デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 






角が長いのは正直用心してしまう(笑)


しばらくこのあたりで休憩した













出口の傍。またいつか来たいものだ。


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若草山の歴史として、戦前にケーブルカーを作ろうとしたり、6・7年前にはモノレール建設計画があったりすることを地元の人はともかく、日本の多くの人は知らないと思う。


それじゃまたな。


二重目へ下る


こう見ると日がだいぶ傾いてきたなと




一重目からの下りはもう一つのルートを降りることにした


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「若草山三重目」の標識は二つあるようだ


なんか年季入った眺望図


双眼鏡が欲しくなった











二重目あたりから東へ傾斜している辺りの
陽光の当たり方がきれいだったが、画像として
見るとそんなに映えている感じがしない(笑)


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ダニエル・デフォー(武田将明 訳)「英国十八世紀文学叢書『ペストの記憶』」(研究社)読了。

ETVの「100分de名著」にて紹介されていたことで俄然興味がわいた作品。
それまで私は標題に「ペスト」とある外国文学やルポはいくつか知ってはいたが、『ロビンソン・クルーソー』を書いたダニエル・デフォーが人獣共通感染症のペストについての小説(かつ観察録)を書いていたことは知らなかった。
読んでみると、半分も読まないうちに、2020年から続くコロナ禍によって国内および外国で起こった事とあまりにも酷似しているので、結局人間は同じ事を繰り返して、過去の教訓から何も学んでないことを痛感させられた。もちろん、今の世界ではそこまで認められないようなエピソード、危機を前にして市内のあらゆる宗派が敵愾心もなくしていき、説教の場をあらゆる宗派が使ってもよいことになったものの、ペストが終息するにつれ、再び他の宗派を迫害するようになってしまうといったことなどの違いのあるものはあるといっていいだろう。しかし、作品に描かれていることは、本当に感染症の名称と発病してからの症状が異なるくらいで、感染症が大都市に猛威を振るったことで、その危機に対峙する都市の人間の反応と行動は今とほとんど同じじゃないかと思う。
1回25分未満で計4回の番組内で触れることのできるテーマは限られるので、深くツッコめないこともあったろう。しかし作品を手にしてみると、訳者解題にあるとおり、

 こうして明らかとなるのは、表面的な秩序を維持するために市民の身体を家庭のなかまで管理し、秩序を逸脱する存在(病人・死体)を徹底して排除するという、近代的な権力のあり方だ。この権力は、市民の生命を護ると言いながら、「穀潰し」(二五五ページ)と呼ばれる貧民たちにもっとも危険な仕事を割り当て、その生命を犠牲にすることは厭わない。ミシェル・フーコーのいう生権力が、ここでは剥き出しにされている。
(中略)
 そしてこの、ペストという危機を背景に、近代市民社会の根本を抉り出した点にこそ、本書が現代人に強く訴える秘密がある。
上掲書 p355


のであることは深く考えさせられるし、他にも厳しい内容があることは読んでみないとわからない。実際、かつて多くの死体が埋められた場所の上に豪邸が建ったエピソードは番組内でも採り上げられていたが、その死者の扱いがあんまりで終息すればどこ吹く風ではないか、といった指摘以上に、自然災害などの緊急事態が起こったことで現れた「空き地」(無主の地(テラ・ヌリウス))の原住民を追い払い、その空き地をリゾート開発の地にしてしまうといった、災害時の思考停止状態につけ込んで掠め取る現代のディザスター・キャピタリズムの問題をも髣髴とさせるということができるように思うのだ。
世界を覆うこの事態だからこそ考えることはたくさんある。作品の内容は今でも問題やものごとを考えるにあたって参考以上のものとなるように思う。


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安正孝(アン・ジョンヒョ)『ホワイト・バッジ』(光文社)、読了。

韓国映画は幾作品か見ているが、韓国の現代小説をそれもベトナム戦争を採り上げた小説を読んだのは初めてだった。こういっちゃなんだが、国際紛争に介入したことで起こしたベトナムでの行為を正当化・合理化することなく、ありのままを描いた作品ってほとんどない、もしくはあっても知られていないのじゃないのかと思う。
作品の主人公は南ベトナム側として武力で介入した韓国軍(アメリカを除く国でベトナムに派遣した兵士の数としては最大の人員を韓国は派遣した。延べ人員数で31万人の兵士が派遣された)に従軍した元兵士である。
作品で語られるエピソードは生々しく、それは著者が韓国軍の特殊部隊として現地に派遣された経験からくるところのものが多分にある。文章の一節一節にこれほどまでの臨場感を覚える作品は読んだことがなかった。
ベトナム戦争は国際紛争がベトナムの地において繰り広げられた面を持つが、作品は戦場における凄惨で悲惨な体験を書き連ねているだけではない。戦争の全体像をきちんと把握・分析し、登場人物の口からその各々の立場から語られる戦争の所見は韓国軍の置かれた立場のみならず、戦いの背後にある大国の論理や現地人の複雑な感情に至るまで多岐にわたりその内容も情感が込められつつ的確に語られている。
『ホワイト・バッジ』からは旗手啓介『告白 あるPKO隊員の死・23年目の真実』、一ノ瀬泰造『地雷を踏んだらサヨウナラ』で感じたような衝撃とは別の衝撃を受けるだろう。大義名分や犠牲の尊さやヒロイズムやロマンといった、戦争につきものの夢想など、戦地で恐怖におびえ現実の生の戦闘・殺し合いを体験し負傷し精神を病んだ兵士たちには何の意味も無いことをこの作品は教えてくれる。


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若草山三重目



こちらによれば奈良の鹿は天然記念物で、現在、法律上は無所有者の単なる野生の鹿になっている。
「奈良公園の鹿は、いつからいるの?-いる理由は?」というタイトルのwebサイト(うまくリンク貼れなかったのでこのような紹介でなんですが)によれば、そうなった理由として1960年代に鹿による農作物被害が深刻化し、鹿の所有者や占有者(管理者)についての裁判が開かれたことの結果だそうだ。
たしかに、鹿は芝やススキだけを食べてくれて人間のつくるものを食べないといったような人間にとって都合のいい動物ではないのは今も変わらない。


やっぱり芝を食んでる


よく首が曲がるなぁと。ほぼ180°


「奈良公園の鹿は、いつからいるの?-いる理由は?」のwebサイトで知ったが、奈良公園や若草山にあれだけ鹿がいるのにフンが蓄積せずハエも発生しないのか、その理由は実に興味深かった。自然の力は決して侮れない。


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若草山二重目


西に見えるは生駒山


平城宮跡も見分けれた。
ズームで撮れば近く感じる。


若草山三重目へ


着いた


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私の方に寄ってきたのでなく、一重目の
標識の所に食べれるものがあったようだ。





山には詳しくないのでなんだが、南南西の方角、
画像の中央右にうっすらと見える山は金剛山か?


二重目へ


寝転がりたくなるような芝生だが
鹿のフンがけっこう落ちている(笑)


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二月堂からの眺めもよかったがやっぱり若草山からの眺めだなぁ

東大寺大仏殿





鹿せんべい持ってないのに寄ってきた


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