
資善堂の基壇と礎
資善堂と目にしたとき某化粧品メーカーのことかと思ってしまったが、落ち着いて読んでみれば全く違った。
解説の通り資善堂は王世子と世子妃の居所だったので、この辺りは東宮の領域だった。
15世紀からあった建物ながら20世紀に入り朝鮮の国権が失われると日本の東京に移設され、美術館として使われたとは…。しかし関東大震災で建物は全焼し、基壇と礎だけが残された。上の画像の基壇と礎は1995年に再び韓国に搬入されたものだ。
香遠亭
左に興福殿と右に後宮領域
後宮領域の緝敬堂
この一帯は後宮と宮女たちのための後宮領域だ。寝殿として使われた幾多の殿閣と複雑な行閣は殆んど無くなり、現在は咸和堂と緝敬堂だけが残っている。
この建物が現存するのは日本が朝鮮総督府博物館を運営し、その事務室として使うために壊さなかったからだという。
興福殿
晴れてきた