デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




買った彦根城観覧券は、天守と大名庭園である玄宮園に入れる分だった。玄宮園に向かうまでに、一羽の白鳥がいた。


人間など平気という感じで(笑)







次の瞬間、周りから「あの白鳥、わかってる!」と声が上がった。たしかにカメラを構えていた人間にとっては、そうだった(笑)。

















悠然と泳いでいく…


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昨日の午前、三度目の診察を受けに行ったのだが、病院へ自転車を飛ばしていると、自転車が通ってもよい歩道の上に曲がった釘が落ちていて、後輪がパンクしてしまうという不運に見舞われた。急遽バスで病院に向かい、バス代とパンク修理代が余計にかかってしまった。家にあるパンク修理キットをこれからは持ち歩こうかとか思ったりしたが、とにかく朝からついてないな思う一日の始まりだった。

さて、指の傷のことだが昨日の診察で抜糸が完了した。これからは、皮膚の表面が完全にくっつくまで患部にメディカルテープを巻いておく様に言われ、それも3ヶ月ぐらいは続けてくださいとのことだった。
とはいえ、これで週一ではあったものの、午前のいの一番に病院の受付機の前に並ばずにすむ。改めて今回のような失敗を繰り返したくないなと思う。
それにしても、大きい病院にはいろいろな患者さんがいることを目の当たりにした。本では学べないことも、たくさん目にしたように思う。

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近鉄奈良駅の「せんとくん」(後ろのポスターにも注目(笑))

先日の日曜日、アメリカから一時的に帰国している友人とともに、奈良に行ってきた。奈良市の観光はもう十数年ぶりかもしれない。



さて、奈良市へは近鉄に乗って行ったわけだが、近鉄奈良駅を出ようとしたとき観光案内所の中で、あの「せんとくん」が我々を歓迎してくれたではないか!(笑)
4月の「ひこにゃん」につづき、これで関西から近年に発信された話題の二大マスコットを拝めたわけだが、直に見るとこれがまた何ともいえぬ愉快な気持ちになったのだった。
せんとくんが出現した由来や、その話題性からの顛末については、いろいろなサイトや情報誌があるので詳しくは触れないが、私なりの感想を述べると、はじめに新聞で見たときには大笑いしてしまった。しかし、出現時のせんとくんは、多くの人にとって21世紀中には理解されないものとして映ったのではないかと思うのである。
平城遷都1300年祭のマスコットとして「せんとくん」をどうしても受け入れられなかった人々の中から、せんとくんに代わるキャラとしていろいろなキャラをデザインし、願わくば取って代わろうとする動きがあった。しかし、それは却って「せんとくん」の知名度を高める結果となり、さらなる人気を付与することになってしまったのは周知の事実だ。私は、せんとくんへの対抗キャラが出てきた、それも心底から対抗キャラの台頭を望んだ人がそれなりにいたということは、せんとくんがいかに芸術的に洗練されているかのバロメーターになっていたことを意味しているのではと思うのである。つまり、せんとくんはマスコットというカテゴリーに「あるまじき」芸術的な”革命”だという気がするのである。 
せんとくんを見た他の良識あるデザイナーはどう思ったことだろう。私は正直「やられた!」と感服しているのではと思う。
ちなみに、せんとくんに目くじらを立て抗議すらした人々の中には、それなりに権威を持っている宗教団体の関係者も少なくなかった。しかしなぁ…世界のどの宗教でも、神さまのデザインって、こういう感じのものじゃないのかね?

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ukuricoのよーこさんが、来月に大阪から引っ越されるということで、更なる前途を祝したパーティがフレイムハウスで開かれたので、ukuricoさんの最後?の演奏を堪能してきた。よーこさんと演奏で共演されたことのあるみなさんの演奏もあり、名残惜しくもとても貴重なときを過ごさせてもらえた。
よーこさん、これまでの楽しいパフォーマンス、本当にありがとう&お疲れさまでした! また関西に帰ってこられる機会を楽しみにしています。

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天守を出たあとは、玄宮園に向かった。その途中の桜がとても印象に残っている。


夜間のライトアップのためのもの?












風が吹いたときに花びらが舞った。貴重な一瞬だったように思う。














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指の負傷について先週書いたが、昨日、そのことで最初の救急を除いて二度目の診察を受けた。
私の担当になっている医員の先生は若い方で、非常に若々しい明瞭な話し方をされるが、今回の診察では若さ(性格?)が出たかも(笑)
一部始終を述べよう。私の指の傷は皮膚の最も上の部分だけが少し盛り上がり傷跡として生々しく赤く見えはするものの、皮膚としてはすでにくっついているので、真ん中の三本だけ残し、あとの半分は抜糸しても大丈夫とのことだった。それで早速抜糸、あとは薬を塗布し絆創膏を貼るという処置をしたわけだが、そこで先生は
「指は曲げれますか?」
と私に訊ねた。
確か先週の診察で4・5日すれば曲げられるようになりますと言われ、また抜糸は今月最終の週の予定といわれていたから、私は昨日の診察まで極力指を曲げないように、意志力でギプス状態にしていた。その状態を持続させていることを半ば誇りにしていたし、人差し指を使わないでウクレレを弾く練習まで夜にやっていたので、完全な抜糸まで指を伸ばしっ放しでいこうと思っていたから、まだ糸が残る状態での先生の一言はある意味ズドンとくるものがあった。それに指を曲げたことで傷が元の木阿弥状態になるかもしれぬという、患者としての不安はやっぱり恐怖だろ(笑)。
先生は医学的知識のみならず、これまで多くの患者を診てこられたから確信をもって、
「ぐっと曲げてみてください。大丈夫です」
と明瞭な声で言う。
しかし私はいくら先生が確信もって言われても、その瞬間はまだ不安はぬぐえなかった。たぶん声は震えていたろう、
「大丈夫ですかね? 怖いですね」
と指をピクピクさせながら言い、さらに
「来週の抜糸まで基本は曲げないほうがいいのでは?」
と訊いた。
先生の返答はこうだった。
「これから曲げないと、今度は逆に曲がらないようになりますよ」
弦楽器を趣味でする人間にとっては、これこそ本当に恐ろしいことだ。私は柔軟体操のイメージで指を徐々に動かしながら、さらなる先生の説明を聞いた。で、結局は、
「楽器を触っていいし、触れます。これから曲げてくださいね」
とのことだった。(これを書いている数時間前に公園でギターとウクレレを鳴らしてみた。もちろん指の違和感は残っているし押さえるのに辛いコードはあるが、従来の指使いで弾けた)
昨日の診察の時点で、私の指の傷はそれなりに治りつつあることが分かった。それに、何があっても指をまっすぐにし続けようとする意志力が強すぎると、却って指を自ら「麻痺」させることにもつながりかねないことも分かった。人間の意志力ってある意味恐ろしいなぁと思った。もう曲げることを含めてのリハビリを自ら開始していいのだ。逆に言えば今始めねばならないのだ。
診察の話に戻るが、病院を出てからしばらくして、なにか変だなと思うところがあった。というのは、指が曲がるか訊ねられたとき、たしかに私は不安を覚えていた。ただよく考えてみると、先生が私の指に薬を塗り、ぴっちりと絆創膏を巻いたあとに「指は曲がりますか?」と訊ねたのだった。これをお読みのみなさんもきっと体験されたことがあるだろうが、指の関節にぴっちりと絆創膏を巻いた状態で、指を曲げようとすると、けっこう強い力が要る。そんな状態で「曲げてみよう」って、酷な話ではないか?(笑)
それなら絆創膏巻く前に医者のスキルとも言える、患者にリハビリを促す話術を駆使したり、絆創膏巻いてしまった後なら、せめて
「今、少しだけ動かしてみましょう」
とか
「昼休みなどに絆創膏をゆるめて曲げることを意識して始めてくださいね」
とか、ものの言いようはあったのでは?と。
「ぐっと曲げてみましょう。大丈夫です」
は、いきなりのスパルタすぎるのでは?(笑)
先生としては、自分の診察に自信があったのだろうし、現に私の指は今は曲がり、キーボードもスイスイ打てる。しかし、あの場面の一言は先生の若さが出たな(笑)。
抜糸は来週だ。それまで指を意識的に使うようにして次の診察をむかえたい。

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5/15の記事を書いた際、思い出した本を借りてきた。牛島信明著『ドン・キホーテの旅』(中公新書)である。
この本の第八章に、ヤスパース(ドイツの精神科医・哲学者)による想起の記述がある。

 ヤスパースによれば、想起には三つの位相(レベル)があるという(門脇佳吉『道の形而上学』による)。すなわち、心理学的想起、歴史学的想起、そして実存的想起という三つの段階である。
…(中略)…
 さらにヤスパースがは第三のレベルの想起を提示する。「偉大な古人との共同運命をさらに自分の義務として積極的に担うことによって、私たちは<本来の自己>であれと要求され、新しい未来に向かって創造的に生きることを要求される。ヤスパースはこのような想起を実存的想起と呼ぶ」(門脇佳吉、同上)
 いわば古人との根源的な出会いによって、われわれの存在そのものに変化を及ぼすがごとき、深くて激しい感動と意識をかきたてられるがごとき想起が実存的想起ということになるが、偉大な古人との出会いということであれば、それは一般的には書物を介してなされることになろう。そして芭蕉とドン・キホーテの旅の生涯はともに、まさしくヤスパースの言う実存的想起を契機としているのではなかろうか。


小説『ドン・キホーテ』の主人公は齢50がらみのスペインのド田舎の郷士で、ある時期に騎士道物語を読み漁り、その物語を騎士ドン・キホーテとして現実の世に実現せんとばかりに旅に出る。有名な風車のエピソードも彼にとってみれば物語の幻想から織り出た現実なのである。
松尾芭蕉は亡くなるまでの14年間の間に通算5年におよぶ旅をしているが、芭蕉の意識のなかに敬愛する西行法師や能因法師への思いが尋常でなかった。ちなみに芭蕉にとって偉大な歌人であった西行は芭蕉より500年も前の人である。

「道の辺に清水流るる柳蔭しばしとてこそ立ちどまりつれ」(『新古今集』)

この西行の歌で知られる遊行柳は現在の栃木県にあるのだが、芭蕉が旅した頃にも何にも無いとさえいえる田園が広がるところに柳が一本ぽつんと立ってるだけだったろうし、実のところ500年前に西行がその柳に立ち寄ったかどうかは疑問視されていて、さらに仮に西行が立ち寄ったとしても、芭蕉の頃には何代目かの柳のはずなのである。しかし、芭蕉は「西行ゆかり」の柳を見て立ち尽くし、古人への思いを馳せて感慨にふけるのである。そして白昼夢にふけっているあいだに田植えが終わっていたことに気づき、その場を去るのである。

田一枚植ゑて立ち去る柳かな (芭蕉)

以上が、『ドン・キホーテの旅』第八章に書かれている内容の抜粋と要約だが、これらドン・キホーテと芭蕉の実存的想起は、小説であろうが映画であろうがTVドラマ・アニメであろうがそれを見た人間にも訪れるのではないだろうか。つまり、ファンにとってみれば大いなる夢となっているわけで、私にとってみれば普段通りがかることもある少し自転車で足を延ばせば行けるような所でも、人様にとっては本当の聖地なのだ。実際、5/15の記事を書く前に、ちょっとした機会から他の都道府県に住む人に該当記事の画像をみせたところ、まるで狂喜せんばかりだった。詳細な場所を教えてほしいと言われ、私も訊ねられたことについて分かることはすべてお教えした。
これより先立つこと数日前に、弊ロシア旅行記の内容から私にアクセスしてくださった方がいた。齢60以上の方だが、念願の初ロシア旅行に来月もしくは数ヵ月後に行く予定なのだという。そこでかつて自分が書いた内容を読み返してみた。ドン・キホーテや芭蕉ほどではないが、私も現地で同じような想起に、それなりにふけっていたではないか。
個人の趣味には他人の視点からすると、とるに足らないどうでもいいこと、ひょっとするとそれは奇行と映ってしまうことも、当人にとっては真剣なことがある。相手のことが分からないなりにも、相手の実存的想起に対して忖度(そんたく)を発揮?できれば、それはそれで、いずれ楽しいことにめぐり合えるのかもしれない。

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まさか弊ブログで順位がつくとは。もちろん、初めてのことである。弊ブログをご覧いただいているみなさまに、改めて厚く御礼申し上げます。

ランキングに載ったのは5/15の記事と、5/17の記事なのだが、初めて載った日の記事は、人気アニメ「けいおん!」で使用されている風景を扱った記事である。日ごろから弊ブログをご覧いただいている方々に加え、アニメの作画に登場する風景に少し注目が集まったかもしれない。
それにしても、うれしいことに変わりはない。タイトルと実際の記事が合わないことの方が多い弊ブログですが、これからもよろしくお願い申し上げます。m(_ _)m

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観覧券の裏には彦根城の説明として以下のようにある。

「元和8年(1622)に20年の歳月をかけて完成。唐破風、千鳥破風、火灯窓をつけた華やかな天守閣は国宝に指定され、彦根の象徴ともなっている。また、天守をめぐる石垣と内濠を持ち、城郭が往時のまま現存し、全国でも数少ない名城として名高い。」









今や公園と化し、じつは「ひこにゃん」に人気を奪われてるかも?といえなくもない彦根城。しかし歴史では負けていないし、天守となれば国宝にまでなっている(笑)。
京極高次が築いた大津城から移築されたとされる天守は慶長12年(1607)頃に完成し、400年以上経っている。ちなみに国宝に指定されたのは昭和27年。現在も姫路・松本・犬山城とともに国宝四城としてなお健在で、その雄姿を世界に誇っている。

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私の自転車の速度で3時間余りで周れる「聖地」があるとのことで、休日の際、行ってみた。


















ひょっとすると上の画像を見ただけで、なんの作品のどの場面に登場している風景なのか、分かる人がいるかもしれない。場所はアニメ「けいおん!」で登場しています、と答えを書いておこう(笑)
絵画に描かれた風景にしろ、小説や映画やサスペンスドラマで登場した風景にしろ、絵画やテレビといったメディアに映るロケ地というものは、鑑賞者にとって独特の魅力がある風景として映ることがある。実際、TVでのヒットをきっかけに、作品の舞台となったロケ地のあるところが町おこしをして、これまでぜんぜん注目されることのなかったその地域に、多くの観光客を呼び寄せることに成功した事例は少なくない。
そういった「舞台」を訪ねる行為を、超然と時に冷笑でもってナンセンスと斬って捨てるような意見もある。アラン・ド・ボトン『プルーストによる人生改善法』(白水社)にある内容などは、(本自体が一種のパロディとはいえ)的を射ているように思う。それはそれでためになるが、それで充実した気持ちを味わえるわけではない。
そういや『ドン・キホーテの旅』って本があったな。また読みたくなった…。

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