デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



先日の土曜、ジャズの生演奏を聴きにフレイムハウスまで足を延ばした。ジャズについては全くの素人なのだが、過去に大学の学園祭やストリートライヴで足を止めて何度か聴き入ったことがあるので、やっぱり好きなんだなぁと思っている。
ところがこの日は天気が悪く、見上げると不穏な雲が空を覆っているのであった。


どんよりと…




京阪に乗ってからは徐々に雲が崩れ出し、人目を憚ることなく窓越しにデジカメを押し付けてまで空を撮りまくるのだった。そんなときに限って、高いビルやすれ違う列車がド真ん中に写ってくれてたりする。
でも、数撃ちゃ当たることもある。自分なりによく撮れたなぁと思うのが以下の三枚。








「京阪の車窓から」

夕景ショットについては↑で満足

ジャズは「THE MD"Where is Philly?"TRIO」の生演奏を楽しんだ。知っている曲は1曲しかなかったが、奏者の息遣いが聞こえ絶妙のタイミングで奏でられるクールでジャジーな雰囲気にまったり。これからジャズも聴いてみようと思った。


THE MD"Where is Philly?"TRIO

Bassの安部さんのページ:http://jazzbassabe.jugem.jp/
トランペットのMDさんのページ:http://www.roy.hi-ho.ne.jp/ohid/

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観光客は少なかったので、いつもは声をかけてこない人力車の青年から声をかけられた。
銀閣寺から大文字の火床まで登ると、火床では日曜の様子とはまた異なった静かな雰囲気で、坊さんの世間話の声の方が響いていたりしていた。


修行はこの靴で



喉まで出かかっている、あの寺の名前



京都をよく知る留学生と






思い思いに



次の話題へ



そろそろ下山


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出町柳から東へ。
ちょっと疲れてはいたが、大文字山に登ることにした。
桜が散り、花びらが路面を覆い始めてから、観光客はグンと減った。そんなときに桜の名所を訪れる人々もいる。人々はよく「三日前だったら最高だっただろうね」と話してはいるが、雰囲気的には三日前よりもはるかに静かだし、花が散ろうとしているときの風情はやっぱり落ち着いたゆっくりしたものがあって、それを知らぬ間に味わっているのもたのしいように見受けられた。


のんびりできちゃいます






散った桜なんかより



お地蔵様も桜を惜しみください



葉の緑が目立って…。



大文字では早くもお盆の送り火用の薪が


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画家マルク・シャガールは晩年の作品のなかに、自分の描いた作品の体系・特徴を象徴するような日本語を暗号として用い描いた。その暗号を解読した暁には、日本語を理解できる者にとって、シャガールが晩年に入り密かに日本に関心を抱き、日本語まで研究していたことの歴史的発見に歓喜し、シャガール作品をより深く理解することだけでなく、探偵ナイトスクープの小ネタに匹敵する?ユーモアも感じることだろう。
(注:↑は、某映画のパロディというか、ただの私のネタです(^^))

昨日、雨の中、大阪・天保山のサントリーミュージアムまで「愛の旅人・シャガール展」を見に行った。小さいころはシャガールの絵の夢のような幻想というか、人間や動物が縦長にデフォルメされ、姿が背景に融合するような感じや、人がただフワフワ浮いていて活動的でないこと、シャガールの描く動物の表情が、夢に出てきそうで怖くてならなかった。でも、今はシャガールの絵が受け入れられるだけでなく、シャガールは偉大な画家だと思った。
展示自体の構成もすばらしくて、最後に展示されている「回想」(1979)という作品を見るころになると、シャガールの生涯がなんとなく感じ取れるようになっていて、すごく効果的なものになっていた。
あと個人的に思ったこと。シャガールの絵には、恋人たちがたくさん登場する。展示には男女の二人連れも訪れているわけで、彼・彼女らが手をつなぎながらシャガールの恋人たちの絵を見ている光景は、とても絵になっていた。この瞬間を撮りたい!と思ったが、展示では撮影は禁止なのでやむなく諦めたのだが、シャガールの作品だけでなく、他にもいい光景を見ることができて、とてもたのしかった。

さて、タイトルの「シャガール・コード」と冒頭に書いた「シャガールが日本語の暗号を作品に忍ばせた」というネタだが、これは要するに外国映画で真面目な場面での英語のセリフが、場違いな日本語に聞こえてしまうようなものである。たとえば映画「ターミネーター」で警察の取調べを受けて精神的に参ったサラ・コナーが、関西弁で「信じられへん」と言ったふうに聞こえるようなものだ。
今回シャガール展で、私が最も感動した作品の一つに「回想」(1979)があるのだが、何度となく見ていると、この絵の中央から少し上に「日本語」で、
「ロバ」
書いてあることを「発見」したのである。実際の絵を目にされたら、あなたにもきっとわかるはずだ。本当に「ロバ」と読めるのだ。これを目にした瞬間、深い感動ともにニヤリとしてしまう自分がいた。
他愛の無いことかもしれないが、おもしろいではないか。シャガールが生涯にわたって描いた動物の中でも馬はたくさん作品に登場するし、最晩年の作品「回想」(1979)のなかで、文字としても作品の象徴として「ロバ」と綴ってくれている。これをシャガール老年期の日本人への入魂のメッセージとして受け取らずして、何とするか(笑)。
以上、私にとってはプチ驚喜したネタでした

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鴨川沿いはゆったりした時間が流れているような気がする。タイトルはあまりうまくつけられないが、ほのぼのとした雰囲気が出てたらいいなぁと思う。


春の午後



春眠



午後の日課






仲間



相談:もしくは友達以上に


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(注・これは先月に撮った画像です)
深泥池から北山通りを西に、そこからは鴨川沿いを自転車を押しながら歩いた。
桜満開のニュースよりも遅れて咲く枝垂れ桜がずっと続く「半木の道」(なからぎのみち)は、とてもきれいだった。ぽかぽか陽気で気持ちもよかった。



枝垂桜は花びらが少し小さいのだろうか。離れて撮るとピンク色がより細かくなって見える気がする。











アビーリバー




桜の横に竹林があったら、それはそれで「京らしい絵」になるなぁと思ったりしたが、撮ってみると、なんかバランスが悪いものばかりになってボツ。やっぱり桜を対象の中心にしたほうがよかった。



枝垂桜は満開だったが、他の桜は散り始めていた。散ってしまった花びらが水面を流れる様子にちょっと切なさを覚えた。でも着物の柄のようにも見えて、とても風情があるようにも思えた。

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ニコラ・プッサン「花の女神フローラの王国」(1630/1631)

M・プルーストの『失われた時を求めて』という作品は大長編だが、5年ほど前、この作品に挑戦し読了まで10ヶ月近くかかったことがある。
長編にはいろいろな絵画や音楽が登場するのだが、バロック時代のニコラ・プッサンの絵もある。
『失われた時を求めて』の第一篇『スワン家の方へ』第三部「土地の名・名」に語り手が、コンブレーという田舎町で出会ったジルベルトという少女の名を、シャンゼリゼで耳にしたとき、とても普通とは思えない想像力で彼女の名前を再び耳にした心の動きを描いている。その感情の動きの譬えに登場するのがプッサンの絵なのだが、上の「花の女神フローラの王国」が登場しているというわけではない。
一応、小説のその場面に登場する絵は、プッサンの「花の女神フローラの勝利」(ルーヴル美術館蔵)ではないかという説が強いのだが、その場面の描写の中身からして「花の女神フローラの王国」をプルーストは複製か何かで見たことがあったかもしれないという論を読んで、とても共感した。それでこの絵を見たかったわけである。

ところで、古典を愛し、かつ理知的で厳格な性格だったプッサンのこの絵のおおよその意味については、はっきりいって難しすぎてどう書いたらよいか分からない。描かれている人たちは、ギリシア・ローマ神話に登場する神々なのだが、この絵にはオウィディウスの『行事暦』や『変身物語(メタモルフォーセース)』のこまごまとしたエピソードが、凝縮されているのだ。
中央左下の水の入った瓶を覗き込んでいるのはナルシス、ナルシスの後ろに太陽神アポロンの馬車を見るため天を仰ぎっぱなしになっているアポロンの恋人クリューティエー、己の剣の上に伏して死のうとしているアイアース…その他。

この絵から私自身は、「ジルベルト」の名前を聞いて一気に心が高揚する語り手の気持ちというよりは、頽廃期のローマ時代のようなものを感じた。庭園の中の人々は毎日優雅な宴を繰り返すことに慣れてしまったみたいで、人々の運命は衰退の道に導かれてしまった、その瞬間の象徴がこの絵には描かれている気がした。

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沖縄は梅雨入りしたというのに、このblogではまだ桜の画像が登場する。大いに季節はずれな画像を見てやってください。


深泥池

ここは夏に幽霊スポットとしておなじみの深泥池(みどろがいけ)なのだが、この池は古代植物が生息することで有名なので、人の手がほとんど入っていない。



三槲 (ミツガシワ)



三槲 (ミツガシワ)群生







深泥池に沿って走るバスがあるので、ここの狭いカーブでの行き交いは大変である。だからいつも誘導員のおじさんがいるのだが、季節によって、とくに冬は辛いとのこと。


よく見かける気がするが、なんの実だ!?


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デジカメで撮った画像は溜まる一方で編集が追いついてない。まだ桜が散りかけのころの画像でアップしたいものがあるのだが、今日のところは、まさに今日撮ったものをアップしたくなった。
とはいうものの日常によく見るような光景ばかり。実際、今回の画像にある大文字山は何度も登っている。
ただ、なんというか私がカメラを持って出たくなる日は、雲ひとつ無い青空の日よりも、雨の日の前日の晴れの日、また雨が上がった後の晴れ間の日なのだ。



個人的には紙一重という思いも引きずりつつ、今日最も気に入った場面だった。タイトルはどうしよう。。。



UFO着陸!?(1)

もう少し雲が少なかったらと思う日だったが、印象に残る雲だった。こういう雲が好みだなぁと思っていたら、近くにいた学生たちが「UFOが降りるところ」とか言ってたのでタイトルを拝借。


UFO着陸!?(2)

抜けるような青空で町がくっきり見渡せるのもきれいだが、スポットライトが移り変わるような遠景もおもしろいと、毎度思う。

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3月末に大阪の国立国際美術館でおもしろい作品を見てからというもの現役の芸術家の作品に対する興味も増してきている。
今回、紹介するのはフレイムハウスで知り合った、おおしろ晃さんという方の作品で、いくつか作品を見せていただいた際、私が個人的に気に入った作品である。(絵葉書からのスキャンなのでオリジナルからすると色合いが少しかわっているかもしれない)


おおしろ晃「照-しょう-」



おおしろ晃「酔-すい-」



おおしろ晃「月-つき-」

ご本人は、作品は自分が頭の中で捉えているものだから、言葉で表そうとすると説明しにくい、とおっしゃっていた。それでも作品のどこに力点を置いたかなどの話は熱を入れて語ってくださった。とても楽しかった。
私の手による制作者本人による作品解説の転記は割愛する。鑑賞者の感想を大事にされる人だから、きっと望まれない。
作品についての私の感想は、「照-しょう-」では右の人物のようになりたいと思った。「酔-すい-」はネコと共にまどろんでいることで頭の中に起こっている幻までも、ネコのものと混在しているところにネコとの間柄が垣間見えるよう表現しているところがいい。「月-つき-」は、最初に見たときに月に見えなかったことが印象に残っている。自分でもどうして気に入っているのか分からないが、第一印象が強くインパクトがあった。

今、おおしろ晃さん他、いろいろな方が出展されている個展が開催されています。
http://www.10w.jp/
お近くに寄られたときはぜひお運びください。

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