イサク・ディネセンの『アフリカの日々』原題Out of Africa(アフリカから)を読み終えた。
この作品については、以前にも何回か触れたので、この記事は補記ぐらいの扱いになる。
作品ではディネセンの豊かな観察眼と、洗練されたしかし現地での空気の質感を伝えることを念頭に置いた巧みで美しい自然描写に驚かされる。
そして、ヨーロッパ人が決して理解できないような「アフリカ的なもの」の概念を捉えようとしてか、コーヒー農園の運営をするにはそのような概念を早く会得する必要に迫られたからか、あるいはその両方からか、彼女はアフリカで骨をうづめる覚悟でいたことがわかる。農園の運営は破綻に終るが、彼女が現地の人々から尊敬を勝ち得たのは上の覚悟と、なにより現地の人々の生活に染まり切らず、しかしながら現地の人々の言語や文化を学びながら「アフリカ的なもの」を全身で地道に受け止めつづけたからなのだと思う。
異国や異文化の人間を理解するには、相手の文化を学び、相手の立場からすれば自分がどのような人間に映っているかを考えねばならない。しかしこれはそう簡単なことではない。実際、同国人で同じ地域に住んでいたり、同じ会社にいても、相手の人間が「変わった人」であれば、我慢がならないのが人の常である。環境や自己の孤独の中にあっても、理解できない振る舞いを目の当たりにしても、時間をかけて相手のことを観察し冷静に思いやるディネセンの姿勢は、グローバル化が進んだ現代にこそ、もっと見直されていいと思う。
***
ところで、『アフリカの日々』は、映画『愛と哀しみの果て(邦題)』の原作でもある。私は学校に通ってた頃にこの映画を見たことがあったが、今回の読書中、映画の原作であることを人様から教えてもらうまで、まったく(原作であることを)気づかなかった。とどのつまり、私の中では別作品であったのだ。これをきっかけに映画をもう一度見ようと思う。もし、映画を最初に見てそれから『アフリカの日々』を読んだという方がおられたら、ぜひコメントをいただければと思う。
| Trackback ( 0 )
|