デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 





















ニューヨークの観光名所の一つであるロックフェラー・センターは、私個人にはそこまで興味を覚えるところではなかった。クリスマスに現れるツリーも見当たらなかったし(笑)。
センターは複合施設。ビジネスの中心地の一つであり、地下には大ショッピング街もあるわけだが、ショッピングには関心がないのでしばらくすると立ち去った覚えがある。
ロックフェラーと言えば、「On the sunny side of the street」という歌と、スタンダード・オイルの創立者であるジョン・ロックフェラーのことを思いつく。ちなみにロックフェラー・センタービルの建設資金を出したのは息子のジョン・ロックフェラー2世である。

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ノンフィクション小説の金字塔として名高いトルーマン・カポーティの『冷血』を読み終えた。
カポーティは5年余りの歳月を費やして綿密な取材を遂行した。この作品を書くにあたり、ノートが6千ページにもなる資料を収集し、さらに三年かけてそれを整理したという。
取材量だけでも大変なのに、それを読者が登場人物たちの背景まできちんと分かる形で、描く「編集能力」もしくは表現力に驚かされた。なにせ文庫本で600ページぐらいで描ききっているのである。かといって描写が荒いわけではないのだ。
『冷血』から読み取れるテーマは多いが、私は殺人者の過去に悲惨な境遇が認められない場合でも、他人を殺めてしまうことが出来る不可思議さが印象に残った。土足のにおいのする、根っからの悪の状態を、いや、人間は根っからの悪になりきっている時がある不可思議さというべきか。精神がいわばエスカレートしているような。
金のためだけなら、殺害せずに済ませることが出来たかもしれない。しかし、問題は金ではなかった。犯人同士が互いに精神を煽る相乗効果のようなものが、殺人へと至らせた。読んでいて、どこか精神的に人生におけるリスクに対して考えを張り巡らせない「若い」というか「青い」ものも感じたが、こういった心理の状態は人間の人生の場面場面では起こることかもしれないし、また起こりそうでも無自覚に紙一重ですり抜けているタイトな綱渡りが、日々続いているのかもしれない。そのことを思うだけでも、人間ってきわめて危うい存在なのだと思う。人間はときとして後先のことを考えずに、凶行に及ぶことのある生き物なのだ。

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ダールの満月の絵について書いたせいか、昨日、久しぶりに月を撮ってしまった。それにしても、いつの間にか日が短くなったものだ。

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ヨハン・クリスティアン・ダール「満月のドレスデン」(1839) ドレスデン、国立近代絵画館

今、世界陸上がベルリンで開催されているが、マラソンの選手達が走っているコースの背景を見ると、とりあえず何か書きたいという意欲にとりつかれてしまったのだった。
かといって「ひとりよがりな回想」のベルリンの記事は済んでいるので、ベルリンからドレスデンへ戻った翌日のノイエ・マイスターの記事のつづきを書こうと思ったわけである。
本当はフリードリヒの作品を後一回紹介したかったが、TVでベルリンの風景と私の印象のなかでダブったのは、なぜかドレスデンの夜景の絵だったので、今回はダールの「満月のドレスデン」という絵について書きたい。

ダール(1788-1857)については前に少しだけ触れたことがある。彼はノルウェーの画家で1818年ドレスデンにやってきた。彼はコペンハーゲンで17世紀オランダ風景画の研究と半ば独学の自然観察により、型にはまらぬ即物的描写を身につけていた。1820年から1821年までのイタリア旅行で、さらに風景を視覚現象としてとらえる方向に進む。ドレスデンに帰ったダールはフリードリヒと同じ家に住み、互いに影響を与え合った。ダールはフリードリヒの精神世界の表現に関心を示したが、やがてそこから離れていく。

現地ではドイツ語で作品名が記されているので、以前紹介したベルナルド・ベロットのときと同じように、最初どこの風景なのか気づくのに少し時間がかかった。でも、「この風景、ドレスデンの夜景じゃないか!」と気づくと、ノイエ・マイスターに「満月のドレスデン」があることの意義みたいなのを感じるのである。
そして、雲が月で黒く映えてまるで動いているように見えたことで、ダールの技術のすごさに目を見張ったのだった。私は美術館では一通り作品を見たあと、出口からユーターンして再度鑑賞したいと思った、いくつかの作品の前に立つが、「満月のドレスデン」もその作品のひとつだった。精神性うんぬんよりも眼前の動きと美を追求した絵から、現地への思いを膨らませる強烈な憧憬を感じぜざるを得ない。
この絵をみたときはダールがノルウェー出身であることを知らなかったし、今ならベルナルド・ベロットやオランダ風景画の融合みたいで、さらにおもしろく感じる。そして、故郷のノルウェーの自然に強い思いをもっていた人が、それに負けないくらいドレスデンを即物的かつロマンティックに描いたこと自体に、ダールのドレスデンへの思いを感じさせる気がするのだ。

ちなみに、この絵は4年ほど前に「ドレスデン国立美術館展」を飾る一枚として、日本で見ることができたそうである。

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東大寺を出たあとは、正倉院に行ってみた。
今の正倉院は文化財の保管に適した設備のある現代的な建物だが、昔の正倉院も残っている。とはいえ年に一度か二度の特別公開で抽選に当たらないと、中に入ることは出来ないらしいが。
正倉院の門前は、東大寺のにぎやかさとは打って変わって、ほとんど人が通らないような静かな空気が満ちていた。
中が見れないのは残念だったが、背伸びしたらどうにか見える正倉院の屋根と外灯で、まぁ納得した。なんというか子供の頃に図鑑で見て「正倉院」という名の響きに、ただの倉庫という意味を超えてなにか神聖なものを自分の中で作り上げて、図鑑の正倉院の外観となぜか傍に立っている外灯も印象に残っているのだ。その外灯を見れたのだ。なにやら「少しだけ」感慨を覚えた。
その後、近鉄奈良駅に向かったが、本当にスコールといわんばかりの土砂降りの雨に襲われた。

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京都では8月16日に五山送り火が行われる。私はその翌日の昼に汗をダラダラかきながら、その送り火の火床がある大文字山に登った。理由は消炭を拾うためであった。
消炭は読んで字の如く、送り火で焚かれた護摩木の残り炭である。いつ頃から始まった風習なのかは分からないが、この消炭を半紙に包んで、玄関や軒先に吊るしておいたり神棚にささげておくと厄除けの効があるという言い伝えがあるのだ。









消炭は、送り火が消火された直後に持ち帰る人もいるが、大抵の人は翌朝の早いうち(涼しいうち)から山に登り、消炭を拾って帰るようである。






夏休み中の子供たちも、地域の集まりや学童保育などから消炭拾いにやってきていた。









ビニール袋にパンパンにつめて持ち帰る人もちらほらといた。たくさん拾いに来た何人かの人に話を聞くと、やっぱり人に配るためだという。


送り火の裏方である消防の人とすれ違った(笑)







ときどきTVで世界の変わった風習や光景を紹介している番組があるが、いい意味で「消炭拾い」も負けてはいまい(笑)。

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オルセー美術館内部

 



写真は撮ったが、誰の絵かをメモしてなかった。

 



アレクサンドル・カバネル「ヴィーナスの誕生」(1863)


オルセー美術館で目に付いたカバネルの作品は「フランチェスカ・ダ・リミニとパオロ・マラテスタの死」もあったが、やっぱり印象に残っているのは「ヴィーナスの誕生」である。
カバネルのことを調べてみると、頭の中でこらえながらでしか書けないようなテーマに、ぶちあたってしまう。伝統と革新の問題である。
芸術の世界も人が創作することで存在しているわけだから、常に変化しているのは分かるのだが、それでも私は時々ひどく偏屈で、ともすれば権威主義的な考え方に囚われることがある。たとえていうなら、『ドン・キホーテ』や『カラマーゾフの兄弟』をまったく読んでない作家が書いた小説を好きになれないという感じだ。
19世紀フランスの美術って混迷期で、アカデミズムもあればロマン主義もあり、自然主義もあれば写実主義もあり、レアリスムや印象派もあるという「乱立」という感じで、決して一言では語れない。ただ新古典主義を基とするアカデミズムがあったからこそ、のちのあらゆる近代絵画がある、つまり、伝統のないところには真の前衛は存在しえないことを、カバネルの作品を見ると考えさせられるのだ。
残存していた正統派アカデミズムの画家ともいえるカバネル(1823-1889)は、ナポレオン3世に愛された画家だった。1845年に22歳でローマ賞を獲得してイタリアに5年間留学する。帰国後は1855年にレジオン・ドヌール勲章を授与され、1863年には40歳の若さで美術アカデミーに入ると同時に、改変された国立美術学校の教授に彼はアカデミズムの世界での出世コースを理想的に歩んだ。
彼が獲得したローマ賞というのは、一位を獲得すると国費でローマに留学させてもらえた賞のなのだが、受験者はアカデミー会員の提出する課題に従って制作し、また試験は第三次選抜までおこなわれていた若い芸術家の登竜門でもある。
一次試験は古典文学や歴史から試験官が選んだ主題を一日のうちに油彩習作に描くというものであった。20名の合格者が挑戦する二次試験で科せられたのは、男性の裸体モデルをやはり一日のうちに油彩習作に仕上げることであった。最終審査にのこった10名は古典の歴史画や物語画を、大きなカンヴァスの油彩画として仕上げなければならず、最終審査の第一日目に受験者に下絵を描かせ、それに基づいて70日ほどかけて制作させたものが公開され、審査を受けるのだった。それで最終的に入選作が決定されるのである。ちなみに制作中は日曜以外、缶詰状態である。
ローマ賞はアカデミーが創立以来原則として保ち続けていた芸術観に沿って与えられ、またアカデミーは肖像画や風俗画や静物画や風景画を、物語画・歴史画よりも下に見ていたこともあって、乱暴な言い方をすると頭の固い権威主義の象徴みたいにとらえられることがある。しかし、ある社会が要求する美術を一定の水準で供給する芸術観は、組織的な教育なしには決して生まれえなかった。それもまた美術の重要な役目なのである。
いつだったか、市川猿之助が自ら行ってきた興行を踏まえて、「型があっての型破り」と言っていた。6年前に福岡で見て度肝を抜かれた、ピカソが13歳で描いた「年老いた漁師(サルメロンの肖像)」(1895)も、その言葉の重要さをなげかけていなかったか…。
人生は短いから自分のやりたいことをやった方がいい、という人生観は確かにそうなのだが、過去にあったさまざまな芸術の型を軽視どころか何も学ばずに、やりたいことを楽しいからおもしろいからというだけで弾けたとしても、後世に残るものはない気がする。アンシャン・レジームを学ばずして新進を纏(まと)うことはできないのだ。
もちろん、作品を見ての感想は各々異なるのは当然だし、上に書いたことはときどき私を襲う偏屈な一つの感情である。しかし、斬新なデザインのオルセー美術館は、見方によっては対立ともとれる、古典と革新の両方を展示しているのである。このことを思い出すと、古いものと新しいものを同時に受け入れるパリというかフランスの気質を感じる。カバネルの作品はオルセーの気質の代表的な何かを、作品自体で示してくれていると思った。



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絶滅したはずの鳥は偽名で生きていた(ナショナルジオグラフィック 公式日本語サイト) - goo ニュース

鳥は自ら整形するわけでなし(笑)。
ときどき自然が人間をおちょくっているようなニュースを聞くと、ちょっとホッとするのは私だけだろうか。

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8月8日の夕暮れ。写真を撮る者として嬉しいのは、私がカメラを向けていると、自転車を止めて携帯で同じ空を撮った人がいたこと。
案の定、翌日はものすごい雨が降った。高校野球も全試合順延になった。

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先月のことになるが、「ルーヴル美術館展-美の宮殿の子どもたち」を見に、大阪へ行ってきた。
まずは初めて利用した京阪の中之島線の渡辺駅。









出来立てで金ぴかであった。

友人と見に行った「ルーヴル美術館展-美の宮殿の子どもたち」では、ルーヴルからレンタルできた作品に非常な偏りがあり、「美の宮殿の子どもたち」というサブタイについて、かろうじての忖度をできてしまうことを除けば、とても充実していた。ちなみに開館の10時から14時まで鑑賞していた。

個々の展示内容は、たまたま自分が読んでいた本の内容とも関連があるものがあったりしたので、非常に興味深く見れたりした。とくにローマ帝政期の『尖筆』や、紀元前版の教育のススメみたいなパピルスは印象に残っている。
他、作者名や作品名のなかにある人名、もしくは好きなテーマの作品で、なじみぶかい展示があればいつも以上に注視してみたのだが、
・ジャン=フレデリック・シャル『生のはかなさへの思い』
・ジャン=バティスト・ルイ・ロマン『無垢』
・フルリー=フランソワ・リシャール『小さな赤頭巾』
・ルイ・ル・ナン、もしくはアントワーヌ・ル・ナン『幸福な家族』
・フェルディナント・ボル『山羊の引く車に乗る貴族の子どもたち』
・ジャン=ルイ・クアノン『アレクサンドリーヌ==エミリー・ブロンニャールの胸像』
・ティツィアーノ『聖母子と聖ステパノ、聖ヒエロニムス、聖マウリティウス』
・ニコラ・プッサン『アモールたちの合奏』
・シャルダン『食前の祈り』
その他が印象に残った。特にシャルダンの絵は、日本でも見れるとは思わなかったので、感激し何度も立ち戻ってみた。そして絵の解説を読み直すと、自分がいかに好きな小説内に出てくる描写に影響されているか、思い知らされた。なにせ書かれてあることが初めて目にするような内容だったからだ。(実際のところはかつて読んだことがあったものの、頭が小説に凝り固まっていて完全に忘却していたようだ(笑)。
他、どこかで聞いたことのあるサテュロス(半人半獣の精霊)の像や、ラ・ロシュフコー兄弟の肖像についても、見ておいてよかったと思う。
それにしても、ほとんどが古代とロココ時代の美術品が並んで展示されている特別展って、いろいろな意味でどうなのだ? 個人的には面白かったが(笑)。

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