デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



チャッカパディポーン通り

ウィスカサット通りとチャッカパディポーン通りをゆくバスに乗車。下車したい停留所を紙に書いて料金回収係りの婦人に渡しておいたが、うっかりされていたのか若干乗り過ごす形になった。とはいえ100数メートル歩いて戻る程度で済んだのでマイ・ペン・ライ(笑)。
交差点の角に交通監視所があったので道を訊ねに入ったらそこにいた男性が快く教えてくれて助かった。


ワット・スラケートの学校があった。丁度小学生たちが
整列していた。引率の先生が寺院の入口を教えてくれた。



ワット・スラケートの入口へ















午前の早い時間帯ゆえか閑散としていた


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てるみくらぶの弁済申請殺到 旅行業協会に1万8千件

私は旅行先での失態やトラブルの経験は少なからずあるが、外国に行ってしまったあとや出発前にハシゴを外された形になってしまうという経験はない。旅って最悪の事態を想定しているようなことは案外現地で起こらないが、現地で起きそうにないようなことが実際に起こってしまうものである、、、しかしこのニュースのようなこととなると所持金いかんによってはそれこそ外国での日本の政府機関に相談しに行くぐらいしか滞在や帰国の目処が立たない場合もあるのではないかと思う。

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タイ僧侶の半数メタボ 経済成長、供物に変化(西日本新聞朝刊)

タイで出会った成人のお坊さん、確かに恰幅のいい人多かったなぁと(笑)。出されたものは全て食べる以上仕方の無いことかもしれないが、タイの食事の事情も変化しているようだ。

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宿のマスコット猫が凛々しく迎えてくれた(笑)



まだ誰も降りてこなかった



朝食は軽いチャーハン



それと甘くて美味しいミカン


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ここがどこだったか分からない…

カオサン通りから宿に帰ろうとしたときに乗ったバスが予想以上に速く、降りるべきバス停を乗り過ごしてしまったことに気づかなかった。
一直線に北に走ったので、そのまま南行きのバスに乗れば最悪でも繁華街のほうに戻れるので、16番のバスに乗って降車したいピッサヌローク通りに向かっていたら、バス路線図では曲がったりする必要も無いのにやたら交差点を曲がって走るので失いたくない方向感覚を失ってしまった。運転席では大音量のタイのロックが流されていて、運転手と料金回収係りの仲間が楽しそうに雑談しながらバスを走らせていた。
大丈夫かな、と思って心配し始めたころに「ピッサヌローク」と運転手が言うので、バスを降りた。今ならば、ネット上の地図等でロイヤル・ドゥシット・ゴルフ・クラブの傍のバス停で降りたことが分かるのだが、当時は夜だったしどこにいるのかも分からなかった。とはいえ、少なくともガイドブックに載っている「ピッサヌローク通り」には立てたから、何時間かけても通りを北西に真っ直ぐ歩いてさえ行けば宿には帰れると思って歩きだし、しばらく歩いていくと大勢の機動隊が歩道にたむろしていたので話しかけて、行きたい北西方向を確認してもらった。
ところがPrem Prachakon運河に差し掛かったら別の大人数の機動隊が橋を封鎖していてピッサヌローク通りを北西に歩けなくしてしまっていた。どうしても橋を渡りたいので機動隊員に話しかけて「~に行きたいのです」とタイ語で訴えかけても、話を理解してくれず、仕方無しに「通りたいんだ」と英語で訴えても意味が通じなかった。その間、どうなることか?と思ってはいたものの周りにいた機動隊員たちはなにやら漫才を見ているようでニコやかに笑っていたので、怖くは無かったのが救いだった。
埒が明かないと機動隊員が近くにいたトゥクトゥクの運転手に声をかけて、この旅行者を宿まで送っていけ、みたいなことを言い出した。こればかりは仕方ないのでタクシーを利用せねばならないな、と思い、地図を見せて「国立図書館」に行きたいと言ったら、その運転手、ナショナル・ライブラリーという単語が理解できなかったのか、そもそも図書館のことを知らなかったのか、とにかくそんな場所は知らないという。
そんな状態でタクシーに乗ったらどうなるか分からないので、乗らない旨を伝えたら、運転手が「トゥ・ユア・ステイング・ホテル。キャン・ユー、トゥ・フォーン(phone)・トゥ・ユア・ホテル。」と言い出した。どうやら宿に電話して宿から迎えに来てもらえ」と言いたいらしい。しかしユースホステルにそんなお願いをしようとも、そもそも「ここはどこなんだ!?どうやって居場所を伝えるんだよ(笑)」と日本語でツッコンでしまった。機動隊員たちはいつまでやってんだ?という感じではあったがタイ式のほほえみ顔で我々を見守っていた。
機動隊員とトゥクトゥクの運転手と周囲からすればどう見ても意味不明な漫才をしている間に気分が落ち着いてきて、それじゃ封鎖されているピッサヌローク通りと並行に走っている通りに歩いていけばどうにかなることに頭をめぐらせた。運転手には自分で歩いて帰るよ、と言い残し、再び16番のバスを降りた停留所に戻った。最初に北西方向を教えてくれた機動隊員たちが「またこの人戻ってきたよ(笑)」という風に私をみた。私はにこやかに彼らの前を通らせてもらい、ピッサヌローク通りを右折してクルン・カセーム運河およびクルンカセーム通りに向かった。
クルンカセーム通りに差し掛かると遠目に昨日の昼間何度か目にした53番バスが停まっているのが見えた。しめた!これで確実に宿近くのサームセン通りまで行けると思い、乗車した。始発駅で発車時間の調整のために停まっていたらしいが、運転手と料金回収係りが延々とお喋りに興じていてバス賃を集めることなく発車した。降りたいサームセン通りに行きますか?と訊ねたら行くとのことだった。停留所が近づいてくると、ここだよ、と教えてくれた。ありがたかった。あとは宿に歩いて帰った。
カオサン通りから宿まで本来なら15分くらいで済むところ、迷子になったせいで1時間半ぐらい経過していた。しかし、じっさいに迷子になってみると途方も無く長い時間を歩き、延々と意味不明な漫才をかましていたような気持ちであった。早朝に出発を見送ってくれた宿の受付の担当の娘がにこやかに、ここでは何も起こってません平常通りですよ、といわんばかりに迎えてくれた。宿のパソコンでこの「冒険」について簡単なメールを書こうとすると日本語入力には未対応だったので、すまなそうな表情をつくった担当の娘だったが、マイ・ペン・ライ(気にしない)と返事して、簡単な英語でエキサイティングな体験をしたことを興奮を抑えつつメールにして送った。

土地勘の無い外国でそれも夜に迷子になるというのは、やっぱりおっかないことだし避けたいところだ。もちろん、乗り過ごしたのは自分のドジ以外のなにものでもない。しかし、本来ならリカバリーをたやすく効かせることのできる程度のミスだった。それが予想外に遠回りになってしまったのは、バンコク市内でタックシン元首相の帰国の件でデモ隊の活動が活発になっていたことで、夜は王族や政府機関の建物周囲を警備するために機動隊が通りをいくつか封鎖したことで、バスもルート変更せざるを得なかったことに原因がある(と、あとで分かった)。引き返すために乗ったバスが宿の近くを通らずに交差点で曲がってあさっての方向に走ったのはそのためだったのだ。
大変な思いをしたことは確かだが、でもどこかこれも「マイ・ペン・ライ」精神というか、当時の日記をみれば案外たのしい体験であったがごとく書いてある(笑)。


メールを送った後、シャワーを浴びてからコンビニに
行きビールを二缶買って飲んだらより美味く感じた(笑)


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歯科の世話になったり、自転車の部品を交換したりと、メンテナンスが続いた。

歯科へは半年に一度のメンテナンスに行ったのだが、歯石の除去だけでなく虫歯になりそうな個所も治してもらった。その際、噛み合わせの修正の処置までしてもらった。すると処置後のいつもの山登りや筋力トレーニングがずいぶんやりやすくなった。嘘だろ?前まである意味歯の噛み合わせの悪いままやってたことになるから随分不効率だったんじゃないか?と思えたほどである。

自転車はブレーキパッドとサドルを交換した。サドルを損傷したまましばらく乗っていたこともあり、新しいサドルでの乗りここちは随分よくなったように感じた。
サドルが損傷したままの状態でのサイクリングは、たとえていうなら歩く際、足裏の使い方がバランス悪い状態でウォーキングしていたようなものだった気がする。足許や腰まわりのバランスが悪いと巡り巡って体の別のところに違和感を生じさせたり、ひどくすれば自律神経失調症につながることもあるから、バランスを欠くような「クセ」には気をつけたいものだ。

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タイ式マッサージ店への呼び込みも多い



地元TV局のインタビューを受けている観光客も






タイの民謡をアレンジしたような曲を演奏していた


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ウッドベース、ギター二台、カホン、バイオリンのバンドが演奏していた。


めちゃめちゃ上手かった。






すごくいいリズムのいい曲もやって
いた。演奏後の拍手も大きかった。

私も趣味でギターを弾くのでどうしても右に写っている青年の演奏に見入った。彼らが演奏を終えたあと握手を請うたら快く応じてくれた。

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山田晃三著『北京彷徨1989-2015』(みずのわ出版)読了。

北京に住んでいた日本人の手で書かれた天安門事件以降の中国の内情を穿つ詳細なレポートを読んだのは初めてだったが、正直これほどまで濃密な内容なものはそうないのでは、というのが読了直後の感想だった。
現地で暮らすだけでなく、旅行もし、日本語教師もやり中国映画にも出演し、昆劇の修行にも精を出し舞台に立つ山田氏の言葉は苦労されただけあってきわめてリアルであった。
数日間の旅行では、現地で山田氏のような経験を得ることは不可能だろうが、ピーター・ヘスラー氏の著書同様、出発前に知っておいて損はない、むしろ有名観光地に立つときにえる印象について、旅行ガイド書からは伝わってこないものを事前に知っておきたい人にはぜひともお勧めしたい本である。

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タトゥーの看板がでかでかと。カオサン通りの名物のようだ。



通りでは高級スーツを安く仕立てますよ、といった勧誘にも
あった。その際に見せられた写真だけはすごくきれいだった。



南米のフォルクローレを路上で演奏していた



ガイドブックに載っているレストラン「トムヤムクン」へ



ビールを注文した



店の雰囲気はよかった



外国人旅行者の客が多かった



トムヤムクンと白飯を注文した。トムヤムクンの熱さと辛さに汗が
噴き出た。好きな人も多いのだろうが、正直私には合わなかった。


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