デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




同じ場所から季節を問わずそれなりの頻度で夕日を見ていると、日が沈む位置で「日が長くなったぁ」とか「日がだいぶ北に行った」とかつい口にしてしまう。






今年の夏至は6月21日だったが、あいにくの雨空で夕日は見れなかった。翌日22日は梅雨ではあるものの太陽を拝める幸運な夕方になった。ほぼ夏至の太陽が沈む位置をしっかり確認した。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




前回の続きである。
まず触れたいのは、以前の訳の『ペスト』と今回の中条氏訳の新訳の『ペスト』とでは、いい意味で違う話のように感じられたことだ。感染症が襲った町を舞台にしたエピソードは同じ内容なのだが、今回の読書では少なくとも何が書いてあるのかようやく分かった気がするのだ。
そのこともあってか、更にここ数年のコロナ禍もあり、『ペスト』にある罹患していようがいまいが市全体が隔離されるという"追放状態"の記述には身につまされるものがあった。大変な時だからこそ人々が協力し合う連帯が必要なのに、実際は単純な連帯すら不可能になり、他人を見れば病原菌扱いどころか、不運にも感染してしまった人に対して抱いた感情におぞましいものも含まれていることもあるのは少し省みるだけで自覚できるだろうことを考えさせられた。
作品の登場人物の中で一番近い考えや性格をしている、つまり私と似ているなと思ったのはランベールかもしれない。国内のワクチン接種が始まる前の緊急事態宣言中、私は「結局は人類全体が感染症に暴露して抗体をつけなけばならないのだから、周囲はどうあれ少なくとも人類側の制度の都合で外出制限で閉じ込められるはまっぴらごめん。国内・海外問わず私の移動の自由を奪うんじゃない。国民に我慢を強要し五輪関係者だけは特別扱いなんて最低だ」と思っていたし、作中のランベールが恋人に会うために非合法に町を脱出しようとする気持ちは痛いほどわかった。
私は、妻と別離している主人公のリューには到底なれないが、ただ、リューがランベールとの会話で言わんとしていることも分かる。ペスト、つまり天災などの抽象的なものは本当にバカげたことで不条理そのものだが、それは思う以上に長続きし、それに対峙するには具体的な効果としては捉え難いかたちの抽象に似なければならないし、それは天災に対して理解を深め普段の自分の仕事を誠実にこなすことで乗り越えるしかない。自分ができることを誠実にこなす態度は本当に熱いものがあり、パヌルー神父の感染症は人類への神の「御心」といった言説に対しても決してぶれない。作品の中でも最も心を打つ登場人物の一人の主張といえよう。
心を打たれた言葉やシーンはたくさんあり、ここですべてを書きたくも到底書き切れないので、中条氏の解説の一節を借りるが、本当に『ペスト』は「カミュの血の滲み出すような切実な本質や作家の経験と感覚的真実があまりに生々しく投影され」た作品であることは間違いないし、それはもちろん登場人物にもきちんと表れている。観念のために死んでいく連中をたくさん見てきたランベール、理念や観念や大義で正当化される死刑宣告というペストの一切を拒否するタルー、「子供たちが苦しめられるように創造されたこの世界を愛するなんて、私は死んでも拒否します」とパヌルーに答えるリューたちの姿はずっと読み継がれていくように思う。

ほか、町で広がる感染症について、まさに現実より形式的な言葉のほうを大切にする官僚主義的な議論をずるずる続ける行政のさまや、作品の多声性や、リューがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てくるイワンの大人バージョン、リューはいわば実践的で誠実なイワンじゃないかと思ったこと、タルーとドストエフスキーの『悪霊』のキリーロフとの共通点など、他にも触れたいことはたくさんあるのだが、今回はここまで。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




アルベール・カミュ(中条省平訳)『ペスト』(光文社古典新訳文庫) 、読了。

10年以上前にも再読したが、今回で三度目。こちらに書いている以前の感想を読むと、これを書いたのは誰だ?本当に自分か?と疑ってしまう。そして、何を書いているのか、何を伝えたいのか良く分からないものが放置状態だったのだなと、苦笑してしまう。それでも今回の記事が簡潔で読みやすく且つ伝えたいことがきちんと伝わるようなものになるかどうかは分からないが(笑)。
今回は中条省平著『果てしなき不条理との闘い アルベール・カミュ ペスト』(NHK100分de名著ブックス)を読んでからの読書だった。中条氏によるカミュの略歴を読んで、カミュがこの作品を構想し書き始めたのはナチス・ドイツに対するレジスタンス活動に身を投じる前であって、「ペストはナチス・ドイツの侵攻の暗喩」といった解釈は倒錯した読み方であるということを前提にした読書、というだけでも新鮮味を覚えた。
やっぱり『ペスト』という作品はカミュの幼少から青年期にかけて彼を襲い続けた貧困、青年時代に発症した結核を生涯にわたって治癒と再発をくりかえす不条理、アルジェ・レピュブリカン(共和派アルジェ)紙の新聞記者、ソワール・レピュブリカン(共和派夕刊)紙の編集長の時代に反戦的な論調の記事によって発禁処分となりアルジェリアでの仕事を失いパリに渡り、ナチス・ドイツの占領からフランスが解放されるまでの2年間妻フランシーヌとの別離を余儀なくされたなどの、生身の自分に降りかかった不条理の実体験に裏打ちされていなければ、『ペスト』という作品は書かれなかったし、作品からあふれ出すリアリティや迫力が読者を震撼させることはなかったであろう。



コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





先月と先日、また奈良市へ行くことができた。奈良国立博物館での展の鑑賞と短い時間での東大寺散策だけだったが、毎度行く価値はあるなと改めて思った。








東大寺大仏殿







兜跋毘沙門天

兜跋毘沙門天の下に地天と二邪鬼


持国天




大仏殿中門


大仏殿入口の方


集合写真を撮る合図の声も聞こえるようになった





南大門

金剛力士像(吽)

金剛力士像(阿)

鹿角のカチューシャをつける修学旅行生も少なくない

緊急事態宣言や蔓延防止措置の頃からすると、ものすごい活気に満ちていた。私は人混みはあまり好きじゃないが、有名観光地はやっぱりこうでないと寂しいという気持ちもあるので、いつもの奈良が戻ってきたと思った。
この2年の間に修学旅行が中止になり、どこにも行けなった小中高生も多いことも頭をよぎった。ただ、半世紀以上かけてマラソンを完走させたギネス記録もある。できうるなら、予定されていた旅行先にいつの日か足を運んでいただきたいものだ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




トリミングし拡大したもの

先日の公衆電話撤去のニュースを見て、過去の画像で公衆電話やそのブースが写っているものを探してしまった。ざっと見ると数えるほどしかなかったが、泊ったユースホステルのすぐ近くを何気なく写した画像に写っているものがあった。
左に写るDELIには夜に42STから帰ってきて、ヨーグルトが欲しくなり買いに入った。夜間担当と思わしき韓国系の男性店員がにこやかにスプーンを付けてくれて、一日中歩き回ったことで疲労があったこともありその小さな親切がとても心に染み入った思い出がある。

全体はこんな感じ。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )