストエフスキーはやったなと思うのである。語り手が終始愛称で呼ぶアリョーシャも絶対的な聖人ではないし、小説の舞台で起こるいろいろな事件について話を膨らませる虚栄心の強いご立派なホフラコーワ夫人も、実際にいそうな人物というだけではもの足らない強烈な個性自体に真実味を覚えるのだ。
この作品はいくつかの層でなりたっている。扱っている内容はソープオペラ、昼ドラと大して変わりがない。TVだったら10分で済んじゃいそうな、作中で起こる中心的なエピソードは3日内に起こっている。
ちなみにこの作品は文庫で4冊と少しの分量ある。3日間で起こった出来事は文庫二冊半以上もの分量で描いてあるということになる。おそろしく込み入った内容であるにも関わらず、それでもなお「真実を真実らしく見せるためには、ぜひとも真実にすこしばかり嘘をまぜなくてはならない。人間はいつもそうしてきたわけです」と、読者にあえて揶揄させるような余裕すら感じさせるところが憎い(笑)。
あと、約1.5冊分残っているが、読み終えたらまた感想を書きたい。

  ***

文の意味がまともに伝わるよう、若干加筆修正いたしました。(23:24)

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ひこにゃんが現れる場所は彦根城観覧券売り場の向かいにあるスペースだった。↑の通り、建物の廊下の上での「お披露目」なのだが、私は登場するときに時代劇で奉行が事件の吟味のためにふすまが左右に開いて奥から登場するような形であってほしいと、お披露目前に期待していた。だが、前回ふれたとおり、ひこにゃんは建物の奥から廊下を歩いてきて現れた。
以下、いろいろな振りやアイテムを持ち、ポーズを決めて愛嬌を振りまく、ひこにゃん。






























友人は、「中の人」はたぶん女性だろうと言ったが、そう言われればそうだなぁと思う。
桜の時期の土曜日で人が多かったこともあるが、それにしても未だこの人気ぶり。
詰め掛けた客はそれこそ「甘い声」を出して、「かわいいねぇ」と連発していた。
しばらくすると、私はパンダを見に来ているような気分になった。そして舞台にいるのがパンダではないと思ったとき、私は、中の人はあくまで仕事なんだし、自分が黄色い声を浴びているわけじゃないことは分かっているだろうが、中の人がどんな心境でいるのだろうと、正直考えてしまった。
たぶん、この違和感は、ひこにゃんがこんな舞台の上ではなく、誰もがマスコットと一緒に写真を撮れるようなもっと近づきやすい状態でいたのなら抱かなかったろう。

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