デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




ダンクシュートで話題に挙がることが少なくなかった選手だが、むしろひたむきにチームから求められているプレーを自ら実践する、そのためにはプレースタイルも変えるプロフェッショナルというに相応しいシブい選手だった。彼の経験はこれからのNBAに必要だろう。これからもバスケットボール界に関わりつづけてほしい。


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いろいろ意見はあろうが、人知れず戦うことのすさまじさやメンタルの強さに脱帽せざるをえない。


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酒船石を教科書の内容を補足する資料や飛鳥時代を採り上げるTVの特集でも目にしたことがあるという方も少なくないだろう。
何年か前に石舞台古墳を初めて目にしたとき、不思議だなと思ったし、酒船石を映像で見たときも、どうやって造ったんだと思ったものだ。
大昔にすごいものが作られそれが遺跡としていまに残っているもので、どうやって作ったか理解に至らない頃、説明ができないことの答えとして超文明や宇宙人の仕業にしてしまう人も少なくないかもしれない。
ただ今は実験考古学も格段に進歩したし、アンティキテラ島の機械もストーンヘンジも当時の制作技術でつくれることが分かってきた。決して超文明が地球に置いていったものではない。
もちろん酒船石もだ。説明にもある通り工具跡が残っているし、石を割ったり削ったりする技術を生業にしていた人がいて何もおかしくない時代につくられたのだ。
しかし、もし子どもの頃に何も説明を聞かされずに目にしていたなら、超文明からのメッセージだと思い込んでいただろう。


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井上章一 著『京都ぎらい』(朝日新書)、読了。

谷崎潤一郎の『細雪』をめぐる論めいたエッセイですかと思った。
著書の中にある洛中の人が洛外の人を差別するようなことはどこででも起こっている。九州の人が関西に住み九州の訛りを指摘され(その逆もあり)たり、渡英したアメリカ人が現地でアメリカ訛りを指摘されることのようなものだ。
世の中の多くの人が、初対面の相手の言葉づかいやなまりを指摘し、コミュニケーションの取っ掛かりや関係を築く足がかりにする。だがその取っ掛かりの時点で侮蔑や卑屈の感情を読み取ったり必要以上に思いつめたりする繊細さを持ち合わせる人も少なくない。
また事が婚姻の是非に至れば、未だにこの手の問題はさらなる問題を上乗せする。実際、国内外問わずあるではないか、「どこの馬の骨をつれてきた」といった場面が(笑)。
誇り高いがどこか卑屈さを感じさせ嫉みも含んだ恨みつらみから出たエッセイもここまで出すぎれば立派なものだ。正直、読み進めるなか笑いながら思った、言葉の訛りを一番に指摘する人や他人を見て反射的に「どこの馬の骨」とのたまう人に、もっと言ってやってもいいのよ、と。
もちろん、独りよがりな被害妄想的な内容も無いではない。しかし、京都の花街や江戸時代初期に幕府が京都の神社仏閣にもたらしたアップデートの措置の内容は非常に興味深いし、拝観料の考え方や明治維新のとらえ方は世間の多くの人が見逃しがちな視点を忘れるなと釘を刺してくれる。とくに維新前後に京都や会津でおびただしい人の血が流れたことに触れている章は、時代の要請に応えるための勝てば官軍的な犠牲者を黙殺する地政学的な歴史観ではなく、権力争奪戦に翻弄され犠牲になった人がいたことに改めて気付かせてくれたと思う。


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飛鳥寺は安居院とも呼ばれる

伽藍

室町時代以降荒廃した期間が長かったという。大仏は創建当時のものとしては頭部と右手の指だけが残り、そのほかの部分は後世の作なのだそうだが、それでもよく残ったものだと思う。


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飛鳥寺西門跡から

日が照ってきた





時々、7世紀に本当に栄えて
いた所なのだろうかと思う。


蘇我入鹿首塚のほうを振り返る



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蘇我入鹿首塚

蘇我入鹿は乙巳の変で中大兄皇子と中臣鎌足に襲撃され殺害された。蘇我氏が滅亡しなければ唐・新羅連合軍と戦った白村江の戦は起こらず膨大な犠牲者を出さずに済んだ可能性が高いことを首塚を前にして改めて思った。

飛鳥寺西門跡

西門のあった場所から見ると飛鳥寺は大伽藍だったのだと実感できる。






日が差すまで少し待った


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ヴァーツラフ・ハヴェル著(阿部賢一訳)『力なき者たちの力』(人文書院)、読了。

2月のETVで4回にわたり紹介された本で、番組内容にかなり興味を覚えたことで本を手に取った。
著書名はおろか著者のことも全く知らなかったが、ビロード革命を経たチェコスロバキア大統領、のちにチェコ共和国大統領に就任した人の著作となれば、読まずにはおられない気になった。
第一章から第七章の内容は第二次大戦直前や大戦中、そして戦後も同調圧力に苦しむ人々の多い日本のことか?と見まがうような内容じゃないのかと思える。とくに著書の中ではとりわけ有名だという「青果店の店主が店先に置くスローガン」の喩えは番組のみならず読んでみても衝撃を受けた。

…比喩的に言えば、青果店のスローガンがなければ公務員の婦人のスローガンもないだろうし、その逆もまたそうであろう。それぞれがお互いに反復するよう提案し、双方ともに相手の提案を受け入れている。両者がスローガンに対して無関心であるというのは錯覚でしかない。現実には、スローガンを通してゲームを受け入れ、そうすることで権力を認めるよう互いに強制し合っている。つまり、互いに従順であるよう手を差し伸べているのである。二人はともに支配される客体であるが同時に支配する主体でもある。体制の犠牲者であると同時にその装置となっている。
 誰も読まないスローガンが県の全域にわたって貼られたとしたら、それは、県の書記官から郡の書記官への個人的なメッセージである。だが同時にそれ以上のもの、人びとによる自発的-全体主義」という原則の一例となる。ポスト全体主義体制の本質をなすのは、あらゆる人間を権力構造に取り込むことである。もちろんそれは人間としてのアイデンティティを実現するためではなく、「体制のアイデンティティ」のために、人間としてのアイデンティティを放棄させ、つまり、「自発的な動き(オートマティズム)」全体の担い手となり、みずからが目的と化したものの召使となり、それに対する責任を担い、ファウストとメフィストフェレスの関係のようにそこに巻き込まれ、絡み合うことになる。だがそれだけではない。そのような関係性を通して、一般的な規範をともに形成し、他の市民に圧力をかけることになる。そればかりか、不可欠で自明なものとしてこの関係性を見なしながら、このような関係性の中で生活を営むことになり、万一、その関係性の外に出ようものなら、それを、異常なもの、傲慢なもの、自分への攻撃、「社会からの脱落」と見なすようになる。こういったものすべてを権力構造に巻き込むことで、ポスト全体主義体制は、相補的な全体主義、人びとによる「自発的-全体主義」の装置を形成する。
 じつのところ、ありとあらゆる人が、それに巻き込まれ、隷属している。青果店店主だけではなく、首相もそうである。権力序列の地位の違いは、関与の度合いの差でしかない。
p30-31

表面上の笑顔や身内や友人に対して猜疑心や相互不信を抱きギクシャクしている感じが充満している社会の様子をここまで上手く言い当て表現できている文を久しぶりに読んだ気がする。
ETVの番組内の解説はすごく分かりやすく、私だってきちんと読み込めたら人様との間でこの本の話題が出た際、著書の内容をスラスラと平易な形でアウトプットできるだろうと思っていたが、実のところそうは問屋が卸さないことを身に沁みて感じる。決して難しいことをいっているわけではないのに、番組で言っていた以上のこと、もしくは同等の解釈や読み解きがなかなか私の中で顕れてこないのである。ぜひ再読して自分の言葉で著書についてアウトプットしてみたいものだ。


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