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デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



今年見た映画といえど、たぶん3分の1ぐらい昨年見た映画も混ざっている気がする。
・『ワイルド・アット・ハート』
・『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』
・『007 リビング・デイライツ』
・『身代金』
・『ダヴィンチ・コード』
・『イヴの総て』
・『市民ケーン』
・『第三の男』
・『奇跡の丘』
・『ペーパームーン』
・『グランドホテル』
・『モダン・タイムス』
・『ストレイト・ストーリー』
・『父親たちの星条旗』
・『ロレンツォのオイル』
・『ミリオンダラーベイビー』
・『16ブロック』
・『恋に落ちたシェイクスピア』
・『バリーリンドン』
・『敬愛なるベートーヴェン』
・『トリスタンとイゾルデ』
・『スパルタカス』
・『RV』
・『シュレック』
・『レーシング・ストライプス』
・『ロード・オブ・ザ・リング~二つの塔』
・『ロード・オブ・ザ・リング~王の帰還』
・『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
・『魔の山』
・『戦争と平和』
・『オリバー・ツイスト』
・『カラマーゾフの兄弟』
・『悪霊』
・『ルートヴィヒ』
・『白夜』
・『アマデウス』
・『レイ』
・『カストラート』
・『マーラー』
・『バルトの楽園』
・『デスノート』
・『デスノート後編』
・『北の零年』
・『たそがれ清兵衛』
では一つずつ感想を、と書きたいところだが、二度以上見た作品、あまり印象に残らなかった作品は略す。

『ワイルド・アット・ハート』
…不条理を描く天才デヴィット・リンチ監督の作品。笑いあり感動ありでとても楽しかったが、その笑いと感動は観客のストーリーに対する予想を思わぬ方法で裏切ってくれる(作品としては「不条理の法則」に則っているような統一感が取れている!)ところから発生しているのが憎かった。やられました(笑
『007 ワールド・イズ・ノット・イナフ』、『007 リビング・デイライツ』
…このシリーズのパターンは決まってるが、TVでやってるとつい見てしまう。
『ダヴィンチ・コード』
…映画化する必要はなかったのでは…。
『イヴの総て』
…私は『オールアバウト・マイ・マザー』でこの作品のことを知った。出世するためにはどんな卑劣なこともいとわない芸能界の舞台裏のドロドロ劇の古典。芸能界の裏事情などを知りたがらない人でも、この作品はおもしろいのでは。
『市民ケーン』
…ご存知、オーソン・ウェルズの唯一のヒット作で、アメリカの映画関係者なら必ずベスト作品として挙たがる映画。でも私は一度目に見たときは眠りこけてしまい、二度目にようやく全部見れたという具合で、なにがどうすごいのか、「意識の流れ」はどこに描いてあるのか、いまいちよく分からなかった。
『奇跡の丘』
…パゾリーニ監督の手によって聖書の「マタイによる福音書」のエピソードが描かれた作品。ルネッサンスおよびバロック初期の絵画みたいな映像だと思った。リアリズムをあまり意識していない?独特の作風はたしかに美しく映る。
『ペーパームーン』
…詐欺師映画の古典。ライアン・オニールとティタム・オニールの親子共演でも有名である。明るい感じの映像の中に、アンダーグラウンドと思春期に入りかけた子供の心情が盛りこまれた見所たくさんの映画。
『グランドホテル』
…ジョーン・クロフォードが何を言ったにしろ、グレタ・ガルボの存在感はすごいよ。
『ストレイト・ストーリー』
…不条理の天才デヴィット・リンチがほのぼの系のロードムービーを撮ったということで話題になった作品。年をとっても語りつくせないこともあれば、年をとったから語れることもある。そういったことをジワーっと感じさせてくれる秀作。
『父親たちの星条旗』
…今年話題の映画。イーストウッド監督の映画作りの姿勢は素晴らしいと思う。
『ロレンツォのオイル』
…子供が絶望的な病に伏しても、なお子供のために奮闘する親の愛情が描かれている作品。場面によって適当なオペラの古典の音楽が用いられているところが上手かった。
『ミリオンダラーベイビー』
…イーストウッド監督は人生が思い通りに行かないことを描くのが上手い。テーマが一貫しているところが、この映画のすごいところだと思う。
『恋に落ちたシェイクスピア』
…今年見た映画の中では、個人的に総合1位の作品。時代考証といい、伏線の張り方といい、古典の踏襲の仕方といい、先を読ませないスリリングな展開といい、ロマンスの用い方といい、非常によく練り上げられていて面白い作品だった。私が注目したのはストーリーのなかに込められている芸の細かさで、まるで劇中劇を見ているような、シェイクスピアが作った戯曲とストーリーとを重層に絡めているところだった。その象徴の一つ、主人公の名前がヴァイオラであることを、最後の最後で改めて強調されたとき、やられたなぁと感心してしまった。
『バリー・リンドン』
…「2001年宇宙の旅」や「時計じかけのオレンジ」などで知られるキューブリック監督が、18世紀の貴族の時代をまさに再現したような作品。とくに美術がすばらしく、絵画を映像にしたのかと思えるほどだった。ストーリー自体もおもしろい。
『敬愛なるベートーヴェン』
…期待して行ったのだが、既に「アマデウス」という傑作がある以上、厳しい目で見てしまった。ベートーヴェンをテーマにした映画は制作が難しいのでわ?
『トリスタンとイゾルデ』
…中世に広まった恋愛物語の映画化。秘薬は登場せず、立場の違いがもとで不倫せざるを得なくなってしまうところを中心に描いている。だが、どうせなら白い手のイゾルデも登場するぐらいのスケールで描いてほしかったような気が…。
『スパルタカス』
…キューブリックが古代ローマの奴隷を主人公にした映画を作っていたとは知らなかった。CGとか便利なものがないころに壮絶な戦の場面を撮っただけでもすごいと思うが、この映画でうならされる点は、古代ローマの元老院での政治的駆け引きを巡る動きや、そして反乱を企てたスパルタカスとその仲間たちの友情をこまめに描いたところだった。
『レーシング・ストライプス』
…日本の競馬にシマウマが登場してくれないかなぁと思った。「フィールド・オブ・ドリームス」のセリフをパクっているところなど、笑いの要素もたくさんの楽しい映画だった。
『ダンサー・イン・ザ・ダーク』
…悲劇と主人公が唯一しあわせを感じる空想が対になっている稀有な作品。見てて悲しくなったが、ものすごく印象に残る作品。
『ルートヴィヒ』
…ヴィスコンティの映像の絢爛豪華さや重さは例えようもない。それに主人公を演じたヘルムート・バーガーはいい意味でヤバイですよ。
『マーラー』
…ケン・ラッセル監督の奇作?。マーラーの生涯で起こった重大なエピソードをあそこまでデフォルメするとは(笑)。
『レイ』
…本当にレイ・チャールズが歌ってんのか?と思うほどのジェイミー・フォックスの熱演ぶりが光ってる作品だと思う。用いられている音楽もとてもよかった。

有名な文芸作品を映画化したもの、『魔の山』『戦争と平和』『オリバー・ツイスト』『カラマーゾフの兄弟』『悪霊』『白夜』は初めての鑑賞だったが、どうしても原作と比べてしまう。これらの作品については、読書を通して得た自分だけの想像を大切にするだけで充分だろうと思った。

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今年は、調べ物をする際にいろいろな本を繰った年だった。よって完読できた本はあまりない。今年の完読本は以下の通り。
 ・『ジャン=クリストフ』(ロマン・ロラン)
 ・『ファウストゥス博士』(トーマス・マン)
 ・『優雅でみだらなポンペイ』(本村凌二)
 ・『田沼意次の時代』(大石慎三郎)
 ・『地雷を踏んだらサヨウナラ』(一ノ瀬泰造)
 ・『こころ』(夏目漱石)
 ・『星の巡礼』(パウロ・コエーリョ)
 ・『日はまた昇る』(ヘミングウェイ)
 ・『ベラスケス』(ノルベルト・ヴォルフ)
 ・『すぐわかるギリシア・ローマ神話の絵画』(千足伸行監修)
 ・『すぐわかるキリスト教絵画の見かた』(千足伸行監修)
 ・『日本人とユダヤ人』(イザヤ・ベンダサン)
 ・『にせユダヤ人と日本人』(浅見定雄)
 ・『ゲーテとトルストイ』(トーマス・マン)
 ・『国家の品格』(藤原正彦)
このなかで個人的に一番印象に残った本をジャンル別に挙げるとすると、小説は『ジャン=クリストフ』、歴史書は『田沼意次の時代』、ノンフィクションは『地雷を踏んだらサヨウナラ』、トンデモ本は『日本人とユダヤ人』になる。
一つずつ感想を書いていこう。
『ジャン=クリストフ』
…作曲家を主人公にした長編小説は初めてだったこともあってか、とても新鮮な気分で読めたと思う。登場人物が多いのだが、クリストフを巡る登場人物は作品の中で走馬灯のようにどんどん亡くなっては新たな人物が生まれる。その万物が流れ行くさまが本当に上手く描かれていると思う。
『ファウストゥス博士』
…これもアードリアン・レーヴァーキューンという作曲家を主人公にした長編小説だが、古典(中世ドイツの民間伝承)を踏襲している点がうまいと思った。小説の中で、現実と幻想を取り違いかねない恐ろしさを登場人物たちが体現しているところは怖いけど、引き込まれずに入られなかった。
『優雅でみだらなポンペイ』
…この本は数年前にも読んだので再読。考古学という学問の魅力をポンペイの落書きから余すところ無く伝えてくれる。人は古代も現在も大して変らないことを分かりやすい言葉を用いて書かれている良書。
『田沼意次の時代』
…「教科書から教えられた歴史の常識」が覆ることは最近珍しくなくなったが、あらゆる文献を慎重に検討し田沼意次という人物像に様々な角度から光を当てた良書。歴史を覆すことをテーマにしたTV番組だけでは飽き足らない人にお薦め。どんな結論が得られたにせよ、それを導くためにはあらゆる方面のことを知っておかねばならないということを教えられた。ぜひいろんな方に読んでほしい。
『地雷を踏んだらサヨウナラ』
…やなぎ鮨さんからのお薦め書。後の祭りかもしれないが、どうせならこれを読んでからホーチミンの戦争証跡博物館に行けばよかったと思っている。戦場での証人なることは並大抵ではできないことが伝わってくる。
『こころ』
…全く予習無しに読んだ。心理小説としては一級ではと思う。個人的な思いとしては、Kはイタイ人物だと思う。
『星の巡礼』
…スペインの巡礼道を舞台にしたスピリチュアリティな物語。とはいえ説教臭い小説でもある。巡礼道で小説にあるようなことが本当に起こったら困るどころではない。
『日はまた昇る』
…スラスラと読めた。冷静な気持ちで読めた。ロストジェネレーションというキーワードがあるが、これはいつの時代でも登場し焼きなおされるようなものかもしれない。そこを上手く衝き描いてあると思う。
『ベラスケス』
『すぐわかるギリシア・ローマ神話の絵画』
『すぐわかるキリスト教絵画の見かた』
…上の3冊は、いくら小説に登場した絵画に興味を持っても、それだけでは絵画鑑賞のときに他の重要なことを見過ごしてしまうことが多々あるように思ったのがきっかけで、基本的なところから知識を埋め合わせるために入門書として読んだ。正直、私は何も知らないまま、いろんな絵をさも分かった風に見ていたことが多々あったと思う。
『日本人とユダヤ人』
…一昔前の「教養人」ならば必読であったろう書。だが残念?なことに迷書・怪書である。おもしろいことにこの本の書きっぷりは人を雄弁にしたり、行動に駆り立てたりする力がある。これからこの本を読もうとする人は、内容をよく検討し冗談本のつもりで読んでほしい。少なくとも私はこれを若い頃?に手がけないままでよかったと思うし、もしこの本の内容を真に受けた状態で外国に行ってたら恥をかいて帰ってくるだけではすまなかったろう。
『にせユダヤ人と日本人』
…『日本人とユダヤ人』の内容の検証し、その虚偽性を書きつらねた本。『日本人とユダヤ人』を読んだ人には一読を薦める。
『ゲーテとトルストイ』
…トーマス・マンの講演集。内容については、ほとんどが分からなかった。ただ、一つだけトルストイがいくら「崇拝」されるような存在になっても、”だんな”であり続けたというのは、ひどく納得できた。
『国家の品格』
…立ち読みで済ました。この手の本が流行るのは数年(十数年)に一度の周期があるように思う。本を読んでいるうちに、著者がドン・キホーテみたいに思えてきた。それを言っちゃあおしまいかもしれないが、そう思えた。

越年読書は『ブッデンブローク家の人びと』(トーマス・マン)。まだ上巻を半分。道は長い…。

次回は今年見た映画について書こうと思う。

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他に衝撃的だったのは、捕らえられた人が入れられていた真っ暗闇の牢獄を再現した建物だ。私なら15分もしないうちに気が狂ってしまうのではないか。写真に残そうにも真っ暗闇で何が写っているんかすら判からない。本当に漆黒だった。
強い風が吹いてきて、外の砂がホルマリン漬けの胎児が展示されている部屋に入ってきた。生暖かい風だと思いつつ、ピューリッツァー賞を受けたベトナム戦争の写真を見ていると、急に雨がダーっと降りだし、まるで弾丸が鉄の盾に当たるような、そんな音がずっと続いた。他のセクションを見るにも傘をささねばならなかったが、見ておくべきものはまだまだあった。


雨にアオザイ。とても映えるのです。



足早に。

戦争証跡博物館にはもっといたかったが、17:00で閉館なので追い立てられるように外に出た。

近くには学校があって、バイクでお迎えの親たちが歩道を席巻していた。





大渋滞の始まり。




ホテルへの帰路、まだあのイベントがやっていた。舞台に上げられた恰幅のいい少年が皿回しの手伝いをさせられて、拍手をもらっていた。



緑の制服の人(たぶん交通整理員か違法駐車取締官?)は町中で本当によく見かける。道路の横断のときによく助けてもらったが、こういったイベントではこれといってバイクを見張っているわけでもなく、お喋りに興じていた。



町中では幾度かアオザイ姿のまま颯爽とバイクに乗っている人を撮る事ができなかったが、ベトナム最終日にかろうじて?自転車に乗るアオザイ姿の女性を見つけることができた。声をかけようとすると信号が変り、さっさと走り去っていった。



空港に行くまでに時間があったのでホーチミンよりブログを更新した。そのときに出発前の記事に対してうれしいコメントがたくさんあって、とても旅に対する勇気が出たのを覚えている。本当にみなさん、ありがとう!
空港行きのバスに間に合うよう、夕食は路上の屋台で、とっし~が頼んだ(チャレンジした?)貝を炒めたものをお裾分けにあずかった。路上で普通に食べることができるようになったと思ったら、もうベトナムを離れねばならないと思うと少し残念だったが、あの夕暮の貝の味は忘れられない。
飛行場に早めに着くようにしたつもりだったのだが、ロビーの兄ちゃんは、「こんな時間にバスは無いよ」と言う。私は正直ギャフンとなってしまったが、ホテルの兄ちゃんが5ドルで行ってくれるタクシーを呼んでくれた。私たちは感謝したものの、そのあとの「fiveなんとかかんとか」の英語が聞き取れず、そのままタクシーに乗った。空港までは恐ろしい渋滞だったが、それでも立ち往生というほどではなかった。
空港までやってきた。そしてホテルの兄ちゃんの「fiveなんとかかんとか」の英語の意味が痛いほど分かることが起こった。タクシーを空港内に乗り入れるための5000VNDは払ってくれということだったのだ。私はドンを使い果たしていたので、とっし~の1ドル札を融通してもらうことになった。出発前に水を買わねばよかったと後悔してしまった。

パリ行きは23:05だった。チェックインのときに日本語の流暢なアオザイ姿の美人空港職員が私たちに行き先の確認をしてきた。なんでも時々、チェックインのブースを間違える日本人がいるらしく、私らも成田行きではないか?と思ったらしい。このことを本当に流暢な日本語で説明されたので、驚きと共に敬服した。
昼間かいた汗を洗面所でどうにかごまかし、パリは寒いだろうということで長ズボンに着替えた。出国税の12ドルは痛く感じた(これからベトナムを旅行し、ベトナムから出国するかたは、出国時に必ず20ドルが財布に入ってる状態にしていってください)。

機内で座った途端、無精ひげのフランス人がいきなり「席を換わってくれ」と言ってきた。その後のやり取りはお互い大人気ないものになったので略すが、とりあえず私は自分のチケットに刻印のある通路側のこの席を譲る気は無いと言った。客室乗務員は、うまくそのフランス人の希望にかなうような配慮をしてくれたので助かった。
長いフライト、パリに着くのは翌朝の7時だ。

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最近、イーストウッド監督の映画『父親たちの星条旗』、一ノ瀬泰造の『地雷を踏んだらサヨウナラ』、藤原正彦の『国家の品格』を立て続けに見たり読んだりしたこともあってか、戦争証跡博物館での思い出は非常に複雑なものがある。







































正直なことを言うと、現地で戦争証跡博物館に15000VND払って入ったとき、まず何を感じたかといえば、展示されている写真がすべて一級品で、かなわない夢として「私もこんな写真を撮ってみたい」と思ったこと。そして、展示されていたのは戦場で命を張って撮られた数多くの写真の中で、これらは雑誌や新聞に載るために構図がうまくとれているほんの一部の写真であって、たとえどんなに将来的に資料として残しておくべき大変貴重なものであっても、それらはボツ写真としてずっと埋もれたまま、ほとんどが後世の目に映ることのないものだろうということだった。
館内ではよく日本の団体客もいるので日本語の解説が聞こえてくるので、ベトナムに落ちた爆弾の数や、枯葉剤の害による奇形児出生、子供たちへの戦後補償がなされない現状のことなどを改めて考えさせられた。この戦争で行われた事は、人間のやることとは思えないが、人間がやったことでもあるのだ。

これからもずっと戦争や紛争を無くすにはどうしたらよいか?という問いが続けられることだろう。ということは何千年も同じことを続けていても、人間は歴史に学ばない愚かさを顕し続けるかもしれない。でも、ベトナムに足を運んだら戦争証跡博物館は見てほしいと思う。

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ウクレレというカテゴリーを設けているのに、その数はおろか一向に「あの曲が弾けた」とか「どこどこで演奏した」とかいう記事がない。ウクレレ持って外に出ると、カメラであったりトンビだったり、なんか別のことに意識が向いていることが多い。
そういえば、ここ数ヶ月の間にも、私がポロンとやっている傍で、サックスやトランペットの練習を突如始められるようなことに何度か出くわした。しかし、その管楽器で練習される方が、突然おっさんがウクレレの話じゃなく自分のハーモニカとカメラ(カメラサークル)と社交ダンスとビリヤードの自慢?話を散々しゃべり倒して去っていくようなことがあったり、突然女子高生が背後から「男やったら普通ギター弾くやろ」とか言って決め付けて去って行ったり、小学生が仲間連れでニタニタ笑いながら「迷惑な音、ぶん殴るぞ」などとこちらを見ずに歩きながら叫ぶものだから、私も顔を上げて見据えると彼らが逃げて行ったりといったようなことよりは、随分マシである。(ちなみに場所は屋外の開けた川原(河川敷といってもいい)ところだ)

そんな川原でも私の様子を純粋な目?で見てくれる子供が時々いる。大抵が母親を連れた幼児で2歳か3歳児。私の奏でる音を聞くというよりは、単にもの珍しいから立ち尽くしている感じ。母親もわが子の様子に微妙に困惑しているのを隠せないようだ。
でも、幼児が立ち尽くしているような時、私がやっていることといえば大抵TVのCMで流れている曲を「あーでもない、こーでもない」と音を探して遊んでいるときなのだ。この前も宮崎あおいとアヒルが出てるCM曲の音探しをしているときに、幼児が寄って来た。
でも、こんな私でもCM曲の音探しをしてリズムがぐちゃぐちゃになっているものを幼児に聞いてほしいとは思わないので、私なりに「メリーさんの羊」を必死にリズムをしっかり刻んで弾いたりするのだが、そうなるとより表情がキョトンとなるのが弾きながらでも分かったりする。この時の子供は2分もしないうちに、母親の方へパタパタと駆け寄っていって、ベビーカーに乗って去っていった。短い時間だったけど、私はうれしかったぞ…。

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ベトナムに来たからには戦争証跡博物館には行っておこうと思った。
バイタクはうっとうしいのでまたもや歩いて行った。外国に行くと普段以上に本当によく歩くものだ。
途中、統一会堂があった。その傍でマンゴージュースを売っている青年から声をかけられ、1個15000VNDで売るよとか言ってくる。前日にほくそ笑んだおっさんから10000VNDで買ってしまった教訓もあり、5000VNDまで値切ったが、本当のところはもっと安いかもしれない。市場のところなんか、最初の言い値が5000VNDなのだから。


統一会堂

統一会堂はベトナム解放軍が入城したことでベトナム戦争終結とされている場所である。確かに前日のホーチミン市博物館で統一会堂に乗り入れた戦車の上で、軍人が華麗な服を着た女性たちから花で祝福を受けている絵が壁一面に展示されていた同じ場所だった。

しばらく歩いていると、ドガチャカと大きい音が聞こえてきて、公園の中に特設ステージとスピーカーの配線、大きいトラックが止まっているのが見えた。何かのイベントらしい。


主として子供が多かった



ひょっとして僧院に入っている子供たち?




なんのイベントなのかよくわからなかったが、でかいマスコット人形もいたから子供向けのもののような気がする。ただ、都市部のこういったイベントは何か似通っていて、独特なものという感じがしなかった。それは仕方が無いことかもしれない。

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「鳥」は、こわいですね。おそろしいですね。

先日、晴れたので川原でウクレレを弾こうとのこのこ出かけたときのこと。
この時期は寒いのでよく100円コーヒーを飲みにファストフード店に入るのだが、この日は久しぶりにバーガー類も食べたくなったので、持ち帰りで川原で食べていた。
私が座っているとこの近くで3歳ぐらいの子を連れた若い夫婦いて、その親子はベンチにエサを入れたスーパーのレジ袋を置いて、楽しそうに飛来する鳥を集めようとしていた。
私はウクレレを調律しようとしてケースから楽器を出して、それから冷める前にバーガーを二口ほど食べた。すると、でかい鳶(とび)が音も無く気配すら感じさせずに、背後から私の左手のバーガーを掠め取り飛び上がって行った。
鳶に油揚をさらわれるならぬ鳶にバーガーを持って行かれたわけだが、鷹や鷲、隼(はやぶさ)に持っていかれるならまだしも、「とんび」に持っていかれたというのは妙に悔しさを覚えるのだった。鳶と呼ぶか「とんび」と呼ぶかだけの違いなのだが、私の感覚では「とんび」は関西弁ならではの妙にユーモラスな響きがあるように思うのだ。
バーガーを久々に食べたかったので、もう一度同じ店で同じ店員さんに頼んで買って、懲りずに川原で食べた。もちろん、掠め取られた場所より少しはなれたところだったが、地上にいる小さいネズミを上空から一瞬にして捕らえるとんびが隙だらけの私の左手のバーガーだけを掠め取るなんて朝飯前なんだろうなと思いつつ、今度は全部食べた。

とんびにバーガーを持って行かれた悔しさもあって、私の近くで鳥を集めていた親子の様子を横目に見つつ、ちょっと考えた。別にバーガーを賠償せい、と思ったわけではない。ただ、なんか人間って身勝手で、時に恐ろしいほど常識知らずだなぁと思ったりした。
帰ってから白鳥おじさんと対比して考えてしまった。寒い中長い歳月をかけて白鳥を世話し続けて”白鳥おじさん”の異名までとるようになってしまった人とは訳が違い、先日の鳥集め親子は晴れの日でたまたま寒さが和らいだから川原に出てきて「野鳥の世話」とばかりに何の考えもなしにエサを放り投げ、禽獣たちが音を立てることなく猛スピードで空から獲物を仕留める恐ろしさなど度外視しているところが恐ろしいと。なにせ「とんび」と言えでも、猛禽類なのだから。
周囲への迷惑としては、バーガーが一瞬にして消えただけで、私がお笑い芸人ばりに「チクショー!!」と叫んだらそれで済む程度かもしれないが、一児のそれも3歳児ぐらいの子を持つ親たる者が、子供の目の前で10羽以上もの猛禽類を集めて「親子の交流」を深めているのはどこか抜けているとしか思えない。下手したら子供が大怪我する可能性もあるというのに。もし、他の一般人が散歩をする川原で周囲を省みず鳥を集めることが子のためになると思っているなら、それは犬を散歩と称して犬を抱っこしたまま出かけ、近所話をしてそのまま帰ってくる犬の飼い主と大して変らないのでは。
長い目で見ると、その痛い代償を払うのは子や犬だろう。そんな気がする。

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チョロン地区に行った日は、たとえ短い距離を歩いただけでも体力の消耗が激しい暑さで敵わなかった。


中国系の人々が住んでるからか、こんな龍まで。

やっぱり地図を持たないまま移動するのは神経が参る。これ以上ウロウロしていても何もならないと思ったので、ベンタイン市場まで戻ることにした。


バスの中から



金庫だけ売っているとは…



バスの中で。乗車すると券を売りにくる女性と、右が検札を担当した男性。にこやかに話していた。



よりによってまた雲が…



シクロにも乗りたかったが、交渉が下手なので結局は乗らないままだった。

遅めの昼食は、市場の前のPHO2000で。昨日のPHO24といい、この日の店といい、現地人だけでなく観光客が気軽に入れてそこそこ美味しく食べられる店があると、本当に重宝できる。


歩き回ったせいで、このフォーの他にイタ飯と野菜が乗ったランチも頼んで平らげた…

国営百貨店には初日に両替のために入っただけで中をよく見ていなかった。きっと涼しかろうと思い、中を見て回った。


市場での商品よりは質が高いのかもしれないが、やっぱり値段は高かったように思う。もちろん日本で買うよりは安いのだが。
町中でアオザイ姿の女性はあまり見かけなかったが、さすがデパート。ここでは2F以上の女性はほとんどがアオザイ姿だった。なかには日本語が達者な人もいて、卑猥なジョークを飛ばす日本人観光客と適当に、しかしながら足を止めさせて談笑しているツワモノ?もいる。
私はといえば、しばらく涼んでいたが、同じ場所にじっとしているのがもったいなくなったので、さっさと次の目的地に歩いていった。

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晴れたときに撮りまくった画像がもったいなくなって始めた紅葉シリーズ。ようやく今回で終りです(笑)。最後は下鴨神社です。けっこう雲がかかってましたが、雲の切れ間を狙って撮ったものがほとんどです。


京都の自然200選にもなっている糺(ただす)の森も魅力ありです。



このイチョウは御神木みたいでとても大きいのです。






ハトが…



飛び立った!



午前中曇りの予報からか、人は少ない












糺(ただす)の森は大昔の原野の植生が残っているそうです。




カメラの微妙な向きの違いで、デジカメの弱点である画像に虹がかった模様が出る偽色(にせいろ、ぎしょく)がよく出た日だった。画像をパソコンに取り込んだときに偽色の解説に出てくるCCDについてググッたりした。





「第三の…」













上の写真を撮ったとき、絵の構図みたいにできないかなぁとか考えていた。そして、なぜだか昔は物を伝えるための必要性から絵が発達していったのに、近代・現代となりものの伝わり方としては「完璧」であるはずの写真が、絵の表現を真似ようとする逆の現象もおもしろいなぁとか思ったりした。












おまけ:ウクレレ練習中にラッパが…


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拝観料を支払って有名な神社仏閣の美しい桜とか紅葉を見るのもいいが、たとえ有名でないにしろ、家の近所や町のどこかに一年ごとに必ず見に来てしまうものがあると楽しいと思う。
大文字山を登ろうとして山道に入ると、知る人ぞ知るそういった場所がある。










































この日は風が紅葉の葉を散らしたので、とても風流が感じられた。近くの大学生が私の傍にいて紅葉が散る様子に「すげえ!」とか感激していたが「カメラを持って来ればよかった」と嘆いてもいた。私は言葉を交わすタイミングを損ない、彼らに画像を送ることはできなかったが、この日の紅葉のことを忘れないでほしいと思う。



おまけ:神の左手?


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