デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



羅漢殿



カラフルな服の婦人がお祈りしていた。お祈りする場所ではここが一番空いていたので、私も靴を脱いで入り婦人の見よう見真似でお祈りした。



釈尊の弟子で特に優秀だった16人の弟子のことを十六羅漢と呼ぶが、その16体の羅漢像を安置している。

極楽殿・大雄殿・観音殿・無説殿・毘盧殿・羅漢殿、いずれも外から合掌したり中に入ってお祈りしたりしたが、短い時間で済ませたはずがトータルすると結構時間が掛かった。

ここも円柱址があるので
かつては建物があったのだ

もみじがきれいだったが

カメラの違いで
こうも色が変わるとは。

舎利塔の方へ



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紫霞門にて


石橋の段の模様が少し判る

紫霞門の横の廻廊から廻廊の外に出て、一息ついた。無説殿の裏手の長く急な階段に向った。


無説殿の裏手

子ども達にまざる形で、私もこの階段を手すり使って上った。


観音殿


毘盧殿

仏国寺の創建の頃の751年に建てられたが、第一次朝鮮出兵の文禄の役で消失した。1660年に再建されたが、その後の仏教弾圧により廃れたものを1973年の復元大普請で再建という過酷な歴史をもつ。
本尊の毘盧遮那仏は金銅仏だったため焼失を免れた。本尊は国宝に指定されている。


無説殿


正直、この提灯の飾りは建物と
あまりマッチしてない気がした。

中は広かった

奥行きからして講堂である。仏教の本質を言葉で講義するなど本来無理という意味で無説殿と呼ぶ。



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多宝塔



多宝塔は基壇、塔身、相輪の三つの部分により構成され、法華経の教えを造形的に表現している。これも国宝だ。





多宝塔の獅子。かつて四方にあったが
今はこの一体しか残っていないという。

多宝塔の塔下部の四本の柱の柱頭と、奈良の平城宮跡の大極殿や朱雀門や大極門で復原されている柱と屋根の間の柱頭にあたる「組物」の形が、どこかしら似ているなぁと帰国後思った。(たとえば、こちらこちらこちら







更に人が多くなってきた


仏国寺の中心といえる大雄殿。
ご本尊は撮影禁止だが、なかには
堂々と撮っている人もいる(笑)。



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釈迦塔と多宝塔



位置的には紫霞門を上がったところの「極楽」を表現しているエリアか。やっぱり人が多い。


釈迦塔。これは国宝だ。

ちなみに1966年の解体補修時に宝物が70点余り出てきて、その宝物も一括して国宝に指定された。



6年ほど前は修復工事中だったそうだ。でもそのせいか、もしかすると洗浄されて白くなっている?(笑)





どことなく定林寺址の
五層石塔と似ているかも。


大雄殿

仏国寺の中心ともいえる大雄殿。釈迦塔と多宝塔と大雄殿は仏国寺のハイライトだろう。



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極楽殿は焼失したため現在あるのは復元されたものだが、本尊は金銅仏なので現存しているものだという。それにしても、仏さまの衣がツヤっツヤだ。

お坊さんのお経が
静かに響いていた







幸運の金の豚像

漢字でも福とか像とか刻んである。ここに来たらほとんど人が像を撫でて行く。


安養門の上から


振り返って見て気づいたが
卍のマークが描かれていた

大雄殿に向かう前に
ちょっと振り返った



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梵鐘閣(ぼんしょうかく)



ようは釣鐘なのだが、釣鐘も思いの他、重要文化財になっていることがある。日本でも、造られてから何百年も経った物は寺に秘蔵されたり博物館に保管されたりして撞くことはおろか鐘の音を二度と聞くことができなかったりする例があることを思い出した。


日本と若干異なり鐘の裾が地面に近い。


朱印帳受付所とは(笑)

ちょっと前までの私なら、たぶん朱印帳を日本で準備して御朱印をもらっていたろう(笑)。それにしても左に写る石垣というか土台の精巧さに目を見張る。





極楽殿


まずは極楽殿でお参りすることにした。



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紫霞門

この門、仏国寺を紹介している本やサイトに必ずといっていいほど登場する。
仏国寺は仏教の理想社会を建築で表現したものとされる。俗世から石橋(二段構えの石の階段)を渡って仏の国・極楽(境内)に入るようになっている。現在は文化財保護のために石橋を使って上がることはできない。
紫霞門(チャハムン)に架かる極楽への橋は、青雲橋(チョンウンギョ、下の方の段)・白雲橋(ペグンギョ、上の方の段)と呼ばれている。





安養門

安養門(アニャンムン)に架かる極楽への橋も二段構えで、蓮華橋(ヨナァギョ、下の方の段)・七宝橋(チルポキョ、上の方の段)と呼ばれている。




紅葉がきれいだった







遠足で訪れたのであろう
子どもたちが休憩していた。


別のカメラで写す


太陽が覗いてよかった

仏国寺の極楽への橋(石の階段)の詳細についてはこちらを読まれたほうが早いので、リンクを貼らせていただく。



何の花かは分からない
のだが、きれいだった。



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一柱門

門は柱と土台がくっきりしていた(笑)。曳家(ひきや)で持ってこられた?





般若蓮池








天王門

天王というくらいなので、四天王の像が観光客を見おろしていた。


邪鬼は踏みつけられていると
いうよりは足に挟まれて身動き
できなくなっている感じかも。


持国天
楽器を持っている。






多聞天
多宝塔を持っている。


広目天
龍に玉かぁ







増長天

仏教の守護神という意味では剣を持っている増長天がいかにも護っていますという感じがした。

子どもに説明する
光景もよく見られた。

文禄の役以降に再建されたものとはいえ、なんだか東大寺の前身を目にしている気持ちになってきた。



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커피はコピと読み珈琲の意味だ。

気温が低いとトイレが近くなるとわかっていても飲みたくなる(笑)。





世界遺産のマークだ




このあらましだけでも
かなり内容が濃かった。

雨でも日曜だったのもあり
券売所は行列ができていた。

拝観料6,000ウォンだった。
普通にCCで購入できた(笑)。

最初に、身も蓋もないようだが、仏国寺や石窟庵については、ぜひ慶州市の公式サイトこちらをご覧いただきたい。帰国してから訪問先について色々学びだした私も「そうだったのか!」と今にして思うので、もしこれから慶州旅行をお考えで予習しておきたいと思う方には特におすすめしたい。



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前回、仏国寺へのバスで早とちりして間違ったバス停で降りた記事を書いたが、遠因として鉄道の廃駅後のバス停名の改名がなされていなかったこともあるかもと考えた。
廃駅というのは鉄道の佛国寺駅のことである。鉄道の佛国寺駅が廃駅になったのはネット上で検索すれば出てくるのだが(たとえば、こちらこちら)、これは2021年の年末という比較的最近のことで、それもコロナ禍の真っ最中だったのだ。
ネット上に残っている「鉄道の東海線の佛国寺駅で降りてバス停の佛国寺站からバスで行く」というアクセス情報は、事実としてネット上のどんどん古くなっているものの一つになっている。鉄道の佛国寺駅が登場する旅行記が、廃線となったかつての路線の史料として有効になる場合もあれど、これから旅行する人にとって過去ログは有効な情報となるとは限らず、意図せずとも誤解を与えかねないものになっているのだ。

私としては仏国寺へは今では新慶州駅や市外バスターミナルからのアクセスとなっていることだけでなく、これからの旅行者に対し、鉄道を使っての寺へアクセスはできなくなったことと、その名残りともいえるバス停名が紛らわしい形で存続しているという情報をここにアップせざるを得ない気持ちになった。
バスの運営者が今後どのような判断をおこなうかは分からないが、個人的にはバス停名が改名されていれば、少なくとも私のような早とちりは防げるのではないかと思うのだ。とはいえ、これまで間違った人はそこまで多くない気もする(笑)。



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