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デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




昨日の夕景はお出かけの際に持ち歩くデジカメで撮りたかったなぁ。携帯の分は普段さわらないので、大きめサイズでの撮影モードにし忘れてもいるし…。



しかし携帯があるだけでもよかったかもしれない。また携帯のカメラはそれなりの独特の色を出すからおもしろいといえばおもしろい。

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「世界最悪」の修復キリスト画に集まる賛否両論の声

週末にこのニュースが流れたとき、正直なところおもしろがる気持ちと言うか、好奇心がわいてしまったのは否定できない。
ヒメネスさんに怒りを覚える人もいるだろうが、修復前の絵柄が分かっているのであれば、元に戻してから、修復後の分はカンバス等に移行させるような形で残しておいてもいいように思う。

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読んでいるうちに、いつか生々しい記述があるだろうな、と思ってたらやっぱりあった。とりあえず二つ挙げる。
一つ目は赤軍であろうが白軍であろうが、感情が爆発すると容赦がなく残虐行為や略奪行為に走る記述。とくに、人の民家に傲然と押し入り、見張る者がいないと女と見れば陵辱しかねない場面の描写は、ソ連軍の満州侵攻の際の数々の残虐行為と重複するようなところがあるのではないか、と思った。
もう一つはコサックの年配者たちには「自分に敵対するなにか別個の原則が、生活を支配するようになった」時代、第六編第20章にあるグリゴーリイとイワン・アレクセエウィチの口論である。

「金持ちコサックにゃ用はねえだろが、しかし、ほかの連中にゃいったいどうなんだ? ばかなこと言うな! 金持ちってのはに三人しかいねえんだぞ。こちとら貧乏人なんだ、労働者のほうはいったいどうしてくれるつもりだい? いや、おれたちはおまえにつきあって考えごとなどしてるわけにゃいかねえよ! 金持ちのコサックが満腹しきった口から一切(きれ)取り出して、飢えてる者にやりゃいいんねえか。よこさねえとなりゃ、肉ごと引き裂くまでのことだ! 旦那風吹かすのはもうたくさんだよ! 土地をかすめとりやがって……」
「かすめ取ったんじゃねえよ、戦争で手に入れたんだ! おれたちの祖先がその上に血を流してるんだ。それだからこそ黒土がみのりを上げてくれるんだぞ」
「同じこったよ。貧乏な者と分け合わなきゃだめさ。平等と言う以上、ちゃんと平等にしなくちゃ。それだのに、おまえはひとりだけ離れて仕事してるんだ。風の吹くほうへ、おまえもいっしょに動いてゆくんだ、まるで屋根の上の風見の旗みてえによ。おまえのような人間が世の中を混乱させてるんだぞ!」
「おい、待て、憎まれ口たたくない! おれは昔のよしみで、胸の中にもやもやしてることを聞いてもらいたい、すっかり話したいと思って来たんだから。おまえは平等にするって言ってるけどな……しかし、ボリシェヴィキが学のねえ人民を釣ったのも、その手なんだぜ。けっこうなせりふを並べ立てるもんで、みんなの者が餌に食いつく魚みたいに、それにとびつきやがったんだがな! しかし、その平等とやらはいったいどこへ行っちゃったんだい? 赤軍を例に取って見ろよ、を通って行ったろうが。小隊長はクローム皮の長靴をはいてるのに、《一兵卒》はゲートル姿じゃねえか。政治委員とやらいうものも見たけどよ、どこからどこまで皮ずくめで、ジャンパーからズボンまで皮じゃねえか。それだのに他の連中は、軍靴(ぐんか)にする皮も足りねえって始末だ。やっこさんたちが天下を取って一年たったから、やっこさんたちはそりゃ根を張ってるだろうがな、しかし平等とやらいうやつはいったいどこへ消えうせたんだい?……戦線にいるときにゃ、《みんなが平等になるんだ。給与だって、将校も兵も同じなんだ》なんて言ってたくせに……とんでもねえや! 餌しかねえじゃねえか! 旦那(パン)も悪いとしたってよ、下郎上がりの旦那(パン)のほうは、さらに百倍も悪いやな! 従来の将校たちがどんなにいやな連中だったにせよ、うまいこと言って将校に成り上がったような野郎より悪いのなんていやしねえ。そんな野郎はぶっ倒れてくたばりゃいいんだ! そういうやつは、学問だってコサックと同じようなもんだ。牛の尻尾綯うのを覚えたくらいが関の山だ。それがどうだい、人中へはい出して来て、権力に酔っ払ってからに、その腰掛けにすわりつづけるためにゃあ、ひとの生皮さえ剥ぎかねねえじゃねえか」
「おまえの言うこたあ、反革命的だぞ!」イワン・アレクセエウィチは冷ややかにこう言い放ったが、目を上げてグリゴーリイを正視しようとはしなかった。「おまえ、おれのことを自分の畦へ引きずりこもうとなんて考えるなよ。おれもおまえを閉じこめたくはねえ。おまえとも長いこと会わなかったけど、包みかくさず言やあ、おまえとは赤の他人になったな。おまえはソヴェート政権の敵だぞ!」
「おまえの口からそんな言葉を聞くとは思わなかったよ……権力のことを考えると、それが反革命なのか? カデットと同じか?」

体制の変化というか侵食がドン地方の人々を引き裂き、遠いところに住む隣人どころか、近所の隣人にも銃を向けてしまうようなことになってしまったような事例など枚挙に暇がないが、未だこの種の悲劇は民族紛争などに形を変えて存在する。
そして支配する人間が変わったところで、かえって社会はひどくなる、こんなはずじゃなかったといいたいものの、かつて自分が関わったからこそ悔やむにも悔やみきれぬところから来る苦悩は痛々しい。目の前の実をとることが、長期的展望と合致しているかのように思えるようなことがあっても、人間そのものが「善政」と化すわけではないのだ。
もう半分以上読むことができたが、読み通せそうだ。この作品は党派や思想、民族性を超えている。私の周囲にはソヴィエト文学というだけで倦厭する人もいたが、じっくり読めば未だ世界的評価が揺らがない作品であることがきっとわかるだろう。

つづく

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もう京都市の一部での立派な風習となったんでは?と言えるほどまでになったんだろうか。
朝早くから大文字山の火床まで登り、送り火の消し炭を拾う作業に行ってきた。日が昇ると暑いので朝六時過ぎには下山するつもりで行ってきた。


日がまだ見えないうちでも汗を大量にかいた



朝5時台なのに人が







本当はもう少し明るかったのだが、カメラの露出や採光の設定の調節のことを考えてなかったので、暗めに写っているように思う。


消火用ホース



マス・コミ関係者も訪れていた

ここ数年来抱いている、「消し炭拾い」はいつ頃からどのように始まったのか、という問いの答えは未だ見つけることができない。
私は未だ、クリーンアップ作戦みたいなことが転じて、いつしか消し炭に厄除けのお守りみたいな口コミがいつの間にやら広がったのでは?という仮説を抱いている。もし口コミでそうなったのなら、誰かが言い出したはずだ。
京都に長く住んでいる人に、できるだけ多くの人に尋ねてみたいところではあるが、何人かの年配の方がおっしゃるには、戦後でさえ消し炭を拾った記憶はなく、消し炭拾い自体はここ20年ぐらいで聞くようになったとか、周りが言うので自分も行ったとか、けっこうあいまい。それはそれでいいとは思っているが、いつかこの風習のもとになったような資料を見つけれたら、また書きたい。勝手な主張やでっちあげ記事には気をつけたいところではあるが。





















消し炭自体には何の効能もないことは承知の上だが、なにより自分の足で登って拾ったものであり、これをあげたら厄除けとしてよろこんでくれる人がいることがいい機会作りになっているのだと思う。
以前にも書いたとおり、盆に無理やり坊主が家に押しかけて来て、人工的な音でしかないお経を唱えられてお布施を出すより、自分で先祖のことに思いを馳せながら送り火に祈り、その翌日には自分の足で消し炭を拾うほうが私はいいように思っている。自力本願だし無理せず自分のペースで登れば身体にもいい。
それにしても山に登ると普段の運動不足を自覚させられる。この記事を書いている間も筋肉痛で悲鳴を上げたくなるほどだ。

***

追記:2012年8月19日12:15
バンドでリーダーをしてくれているメンバーに消し炭拾いのことを訊いたら、30年近く前子供だった時分に既に学校の先生に引率されて拾いに行っていたという。その時には火床で「人が拝んだりし、霊がたくさんいた場所に残ったものを持ち帰ると、効果は逆だ」とか言った人がいたというから、風習は記事に書いた20年以上前よりも少なくともさらに前からあった可能性が高くなった。

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前回から、さほど読み進んではいないが、この作品はおそらく第一次大戦やロシア革命期に対する関心や、歴史の趨勢に対する経験則みたいなものに考えを及ぼそうとしないと、読み通すのはきびしいかもしれないと思い始めた。
というのは、そもそもドン・コサック軍が帝政ロシアの前や、帝政ロシアにあってどういった存在であったのか、また現代であってもときに嫌われ者扱いされることがあるという事実等、そういったことを押さえてないと白軍側について戦う彼らの中にあって、ひとり思想的煩悶をくりかえす主人公グリゴーリイの悲劇を理解できないと思うからである。
時代によって必要とされた思想と行動を後世が裁くことはできず、できるのは教訓として活かすことぐらいだが、その後世の人間であるショーロホフは臆面無くコサックでありながらボリシェヴィキになり成り上がり者となる赤軍隊長ポドチョールコフの傲慢さをよく描いており、「世直し」にあっては即決虐殺も平気の平蔵で断行してしまうさまは印象に残る。当時のソビエト政府がこの描写に困惑したのも想像に難くない。

 ポドチョールコフは力いっぱい鞭をふった。低く伏せていたひとみを一そう落とし、満面に朱を注ぎながら、どなった。
「ゴルーボフの野郎に唾をひっかけてやらんけりゃ!なに言い出すかわかったもんじゃねえ! あの強盗野郎の、反革命のチェルネツォフの身柄を保証するって?……だめだ、そんなこと!……ひとり残らず銃殺だ――それで勝負は終わりさ!」
「ゴルーボフは、やつの身柄は引き受けるっていってたぜ!」
「だめだったら、そんなこと! だめだって言ったろ! それだけの話さ! 革命裁判にかけて、ただちに処刑だ。ほかのやつらの見せしめのためにもそうするんだ!……君だって知ってるだろ」もういくらか冷静になり、近づいて来る捕虜団を鋭く見つめながら、彼はつづけた。「知ってるはずじゃないか、やつらがどれだけこの世に血を流させたか? 海ほどだぜ! どれほど坑夫たちを殺したか?」ここまで言うと、ふたたび、煮え返るような憤りにとらえられ、残忍に目を見開いた。「させるもんか、そんなこと!」
「どなることはなにもないだろ!」グリゴーリイも声を高めた。身内のすべてが震えていた。まるでポドチョールコフの激怒が彼にもうつったかのようだった。
「裁判をする者はここにはいくらでもいるんだ! 君はあっちへ行ってろよ!」彼は鼻孔をふるわせながら、うしろを指さした。「捕虜を処理する者はいくらでもいるんだから!」
 ポドチョーフコフは両手で鞭をもみくたにしながら立ち去った。遠くのほうで彼はまたどなった。
「俺だって戦場にいたんだ! 荷馬車の上でいのちの洗濯してたなんて思うなよ。メレホフ、おまえは黙って引っ込んでろ! 分ったか?……大体、だれと口をきいてるんだ? そうだろう!……あんまり将校づらするなよ! 裁判するのは革命委員会だ、だれにでもできるってわけじゃないんだぞ……」


憎悪があることは分かるし、戦場にいたこともわかるのだが、自分が坑夫になった体験はおろか坑夫たちが殺された現場をおそらくポドチョールコフは見たことないのではないかと思う。なんというか、ドストエフスキーの『悪霊』に出てくるキャラが時代の趨勢を読んで威張りだしたのが、ポドチョールコフではないか。『悪霊』の目的のために手段をエスカレートさせてしまうあの浮ついた興奮状態に加えて、党内での出世欲がからんでくると、周囲より抜け出ようとする気持ちからなんだってやってしまう人間の残酷な面が容赦なく描かれているのが、『静かなドン』の一つの特徴だと思う。

つづく

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買いなおしたデジカメ(といっても以前と同じタイプなのだが)で、復習がてらいろいろなモードで試し撮り。
みんな同じように見えるが、やっぱりその時に目にした光景に一番近いというモードはその時々によって変わるように思う。
しかし旅行先とかで、そんなのを気にしていると時間が勿体ないこともある。そういう時はオートで割り切るのもよし。

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私の読んでいるショーロホフ『静かなドン』は全編を三冊に分けてある分であるから、一冊目は原作でいえば第二巻 第四編 第15章まで所収されている。
一冊目の巻末には作品解説があるので、おおよそのストーリーは分かってしまったのは少し残念だが、でもこれはある意味助かるのも正直なところである。読んでいて人物の相関関係や当時の社会体制や反体制の対立の構図(そう単純なものではない)に対し、把握できてないところを保管してくれるからである。
また、この作品のネタが割れたところで、大事なところは登場人物の葛藤や苦悩の描写に対する価値が減ずるわけでもあるまい。いまでは否定されがちな過去の社会体制下で評価された作品だからといって、おのれのうちにある人類の典型が描かれていることには変わりはない。
ところで、五輪もいまロンドンで開催されていることにちなんで書くと、動乱期、革命期を扱った文芸作品を読むたびにイギリスに対し思うことがある。フランスやロシアでは革命が起こったら皇帝とその家族は殺されたけれども、イギリスが経験した「革命」じみたものは、アメリカの独立戦争ぐらいなもので、革命騒ぎでイギリス王室自体存亡の危機に立ったことはないのは、やっぱり島国であることの恩恵かもしれないなぁと…。
フランスやロシアは地続きで、社会的下層民や隣国が体制を脅かす場合、鎮圧するにしても血なまぐさいことが多く起こったが、イギリスの場合、アメリカやインドで反旗が翻っても国の収益が減る程度の対岸の火事で、教科書で習う本国のいろいろな名前の革命はそれ自体は社会を激変させるものでなかったまま現在に至っているのではないかなと。
大雑把な書き方なので誤解も生じるだろうが、『静かなドン』を読み進めながら、また思いついたことを書きたい。

つづく

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私はデザインのセンスは無いほうだが、この広告表示の方法がダサいことは私でも分かる。

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