デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



展示物の清掃。丁寧な手つきだった。

王室寺院に置いてありそうな仏具や彫刻が展示されている部屋だった。








寺院でよく目にする仏塔の模型だ。



かつての王様の馬と馬丁(ばてい)の姿。




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大きな博物館だけあって歴代の武器も展示されている。












今この記事をアップするに際し、心穏やかではいられないのが正直なところだ。タイの歴史はビルマとベトナムとカンボジアとの戦争を抜きには語れず、近代となるとイギリスがビルマを植民地にした時代に分断統治したことで起こった、今問題になっているロヒンギャの人々の悲惨な処遇に周辺国も頭を抱えていることまで考えると、これらの武器を見る目も変わる。武器はきれいに磨かれて展示させているとはいえ、血を血で洗う戦いがいかなる悲劇を生むのか想像することは決して難しいわけじゃない。

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台湾啤酒(ビール)・マンゴー味

ずいぶん久しぶりに「台湾」のカテゴリーの記事を更新する。
秋が深まりつつある時期にビールの記事というのもなんだが、一缶残っていたマンゴー味の台湾ビールを飲んだ。台湾ビールは普通のものと台湾ビールCLASSICが好きだが、マンゴー味は私には合わなかった。ただマンゴーの甘さを味わえるこのビールを好きな人は少なくなく、有名ガイドブックにもお土産として最適と載っていることがある。
そういえば、数か月前にいつもの山で出会う台湾からの留学生に台湾ビールのことを聞いたら、現地では飲み慣れすぎてときどきキリンやアサヒのビールを続けざまに飲みたくなることが珍しくないと、その人が言っていたのを思い出した。

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そりゃ見たがるわな(笑)

先日の夕焼けがきれいな日に山に登ったら、ドローンを飛ばしていた外国人観光客がいて、その場にいた人たちから注目を浴びていた。





ギャラリーが増えていく

日本人の若い娘もドローンが珍しいようで、外国人観光客のドローンの映像には写りたがっていた。


一昔前なら未確認飛行物体と見まがうだろう



もはや夕焼けを撮りたいのかドローンを撮りたいのか(笑)



鳥とドローンの共演












ドローン本体はこんな感じ。アメリカドルで500ドルって言っていた



日の沈む場所がだいぶ南に移った


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先月末、日がだいぶ南に沈むようになってきたと実感する








後の二枚は数日前。






シアトルから来た若い男女が登ってきた。バケーションで日本を訪れているとのことだったが、日本語を話そうとする姿勢に好感をもてた。シアトルと聞いて私が野球の話をしようとすると、彼らのほうが先に「イチローはシアトルで今も人気あるし、私たちも大好きだ」とテンション高く語りだした。昔、セーフコフィールドに行きたいと強く思っていたことを思い出した。
二人が下山したあとにシンガポールの青年が登ってきた。語学留学と旅行を含め今回が三度目の日本で京都は初めてとのことだったが、きちんとした日本語を話すところがすごいなと思った。彼はシンガポールの歴史や多民族が肩を寄せ合って住むことで起こるいろいろな事情のみならず、18歳から二年間の徴兵制度とその内容についても語ってくれた。いつもながら、知らないことって本当にたくさんあるんだなと改めて思った。

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いかにも水の都バンコクらしい船だ






いまも水上マーケットで活躍していそう



アユッタヤーでの疲れが出てきたせいで睡魔に襲われた。
ここのベンチでウトウトしていたら数か所蚊に刺された…。


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閻連科(イェン・リェンコー)作(泉京鹿訳)『炸裂志』(河出書房新社)読了。

中国の文革から改革開放を経て現在に至るまでの功罪を描いた小説に余華の『兄弟』があるが、『兄弟』がリアリスティックな描写で悲壮感漂う内容で物議をかもす作品ならば、閻連科の『炸裂志』は改革開放後の「富める者から富め」というスローガンの下、いろいろな意味で野心に忠実で欲望にまみれた人々が炸裂という名の架空の町を直轄市に成り上がらせるというある種の荒唐無稽な超絶描写の中に改革開放がもたらしたものやその実態を暴き出している作品である。
『炸裂志』ではものごとが進む際に超自然的な起こるが、私にはすんなり受け容れられ大きなカタルシスを得ることができた。それはたぶん、昔に魔術的リアリズムと称される手法を用いたガルシア・マルケスの『百年の孤独』を読んだ時のものに近いような気がする。
また余華の『兄弟』だけでなく、エヴァン・オズノスの『ネオ・チャイナ』やピーター・ヘスラーの『北京の胡同』などを読んで現代中国の町の劇的な変化やそれを推進している大きな欲望についてどことなく分かったことに加え、中国の大都市の平日の朝の乱雑さ目にしたり銀行街の大通りの幅の半端じゃない広さにため息をついたり、修復されてきれいになりすぎてしまった明代や清代の歴史的建造物が観光客に与える違和感をリアルに覚えた体験があったからこそ作品の荒唐無稽な出来事に臨場感を覚えたのだと思う。もし現代中国の発展についてシンボリックな作品を紹介してと言われたら私は『炸裂志』を推す。

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まさか銀器?



仏陀のすがたか細かく彫られていて目を見張った















なんだかアユッタヤーで見たような



水及びネズミ対策のために高床式は当たり前のようだ


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