デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



マルケルスの立像(ルーヴル美術館)

アウグストゥスの甥にあたる人物がマルケルスである。アウグストゥスが自身の後継者と目していたのがマルケルスだが、彼は早世した。この立像は彼の死後、彼の死を悼みまた名誉を与える目的でもつくれらた。

外国の美術館に入ると美術作品を鑑賞することよりも、その美術館で自分の恣意的な「おもしろい写真」を撮りたい欲求の方が強くなる時がある。
アウグストゥスは76年生きたが、紀元前生まれの人間としてはそれこそ驚異的な長寿である。その分、彼は家族や戦友たちの死をたくさん目にした。
柱の陰に佇む年配の方もガイドブックに目を通した後、そのあたりのことに少し思いを馳せられたかもしれない。

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週でいえばもう先々週のことになるが、今年も消し炭拾いに行って来た。


大文字山でのご来光
















今年は五山送り火の翌日が土曜日ということもあってか、例年以上に早朝からの登山者が多かったように思う。
四月から始めた運動のおかげか、さっさと登ることができ、汗で体中ズブぬれになってしまったが気持ちいい朝であった。
だが気になることもあった。見た目で普段から運動してなさそうな人が登る途中に道の横で休んでいた。その人は、私が下山してきた時に動けなくなっていて、近くにいた人が救急車を呼んでいるのが目に入ったのだ。
帰宅途中、救急車とすれ違った。翌日の新聞には山で訃報があったようなことは載ってなかったので、その人は大丈夫だったのだろうが、やっぱり急な運動はこわいものなんだと思った。

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いつものデジカメでなく、携帯のカメラで撮らざるを得なかった日の画像だが、性能の劣る携帯のカメラでさえ一枚目のように大阪まで見えるのが写る澄んだ空気の日であったことは分かっていただけることと思う。
最高気温は40℃近くになるが、秋の気配は感じられる日であった。

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富士山に跳ね返されてから一週間ぐらい後に、再びいつものように運動がてら大文字山に登ろうとした。山で出会った方々で富士についてアドバイスをくれた方々にお礼と報告を兼ねて登ったのだが、登り口で靴を履き替えていると、外国人の若い人が通りがかって
「ダイモンジ?」
と私に声をかけてきた。私は

You can't miss it.(すぐわかります)

と方向を指さしたつもりだったが、can'tがcanと彼には聞こえたようだった。ちょっと変な顔をされたが、まぁ間違いないと思ってくれたのか、彼は先に上がって行った。
靴を履き替えた後、私は途中で彼を追い抜き登山道を先に上がっていこうとすると、今度は彼が「あなたの行く道で合ってるの?」といったようなことを訊いてきたので

I swear.(断言します)

と言ってしまったが、ひょっとすると can が彼の中でひっかかっているのかもしれぬとその時に気づいた。
私が先に登り彼が後からついて来る形で登った。ここでは二つの表現を英語で書いているが、実際のところ「かろうじて」思い出したに過ぎないし、火床についたらどのように声をかけようかと少ない語彙を頭の中でひねりまわしていた。
あれよあれよという間に火床に着いた。後から登ってきた彼に私は風景を示し

You got it.(そのとおり)

と言ってしまった(笑)。なぜに?と未だに思うのだが、私の中では「This is it!(これだ!)」のつもりだったのだ。やはり英語での根本的な何か、情感としての理解があやふやだったせいに他ならない。まぁ、でもきっと彼もこの風景をすばらしいと思ったことだろうから、彼が言葉にする前に「そのとおり」と言い放って間違いはないと、自分をなぐさめる。
しばらく休憩し、互いに写真を撮りあって「ダイモンジには(頂上までの)続きがあるの?」と訊ねられたので、「15分、私についてきて」と返事し、再び二人で頂上を目指した。
頂上では少し彼も疲れたようだった。ベンチに寝転がり呼吸を整えていたが、私は時間的に先に下りねばならなかった。起き上がった彼に「大文字山 466m」のプレートを教え、

Have a nice trip.

と言い握手して先に行くという身振りで意思を示した。彼もそのあたりは分かってくれたようだった。(あとで調べてみると「I'm off」とか「I'm leaving」とか便利な言葉があるようだ。いつか使えるかもしれない(笑))



再び火床まで下りてきた。富士山についてのアドバイスをくれた方々も登ってきていて、お礼と報告をし、談笑した後、下山した。
すると登山道が終わったあたりで、彼がいつの間にか私に追いついた。思わず「あれ? 追いつかれたがな(笑)」と日本語で言ってしまった。
英語は苦手だが銀閣寺の傍まで片言ながら話しながら下りた。彼は大阪を三日・京都を二日、奈良を一日と関西を回る予定で大阪は楽しかった、奈良は明日に行く、日本語は全く話せないが日本語はすばらしいと、僕はアルゼンチン出身だ、と教えてくれた。
アルゼンチンと言えばスペイン語じゃんか、オーラ・ブエノス・ディーアス、アディオス、ぐらいなら知ってるぞと言わんばかりに、日本語のあいさつとスペイン語のあいさつについて教えあいが始まった。ブエナ・スエルテ(幸運を!)なんて聞いたのは私にとっては久しぶりだったし、彼には発音がおかしかったかもしれないが日本人からスペイン語のあいさつを聞くとは思いもしなかったようで、とても喜んでいた。
銀閣寺の横で別れ際、両手を合わせておじぎのポーズをとりながら彼は英語で何か私に伝えたいようだったが、私に聞き取る力がなくちょっと残念そうな表情を見せた。ひょっとすると「感謝、って日本語でなんというのか?」と訊いていたのかもしれないが、私は「君の宗教は何?」と訊いている様に思い、とんちんかんな答えを伝えたように思う。
「アディオス、サヨナラ」
とにこやかに彼は言い、先に歩いていった。私は止めていた自転車に乗って漕ぎ出し、彼の姿が近づいてきたときに「ひょっとして、"ありがとう"のことか?」と思った。そうする間に歩いている彼を追い越しざま、私は言った。

「グラッツィエ! アディオス!」

なんということだ! グラッツィエはイタリア語で「ありがとう!」である。スペイン語は「グラシアス!」だ。最後の最後で台無し(笑)。
とはいえ、イタリア語もスペイン語もラテン語を語源にする言葉なので意味は通じるだろうから、まぁいいやと思うようにした。彼は後ろからもう一度「サヨナラ!」と手を振ってくれた。
今なら小学校の英語教育で習う言葉でも、この日の登山の二時間の間、自分の中から捻り出すのは大変だった。しかし心からの情感で発そうとしたり、発した言葉なら印象に残る。なんとかの一つ覚えのようになるだろうが、もしまたこういった機会があったら自分の中で学習・修正した言葉を情感を忘れずに発したい。

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五山の送り火の前日と前々日に夕暮れ時登ったときの画像。印象に残るものだったので、つづきをアップ。

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五山の送り火は8月16日だが、その前日の15日には護摩木が受け付けられている。火床のところまで登ったところでも受け付けていた。
夕方から登ってみると、印象的な雲と夕陽が見れた。

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下鴨神社で開催されている古本まつりに少しだけ立ち寄れた。じっくり品定めをしたいところだったが、本棚から本棚へさっさと飛び移るように本のタイトルだけチェックするに留まった。カキ氷やうどんを売るコーナーの掛け声に、外国人観光客がびっくりしていた。
古本まつりは金曜日まで催されているようだ。

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標高2000m


標高2500mを通過し、登り始めて4時間経った頃だった。いくら呼吸を整えようとしても過呼吸気味になり、それがなかなかおさまらなくなった。そして嗚咽が始まった。
出発前に高山病のことを調べて行ったが、まさかその典型?と考えざるを得なかった。しばらくじっとして酸素缶から酸素を吸ったがそれでも気休めにすらならない。
後から登ってきた人が、「バファリン飲みますか?」と親切に言ってくれた。お言葉に甘えて一錠いただいた。しかし体調はよくならない。
今となっては当たり前のことに思えるが「高山病はその症状が現われた地点では決してよくはならない」のだ。今一度山頂を見上げたが、遠いようで近いのでなく、近いようで遠い印象の方が増してゆくのだった。
バファリンをくれた方にお礼を言って、残念ですが下りますと伝えた。
それからは一歩一歩ゆっくりと、登ってきた道を立ち止まる回数を増やして下りていった。これから登ろうとする登山者たちとすれ違い、お気をつけて!と声をかけた。
下山には3時間ほどかけた。登山道と下山道が交差するあたりで、だいぶ体が楽になった。なぜだが「標高があがると気温が下がり空気が薄くなったのは、私だけ」といった負け惜しみめいたようなことも思ったのを覚えている。
大砂走りの道も、走らずゆっくり下った。気温がだんだん上がっていくのが体感できた。こんなことならまだ行けるかも、とか正直思ったが、死の一歩手前でなく50歩手前くらいにはなったのかもしれぬと考えると、やっぱり恐ろしかった。
下山しているのは私だけだったが、周りは暗闇の静寂以外の何ものでもなかった。ただ自分の息遣いと足音が聞こえるだけだった。惨めな気持ちになって、ちょっと腰を下ろしたとき、ふと見上げると空一面に空気の澄んだ空ならではの星空が広がっていた。この標高で靄のない状態で見る星々はただただ美しかった。
まぁ、来てよかったんじゃないの?いろんな意味で、と思った。富士の裾野の向こうに見える町の光が近づいてきた。

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次の靄(もや)は半端なく視界を妨げるものだった


30m先が見えない…



「きついですね」と声をかけあった



靄が晴れてきた


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雲の流れがまさにダイナミック(動的)という言葉にぴったりだった。ゆっくり登っているつもりだったが、次第に汗が出てきてこまめに休憩を取るようになっていった。

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