デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



山ではいろいろな国の人と出会うのだが、エクササイズを一緒していたCさん以外にも、山では台湾からの留学生や旅行者と出会うことが少なくない。
数ヶ月前には三脚を持ってきてまで夕景から夜景まで夢中になって撮っていた台湾の男性が、登山用ライトを持って来るのを忘れていてライトを持っていた私と一緒に下山したこともあったし(下山中の会話はとても楽しかった。和歌山の中国語読みを理解できたのは下山を終える直前だったことを思い出す(笑))、最近でも日本語ペラペラの台湾の留学生とも何度か顔を合わせている。
しかし、昨日の台湾からの男女二人には更に驚かされた。2ヶ月間日本を旅行し、あとの一ヶ月を東京にとってあるということだったが、二人とも留学生ではなくて日本を旅行するために日本語を勉強して日本にやってきたのだという!
話していた間、私もいろいろと中国語での返事を試みて、二人の日本語能力に中国語で「すばらしい!」とか初めての外国への個人旅行は台北であったこと、MRTの現代的なところや夜市の楽しさ、故宮博物館の充実ぶり、そして孔子廟へのお参りと淡水の夕景にはとても感動したことなどをおぼつかない中国語で伝えたのだが、やっぱり文法やきちんとした表現で伝えきることは出来なかった。なんというか「丸暗記した文をそのまま伝える」だけのもので、それ以外の詳しいこと(例えば「何日間台北にいたのですか?」「台湾には他にもこういった面白い場所がありますが行きましたか?」などの問い)については何ら答えることができないのが私の中国語の能力なのである。ずばり、出会う人、出会う人にいつも同じことばかり言って済ませているところがあるのだ。
しかし、昨日の二人は違った。たどたどしくも自分の言いたい事をなんとか日本語でそれも聞いている私の察しがつくどころか、きちんと通じる形で言ってのけるのである。日本に来る前にどれほど勉強したのかは訊ねなかったが、私は相当生きた日本語を身につけてから来ている(ひょっとすると台湾で祖父や祖母と同居していたとしても、かなりのものだ)のは間違いないと思った。外国旅行出発二ヶ月前に必要なことをメモ書きして、通じなかったらメモを現地で見せることばかり繰り返している私とは雲泥の差ではないかと、正直頭をガツンとやられた気がした。でも、私もこれまで使ったことの無かった単語を使ってきちんと通じたのはうれしかった。

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先日、市内で火事があった(ニュース映像はこちら)のだが、その様子は山の上からでもまざまざと分かった。
最初は、町のどこかでサイレンが鳴ってるなと思う程度だったが、上から見ていると大量の黒煙のせいで一瞬町の地形が変わったのかと思ったほどだったので、大きい火事だとわかった。
完全に消火するまで一時間半ほどかかったそうだが、上からでも30分は火の手があがりつづけていたので、正直ゾッとした。死傷者がいなかったのがなによりだ。

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カメラマンと激突したボルト、「ガトリンの復讐だ」 第15回世界陸上
【世界陸上】転倒ボルト カメラマンと笑顔で握手「足は問題ない」

世界ではいろいろな不満がくすぶっていて、様々な問題が起ってピリピリしているが、人同士が競い合う大会でこういったやりとりがあるとホッとする。強い者の姿の理想というか、一流の者の一流のジョークをいえる魅力的なウィットをもつ側面や、器の大きさも大事だなぁと考えさせられる。

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料理用の食材だと思っていた…

ワット・ラカンを出てから、チャオプラヤ川の東へ渡ろうと思い船着き場まで行こうとした。その途中、小魚や海老や亀などが透明のバケツや盥に生きている形で売られていたので、レストランで買われる活きのいい食材はこういったところで売られているんだなと、その時は思っていた。
しかし、その考えが間違っていることに気づいたのは帰国してからであった。タイを特集した番組を見ていたとき、映像に映った現地の人が「これ(生きた海老)は逃がすために買うんだ」と言っていて、リポーターが「なんのために?」ときわめて素朴にたずねる場面があった。現地の人は「仏教の教えで生きているものを自然に返す徳を積むと、自分の将来に御利益があるんですよ」と当たり前のように答えた。
ようするに命奪われる運命にある生き物に慈悲を掛け、生命そのものを尊重しようという教えであり、生き物を逃がして命を救うことを徳とする考え方なのだ。こういう徳を積む行為を放生(ほうじょう)という。


たくさんの徳を積むにはたくさんの生き物を買って放生する

ワット・ラカンは放生で徳を積む寺であることを知ったのは上記の通り帰国後であった。いまならば上の画像の左に写っている「値段表」の意味が少し理解できるような気がする。kgあたりいくら?などという表示がないのはそのためだったのだ。


船着場へ


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昨日、NHK BSで放送された「エッフェル塔コンサート」。録画した分で見たのだが、野外コンサートっていうのは難しいのにもかかわらず、よくぞあれほどの演奏を披露したものだと思った。演奏された曲はやっぱりフランスに縁のある作曲家の作品やシャンソンの割合が多かったが、プッチーニやヴェルディの作品も情感を込め演奏されていた。
個人的にもっともじわっときたのが「タイスの瞑想曲」だった。演奏が終わる前に称賛の拍手が起こってしまったようだったけど、私ももし現地で聴き入っていたら同じタイミングで拍手したと思う。クラシック音楽のコンサートでの拍手のタイミングを知るのもマナーであるし教養でもあるのだが、かしこまって聴く屋内のコンサートではなく、野外コンサートの飾らないある意味聴衆にとってフラットな場での純粋に聴き入って起った感動が素直に表れていた。いつの日か、大掛かりな野外でのクラシック音楽のコンサートも聴きに行きたいと思った。



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画面奥からこちらに向かって進軍して
きた家康軍が桃配山に陣を敷いた…。

個人的に興味を覚えるのは、三枚目の個所から望む中山道である。関ヶ原の戦いについてはさまざまなサイトに詳しく触れられているので私からは戦に至るできごとには触れない。
ただ個人的には、桃配山を見下ろせる南宮山に陣を敷いた毛利秀元の目の前を悠々と横切ってから家康軍が桃配山に陣を敷いたという史実には注目している。家康軍が関ヶ原に着く前から、家康は毛利軍の吉川広家や安国寺恵瓊に対しての調略をしかけて毛利軍を動けなくしたというのが史料から推察されるようだが、もし事前に毛利輝元から「家康が何を言って来ようが隙あらば家康軍を壊滅するよう厳命」されていたならば、桃配山に家康が陣を敷く前に家康は毛利軍に襲い掛かられひとたまりも無かったことだろう。また桃配山に陣を敷いても南宮山から襲われたらダメージは計り知れず、戦どころではなくなる。
この点についてはNHK BSで関ヶ原の戦いを毛利側から検証した番組でも言っていた。天下が目の前を歩いていたが、チャンスを生かしきれなった、ダイナミズムに乗るための決断を自ら躊躇し二の足を踏んだことで、毛利氏は幕末まで辛酸を嘗めさせられ続ける。しかし苦汁を飲みつづけたことで藩内の藩政を工夫する力が生じ、工夫された藩政の土壌から幕末から明治にかけて活躍する人物が輩出されるのである。


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本記事の画像はワット・ラカンで篤き信仰心でもって祈りを捧げる人々が写っているが、いま祈ったり拝んでいる人々の画像を目にすると、どうしても先日の事件を意識してしまう。
バンコクテロ:寺院を包む祈り 「エラワン廟」で追悼式 犠牲者の御冥福をお祈りいたします。

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徳川家康最初陣跡のある桃配山

今月初旬、ちょっとした私用で岐阜市に行ったのだが、そのおりに国道21号線を通ったので、古戦場見学専用の駐車場にさっと車を止めた。


道路の向こう側をズーム。道路を渡らないといけない



陣跡の入口


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外壁は修復中だった






本堂の釈尊像はやっぱり金ピカ(笑)



ワット・プラケオの「ラーマキエン」の壁画で
見たような感じの壁画が描かれていた。



中はワット・アルンの本堂より広かった


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私の使っている携帯電話の電池パックがとうとう限界を迎えてしまった。フル充電しても二日ともたない状態まで使い込んだから寿命といえるだろう。
それにしてもよくもったものだ。世間ではいろいろな携帯電話の機種が出て、今ではスマートフォンが当たり前だが、私の携帯電話はすでに日本から撤退したメーカーのロゴがついているやつで、紛失しても警察に届けられてすぐに落とし主が分かるほど特徴がはっきりしている。そんな化石の携帯電話だが、修理など一度もせず8年間使い続けることが出来た。
電池パックは限界だが、電池パックを交換すればまだまだいける。よって希少在庫を扱っている店をネット上で見つけて送料込みで1500円以内の中古の電池パックを購入した。これでまだあと3年はいけるだろう。本体も電池も限界が来たら次の機種を考えようと思う。

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