デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



日本と同じく、タイの道路の車両は左側通行だ

前回、BTSの路線図の画像を載せたが宿はBTSの路線とはまったく違うところなので連絡路を降りてバス停へ。
連絡路を降りたら

「タクシー?ドコイク?」

と、さっそくタクシーの年配ドライバーが声をかけてきた。やっぱり空港とつながる駅にはタクシーは待機しているもので、どこの国でもタクシードライバーには到着したての観光客がすぐに分かるようだ(笑)。

現在はインターネットの検索サイトでストリートビューなるサービスがあり、現地に行かずしてPCやタブレット、スマホで外国の町の様子を見ることができるようになったが、このサービスはとても助かる反面、ちょっと興ざめのような感がある。なにせ現地に赴けば、既にストリートビューで見たそのままの道路が現われるわけだから。
しかし到着日(一日目)の宿までの移動は確実にこなしたかったため、移動方法を事前にストリートビューとネット上のマップで調べて行った。
とにかく、DeCha病院の辺りから72番のバスに乗ればいいと頭に入れていたので、タクシーをやりすごしさっさとバス停へ。するとものの数十秒の差で、72番のバスが後姿を見せて私から遠ざかって行った(笑)。


なかなか来ない…

バスが来る間隔についてはなんともいえない。5分も待てばすぐに同じものが来る番号のバスもあればそうでないものもある。そのあたりのことは後日にも体験することになる。

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ここ数日、街が少しもやがかっている。大陸の方から風に乗っていろいろな物質が飛んでくる季節になり、天気予報では飛んできた有害物質の濃度が高めの地域まで報じるようになった。
また体重が増えだしたので、いそいそと登っている。昨日は火床で関東からの旅行者のお二人と出会った。私が糖分を摂る為のお菓子をおすそ分けすると、お二人が登山用のコンロで沸かしていた紅茶を私に振舞ってくれた。あったかくて本当に美味しい紅茶であった。

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現代的なつくりだ



BTS(スカイトレイン)への連絡通路



ヨーロッパの地下鉄にもありそうな広告デザインだと思った



BTSの運賃表

画像が小さくなっているので見づらいが、右の青いラインと緑のラインが路線で、●のなかに書かれた数字が運賃である。この路線図では黄色がパヤー・タイ駅なので、その次の駅までの運賃は15バーツだというのが分かる。

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20:30を過ぎていたからか、空いていた

エアポートレイルリンクのシティラインを利用し、パヤー・タイ駅まで移動。ご覧のとおり、車両はとてもきれいだ。
話は前後するが、両替のあとで1000バーツ札をどうしようかと思ったときに、シティラインの料金を自販機を利用せず駅の窓口で払ったらよいといったような情報があったことを思い出した。例えるなら120円の缶コーヒーを買うのにレジで10000円札を出す感じかもしれないが、駅の窓口では1000バーツ札を扱い慣れているみたいで、45バーツのシティライン片道料金を1000バーツ札を出してお釣りを間違いなくきっちりもらった。
窓口では笑顔が素敵な男性職員が対応してくれた。もちろん片道切符にあたるトークンを買う際にはこちらも手を合わせて「サワディッカー・クラッ。ヤーク・パイ・パヤー・タイ・クラッ。(こんばんは。パヤー・タイ駅に行きたいのです)」と伝える。男性職員はお釣りは細かい札でくれた!なんという旅行者への気遣いだろう!(たまたま500バーツ札がすぐ出せなかっただけかもしれないが(笑))


シティラインのトークン



トークンは降りる駅の自動改札で回収される

エアポートレイルリンクのシティラインの乗車は日本の一般的な鉄道や地下鉄の自動改札のように、切符を通してから乗車し、降りる駅の改札を出る時にまた切符を入れ通る要領でいい。日本との違いは、切符にあたるものがコイン状のトークンになっているぐらい。
空港から市街へ向かう間はやっぱりどの国に行っても安全面のことで少々ナーバスになる。でも私の傍に座った女性も男性もタブレット型携帯を触ったり音楽を聴いていたり、いたって普通の現地の人であった。私の方から下手なタイ語で「ティーニーティーナイ(ここはどこ?)」などと訊ねて駅の確認したら、日本人の発音ながら意味を解してくれて親切に所要時間を教えてくれるのであった。
所要時間を教えてくれた人が途中の駅で下車した。車両には私と若い10代と思わしき娘さんたちが3人ほど乗っていたが、なぜだか彼女たちが「パヤー・タイ駅はまだ?」といったようなことをタイ語で私に訊ねてきた。正直、戸惑ったが彼女たちもバンコクは初めてのようだった。そうだ、タイ人がすべてバンコクに住んでいるわけじゃないのだ。
旅の会話帳を指差して「ヤング・マイ・トゥング(未だ着かない)」と返事した。市街への列車の駅とその車両のなかで「こんにちは」「ありがとう」以外にもう三つもタイ語を使うとは! 安全面での少々ナーバスな気持ちなんかどこへやら、旅への期待のテンションが高まった。



パヤー・タイ駅

列車は目的の駅に着いた。にわかに復習したトゥング(到着)の言葉を口に出し「トゥング・パヤー・タイ」と言って彼女らと駅に降り立った。「コップゥン・カァー」と返事された時、幸先がええわいと思った。

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アルファベットでの併記もあるので助かる



エアポートレイルリンクが操業したのは
数年前のことらしく、ホームが現代的だった。


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市街への鉄道エアポートレイルリンクの駅に向かうため地下へ。


到着したての人と現地の人?が追い抜いていった



カシコン銀行の両替所

某有名旅行ガイドブックにもスワンナプーム国際空港で一番レートがいい両替窓口として紹介されているカシコン銀行の両替所。いくつかの両替所を見て回ったあと、本にあったとおりここが最もレートが良かったので、宿代の総額と現地四日目まで使うであろう現金を両替した。ちなみにレートは0.3115で、他の両替所だと0.2956だったりした。
両替した結果、1000バーツ札を4枚、500バーツ札他を手にすることになった。1000バーツ札をどこで崩そうか少し心配になったが、杞憂であった。

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印象派の絵のできそこないみたいな写真になってしまっているが、空港には若い人もたくさんで迎えに来ていた。ファッションも見慣れた感じがあった。


寺院でしか見れないと思ってたが、空港で早速お坊さんを見かけた(笑)


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「行き」の私の足跡(右)と獣の足跡(左)

もう少しで雪が靴の中に入って、靴下が湿るところであった。本当は大谷吉継の陣跡、宇喜多秀家の陣跡も見たかったが体が冷えてきたので、あとは平塚為広の碑に行くだけにした。



この説明に平塚為広が垂井の城主とある、ということは、平塚為広は今の岐阜の垂井を治めた大名だったのか。


平塚為広の碑



小早川隊との死闘にどのような面持ちで臨んだのだろうか…



藤川台

藤川台は大谷吉継、戸田重政、平塚為広らが布陣し、小早川隊らと戦った場所である。ここから歩いて15分のところに大谷吉継の墓、歩いて2分のところに平塚為広の碑がある。


寒い日の古戦場跡めぐりのあとのコーヒーは美味かった


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大谷吉継の墓



湯浅五助の墓

大谷吉継の墓の隣には湯浅五助の墓がある。湯浅五助についてはこちらを読めば十分だと思う。
東洋でも西洋でも戦場での勇猛な戦いぶりや武将の壮絶な最期の伝わり方は有名な戦いであればあるほど話しが似通ってくるように思うのだが、忠臣としての大谷吉継その吉継に仕えた家臣の姿は、東軍に味方した大名の目からしても心を打つものがあったのだろう。
大体、大名同士も、関ケ原で戦う少し前まで敵になるかどうか、いやひょっとしてある程度大名同士が懇意にしていた可能性もあるわけだから、戦いが終ったら敵とはいえ戦闘で死んだ者のことを語るのは案外自然のことだったのかもしれない。それにしても大谷吉継の最期は歌舞伎の演目にも採り上げられそうな内容だと思う。





大谷吉継の家紋「違い鷹の羽」


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大谷家の家紋の幟がはためく












大谷吉隆(吉継)の墓

靴の中まで雪が滲みてきそうになってまでこの人の墓を訪ねてみたくなったのは、昨年からの気持ちに加えて塩野七生『十字軍物語』に登場する癩王ボードワン4世の影響もあったかもしれない。

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