まず触れたいのは、以前の訳の『ペスト』と今回の中条氏訳の新訳の『ペスト』とでは、いい意味で違う話のように感じられたことだ。感染症が襲った町を舞台にしたエピソードは同じ内容なのだが、今回の読書では少なくとも何が書いてあるのかようやく分かった気がするのだ。
そのこともあってか、更にここ数年のコロナ禍もあり、『ペスト』にある罹患していようがいまいが市全体が隔離されるという"追放状態"の記述には身につまされるものがあった。大変な時だからこそ人々が協力し合う連帯が必要なのに、実際は単純な連帯すら不可能になり、他人を見れば病原菌扱いどころか、不運にも感染してしまった人に対して抱いた感情におぞましいものも含まれていることもあるのは少し省みるだけで自覚できるだろうことを考えさせられた。
作品の登場人物の中で一番近い考えや性格をしている、つまり私と似ているなと思ったのはランベールかもしれない。国内のワクチン接種が始まる前の緊急事態宣言中、私は「結局は人類全体が感染症に暴露して抗体をつけなけばならないのだから、周囲はどうあれ少なくとも人類側の制度の都合で外出制限で閉じ込められるはまっぴらごめん。国内・海外問わず私の移動の自由を奪うんじゃない。国民に我慢を強要し五輪関係者だけは特別扱いなんて最低だ」と思っていたし、作中のランベールが恋人に会うために非合法に町を脱出しようとする気持ちは痛いほどわかった。
私は、妻と別離している主人公のリューには到底なれないが、ただ、リューがランベールとの会話で言わんとしていることも分かる。ペスト、つまり天災などの抽象的なものは本当にバカげたことで不条理そのものだが、それは思う以上に長続きし、それに対峙するには具体的な効果としては捉え難いかたちの抽象に似なければならないし、それは天災に対して理解を深め普段の自分の仕事を誠実にこなすことで乗り越えるしかない。自分ができることを誠実にこなす態度は本当に熱いものがあり、パヌルー神父の感染症は人類への神の「御心」といった言説に対しても決してぶれない。作品の中でも最も心を打つ登場人物の一人の主張といえよう。
心を打たれた言葉やシーンはたくさんあり、ここですべてを書きたくも到底書き切れないので、中条氏の解説の一節を借りるが、本当に『ペスト』は「カミュの血の滲み出すような切実な本質や作家の経験と感覚的真実があまりに生々しく投影され」た作品であることは間違いないし、それはもちろん登場人物にもきちんと表れている。観念のために死んでいく連中をたくさん見てきたランベール、理念や観念や大義で正当化される死刑宣告というペストの一切を拒否するタルー、「子供たちが苦しめられるように創造されたこの世界を愛するなんて、私は死んでも拒否します」とパヌルーに答えるリューたちの姿はずっと読み継がれていくように思う。
ほか、町で広がる感染症について、まさに現実より形式的な言葉のほうを大切にする官僚主義的な議論をずるずる続ける行政のさまや、作品の多声性や、リューがドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に出てくるイワンの大人バージョン、リューはいわば実践的で誠実なイワンじゃないかと思ったこと、タルーとドストエフスキーの『悪霊』のキリーロフとの共通点など、他にも触れたいことはたくさんあるのだが、今回はここまで。