デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



朝の上海駅

上海駅の切符売場、朝からすごい行列だなぁと思ったものだが、スマホが当たり前の時代になっても、できうるならこれからも有人窓口でも対応してほしいものだ。

本年もよろしくお願いいたします。


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bunkamuraミュージアムの後、再び渋谷の交差点まで坂を下って行った。新宿に向かい、夕食を摂ったあと数年前友人が勧めてくれた喫茶店らんぶるに入った。

らんぶる

階段を下りるとは思わなかった

この雰囲気、昭和クラシックな感じがとても良かった。

ブレンドコーヒーを啜りながらゆっくり絵葉書を書いた。

慌ただしかったものの充実した東京日帰り旅行が終わった。


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山塘街の朝(蘇州)

昨年はラグビーで盛り上がったが、立て続けの自然災害や前途のある若いクリエイターが殺められる事件なども起こり、やるせない気持ちになったことが多い年でもあった。
皆さまにとって平穏な年になりますように。


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こんなこと言っちゃなんだが、渋谷にも坂道があるとは知らなかった。

途中郵便局に寄った。切手を買ってから職員さんに
bunkamuraの場所を訊いたら親切に教えてくれた。








東京への弾丸旅行の目的はこの展を鑑賞することだった


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渋谷にはずいぶん訪れていなかったこともあって、お上りさん丸出しの気分だった。





渋谷といえば忠犬ハチ公像だが、駅前の屋台の焼き鳥を貰いに来る犬の話に尾ひれがつきあげく変質した説を子どもの頃に聞いて以降、新たな説を聞いていない。今ならもっと説得力のある実像を唱える説があるのかも。




しかし本当に人の多い所だなぁと改めて思った。


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聚楽第行幸和歌巻(じゅらくだいぎょうこうわかかん)

 

 

 

1月の東京国立博物館の特別展は「顔真卿―王羲之を超えた名筆―」だった。展のあった平成館の二階は大盛況だった。
私は中国の書家については今も疎いほうだが、ここ数年で王羲之、虞世南、欧陽詢、顔真卿などの石碑や拓本を見る機会に恵まれたこともあり、思う以上に時間をかけて鑑賞した。とくに蘭亭序は何度も見直した。ただ来館者が多くてゆっくり見ていられないので書家の名と作品をざっくり見た程度にしか見れていない作品も少なくなかった。
台北の国立故宮博物院から奇跡の来日を遂げた顔真卿筆「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」は立ち止まらないでください状態だった。

ここだけは撮影可だったが何が書かれているか確認し損ねた。



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袈裟襷文銅鐸(けさだすきもんどうたく)(弥生時代・中期 前2世紀~前1世紀)

 

 埴輪 踊る人々(古墳時代・6世紀)

 

 

みみずく土偶 (縄文時代(晩期)前1000年~前400年)

 

伝源頼朝坐像(でんみなもとのよりともざぞう)13~14世紀

 

時代がバラバラではあるが、ここに紹介した画像に写っている博物品は小中学校の頃に教科書で目にするものが多いと思う。TVでも見ることもあるかもしれない。
土偶と埴輪と坐像は見事だなと改めて思う。バルザックは「死滅するものは何もない、すべては形を変えるだけだ。」という言葉を残したが、日本で出土したものや伝わった昔の彫像にも現代アートを先取りしたものがあると感じた。



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法隆寺宝物館のあと本館に向かった。

 

再び黒門

 

本館(日本ギャラリー)

太刀 伯耆安綱(ほうきやすつな)

平安時代の太刀で童子切安綱(どうじきりやすつな)とも呼ばれる。伯耆安綱は刀工の名前だ。国宝となっている刀を初めて見た。

天正長大判(てんしょうながおおばん)

これは豊臣秀吉が作らせた日本で初めての金貨としての大判だと歴史の教科書にも載っているものだ。昔は貨幣を発行する権力をもつことの意味が分からなかったが、経済システムの根幹を貨幣でのやりとりで担うのか、農作物でのやりとりで担うのかで、国のシステムや国自体の形、ひいてはのちの国民性といったものまでも変えてしまうことを思うと、経済政策の立案・執行というのはものすごく責任の重いものなのだと今ならひしひしと感じる。



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旧因州池田屋敷表門(黒門)

江戸時代末期に建てられたと推測される黒門があった。黒門は明治25年に移建され、東宮御所や高松宮家にも引き継がれた。昭和29年3月にさらに移建され修理されたものが東京国立博物館敷地内にあるこの黒門とのことだ。明治から昭和にかけての歴史を見届けてきたかのようだ。

法隆寺宝物館

奈良県の法隆寺の宝物がなぜ東京にあるのか、考えたら不思議なものだ。その理由として明治時代に暴走してしまった廃仏毀釈から宝物を守るために法隆寺が知恵を絞ったと聞いたことはあった。法隆寺宝物館についてはこちらが詳しい。

 

 

 

 

あまり時間がなかったので法隆寺宝物館はざっと見ただけで終わった。また足を運べたら今度こそじっくり見たいものだ。



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仏像及び神々の説明のみならず仏教美術史まできちんと触れた解説はありがたかった。さらに、有名な僧たちがガンダーラ美術について記録を残していることにも何気なく触れられていて、仏教史を学ぶ上でかかせない基礎的な縦の歴史へのきっかけも与えてくれていたように思う。


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