デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



クイントゥス・アウレリウス・シンマクス(Quintus Aurelius Symmachus)の石碑

ひさしぶりのこのカテゴリーの内容の記事投稿である。

コンスタンティヌス帝がキリスト教を公認し、その後のテオドシウス帝がキリスト教を除く異教の排斥を強めていった時代(西暦378年以降)。テオドシウス帝に、異教ローマの古き誇りの最後の炎として、元老院議場から撤去されていた勝利の女神像を元に戻して欲しいという請願の書簡を書いた首都長官シンマクスという人がいる。その書簡の内容に私は心を打たれた。決して無視できなかった。

「……(前半略)……
 人間には誰にでも、各人各様の生活習慣があり、各人の必要に応じての信仰する対象がある。各都市もそれぞれの守護神をもっている。これは、人間は生れたときからそれぞれの精神をもつ存在になるのと同じです。ゆえに、各民族にはそれぞれの「霊(ジェニウス)」がいて、その民族の運命を左右する。そして、各人の精神、各民族の霊、を統合しそれらを至高の神々と結ぶ役割を果たすために、国家の宗教があるのです。
 また、理性といえども限界がある。それをおぎなうのに、自分たちの歴史を振り返ること以上に有効な方法はあるだろうか。将来の繁栄を築くにも、すでにそれを成し遂げた過去を振り返るのは、最上の方法でもある。そして、その栄光ある過去は、われわれの祖先が敬意を払いつづけてきた神々の支援があったからこそ、成し遂げられたことでもあった。
 今や、ローマ全体が、あなたに深慮を願っているように思われる。皇帝の中でも一段と優れ、国家の父でもあるあなたに懇願したい。古き過去を尊重されたし、と。
 それは、わたし個人についてならば、わたしが慣れ親しんだ祭儀を挙行することを認め、そしてそれによって、わたし自身が、自由に生きる一人の人間として、悔やみ恥じることなく生を終えることを意味します。
 ローマ古来の宗教は、帝国全体の統合に役立ってきたのであり、それを信じることで成された犠牲が、ハンニバルをローマの城壁から遠ざけ、カンピドリオからガリア人を追い払ったのでした。それを教えられて育ったわたしが、なぜ年を重ねた今になって、自分たちの過去を否認しなければならないのか。いかにそれが時代の流れに合わなくなってしまったとしても、わたしのような人間にとっては、改心しようにも遅すぎるし、何よりも自尊心を傷つける行為になる。
 わたしは、あなたに懇願したい。長くわれわれが心の糧にしてきたローマ古来の神々を、そのままにされることを懇願したい。なぜならわたしには、多くの人々にとっての心の糧が、ただ一つの神への信仰のみに集約されるのは、人間の本性にとって自然ではないと考えてもいるからです。
 われわれ全員は、同じ星の下に生きている。われわれの誰もが、同じ天に守られている。同じ宇宙が、われわれを包んでいる。その下に生きる一人一人が拠って立つ支柱が異なろうと、それがいかほどの問題でありましょうか。ただ一つの道のみが、かほども大きな生の秘密を解けるとは思われません。
 大帝コンスタンティヌスが天から、祭司たちの涙を見たら何と思われるだろう。かつて彼が宣言した、すべての宗教を認める寛容の精神に反すると、侮辱された想いになるのではないだろうか。勝利の女神像撤去を最初に言い出したとされる大帝の息子コンスタンティウス帝も、もしもそれが事実ならば、ローマの元老院にとっての女神像の存在理由に無知な側近の進言を、深くも考えずに受け容れたからにちがいありません。熟慮の末に決断したわけでもない政策を正すことは、単に正しい行為であって、先帝の名誉を汚すことではない。なぜなら、市民の声に心から耳を傾けるならば、先例といえども正すのは皇帝たる者の責務であり、それはわれらが帝国の、良き伝統でもあったからでした」
 塩野七生『ローマ人の物語14 キリストの勝利』(新潮社)p280~281


長めに引用させてもらったが、これでも書簡の前半は略してある。この書簡の存在を知った司教アンブロシウスは皇帝に反論の書簡を送るわけだが、その後の"異教"の扱われ方、建物や神々の像はどうなったのかは、テレビ等でも古代ローマの遺跡がどのようになっているか映ることも少なくないし、ローマ帝国末期について書かれている本もそれなりに多いゆえ、私からはあえて語らない。でもこの書簡から、人間というものは決して一つの型にはめることなどできないこと、型にはめようとしたり、自分の信仰や意志を他人に押し付けることで、かえって対立を煽り不審・不信の感情をもよおさせ、それが社会を混乱に陥らせることを、一神教が興隆する中、いち早く見抜いた実務的な識者・人格者が存在していたことは分かる。彼は、大事なことは「もう時代遅れ」とされようとするものの中にあることがあるのを、教えてくれていると思うのだ。

ローマにカンピドーリオの丘(カピトリーノの丘とも)という所がある。紀元前にローマを建国したロムルスがこの丘の利用方法を思い立って以来、丘にはユピテル(ゼウス)やユノー(ヘラ)など神々の王を祭った神殿が建てられ、巫女が神託を告げたり凱旋将軍が神々への感謝の祈りを捧げる場所となった。
現在、丘にあるカピトリーニ博物館の地下、古文書庫(タブラリウム)に、上の画像にあるシンマクスの息子が父を思って建てた石碑がひっそりと置かれている。私が石碑の前に立ったときは、階段のすぐ横にあった。素人が遺跡や碑文など見てもすぐに分かるはずもないし、私もガイドブックに載っている図版と碑文を照らし合わせながらじっくり探さなかったならば、見つけられず通り過ぎるところであった。幸いにも石碑を見つけることができ、その前に立ったときの感慨は忘れられないし、この石碑など目に入らずさっさと通り過ぎて見て回る来館者に「少しでいいから立ち止まってみないか?」と言いたい訴えたいような願いの感情が起ったことも忘れることはないだろう。

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ギターによる「風のとおり道」

映画「となりのトトロ」から「風のとおり道」。この曲も以前弾いたことのある曲である。秋の夜長に公園に出かけて行って弾くと、しんみりな演奏になるかと思いきや、自分でも驚くほどテンポが速くなってしまい、そこは反省すべきだと思った。あとやっぱり左指の弦の押さえ方が、まだまだ甘い。

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「君をのせて」(弾きなおし)

前回は(行けなかったものの)通夜の日に弾き、なんとしても弾かねばと思っていたのだった。
今回は母方の祖母を思いはすれど、なんとしてもとまでは思わずに弾いた。リズムの面で少しはマシになっているかもしれない。

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ギターによる「君をのせて」

映画「天空の城ラピュタ」より「君をのせて」。通夜には行けなかったが、息を引き取る数時間前に会えた母方の祖母に捧げる。

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