デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ご時世を反映しているなと。やることはどこも同じだ。

数年前にいずれまた行こうと思っていた所へ6月に入ってから足を運んだ。
途中、滋賀県長浜市の「道の駅 浅井三姉妹の郷」で休憩した。




見出し画像の像を正面から


織田信長が天下を狙ううえで重要な拠点として欲しがった琵琶湖湖東は浅井長政の支配下にあったが、浅井の軍事力および国力は信長にとって脅威であり続けたことは近年発見が相次ぐ新史料によってより深く考察がなされようとしている。
姉川もゆっくり散策してみたいところであったが、今回は帰りに時間が取れればいくつか回ってみるということにした。


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大伴夫人の墓

中臣鎌足の母が大伴夫人(おおともぶにん)と呼ばれていることを、この地に来て初めて知った。



藤原鎌足誕生地のすぐ傍である。


このこんもりしたのが円墳だろう

夕方に差し掛かるまで明日香村にいたことから帰りが随分と遅くなった。明日香村以外にも、いつの日かまた遺跡のある町に行きたくなった。


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藤原鎌足生誕地












このお堂の裏側の斜面を下ったところに産湯の井戸があった







訪れていたのは私だけだったというのもあって、なんかひっそりとした雰囲気だった。


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昨年末にロシア絵画映画「レッズ」に触れたとはいえ、数年前に比べるとロシア関係の記事は少なくなった。しかし、教育テレビの「ロシアゴスキー(9)サンクトペテルブルクを食べつくす」という番組で久しぶりに一昔前なら是非触れたいと思う内容を目にできた。
番組内ではいくつかのロシア料理が紹介されていて、最後に紹介されたのがサンクト・ペテルブルグのストロガノフ宮殿内にあるレストランが出しているビーフストロガノフだった。このレストランのビーフストロガノフはメダルのようにカットした牛肉を使っていて、細切れになった状態では出てこない。またソースにサワークリームを使わないのも特徴とのことだった。
さて、ビーフストロガノフの発祥についての私の知識は外交官G.A.ストローガノフ伯爵(1770-1857)にまつわる話で、ようするに高齢になって肉が噛み砕けないので肉を細かく刻んだ料理を出したか出させたことがこの料理の発祥というものだった。
ところが番組では外交官の伯爵が生まれた頃には既に30代後半になっていたアレクサンドル・セルゲーヴィチ・ストロガノフ(1733-1811)による夕食会とビーフストロガノフの逸話が紹介されていた。
 
アレクサンドル・セルゲーヴィチ・ストロガノフが夕食会にお客様を招待しました。そのうちの1人が将軍でした。彼は戦争で片腕を失って帰還したのです。夕食会では3つのメダルの形にカットされた肉料理が出されたので将軍はその肉を切るのが大変でした。アレクサンドル・セルゲーヴィチはすべてのお客様の前で立ち上がって自分の友人である将軍のためにその肉を細かく切ってあげたのです。お客さんたちはストロガノフ氏への敬意を込めてこの料理をビーフストロガノフと呼ぶことに決めました。

以上がその内容である。
正直なところ「現地のレストランでこう言っているのだから、外交官の伯爵のほうのエピソードは実はしっかりした文献や根拠がはっきりしない「孫引き」の類の風説の流布では?」と勘ぐってしまう気持ちが起こった。が、やっぱり番組内ではテロップで「ビーフストロガノフの発祥については諸説あります。」と但し書きが付されていた(笑)。
それはともかく、歯が悪くなって噛み砕けなくなったことで考案された料理という発祥説とは異なり、番組で紹介された説は若干できすぎかもだがなんかほっこりする気持ちにさせてくれるところが良い。肉を切ってあげた説も発祥の有力な説の一つとしていいと思ったし、併せて紹介するに値する十分なエピソードのように思った。


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柳田国男(口語訳 佐藤誠輔)『口語訳 遠野物語』(河出書房新社)、読了。

柳田国男の文語体の分も並行して読み進めたかったが全てのエピソードを並行させることはできなかった(笑)。
「古事記」や「日本書紀」の神々が公的に固定化された世界とするなら、その世界と並行して存在していたかのようなアミニズムの日本の姿、ずばりフォークロアの典型そのものが『遠野物語』なのだなと思った。未だに日本の神話については知らない事ばかりでなんだが。
『遠野物語』の存在及び語り継ぎの意義としていろいろなことを考えたが、石井正己氏のこの解説を

 さらに言えば、『遠野物語』には、文化人類学者のクロード・レヴィ=ストロースが「野生の思考」と呼んだような、自然とつながった原初的な知が息づいています。いまもそうした思考や記憶は抑圧されているだけで、私たちの心の一番深い底に存在しているはずです。『遠野物語』は遠野だけでなく、東北地方、日本、さらには人類に通じる普遍的な問題と提示しているのではないかと、私は考えています。現代社会を生きる私たちのなかに眠っている、人類史的な古層の記憶を、『遠野物語』を介在させることによって、呼び起こすことができるのではないでしょうか。
石井正己『NHK「100分de名著」ブックス 柳田国男 遠野物語』(NHK出版)、p122


引用させてもらうのが一番だと思う。
個人的には物語の後世への影響力に注目するものがあった。とくに何度もリメイクされている妖怪もののアニメやTVゲームの元ネタとしての『遠野物語』の存在感は途方も無い。
また天保の改革を皮肉った歌川国芳の妖怪図のことも思い出したりもした。現代でさえ、ひどい政策や仕打ちに対して庶民の言葉にならぬ思いを形にしたり、時に負の感情や人間至上主義から一歩距離を置く事を考えたりするうえで、聞くと耳の痛くなるような物語を知っているのと知らないのでは大きな違いが現れる気がする。実際のところ、罵詈雑言や衝動的な一言より物語を引いて表現するのは難しいが、理解しあえるまでの道のりとしては遠回りなようで案外近道だったりするように思う。


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