デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



こんにちは。オペラ座の灰燼です。

これから少し自分を工事するので、更新頻度が落ち、更新する曜日も変則的になることをお知らせいたします。

もちろん弊ブログはつづけますので、よろしくです

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作家ロマン・ロランに『ジャン=クリストフ』という長編小説がある。「ロマン・ロラン全集」で4冊分になるくらい長い作品だが、難しい手法を用いたりしていないので、すらすら読める。とはいえ、今ようやく第四部(大体三分の一)を読み終えたばかりなのだが…。
この作品の主人公ジャン=クリストフ・クラフトは作曲家で指揮者という設定になっている。芸術家の生涯にありがちな栄光と挫折の繰り返しかと思いきや、一人の人間として孤高に生きる姿が描かれていることに、驚きを禁じえない。第四部の終わりまでの青春時代の危うさは、一般の人と何一つ変らないのでは、とさえ思う。
クリストフはドイツからフランスに行くことを余儀なくされる。その手前の言葉にぐっときた。

真実! 真実! 眼を大きく見ひらいて、すべての気孔によって生命の息を吸いこみ、ものごとをあるがままに見て、自己の不運を直視し――そして笑うことだ!
  みすず書房「ロマン・ロラン全集」第2巻p232

灰の雨が彼の上に降り積もっているかのようであった。早くも人生の夕暮が来ているかのようだった。しかもクリストフはやっとこれから生き始めようとしているところではないか。いまからあきらめるつもりなどもたない! 眠りこむ時刻はまだ来ていない。生きなければならない……
  みすず書房「ロマン・ロラン全集」第2巻p234

この言葉の前には、クリストフの若さゆえの「反抗」から、自らを窮地に追い込んでいく、目を覆いたくなるようなことが延々と続いていたのだ。依然、若さゆえの不器用さを露呈しつつも、上のような心境へと変化する様子に共感する。
小説には悲惨な事件やエピソードが数多く登場するものだ。『ジャン=クリストフ』もその例に漏れないが、だが悲惨さの中に希望も顔をのぞかせるところがいい。この作品は力強い。

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登山を趣味としているわけじゃないが、ただこの季節は時間がある限り歩いておいた方がいいような気がしている。
運動のため、朝からまた大文字山に登ってきた。今日は銀閣寺から火床、三角点(頂上)、そこから南禅寺へと下った。途中、獣道へ入ってしまい、南禅寺の手前で新島襄の墓がある墓地の裏手に出てしまったときは、ちょっとあせった。
新島襄を偲ぶ人々が、墓の前で讃美歌と旧約聖書の朗読を行っていたので、そそくさとその場を後にしたのだが、人もほとんど訪れない静かでかつ紅葉(もみじ)が豊かに繁った墓地での集まりは、とても荘厳に感じた。でも集まった人々の中には、墓の裏手から現れた私を凝視している人もいた。何も悪気は無いのだが、少しお互いバツの悪い思いをしたかも(笑)。
南禅寺までは、戦前の大文字山を知るおじいさんと同行した。戦中は油を取るため山の木々が倒され、南禅寺を少し上がったところからならば、どこからでも京都の町が一望できたらしいが、時が経ち今では木が生い茂って、一望できないほどにまでなってしまったという。とてもいい話を聞きながらの下山だった。
南禅寺は観光客でいっぱいだった。水路閣の紅葉は赤く黄色くとても美しかった。京都に住んでいながら今更ながら感動するのだった。
あとは琵琶湖疏水記念館に寄ってから哲学の道を平行して歩み、銀閣寺から自転車で図書館へ。4時間以上、山道や階段を歩いた。どこに行っても混雑していたが、京都にはじめて来る人から道を訊ねられたのがきっかけで、ちょっとした会話をするのも本当にたのしい季節だなぁと思う。

  ***

昨日、書きたかったことを少し。
もし、お友達が京都に来ることになり、それがたまたま月の21日もしくは25日だったなら、東寺の弘法市(21日)北野天満宮の縁日(25日)の露天に連れて行ってあげるのも、いいかも。たこ焼きやお好み焼きもいいけど、これらの市(いち)ではあらゆる着物や骨董品、激安ブランド品がずらりと並ぶから、きっとたのしめると思う。値切るのが得意な人はもっとたのしいかも
ただ、難点は市が曜日関係なしに、とにかく21日と25日に開かれること。これは仕方ないんだけども

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一昨日、再び大文字山に登ってきた。今回は火床(送り火を焚いているとこ)までで三角点には行っていない。
ここしばらく、自転車ではあるが体を動かしていることもあり、前回登ったときよりは楽に登れた。
京の町を見下ろすには南禅寺の三門もいいが、大文字山の火床もいい。何せ無料だし、運動にもなる。
火床のところで空を見ていると、何やら摩訶不思議な、でも以前見たような現象が見れた。その現象を何というか思い出せずにいた。
カメラを持って登り火床で休んでいたおじさんに「あの現象をご存知ですか?」と訊ねたが、おじさんも分からないとのことだった。それから、おじさんはその不思議な空を何枚もカメラに収めていた。
おじさんはブログをお持ちだった。名刺をもらって下山した。そのおじさんのブログはこちら
http://blog.goo.ne.jp/corpus2247/

  ***

ところで上の不思議な現象だが、「幻日(げんじつ)」というらしい。幻日のメカニズムについてはググッていただきたいが、実は私は1月にこの現象をカメラに収めていたことがあったのだ。画面の右下の虹っぽくなっているのがそれだ。



まさに「非現実」…おあとがよろしいようで

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ペルガモン博物館

急ぎ足で見て回ったペルガモン博物館だったが、1時間程度で早くもお別れと相成った…。でも、正直疲れていたし、ぜひともベルリン大聖堂を間近に見ておきたかったこともあったので、名残惜しくその場を去った。


ドイツ版「お・ま・え・は~♪」

さて、ドイツ版「お・ま・え・は~♪」というタイトルのこの写真、何を意味しているのか分かるかたはおられるだろうか? 答えは博物館の傍でノコギリを歪曲させて、曲を奏でるおっちゃんの姿なのだ! そう、つまり日本の横山ホットブラザーズの十八番である「お・ま・え・は・あ・ほ・か♪」と同じような芸を、見事に奏でる現地のおっちゃん。ウワワァ~ン、ポワワァ~ンと何を奏でているのかよく分からなかったが、もしノコギリの芸が日本からドイツに伝わっていたならば、恐るべき横山ホットブラザーズ!と感心してしまうのであった。


ベルリン大聖堂

ノコギリ芸のおっちゃんのいた場所からしばらく歩いて、ベルリン大聖堂とその前の広場までやってきた。土曜日というのもあったからだろうが、多くの人が広場でくつろいでいた。時間さえあったら芝生の上で一眠りしたかったし、大聖堂の中にも入ってみたかった。


正面から

大聖堂は近くで見ると、さらに迫力があるのだった。大聖堂だけでなく、見ているだけで飽きないような建物、そして人々のあたりまえの日常の表情…もっとゆっくりしていきたかった。


平和だなぁ。。。

列車の時間が迫っていたので、なるべく土曜日の夕刻の平和な光景を目に焼き付けて、その場を後にした。


Hackescher Markt駅

Hackescher Markt駅から、ベルリンOST駅に向かい、OST駅でドレスデン行きの列車を待ったのだが、なんと15分遅れ。15分たったら30分遅れ、30分たったら1時間遅れ…といった具合に到着列車を知らせる表示板はどんどん書き換わっていった。
列車がいつ来るか分からないので、あまり遠くへ散歩に行けずOST駅構内をぶらぶらし、失礼と知りながらも同じ列車を待っていた疲れ気味のドイツ人親子の写真を撮らせてもらったりした。
構内を歩けばテレホンカードを売りつけられそうになるし、日が沈み徐々に冷えてきたので、イライラしてきた。わざと間違って他の列車に乗ってやろうとまで、思ったくらいだった。
結局、2時間遅れで列車が到着した。2時間!これだけあれば、まだペルガモン博物館でゆっくりしていられたのに! 誰に当たるわけにもいかないけど、無性に八つ当たりしたくなるのだった。
そのせいで列車内では食堂車のビールをあおった。ユースホステルの門限に間に合うかどうか不安が襲った。
同じ車両に中年の日本人女性が二人、乗っていた。ドレスデンに到着したのは夜10時。到着したのはよかったが、車両のドアが開かず、難儀した。ドアのせいで困っていた大きい荷物を抱えたドイツ人のおじさんを手伝ったりし、その後は女性二人と軽く話した。私が初めての一人旅だというと、そうは見えないとおっしゃったので、妙にうれしかった。ユースホステルに着いたのは11時近くだった。門限は気にする必要は無かった。
それにしても、列車が遅れたことから感情が高ぶったことで、こんな細かいことまで、逐一覚えているとは、おもしろいものだ(笑)。

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今、使用しているブラウザで、おもしろいニュースばかりが飛び込んでくるRSSを設定している。(RSSの意味についてはこちらhttp://e-words.jp/w/RSS.html
気分転換に「Excite世界びっくりニュース」のRSSを見ていたら、笑いのつぼを刺激するようなものが飛び込んできた。
http://www.excite.co.jp/News/odd/00081132406950.html
一読したら、笑いとともに「これ、どないやねん?」と思ってしまった。弔辞を述べるとき、どんな文句が飛び出すか考えただけでもおかしいが、そこは日本とオランダではまるっきり事情が違うのだろう。日本ではスズメは大量発生して社会問題になったことがあったくらいで、そんなスズメをみたらオランダ人は腰を抜かすかもしれない。
とにかく「常識」というものは、地域や国々で変るということなのだろうが、でも笑える(笑)。

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今日は思いっきり朝寝坊した。
最近の生活、そしてこれからのことで気持ちを整理するため知恩院に向かった。
実は、ここ数日、知恩院の御影堂でなるべく心を落ち着かせようと、じっと正座していることが多いのだ。
図書館では勉強する気になれず、小説ばかり読んでいた。館内は暖かかったので、うつらうつらしながらの読書だった。でも、以下の『ハムレット』についての箇所だけは印象に残った。

誰がその勝利者をうらやましいなどと思うか? 人が、狂暴な不条理な
人生のあらゆる情念にのどもとを締められたのちに、誰が勝利者であり
がたかったりするだろう? あの戯曲は人生にたいする恐るべき一つの
論告だ。しかし、この論告のなかにひじょうな生の力が沸騰しているので、
そのために悲哀が歓喜に変り、そして苦がみが心を酔わせるのだ……
 ロマン・ロラン『ジャン・クリストフ』第四部「反抗」(片山敏彦訳)

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京都駅でやっているフランス近代絵画展に行ってきた。
率直なところを書くと、入場料の割にはどうか?といったような展示内容だった。
印象に残ったのはコローとピサロの作品ぐらいだったのだが、それよりも展示会場が劣悪な環境だったかも。つまり鑑賞者にやさしくない展示だった。
普通、どんな展覧会でも100点以上の展示品があったら、来場者が腰掛ける椅子が用意されているものだ。だが、絵画展では駅ビルのテナントのような狭い部屋の宿命か、ゆっくり気軽に一息つけるスペースがなく、なんとなく落ち着かなかった。
それから暖房が強すぎたことも、いかんことでは?と思う。今日は外は風があって寒かったから、一見ありがたいようだが、寒い屋外から入館して急激に体が暖められると、頭がぼーっとなって睡魔が襲ってきて、作品鑑賞どころではなくなった。あげく睡魔をどうにかしたくとも椅子が無いと、行き場を失ったような気持ちになる。集中力が切れた状態で鑑賞しても、ほとんど絵の印象が残らない。正直、暖房の温度を下げて、ささやかでも休めるスペースをつくり、展示品を50点にし、入場料を下げたほうが、もっとより良い絵画展になるのではないか?
尤も、睡魔が襲った私の体調のことも考慮に入れるべきだろうが、ちょっとこの絵画展には疑問ばかりが残った。

  ***

絵画展より、駅ビル室町小路広場でやっていた「秋の高校バンドフェスティバル2005」のほうが楽しかった。吹き抜けの風のせいで寒かったが、階段に座った聴衆はみな楽しんでいたし、演奏者の高校生たちもすごく楽しそうに一生懸命に曲を奏でていた。ブラスバンドってただ演奏するのでなく、ビジュアル的にも魅せようとするし、聴衆に手拍子を求める元気いっぱいのパフォーマンスに、こちらも感動した。

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アルテ・ナショナルガレリーを後にして、とりあえず有名どころのペルガモン博物館に足を運ぼうと思った。


「アルテ」の前には、先ほどピアノを弾いていたおばさんはもういなく、アコーディオンを奏でる青年がいた。私ははたと足を止めた。彼が奏でていたのはヴィヴァルディの《四季》から「冬」の第二楽章だったのだ! 私の好きな曲がアコーディオン単体で、哀感とやさしさをかもし出しながら奏でられていた。この一曲だけだったが、私はじっと聴きいっていた。
おじいさんに言われてか、小さい女の子が恥ずかしそうにコインをケースに入れて、すぐさまおじいさんに擦り寄った。
音楽といい、この光景といい、なんと癒されることだろうと思った。

「アルテ」もペルガモンも博物館島にあるので、そんなに離れていないのですぐに行けた。ペルガモンはターゲスカルテ(一日券)の締めくくりとしては、ちょっとつらいかも、なにせデカイのだ。
ドレスデンへの帰りの列車の時間もあり、急ぎ足での鑑賞だった。だがあとで「結果的に」別に急がなくてもよかったと思うと、少しやるせない。



ペルガモン博物館入口のファラオの像では、像に上がろうとしていた観光客に警備員が注意を与えていた。
以下の写真は、博物館に入ったはいいが、撮り急ぎました!という感じが出ているものだ。でも、そういったことも一つの思い出だ。


ゼウスの神殿!?





バビロンのイシュタル門





同じくバビロンのイシュタル門





↑にあたっては、何の遺跡か失念してしまっている。いつの日か、またじっくり見られる日がくることを祈るばかり…。

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昨日に引き続き、「月」の話題。

昨日の月もきれいだったが、今日のはもっときれいだったかも。ブッシュが去ってから、更にきれいになったのか?(笑)
今日は満月の周りを動いている雲の具合が薄く、かと思えば重厚な雲も通過したので、雲の後ろから月光がもれて、普段見られない独特の美しい夜空を見れた。

では、月といえば、また絵画の話題を。
私は、クロード=ジョセフ・ヴェルネ(Claude-Joseph Vernet)というフランスの画家の描いた月夜の光景の絵も好きだ。


クロード=ジョセフ・ヴェルネ「月夜の港」(1771)

ヴェルネは、マリー・アントワネットが生きていた時代の画家だそうだ。詳しくはこちら
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/collection/item/O_105_956_J.html
ヴェルネのことはおろか作品の題名を「月夜の港」と訳したことについても自信は持てないが、この作品はきっと画家の念入りな現場でのスケッチというよりは、想像力でもって描かれた気がする。実際のところはいつもと変わらない夜の港の光景なのかもしれないが、この絵からは旅行者がたまたま立ち寄った港で、いい旅の思い出を得、それを後日再創造して「理想化」したような雰囲気が漂っているように思う。
でも、理想化されたようなこと、今日の月みたいにものを実際に見るというのは、そう滅多にあるものじゃない。絵だろうが写真だろうが日記だろうが、絵を引っ張り出してきてまで、記憶に残そうと思えるものを見上げたのだ。今日の満月は忘れたくない。

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