デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




ロムルスが埋葬された石棺だと思えばそうなのだろうし、科学的には立証できないので慎重になったほうがいいというのもそうなのだろう。
しかし英雄や聖人や偉人を祀るにあたって神殿や記念碑や慰霊碑を建てたい人にとってみれば、それが本物かどうかなんて関係ないことを世界中の由緒ある有名寺院の存在が物語ってくれているように思う。


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映画「コクーン」(1985)鑑賞。
「スプラッシュ」や「バックドラフト」、「アポロ13」、「ビューティフル・マインド」や「ダ・ヴィンチ・コード」でも知られるロン・ハワード監督によるSF映画である。(このラインナップを見るだけでも器用ですぐれた監督だなぁと思う。)
いつかは見たいと思いつつ、予告編の映像がなんとなく不気味に思えて無意識に避けていたのだが、身構えつつ見てみると、とてもいい作品じゃないか!と素直に感動できた。
たぶん過去に多くの人がやったであろう、「E.T.」とも比較してしまった。「E.T.」は青少年向け、「コクーン」は大人向けだなと思った。
作品に出てくる老人たちが肉体的に生命力を回復させたとしても、やることなすことまで変わったりしないし、精神的に別次元に達するかといえばそうはならないこともきちんと描いているように思った。
また『サピエンス全史』や『ホモ・デウス(前)』を読み終えてからの鑑賞というのもあいまって、「コクーン」で採り上げられる不老のテーマは、現実世界でも生体工学の観点から目前に迫っていることを思わせた。ただ、「救出班」のリーダーが仲間の死と対峙し涙する場面を見て、人間の生体工学の行く末も願わくばこうであってほしいという感想を抱いた。
いい俳優も出ていたと思う。スティーヴ・グッテンバーグはいうに及ばず、「救出班」のリーダー(ウォルター)を演じている人って、映画「ランボー」でランボーを町から不当に追い出そうとし、ランボーの復讐の最終的ターゲットになってしまう強烈キャラ保安官ティールズを演じた人じゃないか(笑)。ブライアン・デネヒーという名前の俳優であることを知ったが、いい俳優だと思った。


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ユヴァル・ノア・ハラリ『サピエンス全史-文明の構造と人類の幸福(上・下)』(河出書房新社)読了。

歴史は編年体であれ紀伝体であれ所詮人が書いたもの、というところがあるが、ハラリの書く人類史は人が書いたものとはいえ人類の行いの実際の姿を描いていると思う。
人は誰でもというわけではないにしろ、人類ってすごいなとなんらかの機会に思うことがあろう。また別の機会では地球にとってろくなものじゃないと思うこともあろう。ただなにがすごくてどういったところがろくなものじゃないことを無意識で分かっているようであっても、アウトプット、つまり表現するのは非常に困難である。
著者の書く人類史は生態系に対する人類の功罪について目を背けたくなる事実を明らかにしてくれていて、この本の手厳しい主張には納得することが多い。私も人類は生態系にとって有罪ばかり下されていると思う。私などが人類の罪の有無を軽々しく書くことに及び腰になりつつも、やっぱり私もそう考える。そういう私自身が育ってきた社会の影響の下で培われた判断基準内でのものではあっても。
こういう自らの固定観念を揺さぶってくれて人類の功罪についてずばり衝いてくれる本はひさしぶりだ。
私個人が最も興味を惹かれたのは、認知革命を経てからの人類の虚構を信じる力を著した章だ。家族や一族という集団の単位を超えた赤の他人や遠くの人と共通の目的を共有し協力することがどうして人類には可能なのか、そこには共同的主観性でもって虚構を信じる力があり、それがもたらした神話や宗教、統治システム、経済システムはまさに人類が世界を征服するにあたって必要なものであったことは確かだろう。ただ、それはまた人の利益の飽くなき追求を肯定し格差を生み出し、どんどん個々人が集団から切り離され孤独・孤立へとを促されてしまっている現実という著者の指摘も鋭いものがある。月並みでなんだが、非常に悩ましい問題だと思う。
下巻の後半は『ホモ・デウス』にも通じるところがあったので、『ホモ・デウス』(の下巻)もぜひ読んでみたい。



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