デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



県庁に向かう



奈良公園から遠ざかると鹿は見かけなくなる



朝とはまた異なった見え方をするものだ


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奥の角生やした鹿、この場を動こうとしない



「おいらのマスク、この角度でお願い」



この場所が気に入っているんですといわんばかり



徹底してこの角度?



顔の角度にこだわる鹿も
角生やした鹿も頑なであった


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この場所で角つきの鹿とはなぁ…

この鹿がいる辺りでもシカせんべいが売っていたのだが、その露店の主人が売るのを一時的に控え、露店の場所から少し離れて携帯電話で通話していた。それが大声だったのでどうしても内容が聞こえてくる。
その内容は、するどい角が生えたままの鹿がずっと近くにいると、子供の観光客に怪我を負わせると大変だから、シカせんべいを売れない、角を生えたやつをなんとかしてもらえないか、というものだった。
鹿の角切りは確か10月にイベント化していたと思うが、普段も観光客に怪我を負わせるわけにはいかないので然るべき対処はしているのだろう。しかしこの場合、角はやしたままの鹿がその場を離れないとなると、露店の方を気の毒に思うのだった。


鳩がこぼれているシカせんべいを餌にしているようである


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一昨日の夜遅く、携帯電話をどこで落としたか分からなくなり、昨日の朝7時台に交番に立ち寄り紛失届を出したら、夕方の6時に警察からとても良く似た特徴の携帯電話が拾得物として届けられたと身内の番号へ連絡があった。
届けられた携帯はまぎれもなく私のもので、照合の書類等をすべて用意して行ったのもあり、すぐに返却の手続きは済んだ。
交番の警官いわく、届け出たのは男性のご老人で、届ける前に気を遣ってどうにか私の身内のほうに連絡しようとしてくださったらしい。しかし「紛失した!」と気づいた時点で、私が番号の緊急停止の手続きを行ったゆえ、ご老人は最も直近の(私の身内への)発信履歴だけをご覧になり、ご自身の携帯から私の身内へ連絡をとろうとしてくださったのだという。
私の携帯電話を拾ってくださり届け出てくださった高潔かつ親切な心の持ち主に、本日、感謝の気持ちを伝える予定である。

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黙って聴いている?

先日、久しぶりに楽器を練習しに行ったら一匹の猫が寄ってきた。どうやらエサをやりにくる人と思ってのことらしい。


しばらくすると柱の後ろに隠れて
あくびなどしてくれる始末(笑)



体を伸ばした後は



休みのモードに


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辻邦生が『春の戴冠』を書くまでの、というか小説家としての辻邦生の精神や創作作業に重大な影響を与えた作品の一つにトーマス・マンの「『ファウストゥス博士』の成立」がある。
これは標題の示すとおりマン自身による『ファウストゥス博士』成立史である。8年ほど前の『ファウストゥス博士』初読で、その勢いのまま軽くざっと目を通したが、いまいち印象に残らなかったことを思い出す。
しかし、3年前に『ファウストゥス博士』を再読し、辻邦生の『春の戴冠』を経た今は、1950年代までの作家の自身の筆によるもので小説が出来上がるまでの過程をこれほどまでに面白く書いたものは、ないのではないだろうかと思っている。
意外だったのは作家が表立って語らない創作の現場が、(マンの場合)部屋に閉じこもって原稿用紙やタイプライターに向かって言葉を頭の中からひねり出すようなものではなく、外交的に活動することで専門家に教えを請うた内容を自分の作品のプロットと相互作用を起こさせるようなものであったことである。優れた作家はみなそうしているのかもしれないが、マンの書く芸術の巨人とも例えられそうな友人たちの厚い友情と献身的といっていいほどの作品への協力の姿勢は、読んでいてとても心を打たれるのだ。
ドイツからアメリカに渡ってきてからのマンの胸中は複雑だったろうし、ドイツに残った友人たちのことについては時に胸をかきむしりたくなるようなこともあったろうが、それでも強く生き抜く意志とアメリカでマンのことを大切にしてくれる人々に対する感謝の念を表明している箇所を読むとホッとするものを覚える。お気楽な風だが、過去のことをこんな風に振り返れたらいいな、と正直に思う。

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数年前にこの通りを歩いた時はどえらい雨に見舞われたものだった






胴が長い鹿だなぁと思ってたら、



二匹いた


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9月上旬も雨続きだったので
晴れの天気が一際まぶしく感じた









案内板を遮ろうとする(笑)






これまで気づかなかったが、正面で見ると鹿は細面なのである


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ワット・アルンの本堂



狛犬?がずらりと



いかにも仏教寺院らしく思った


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塩野七生著『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(新潮社)の下巻、読了。(こちらに上巻の感想あり)
私の身近なところで神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世(フェデリコ二世)の名を知っている人はほぼいない。かくいう私も、勝海舟や坂本龍馬のことは知っていても岩瀬忠震や徳川慶勝については知らない、ダンテやエラスムスやボッカッチョや(画家の)ジョットの名を聞いたことがあってもポッジョやジョルダーノ・ブルーノやフリードリッヒ二世の名は聞いたことがない、という例に漏れない一人なのであった。日本のTVメディアで特集を組まれるようになったのも、ここ15年ぐらいの間で、この皇帝の知名度はまだまだ低いのじゃないかなぁと思う。
この作品の上下巻および『十字軍物語』は、とどのつまり『ローマ亡き後の地中海世界』の(意欲作・労作である)付録・補遺であるというのが率直な感想である。とはいえ、どの分野のテーマにしろ、学術的な事柄が作家の視点を介したものを読むことでまた新しい事実にめぐりあえたり、知っていたことでもより深く理解することは楽しいしおもしろいし、塩野氏の筆で書かれたフリードリッヒ二世とその時代の記述もそこそこ面白かったのは変わりない。(ただ『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(下) に限っていうと、思いのほか呆気ない印象が漂っているように思う)
教皇と対峙する皇帝の姿勢、および宗教的原理主義に固執するだけで他の宗教を信仰する人々とうまく折り合ってやっていくフリードリッヒ二世の功績はまさに(当時の)世界の驚異であり、今の世でも皇帝の爪の垢を煎じて飲んでほしい人々に彼の功績を知ってほしいと思う。

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