デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



劇的なことは起ってないだろうと思っていたが
やっぱり雰囲気が変わっていないことに安心した






うさぎと亀の置き物も健在だ


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寝釈迦仏の足の裏がなかなか見えてこない



画像ではピンときづらいが奥を見れば
寝釈迦仏がいかに大きいか分かるだろう



宇宙観が描かれた螺鈿(らでん)細工画

足の裏の細工画についてガイドブックを見てみたら、貝殻の虹色光沢の部分をはめ込んである螺鈿(らでん)細工画なのだという。どおりで見たことのあるような光沢だと思った。
描かれているのはバラモン教の108の宇宙観だという。こう聞くと、タイは仏教とヒンドゥー教が折衷したような雰囲気が感じ取れるように思う。

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まさか豊郷小学校旧校舎群へ再びやって来れるとは思わなかった。前回は5年前に訪れたがゆっくり見ることができなかった。今回は佐和山に登った後の疲れはさほどない状態で、少し時間的余裕があるなかでの訪問であった。


観光で訪れた団体もいた。



さっそく入口へ


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原節子さん 9月に死去していた 95歳「東京物語」「晩春」

正直、二ヶ月前まで御存命だったことに驚き、またこの訃報を残念に思った。原節子さん出演の映画で最も印象深いのは1951年の『白痴』で、映画のなかのヒロイン那須妙子は、ドストエフスキーの原作のナスターシャ・フィリポヴナと限りなく近いように感じたものである。原作の『白痴』を読んでその勢いのまま映画を借りてきて見た若かりし頃だったからなおさらだったのかもしれないが、(どれだけ存在するかは知らないが)『白痴』を映像化したもののなかでは、個人的に世界一のナスターシャだというのは今も変わらない。いつの日か再鑑賞したく思う。

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15分も掛からずに下山できた















帰り際、もう一度石田三成像にあいさつ















晴れていたが冷たい風が吹きつける日だった


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もう一度彦根城を望む



波が高い。船での観光はお勧めできない日だ。



ここから西を望んだ建物があたかも城下町を形成して
いたかのように見える。しかし案内所で貰える佐和山
城跡MAPによれば、城下町は本丸跡より東に下りた所、
近江鉄道の鳥居本駅の少し南に歩いた辺りとのことだ。


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佐和山の山頂は232.9メートル。かつての佐和山城本丸は今はない。遺構としても天守台や枡形(入口)もほとんど確認できないという。





天守台は約4.5メートルあり、その上に5重の天守が聳えていたとか。



佐和山城が落城したのは関ヶ原の合戦の二日後であった。15,000の兵
に包囲された石田三成の父正継・兄正澄らは攻撃によく耐えたものの
戦力の差はどうしようもなく自刃して果てた。関ヶ原の合戦の論功行賞
として、家康は井伊直政に佐和山城を与えるが、まもなく直政が死去。
家老の木俣守勝は家康に相談し、彦根山への移築を決定したという。



竹で補修されていた。ここで弁当の栗ご飯を摂った


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前回の翌日の様子。同じ場所ではあるのだが、逆光で紅葉を撮る練習をした。

















色鮮やかなものが写る画像の容量は
普段写す画像よりも倍近く重くなる


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動画の元URLはこちら

詳細はこの動画の記事で分かるので私からはふれないが、猫の子一匹通さぬはずのセキュリティーの穴うんぬんよりは、猫たちから「人の世のなんて、自らの首を絞める約束事で自らをがんじがらめにし殺し合いをしているおバカさんの集まりに過ぎない」と言われているような気になった。人間様のことなんてどこ吹く風、ものごとを達観視しているような猫をときどきうらやましく思う。

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文化功労者の秋山虔さん死去 源氏物語研究の第一人者

個人的に、瀬戸内訳を手がける前、秋山さんも関わっている新編日本古典文学全集の分で『源氏物語』を読もうとしたのであるが本がかさばることと、充実した注釈を読んでいるうちに途中から敷居が高く思えて読みやすさのほうに流れ瀬戸内訳に変えた経緯がある。
そんなこともあって、秋山さんの訃報にお悔やみを申し上げたくなったのだが、この訃報によって秋山さんの著書を調べ知ることができたというのも正直なところある。瀬戸内訳で読み終えれたら、秋山さんの『源氏物語』に関する著書を読みたいと思っている。

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