デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




皆様、ご機嫌いかがですか。オペラ座の灰燼です。

ブログ内ではお知らせしていませんでしたが、今月の19日から26日まで、アメリカのニューヨークへ行ってました。

今回の旅も、いろいろとものごとを考えたり、そして楽しむことが目的でした。

行った都市はニューヨークとワシントンDCの2都市です。

訪問した都市ではいろんなところに行きましたが、とりあえず撮った画像だけで言えば2100枚以上になり、撮り直しやボツのものを除いたとしても1800枚以上になりました。

もし毎日一枚ブログで紹介したとすると、ほぼ5年かかります。

もちろん、現地では予備の電池では足らず、思い切って持って行った携帯電話のデジカメの出番もありました。携帯のデジカメをこれほど使用したこともなかったです。出発前に虹の画像その他で、携帯のデジカメで遊んでおいてよかったと思いました。

何はともあれ無事帰って来れました。このブログのカテゴリに「紐育(New York)」が増えましたが、スペイン旅行記も書いていきたいと思います。ものすごくカオスチックになると思いますが…。

では、これからもよろしくお願いいたします。

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近所の八幡神社で毎年恒例の祭りが始まった。
今となっては当てもんも菓子類も金魚すくいもタコ焼きも、特にお金を払って楽しもうという気は無くなったが、これらの光景は本当に懐かしかった。









































普段はせまい境内の道が広く見えたりするのです。

屋台で扱うアニメキャラやおもちゃ類は昔と変ったなと思うが、今も同じような光景だと思うものがあった。
それは屋台を楽しみにやってくる小学生・中学生、彼・彼女らのお目付け役である保護者会や学校の先生たちだ。
ただ、今の学校関係者たちはやたら生徒と仲がいいかもしれない。私の中学のころなどは、先生から祭りの場で声をかけられたら、まるで事情聴取みたいだったが、今やタメ口でのやりとりが聞こえてきたりした。本当に友人同士のやりとりみたい…。
これも、時代なのかもしらん?と思った。

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ドラクロワ「自画像」(1837年ごろ)

フランスを連想させる美術作品は何?と問われたとして、パッと思いつくものはいくつか候補があると思う。もしその問いの答えを集計したとしたら、「民衆を導く自由の女神」もきっと上位にランクインすると思う。この有名な作品を書いたのが、↑のウージェーヌ・ドラクロワである。
ドラクロワについて書かれている本には、彼が体こそあまり丈夫ではなかったにしろ完璧な社交家であったことが描かれているが、その内に秘めた精気や情熱はこの肖像画からも見て取れるとおもう。


ドラクロワ「フレデリック・ショパンの肖像」(1838)



ドラクロワ「オフィーリアの死」(1844)



上に、イポリト・フランドランの「海辺に座る青年」(1836)
右下に、シャセリオーの「エステルの化粧」(1841)



テオドール・ジェリコー「雌ライオンの頭部」

ジェリコー(1791-1824)は悲劇的な32年の生涯を送ったのだが、この人の存在なくしてナポレオン失脚後から二月革命(1848)までの「ロマン主義時代」の中の絵画はありえないだろう。
大雑把に書けば、ロマン主義は新古典主義のアンチテーゼとして生まれてきたようなものだが、このロマン主義の祖といってもいいのがジェリコーだ。
ジェリコーはその短い生涯に主に3作品しか世に問わなかった。しかし、ルーヴルにある超有名作「メデューズ号の筏(いかだ)」という大作は、当時の大いなるスキャンダルに留まらず、その後のロマン派の絵画を方向付ける意味で決定的な影響を及ぼした。


ジェリコー「メデューズ号の筏」491x716 cm

メデューズ号はイギリスから返還されたセネガルの植民地を運営するために、フランスからセネガルに向ったフランス海軍の船だが、1816年7月にアフリカの西海岸で難破した。即席で造られた筏に150人が乗り込み12日間漂流し、その間地獄のような凄惨な体験が彼らを襲った。生存者は15名だけだった。
ジェリコーは全身全霊を傾けて、この作品に取り掛かり、あらゆる資料を集め、どの場面を描けば最もドラマティックかを考えるために、難破事件のプロセス、筏上での殺し合い、人肉食、救出などの様々な段階のスケッチを試みた。
1819年、作品はサロンに出展され、評価は賛否両論の二手に分かれた。だが、1819年の政治状況では、作品はスキャンダルだった。ジェリコーには政府からメダルが与えられ新しい宗教画の注文を受けたものの、作品の買い上げはなかった。失望したジェリコーは注文を若いドラクロワに譲るのである。


ジェリコー「エプソムの競馬」(1821)

その後、イギリスを旅行したジェリコーは、上のような馬たちが躍動する作品も描いたりした。帰国後、精神病院の患者たちを臨床的な観察眼から描いた一連の肖像画を描く仕事もこなしたりした。
だが、「メデューズ号の筏」の不評から健康状態を損ねたジェリコーは、さらに二度の落馬での傷がもとで身体の障害を発した。彼は32歳の若さで世を去った。

ルーヴルで、圧巻だった「メデューズ号の筏」のみならず、完成にいたるまでのスケッチ、ジェリコーの華々しいデビューとなった「突撃する竜騎兵隊長」、そして「賭博偏執病者」などの一連の作品を見て、この人の大いなる寄り道ともいえるような作品群は、たしかに傑作をたくさん生むことは無かったものの、近代絵画にとって本当に貴重なものなんだということが分かった気がする。ドラクロワの前にジェリコーあり、後世に与えた影響は計り知れないと書かれるのも納得できたし、短い生涯でも彼の残した遺産はすばらしいものだった。

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以前、リンクさせてもらってた方の日記で、美術館や博物館の近くにいたら、期限付きの入場券を何らかの事情で余らせた人から、入場券を無料で譲ってもらったというエピソードがあった。
「んなことってあるのか?」と思っていたら、一昨日、そんな降って涌いたようなことが私にも起こった。
それは京都会館で行われていた、このコンサートだった。



なんと、坂本冬美! 演歌のことなどまるで知らない私に、坂本冬美のコンサート!(笑)
たまたま近くの公園で、図書館の視聴覚室の順番をウクレレ弾いて待っていたら、突然横から見知らぬおばちゃんが、「チケット余ってるんだけど勿体無いからよかったら入らない?」と声をかけてきたのだ。ご姉妹が都合で来れなくなった、かといってチケットを無効にするのは勿体無いとのことだった。
図書館の視聴覚で予約していたのはパバロッティが出ていたオペラ「トロヴァトーレ」だったけれども、今回だけは追悼を後日にして、坂本冬美の方に足を向けた。そのとき、私の行く手を阻むかのごとく激しい夕立に襲われ、足元がずぶ濡れになってしまった。

プロの演歌歌手のステージを見るのは初めてで、その内容たるや、本当に盛りだくさん、そしてきめ細かい演出がなされたものだった。坂本冬美はその歌唱力だけでなく、浪曲を語り、最後には宮太鼓まで披露した。
そして、何より印象的だったのは客に対する懇切丁寧な営業活動、振袖を着た状態で舞台から身を乗り出し、客と握手しながら客層にうまく照準を合わせたトーク力は、すごい。まさに客を不快にさせない、気遣いのステージ!
これだけでも、脱帽ですよ。
歌われた曲は、紅白でかろうじて聴いたことがあるような曲しか分からなかったが、個人的には近松門左衛門作 「心中恋の大和路」という浪曲が一番印象に残った。
詳しい内容は忘れてしまったが、「一人行く大和路、あの世へ続く大和路、雪がちらちら舞う中を~」と言ったような名調子を聞いていると、歌舞伎でいう大向うでも飛ばしてみたくなるのだ(笑)。



公演終了後、売っていた土産物の一つでも撮っておいた。ファンの方はこぞって買って帰って行った。

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(画像をクリックすると大きく表示されます)

帰宅途中の18:00頃、局地的な夕立に見舞われた。傘を持ってなかったので雨宿りをせざるを得なかった。雨が落ち着いたときにカメラを取り出した。

今回の画像は2枚の画像の合成で、さらに画像編集ソフトを触って自分の記憶に近い色合いにした。
昨日の虹もよかったが、今回のほうが個人的には気に入っている。

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よりによって、いつものデジカメを持ち歩いていないときに「これは撮らねば!」といったような光景に出くわす。
今日が、そういう日だった。
画像にあるとおり、場所は京都駅前。ケータイで空を撮る人がいたので、振り向いたら橙色の空に、二重になった濃い虹が。



今日のこの思わぬ光景は、圧巻だったかも! 虹の背景はもっと明るく橙(だいだい)から暗めの赤へと変化するところで、上空はそこまで青がかってなかった。
いつものデジカメを持ち歩いていなかったから、不本意ながら慣れていないケータイのカメラで収める他なかった。
帰る途中、ケータイを触っていると、私の古めのケータイのカメラでも、一般のデジカメほどではないにしろ、いろんな設定ができることが分かった。最も驚いたのが、1600×1200のサイズで350KB近くの画像を撮れることだった。
それを知ったとき、タワーと虹の画像もそれで撮っておいたらよかったと後悔したが、でも私のケータイでは色合いの細かい調整ができないので、やたらサイズが大きくても意味がないかもしれない。
次からは普段のデジカメで圧巻の光景に出会えたらと思うが、何はともあれ、思わず見上げるような光景に出会えてよかった。今日の虹を見た人の中には、同じような画像をネット上にアップしている人もいるかもしれない。何せ駅前で、多くの人が空にカメラを向けていたのだから。

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雲間からの光を久々に見た。でも夕立のときに射していた夕日の方が圧倒的に印象に残るものだった。カメラを取り出せなかったのが悔しかった。

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うれしいことに、私のウクレレの楽譜ファイルには、どんどん楽しくかつおもしろい曲が追加されていっている。(それは私のウクレレを知る皆さんのおかげです。ありがとうございます!)
ファイルに曲が増えるのは、本当に楽しい。
でも一つだけ問題?が。
ウクレレを始めたころに練習していた曲が、思い出せなくなるのだ。
そんなにレパートリーを持っているわけでもないから、楽器を始めたころに弾いてた曲くらい指が覚えてる、と思いきや、忘れてたりする。
何から何まで覚えるのは無理だし、譜面を見直せばいい話なのだが、ちょっと悔しかったり…。
まぁ、仕方ないよねぇ。。。

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ここしばらく出張の移動中でも本を読めずにいたが、今月になってようやく、2作品読了できた。
ジョン・アーヴィング『ピギー・スニードを救う話』のエッセイにあったディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』と、ゲーテの『若きウェルテルの悩み』である。
両作品とも名作とされているが、率直なところ、時代の変化に伴いあまり読まれなくなった作品だとは思う。
『デイヴィッド・コパフィールド』は、長い分たしかに人物描写に長けていた。ディケンズの自伝的要素が濃い作品で、読み応えもあった。欧米人ならば、何かとインスピレーションを覚えるようなキャラもたくさん出てくる(有名なマジシャンの名前や、ロックバンド(ユライア・ヒープ)の名前など)ところもおもしろい。
ただ、先に『ジェイン・エア』を読んでいたこともあって、イギリスの小説って、こんなパターンばっかりか?といったような食傷気味になってしまった。

ゲーテの『若きウェルテルの悩み』は私も含め多くの人にとって、有名かつ何となくあらすじを知っているけれども、読んだことはない、という類の小説かもしれない。
この作品についてはそこまで興味はなかったが、トーマス・マンの『ワイマルのロッテ』を読もうとしたら、『ウェルテル』とゲーテの生涯を大雑把にも知っておく必要があることがわかり、仕方無しに手がけた。
『ウェルテル』は、「理想の人妻」に対して「天才」が己の身勝手な情熱をささげて懊悩するイタイ話なのだが、よく自分の実体験を小説に昇華したなと、また小説の構成で、3人の語り手を上手く使い分けているところなど、ただ感情だけで書きなぐったものではないと感心してしまった。
私個人は、今のご時勢においては若い人がウェルテルのような想いを抱くにも厳しいものがあるように思う。それに、作品の中のウェルテルの行動や性格を見て、虫唾が走る人もいるだろう。
しかし、若い頃にウェルテルのような気持ちを味わったことが無いというのも、それはそれで不幸なことかもしれない。

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