デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



慶州郵便局

城東市場の前で下車した。市場の向かいに경주우체국(慶州郵便局)があって、そこで絵葉書に貼る切手の購入および投函のためだ。


バス停の傍は城東市場なので市場に続く露店が並んでいた。



横断歩道を渡って郵便局の中に入った。右の赤い矢印が示す機械のとおり、受付は番号札を引いて順番を待つシステムで、日本や台湾やタイの郵便局と変わりない。
韓国から国外に絵葉書を送るには430ウォンの切手が必要だ。2枚買ったので860ウォンだが、日本円で約88円の支払いをCCで済ませたのは初めてだった。


値段の割にはレシートがやたら
長く右のKTXの切符と比べても際立つ

念のため切手は糊付けした。

ポストに入れても良かったが、窓口の職員さんに手渡したらにこやかに受け付けてくれた。


城東市場

郵便局を出た。昼食をどうしようか迷ったが、店を探すのも面倒くさくなったので、城東市場の昨日と同じフードコートで昼食を摂ることにした。
大皿におかずを盛っていく要領などは昨日経験したので、今回はスムーズだった。
水はペットボトルのものが各テーブルに置いてあるので、壁に据え付けの紙コップを自分で取ってから水を注ぐのだが、私の席の紙コップはちょうど切れていて他のテーブルの分を取りに行こうと席を立とうとした。
すると私の様子を見た眼鏡をかけた寄り目の若い大柄の男性が隣のテーブルに据えつけてあるコップを取ってくれて、水を汲んで私に差し出してくれた。
男性にお礼を言って水を口に含んだら、私も思わず別の人に親切にしたくなった。向かいに年配の夫妻とその母親の3人連れが座った。頼まれたわけでないのに3人分の紙コップに水を注いで渡したら、私よりも明らかに年上の旦那さんからまるで恐縮されるような感じで感謝された。丁度水が欲しいタイミングだったのもあったのだろうけど、ともすれば有難迷惑になりかねない私の行為を素直に受け入れてくださったことが嬉しかった。「どういたしまして」という返事が出てこなかったので「네(ネー、はい)」としか言えなかった(笑)。それでも返事としてはおかしくないようだったので良かった。
더 주세요(ト・ジュセヨ、おかわりください)の表現は昨日よりもすんなり口から出てきた。
昨日は現金で支払ったが、今回はCC(クレジットカード)を出した。普通に8,000ウォンをカード払いできた。昨日は伝え損ねた「잘 먹었습니다.(チャルモゴッスムニダ,御馳走さまでした)」を言い添えた。



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良洞村から県道28号へ。


停留所名:Yangdong village

こちらで触れたHoguk-ro(県道28号でもある)に出たところのバス停。停留所名:Yangdong villageがあった。良洞村へのアクセスおよび慶州市内へ戻るバスは203番だけではない。


兄山江

こちらでも少し触れた兄山江。日本海とつながっている韓国の国家河川なのだ。




しばらくは田畑の風景がつづく。

バスの車窓から(1)

バスの車窓から(2)

ガソリンスタンドだが、ここはセルフ方式のヒュンダイ・オイルバンクという名称だ。



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琉球も千葉もオフェンシブなイメージが強かったが、ここ数年はディフェンスから攻撃を組み立てる良いチームになったと感じた。
高校野球で優勝旗が白河の関を越えないといわれつづけ、去年の夏と今年の春(選抜)に悲願達成となったが、日本のバスケットボールのBリーグでもようやく西日本かつbjリーグ出身のチームが初優勝を飾った。
日本のバスケットボールはまだまだこれからだと思うが、今回の琉球ゴールデンキングスの優勝は日本のバスケットボールにとって世界への躍進に一役買うように思う。


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午後から訪れる観光客もいる。


工事が行われているところもあった。


博物館の入口
(月曜は閉館)





村の方の入口の
方を振り返った


サイクリングロードも
整備されているようだ。

バス停「良洞村入口」

村に来る時も慶州へ戻るにも203番のバスはここで乗り降りする。12時少し過ぎにバスが来たので乗車した。

良洞村の記事だけで17回分になってしまった…(笑)。



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前回と同じような画像だが、スマホのカメラとは別のデジカメでも村の風景を残しておきたくなった時のものなので、少し色合いが異なる。







食事ができる所
もあるようだ。









スマホのカメラの画像の印象、デジカメの画像の印象、どっちも自分の目で見た良洞村ではないけれども、思い出すときには一番の縁になるのは変わらない。



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전통한지 뜨기 체험
伝統韓紙  編む 体験

たぶん中学生だろう、声がワイワイ響いていた。



入口には「伝統韓紙  編む 体験」とあったし、伝統の韓紙の紙漉きでも体験しているのかと思いきや、置いてある段ボールの柄からしてお昼の時間だったようだ。体験授業のあとだったのかもだけど、賑やかだったのは昼食ゆえだったんだろう(笑)。


風景を見ながらバス停へ






村民の車がゆっくり
走り去っていった。



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バスの時間が迫ってきていたが、バス停に向かいがてら、もう一個所、書院を訪ねることにした。


少し坂を上がった所にある。
けっこう目立って見えた。


心水亭の入口




心水亭

李彦迪の弟・李彦适(イ・オングァル)を偲んで1560年頃に建てられた亭。村が一望できる。
李彦迪については弊ブログでも何度か出てきている。心水亭も李彦迪と縁があるようだ。


解説には、
心水亭は朝鮮時代初期の学者、李彦适(1494-1553)を顕彰する館です。もともと1560年頃に建設されましたが、19世紀半ばに火災で焼失し、1917 年に再建されました。
李彦适は、朝鮮時代初期の文官で偉大な儒学者である李彦迪(1491-1553)の弟でした。李彦适は生涯を通して、いかなる公職にも就くことを拒否し、細心の注意を払って母親に仕えました。彼は「世の中のことなど気にせず、耳が聞こえないように生きなさい」という意味を込めて、自らのペンネームを「ノンジェ」と名付けた。
心水亭は良洞村にある10の亭の中で一番大きいです。慶州孫氏(月城孫氏)と驪州李氏(驪江李氏)が独自の書院を設立する前は、村の書院としても使用されていました。この亭の木床のホールに掲げられたプレートには「心水亭」と書かれており、「心が水のように穏やかになれる亭」という意味です。
とあった。


心水亭の板の間に上がることもできるようだったが、家族連れが先に訪れていて、写真を撮りあったり小さい孫と思わしき子供の声やお爺さんのワイワイ楽しげな声が響いていたので遠慮することにした。



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東寺へ

毎月21日に開かれる東寺の弘法市(こうぼういち)に行ってきた。随分前にも行ったことはあったが、市で扱われている品よりも日本初の密教寺院である東寺の建物に関心があった時期だったので、市を楽しんだのは今回が初めてだ。
南大門への幅が広い歩道にもこの日だけは露店が出ているので、向かいから来る人と少しすれ違うのに気を遣うがマナーはきちんと守られていた。

南大門

弘法市

たまたま日曜日ということもあり、多くの人出で賑わっていた。暑い中にもかかわらず、老若男女、日本人・外国人問わず本当に人が多かった。
グラスも含め陶磁器を扱う屋台、食べ物の屋台、植木の屋台、古着の屋台、骨董品の屋台、仏具を売る屋台もたくさんあって、とても充実していたが、一店一店足を止めたくなるし目移りするし、とても疲れる(笑)。境内および門から外に伸びる屋台を一通り見るだけでも1時間かかった。

陶磁器の種類も豊富だ

家の茶碗が割れてしまったので、今回の弘法市では新しい物を買うと決めてきたので置いてある品をじっくり見た。
店もいろいろ、値段もピンからキリまでいろいろだ。値札に10万円とあるさして大きくない陶磁器(明朝や清朝や朝鮮王朝時代の李氏朝鮮舶来品と謳っていたりする)もあれば、丹波篠山の陶芸まつりで見たような2000~3000円の茶碗、2000円くらいだろうと思えるような茶碗でも横に難しい字が書かれている木箱が置いてあるような品は45000円だったり、3つで500円の茶杯も置いてあったりする。
特に高価な値がついている品が足元にも置いてある店を見て回ったときは、うっかり触れて壊さないかどうか細心の注意が必要だった。屋台で見られる値が、それそのものの動かしがたい価値なのかは結局のところ分からないのだが、気を付けるに越したことは無い。
市では薄汚れた形でぞんざいに置かれているにもかかわらず、年代物の中国製と思わしき陶磁器もよく見かけた。白地に青で模様や人物や動物が描かれているので、「掘り出し物かもしれない」と淡い期待を抱かせる魔力もある。
陶器と磁器の区別もできない私がいうのもなんだが、もとは二つで揃いの一式だったり、セット売りだったものが様々な理由でバラになって、それが巡りめぐって市に出てきていて、仕入れ自体はタダ同然のものが1枚2000円で並んでいるようにも見えたりした。

品定めをしていると店の女将さんや主人としゃべることになるが、とある店でいろいろ兼用ができそうな500円の焦げ茶色の茶碗を手に取って見ていると、女将さんが堂々と
「どこから出てきたもんか分からへん代物(しろもの)」
と笑いながら声を掛けたきたのには私も笑って返事するしかなかった。たぶん、国内のどこかの窯元で作られた物だろうけど、まさかの舶来品かもしれない(笑)。どこどこの由緒ある品などといわず、「気に入ったら買って」とサラッと屈託なく声を掛けられると、かえって他の茶碗および並べられている品に引きつけられるところがおもしろかった。

また別の店では、横で店の主人と客の婦人のやりとりに聴き耳が立てざるを得なかった。
それは、一見するとそれなりに高そうに見える陶器があって、婦人が買う旨を伝えたら店の主人が
「これはどこどこの窯元の名をはせた職人の一品物の一つで4000円でも安い。扱ってるのはこれしかない」
と言うと、婦人がお碗の一部(底の部分の高台か畳付き?)がほんのちょっと欠けているのを見つけ指摘したら
「だったら、2000円ー♪」
と店の主人が悪びれもせず惜しげもなく言い放つ、新喜劇や漫才かよと思わせるような場面だった。
仕入れ値いくらなの?と横からツッコミたくなったが、逆に私が婦人の立場だったらいいカモだ。怖えー(笑)。内容的には異なるが、落語の「道具屋」や「壷算」みたいと思った。

めぼしいものをいくつか頭の片隅に置いてじっくり検討し、結局南大門から入って右に店を構えていた大阪から市に出店している店に置いてあった茶碗を買った。
後日、DIY用品や日用品を売っている店の大量生産品の茶碗を手に取ってみると、なんとなく違いが分かるようになった気になった。でも、何も知らされずに格付けチェックの要領でAかBか選べといわれたら、すぐに馬脚を露してしまうだろう。


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福寿丸の説明



山崎丸と同様、元亀3年(1572)に朝倉軍が最新の城郭技術を用いて直した城郭で、ここを守護した木村福寿庵にちなんで名づけられた。


いかにも人工的だ















大嶽へは行かず、引き返した。

「またごんせ」と
メッセージが。

画像では判読できないが、またごんせの「ごんせ」は湖北の言葉で「来てね」という意味と書いてあった。





帰りも害獣が出ないように
きっちりと閉めてから出る

下りてきた道を振り返った


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さらに登る


こういうの、いち来山者
としてはうれしいものだ。


道が無いように見えるが
きちんと分かるようになっている





福寿丸




読めん(笑)


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