デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



魯迅(竹内好(よしみ)訳)『故事新編』(岩波文庫)、読了。

『故事新編』のなかで未読だった「補天」「理水」「采薇」「起死」を読了したというのが正確だ。
ここしばらく「史記」や中国神話や四書五経にちなむ本を読んでいることもあって、4作品ともに非常に楽しめた。古代中国の神話・伝説や歴史が魯迅の手にかかると一気に身近なものになるなぁと改めて感心した。
天道是か非かで知られる伯夷・叔斉が出てくる「采薇」(わらびを採るはなし)と、夏王朝の祖である大禹がやってくることでやきもきする村人と役人たちを描いた「理水」(水を治めるはなし)が気に入った。伯夷・叔斉のエピソードは世の不条理と問う悲惨な話なのだが、彼らも迫ってくる餓えには苦しんでいたはずで、彼ら自身の行動の動機や周囲にいた人たちが彼らの信念に対してどういった態度をとったかといえば作品にあるとおりかもしれないと思う。
また土木工事の学問の理屈ばかりこねて治水の実践が伴わない学者や、名声はあっても自分の身なりなど気にせずあちこちで世のため人のためにひたむきに治水工事をこなすような人を見抜くことができない周囲の村人や役人、妻子を顧みず公共事業に邁進する旦那のことを罵る禹夫人が出てきたりする「理水」は身につまされる内容ではあるがユーモアに満ちていて笑えた。魯迅は当時の自分の置かれた状況や世の中を古代の登場人物を用いて皮肉ったり風刺する形で表したが、作者の見ていた世間の営みは今と全く変わらないことがよく分かった。

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三友量順『玄奘』(CenturyBooks―人と思想・清水書院)読了。

玄奘三蔵は中国の唐の時代の僧侶ながら日本でも馴染み深い存在といえる。玄奘が記した『大唐西域記(だいとうさいいきき)』は『西遊記』の元ネタになった唐より西の国々に関するレポートであることや、玄奘がインドから持ち帰ったインドのお経を翻訳したものの一つが般若心経であることもよく知られている。
現在のように車も飛行機もない時代、国禁を犯してまでインドまで旅に出た玄奘のエピソードはすさまじいものだが、今に伝わるエピソードの内容は出来すぎてはいないかなと思うこともある。砂漠で死にかけたり自分の希望を聞き入れぬ王様に対してハンストで抗議したりなど命の危機を乗り越えた肉体的精神的強さをもち、ゆく先々でたくさん勉強して多くの知識を得た努力家であったことは否定しないが、結局は行く先々で玄奘の類稀な能力に周囲は彼を崇めたおし、現代でいうなら仏教界の一なろう系作品の主人公であるようにも見えてくるのだ。仏様に好かれたことのみならずあらゆる地域のことを鋭い観察眼でもって観察し記述し、周辺国の国家機密までも握った面をもつような玄奘をなろう系主人公に貶めるとは何事かと叱られるかもだが(笑)。
さて、三友氏の『玄奘』だが、玄奘の弟子の弁機が太宗の娘と密通した罪で処刑された件についての記述が無いこと以外はとても充実した内容になっていると思った。玄奘が訪ねた仏教縁の地についての説明が丁寧かつ分かりやすかった。釈尊やその弟子達がさまざまな土地で残したエピソード、カニシュカ王やアショーカ王の足跡と彼らが活躍した頃の歴史などを知ることができ復習もできるいい本である。
私にとっての新たな発見に似た驚きは、中国的な思惟とインド的な思惟の違いからパーリ語やサンスクリット語の言葉を漢字を用いた言葉に翻訳する際に生じた問題を扱う第一章だった。この章ではストゥーパ(仏塔)を擬人化した図像が仏像へと変化を遂げていく過程や、仏舎利の崇拝から「法舎利(経本)」崇拝までの変遷についてもきちっと触れているところも内容の密度の濃さを感じさせる。第一章と唐代にいたる仏教の受容を扱った第二章だけでも充分に読む価値がある。インド、中央アジア、東南アジア、東アジアの仏教の伝わり方を詳しく知りたい人にはぜひおすすめだと思った。

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安野光雅・半藤 一利・中村 愿『『史記』と日本人』(平凡社)、鶴間和幸 監修『入門 秦の始皇帝と兵馬俑』(洋泉社MOOK)読了。
いずれも『史記』をテーマに書かれた本である。『『史記』と日本人』は三氏の対談を収めた本で、『史記』に子供の頃から親しみ第二次大戦を経験し研究や創作の分野で活躍する人の語ることは違うなぁと思った。『史記』の内容と日本の歴史と人々に与えた影響のみならず、司馬遷に対する分析や『史記』の登場人物の描かれ方の傾向を考察しているところや、出てくる人々の行動の解釈と見解を理解するうえで、前提となる予備知識や日本でも良く似た出来事があれば具体的な例をあげてくれているからとても読みやすく親しみやすかった。『史記』の代表的なエピソードしか知らず肌でその内容を感じられていない私でも、腑に落ちることが多かった。もっとも知らないことだらけではあったが(笑)。
おもしろかったのは『史記』から影響を受けた司馬遼太郎のエピソードと、司馬遼太郎の作品の問題点を語った章だった。あと出しジャンケンだろと謗られても仕方が無いとはいえ、大正時代に発表された中国の飢餓時の食人の研究を司馬遼太郎が参考にし、食人と中国の食の文化そのものとは関係がないにもかかわらず、参考文献をそのままに小説『項羽と劉邦』であたかも中国では食人の風があると書いてしまい、それを読者は嘘だと気付かず本当のことだと思ってしまう問題は私も憂慮すべきだと思った。また歴史上のことを自分が書いたように人を信じさせるテクニックが巧妙で、劉邦や西郷隆盛などの人物にスポットを当て作品にてそれらの人物の一番大事なところを問題にしながら、あまりにキャラが大きすぎて作品の最後は他の方(項羽や大久保利通など)に逃げた例がいくつかあるという指摘には膝を打って笑ってしまった。こういった問題も三氏の文芸への造詣の深さゆえにきちんと言葉になるのだろうし、指摘の的確さには脱帽するほかない。

『入門 秦の始皇帝と兵馬俑』は昨年から読んでいたが、読み終えてみると自分がいかにTVでの始皇帝や兵馬俑の特集や兵馬俑の展覧会を適当に見ていたかを痛感させられた。秦の興廃のみならず秦と戦った国々の説明もよくまとまっていて、秦の時代のことを復習したいときにまた重宝したく思った。

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パヤー・タイ駅。到着日の夜と異なり、人がまばらな昼の時間帯だった。






しばらくビジネス街っぽい建物がつづいた



だんだんと郊外へ



比較的新しそうな高速道路だ


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お坊さん専用席に座ろうとしてしまった…

郵便局からシー・アユッタヤー通りへ戻りパヤー・タイ駅にも停まる72番のバスが来るのを待った。最後に乗ったバスは青色バスでエアコン付だった。乗車して席に座ろうとしたら、お坊さん専用席だったので車掌さんから注意された。2・3駅あとにお坊さんが乗ってきた。お坊さんは専用席にスッと自然に腰を掛けた。
デモの関係で72番も一部路線を変更し大回りしての運行だった。早めにバスに乗ってよかった。


パヤー・タイ駅につながる歩道橋から






バンコクに到着した時は夜だったがこの踏切は覚えていた。
画像を確認してみると、間違いなくここと同じところだ。

トゥクトゥクの運転手が運転席から「タクシー?」と声を掛けてきた。パヤー・タイに到着した旅行者だと思ったのだろう。急に名残惜しさを覚えた。

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