デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



『ジャン=クリストフ』の主人公は、パリに逃れる前にあらゆる人を敵に回し、また過去の作曲家をこき下ろすが、そのなかで最もこき下ろされているのがブラームスである。
率直なところ、ロマン・ロランはブラームスに恨みでもあんのか?とか思ってしまうくらいなのだが、私はブラームスの作曲したものすらわからない(笑)。
で、一応過去に借りた「ever」シリーズの中にブラームスは「弦楽六重奏曲 第1番 作品18 “恋人たち”第2楽章」というのがあったので聞いてみると、たしかにどこかで聴いたことのあるものだった。でも、なんか暗~くなる曲だった。
一ヶ月ほど前だったろうか、図書館の返却BOXに『ジャン=クリストフ』第2巻を返却しに行ったときに、車のラジオから好対照なピアノ協奏曲とピアノ小品が流れてきた。それはNHKのクラシックライブの会場からの中継だったのだが、最後に流れたピアノ小品の旋律がすごく心の琴線に触れたのだ。普段、コメンテーターの言葉など聞いていないが、この時だけは誰が作曲したものか聞き逃すまいとしつつ、運転に集中した。それは、ブラームスの「ピアノ協奏曲第2番」と「6つのピアノ小品集(作品No.118)第2曲」だった。
クリストフがブラームス嫌いを表明している箇所を読んでいるときに、たまたまラジオから流れてきたブラームスに感動してしまうとは! 皮肉めいたものを感じたが、でもこういった皮肉なら大いに歓迎だ。
「6つのピアノ小品集(作品No.118)第2曲」は、クラシックのピアノ曲が好きな人には、結構愛されている印象を受けた。少し時間ができたので、曲が入っているCDを探そうかと思った。だが、ネット上では名盤とされているものは在庫切れか取り扱い不可になっていたのでどうかな?と思っていると、自由に聴ける分を以下のサイトで見つけた。
http://www3.pinky.ne.jp/~pippo/midi/brahms.html
今日は、NHK教育で放送されるアシュケナージ指揮の「第九」も聴くつもりだが、「6つのピアノ小品集(作品No.118)第2曲」も一年の締めくくりに聴く曲としては、いい曲ではないかと思う。

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「暴君」の異名で知られる皇帝ネロの、自殺する直前の最後の詠嘆は
「寝ろ。」
だった、というのは冗談として、長編小説を読んでいると、昔の偉人や政治家の箴言や名言が引用されていたりする。
以前は、名言集などを見開いて何でもいいから覚えこみ、人との会話の中で当意即妙を気取る風に、的外れな引用をかましていたことがあったが、小説を読むようになってからは、バックグラウンドが存在してこその名言なのだなと思うようになったかも。
『ジャン=クリストフ』にも目に留まる多くの名言が登場するが、登場人物の生涯を的確にそれでいてさらりと流すように表現するときに用いられていて、かえって心に残るものがある。ネロの詠嘆「予の死はなんたる偉大な芸術家の喪失であることか」も、作品に登場する芸術面で苦い人生送ってきた人物の描写に、添えられていて、最初は意味がわからなかったが、時間が経つとじわりと効いてくる。
もちろん『ジャン=クリストフ』自体も、ロマン・ロラン自身の名言がたくさん盛り込まれているのだが、全部は紹介しきれない。ただ、今日読んだところで、最も印象深かった言葉を一つ紹介したい。

――それというのも、われわれの愛する死者たちへわれわれを近づけるもっとも確かな道は、われわれが死ぬことではなしに、われわれが生きることだからである。死者たちはわれわれの生によって生き、われわれの死によって死ぬ。

一種の逆説か?と思ってしまったが、ごく当然のことなんだけど、深いなぁとしみじみと思った。17世紀の音楽を現代の演奏家が演奏し、それを多くの人が聴くということ、そのことなのだ。逆に言えば、人が音楽を聴かないと、図書館の地下の書庫に封印されてしまうがごとく、誰が作曲したかすら埋もれわからなくなるのだ。それは死者の死なのだ。この考え方に目からウロコのような気持ちになった。

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昨日のクリスマスイブは朝から歯医者と散髪で、午後から「素晴らしき哉、人生!」を観た。
過去のクリスマスにはろくなことが起こらなかったが、今年は手堅く歯を治療し髪を切ったことで、少なくとも体は健康に一歩近づいたわけだし、風貌も少しは変ったはずだから、無理矢理言うと何らかの目に見える「奇跡」を自ら起こしたわけである
ところで、「素晴らしき哉、人生!」についてだが、昔の映画のなかではかなりの名作ではと思う。今回で二度目の鑑賞だったから、筋は知っていたけど、細かいところを観ると、演出が「憎いねえ」といわんばかりの緻密というか綿密なところに改めて舌を巻いた。細かい伏線が、ラストで一直線につながる気持ちよさは、「素晴らしき~」の存在感のある隠し味というかスパイスである。

今日は、市内で全国高校駅伝があった。主催の新聞社の旗をもらって、東山丸太町で選手を応援した。歩道からの声援を浴びながら、選手はあっという間に駆け抜けていった。ただただ感心した。
その後は図書館でまた「こうもり」を観た。何度も観ているが、私の場合、気持ちを切り替えたいときはこのオペレッタを見るに限るのだ(笑)。いつの間にか、旋律を口ずさめるようになったかもしれない。

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ユースホステルに帰ると、今朝に私が迷惑をかけて苦情を言っていた夜遊び男はチェックアウトしていて、代わりに同室になったのが東南アジア系の青年だった。お互い疲れがあったからか、何も話さなかったが消灯の時だけ私があいまいな英語で電気を消していいか?と訊ねた。青年にとっては以心伝心だったみたいで、即ありがとうと返事してくれた。
翌朝、朝食を摂りにエレベーターで地上階まで降りようとして「1」のボタンを押したが、地上階は「E」のボタンだったので、乗り合わせた女性二人に少し笑われてしまった。私はにこやかに「sorry」と言った。
廊下を歩いているとエプロンをつけたスタッフの青年が、明るい表情であいさつしてくれたので、私もパッと気持ちが晴れやかになってあいさつした。
海外での初ユースホステルの朝食は、もちろんセルフサービスだが一通り揃っていてなんか日本と違うなぁと思った。何から何まで整備されていて、ユースじゃなくホテルみたい、と思えるほどだった。もちろんドレスデンのユースが外観がきれいなところから伺えるように、比較的新しい?からか。なにせ自分で使った皿も洗わなくてよいユースなのだ。
ちなみに旅行に詳しい人の話では、ドイツがユースホステル運動の発生の地なのだそうだ。日本では中年の人でトレッキングをするような人を除くと、大人だけの旅行でユースホステルを利用しようとする人は比較的少ないが、ドイツでは熟年層の人たちが仲間同士でユースを利用することも多いようだ。事実、私が泊まったことのある海外のユースでは、熟年のおじさん・おばさんを見かけない日は無かった。
食堂というかこの日に泊まっていた日本人は私だけ?だったので、おじさん・おばさんたちのドイツ語に囲まれながらの朝食だった。正直、仲間同士の朝からテンション高そうな会話を聞いていると、すごく羨ましかった。旅行をたのしんでいるんだなぁということが伝わってくるのだ。
コーヒーをもう一杯ほしくなり、テーブルのコーヒーポットでカップにコーヒーを入れようとすると空だった。私の様子を見ていた恰幅が良くてかっこいいドイツ人のおじさんが、別のポットで私のカップにコーヒーを注いでくれた。心の中で何かが氷解した気持ちになった。退席する際、キッチンから布巾を借りて、テーブルの自分の使ったとこを拭いた。おじさん・おばさんたちは感心してくれた。
出かける準備を整え、エレベーターに乗ろうとした。すると同室の青年が追いかけてきて、荷物を忘れてるよ、と教えてくれた。もう一泊することを伝えると納得してくれて、私は彼の気遣いに感謝した。ユースでの2度目の朝は、心温まる朝という印象が残った。(ユースでの画像はありません。一枚くらいあってもよかったかなぁ(笑))

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歯医者に行ってきた。
これまで虫歯をしたことがなかったので、かれこれ○年も行っていなかった。しかし周りの人の話を聞くにつれ、これといった痛みが無くとも行っておいた方がいいのでは?と思ったので、思い切って足を運んだ。
小さいころの体験から、歯医者って「威圧」と「脅し」でリピータをつなぎとめるような印象を抱いていた。また通わされた小学校指定の歯科医などは、表紙とカラーページに女性の裸が載っている週刊誌が、きれいに整頓されていたことから、歯医者の顔よりも、週刊誌のことのほうが鮮明な記憶として残っているくらいである。子供ながらに「待ち時間が長くて構わない歯医者」と思っていたかも!?

今日、行ったところは比較的新しく、昔のようなイメージなどかけらすら無かった。自分の歯がどうなっているのかレントゲンで見せてくれたり、歯石を除く前、除いた後のパソコンのディスプレイ上で見せてくれたり、何がどうなったのかすぐに分かる。それに忠告はくれるが、脅したりはしないところがよかった。
だが、変らないものもある。歯をいじられているときの、あのキーンという音や吸出すときの音、口をゆすぐときの水が味は無いはずなのに妙に薬臭く感じてしまうこと…。
次は土曜に行く。親知らずについて、抜歯のタイミングなど詳しく訊ねてみようと思う。
それにしても、処置後はいつもの舌触りじゃないので、ちょっと気持ち悪いような。これも慣れるのだろうか。

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『ジャン=クリストフ』前半部の終わりは重厚で、クリストフの心境の変化が劇的に描かれている。どの部分に感動したかを書くとなると膨大になるので、少しだけメモ程度に記しておきたい。

 彼らにたいして自分はなんと恩知らずだったことだろう! 彼らの渝らぬ善意の貴さを、どうして自分はもっと早く覚らなかったのだろう? 自分がドイツにいたころ彼らに向って言ったあらゆる不当なことば、あらゆる乱暴なことばを思いだして、彼は恥じた。あの当時、彼は彼らの欠点と、窮屈な儀式ばった流儀と、感傷的で観念的な理想主義と、彼らの思想の小さないろいろの虚偽と、彼らの小さな臆病さだけをしか見なかった。ああ、そんなものは、彼らのもっているかずかずの大きな美徳にくらべてみれば取るに足りないのだ! 彼らの弱点にたいして自分はどうしてあんなに苛酷でありえたろう? あんな弱点もいま思い出してみると、彼らをほとんどなつかしく思わせるよすがにさえなるのだ。なぜなら、彼らはその弱点のためにかえっていっそう人間らしいのだから! 反動的に彼は、自分がもっとも不当な態度をとった人々にそれだけますます強く惹かれるのを感じた。シューベルトにたいしバッハにたいして彼はどんな非難を加えたことか! そしていまでは自分を全く彼らに近しく感じた。彼がせっかちに、ばかばかしい点を指摘したあんな大きい魂の人々がいまや、故国から遠く引き離されている彼の上に身を傾けて、親切な微笑をもって彼にこう言うのだった――
 「兄弟よ、私たちがここにいるよ。勇気をもつがいい! 私たちも悲惨の分けまえを十二分に味わったのだ……なあに! やり抜けるものだよ……」

長々となってしまったが、音楽って不思議なもので、過去にはどうでもよかったもの嫌いさえしたものが、過去の土地を離れてしまったあとで、ふとしたとき当時の印象とともに甦り、親しみを感じたりする。この場面を読んでいて「わかるぞお、わかるぞぉ」と沁みるようにその情景が想像できたし、共感できた。そしてフランス人もドイツ人も日本人も思うことは同じなんだな、と感じた。

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「よきサマリア人(びと)」(「善きサマリア人」とも書く)というのは、簡単に言えば、とても悲惨な目に遭った人がいるのに誰も手を差し伸べようとしないなか、一人のサマリア人が悲惨な目に遭った人を介抱し安全な宿屋まで運んであげる話だ。これは新約聖書のなかでキリストの口から語られている。(ルカ福音書・第10章30-36)
なぜこのエピソードを書いたかといえば、『ジャン=クリストフ』で前半部の最後あたりで憔悴(しょうすい)して病気になる寸前のクリストフが、ルーヴル美術館の絵画室で「よきサマリア人」という作品を囲っている鉄枠にすがり付いて、かろうじて転倒を避け「奇跡」を体験する場面で、レンブラント画の「よきサマリア人」が登場するからだ。にわかに、この絵のことが気になった。
で、この絵を探したわけだが、たどり着いたのがルーヴルにある以下の絵である。


Constantin-Daniel van RENESSE "La Parabole du bon Samaritain"(1650)

小難しい話になってしまうが、英語やフランス語のサイトを眉間にシワ寄せて見ていると、厳密にはレンブラントの絵でないかも。レンブラントの助手(弟子・従者)のConstantin-Daniel van RENESSE作と出たからだ。
では、レンブラントが「よきサマリア人」のテーマで作品を残していないかといえば、そうでもなく


レンブラント「よきサマリア人」(エッチング)(1633)
アムステルダム国立美術館


レンブラント「善きサマリア人のいる風景」(1638)
クラコフ国立美術館

これらの作品が存在する。一つ目と二つ目を比べてみると、なんとなく近いものがあると感じた。ちなみに一番下の作品は、京都で「大レンブラント展」が開催されたとき、実際にこの目で見たから、とても印象に残っている。

テーマが錯綜してきたが、「よきサマリア人」の体験後のクリストフがどのような人々と出会いと別れを繰り返すのか、彼も自然によきサマリア人の心情を会得するのかどうか、続きを読んでいきたい。

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昨日(12月12日)の年賀状については、後記があるので関心?がある方は昨日の分も見ていただきたい(笑)。

   ***

昨日は年賀状以外のことも心に強く残る体験をした。KOBEルミナリエに行ったのだ。点灯の時間に間に合いはしたものの、いかんせん期間限定の人気イベントだ。元町に着いたときには、行列の後ろのほうだったゆえ、点灯の瞬間は見られなかった。
しかし、ルミナリエ会場が見えると、たしかに人々が一目みたいと押し寄せる気持ちが分かった。確かに一見の価値あり、本当に美しかった。その美しさはクリスマスも近いことから、さらに印象深く感じられるのかもしれないし、また寒さが体にこたえるなかで見に行くから印象が倍加するのかもしれない。
会場では露天その他で瓦せんべいや神戸プリン、ルミナリエ切手、ルミナリエ宝くじまで売っていて賑わっていたが、その賑わいよりも会場を幸せそうに訪れる人々の表情のほうが明るくときめいていた。
会場にいる間、五組ぐらいのカップルに「写真を撮ってくれませんか」と頼まれた。どの人たちもとてもいい表情をしていた。その中には、デジカメの電池が無くなりかけているカップルがいて、私がボタンを押したその画像の映り具合に感激してくれたりした。私が言うのもなんだが、もうあと数枚しか撮れない状態での印象も手伝って、二人にとってきっといい記念になることだろう。

ルミナリエの他には、列車内で『ジャン=クリストフ』も前半を読み終え、ここにきて感動する場面を迎えたりした。そのことも書きたいが、それは後日。

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結果的に、笑い話となって欲しいけど、大いに恥じ入るようなことになってしまった。

それは来年の年賀状のこと。

ご存知の通り、年賀状は15日から受付開始だ。それまでは機械で自動的に振り分けられ、スタンプが押され、否応無く1日2日で着いてしまう、と聞いた(確かな話ではないので明日確認するつもり)。
後悔していぢいぢしてしまいたくなるが、いろんな偶然とドジが重なり合い、出す予定の分の五分の三くらいの年賀状が、今、郵便局の中にある。年末恒例の「忠臣蔵」の日に、気の早い挨拶状が郵便受けに届く人がいるかもしれない。その光景を想像するだけでも、

顔から日が出る思いだ

毎年、年賀状なんか、正月過ぎてから書いていたから、調子が狂ったのかもしれない。

でも、どうせなら届いた人に笑い飛ばしてほしいなぁ
再会したときのネタにはもってこいだし、そのときの私のセリフとして「牛肉の輸入再開より早くしたかった」とか「民営化で年賀状が廃止になる前に」とか、いろいろ考えてもいいし。

  ***

後記:
上のことについて、一応、郵便局の窓口で訊ねてみた。たとえ受付前にポストに投函されたとて、しっかり手で仕分けをしてくれて、1日に届くらしい。(2005/12/13)

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昨日、また大文字山に登った。以前は足を少しくらい鍛えて体力もつけたい理由で登ったが、今は何かとたのしいことが起こったりするので登るようになったかも。(姫路に、近所迷惑を顧みないグルグ○族というのがいて出会いを求めるのだとすれば、出会いを求めるにも山の新鮮な空気の下のほうが、よっぽど健康的ではないか!?(笑))
さて、昨日は火床で弁当を食っていると、外国人の男女が登ってきたので、少し話した。二人は京都に4日いて、そのうちの1日を京都一周トレイルに使おうと登ってきたそうだった。火床と送り火の日について話すと、いろいろと訊ねられたので、West DAI,East DAI,MYO,HO…などと説明した。ほんまは正確に「左大文字、右大文字」と言えばよかったと思ったが、二人も納得してくれたので、まぁいいことにしよう(笑)。すべて英語でのやり取りだったが、しどろもどろでも何とか伝わったのがよかったし、またうれしかった。
二人はすれ違う他の登山客にも「コンニチワ」と自分たちからにこやかに挨拶していた。その光景がまたいいのだ!
私は先に出発し、別れ際に二人と握手して火床を離れた。そのあとは、先日お参りできなかった新島襄の墓に行ってから、南禅寺へと下った。大文字にしろ南禅寺にしろ、2週間ほど前のにぎやかさはなかったが、でもいい時間を過ごせたと思った。

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