デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



昨日紹介したアネクドートのおかしさを改めて説明する必要はないと思うが、弊ブログをご覧になっている方の中には昔のロシアが帝政を敷いていたこと、帝政ロシアのあとのソ連時代のスターリンがどういった人物であったのか知らないという方もいるかもしれないので、アネクドートの解釈について若干補足する。
ロシアが帝政を敷いていたころ活躍した詩人が、後世に国民的詩人と評されるプーシキンである。プーシキンのあとにドストエフスキーやトルストイ、チェーホフといった作家が活躍する。それが19世紀である。
帝政ロシアはロシア革命で倒れ、次の体制が決まるまで内乱が続いた後、ロシアはソビエト社会主義共和国連邦(ソ連)となる。そのソ連で戦前・戦後の長年にわたり独裁的な権力を手中にし圧政でもってソ連に君臨したのがスターリンである。
国内ではいろいろな問題が山積していたが第二次大戦でナチスドイツとの戦いに勝ったこともあり、その立役者でもあったスターリンは英雄視された。政権内部の敵を粛清してからというものは、式典で子供たちに「勉強していても遊んでいても僕たちはたのしい、偉大なる同志スターリンが子供たちの味方だからです」と声を揃えさせて言わせたり、学校では「親よりスターリンを愛せ 彼こそが父なのだ」と教えさせたり、自ら「大元帥 偉大なる指導者にして教師 祖国の父」と呼ぶまでになった。
これでよりアネクドートの背景がよりクリアになったと思う。つまり史実とともにスターリン自身の性格が非常に自惚れが強いものだったことを踏まえたら、手で膝を打ちたくなる風刺にもなっているのだ。
またそんなスターリンに「プーシキンの時代には、わたし、同志スターリンはまだ本を書いていなかった」と言わせているところもこの小噺のポイントだろう。歴史を捻じ曲げない理性を失っていないことを建前上でも示しておかないと独裁体制を敷くどころではないという硬い話ではなく単にあえてまともなことを言わせるという、最後に露呈する自惚れを際立たせるための絶妙の挿話だといえる。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )