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デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




あくまで私の見え方なのだが、ヴァル・キルマー、ケヴィン・ベーコン、ジム・キャリーの若い頃の風貌が、一時期区別がつかなかったことがあったものだ。彼らが出ている作品名の違いは分かっているつもりではあったが。
ヴァル・キルマー出演作で一番印象に残っているのは『ドアーズ』だ。ジム・モリソンが命を燃やした時代は知らずとも、映画の中のヴァル・キルマー演じるジム・モリソンはまるで本人そのものじゃないかと思ったほどだ。
65歳で他界とは若いなぁと正直思う。残念ではあるが、作品内での姿は残り続ける。ご冥福をお祈りいたします。


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先日、小説の『スタンド・バイ・ミー』(原題は The Body)を読んだので、ずいぶん久しぶりに映画の方も鑑賞してみた。
今さらだが、本編は90分も無い長さとはこれまで気づかなかった。映画は小説の内容をかなり改変しているし、多くの年齢層が見れるように作られているなぁと思った。小説の中に出てくるエピソードもかなり端折っているし、本質的なものというか制作にあたってそもそものコンセプトが異なっているのがよく分かった。
正直、全然物足りなかった、というより物足りなくなってしまった。そもそも小説の凄味を映像で表現すること自体が無理なのだろうと思った。


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監督はドラマ「ツインピークス」シリーズで知られ、私もシリーズを前のめりになって見ていた。
長編映画では「エレファント・マン」、「ワイルド・アット・ハート」を初めて見たとき鮮烈なものを覚えたし、「ストレイト・ストーリー」にはほのぼのした雰囲気の中でラストにじわっと感動した。
監督の描く世界はちょっとしたアナザーワールドで、ひょんなことから足を踏み入れることができそうに思ったことも少なくなった。
偉大な映画人がまた逝った。ご冥福をお祈りいたします。


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「イエスタデイ」 
…冴えないミュージシャンが大怪我を負って目覚めたらビートルズやその楽曲が一切知られていない世界に転移したという設定はおもしろかった。ある重要人物が自身の経歴とはかけ離れた世界では健在であることが分かるシーンに思わず微笑んでしまった。

「ブレードランナー」 
…『電気羊』の作者が見たらちょっとガッカリするのでは。制作された当時はセンセーショナルだったことは映像で分かる気がした。

「ボヘミアンラプソディ」 
…フレディよりもブライアンのほうが再現性が高いのではと思ってしまった。

「博士の異常な愛情」
…3度目の鑑賞で、この作品のカルカチュアと笑いどころがようやく分かった。

「暴力脱獄」
…いつも途中で見るのをやめていたが、ようやく最後まで見た。

「プロヴァンスの休日」
…世代間の価値観のギャップが巧く表現されていたように思うし、しかし若い頃なら誰もが最優先にする価値観もきちんと表れていておもしろかった。

「敦煌」
…子どもの頃に見て、戦闘シーン以外、まるで内容が頭に入っていなかったので再鑑賞。がんばって制作されたことは伝わったが、こんなエンタメ?な内容だったの?と肩透かしを食らった気分だった。展開的に無理があるだろ?と途中から脳内でツッコミを入れながらなんとか見れた。

鑑賞しに行った特別展など
「藤田嗣治 心の旅路をたどる」
「生誕100年 回顧展 石本正」
「特別展古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン」
「特別展 雪舟伝説 ―「画聖(カリスマ)」の誕生―」
「松尾大社展 みやこの西の守護神」
デ・キリコ展
美しい春画
「秋季特別展「眷属」」
世界報道写真展2024

来年もうまく時間を見つけて未見の映画作品を見たり、積極的にいろいろな展に足を運びたいものだ。


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アラン・ドロンが出演している映画を全て見ているわけではないが、けっこうな作品数は見ている。『太陽がいっぱい』と『冒険者たち』は数回見たし、『スワンの恋』のシャルリュス男爵役は違和感こそあったけどがんばって演じているなぁと偉そうにも思ったりした。
日本のCMにも出演していたし、映画の宣伝のためだったか、来日したときのフィーバーぶりの映像は今では考えられないようなものだった。その当時のアラン・ドロンの知る世代の人たちが正直羨ましい。


この旋律を聴くと、切なくも懐かしい気持ちなる。
ご冥福をお祈りいたします。ゆっくりお休みください。


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ルイ・マル監督の映画『地下鉄のザジ』(1960)を見た。

上映時間は約1時間半だが、二日かけ45分ずつ分けて鑑賞。
パリに連れてこられた少女の冒険と彼女の周囲のハチャメチャなさまが描かれているコメディ作品である。この手の作品は、いろいろなことが盛り込まれているのだろうし、それっぽいセリフやシーンもなんとなく分かるのだが、私が理解できたのは戦前のことを少し振り返っている場面くらいだった。
個人的につい凝視してしまったのが映画の前半にザジが正体不明の男に追いかけられ、また追いかけられている中でも男をおちょくったりする場面のガラス屋根のギャルリやパサージュの中をコミカルに走るシーンだった。19世紀の思想家フーリエがファランステール(協働生活体)の居住空間とみなしたパサージュを撮影に使っているのには、パサージュも現代の作家や映画製作者にとってはパリのいち光景に過ぎないのだなぁと思った。
内容はシュールなコメディだし、笑えるシーンも多いのだろうが、私は「パリの街の中でよくこんな撮影できたな。どうやって撮影したんだ? 今じゃこんな映画つくれないだろう」とそういったことばっかり気になった。出演者のみならず、街全体が体を張って撮影に協力したような感じの映像は笑いよりも驚きが先んじた。パリに引き込まれたい人におすすめの作品だと思った。


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「映画大好きポンポさん」(2021) ★★★★☆
…映画制作の現場をアニメで描いた作品だが、たまにはこういった作品を見るのもいいかなと思った。

「グッドモーニング, ベトナム」(1987) ★★★★★
…若い頃に2回ほど見たが、その頃は戦争映画といえばアクションや映像効果ばかりに目が行って、この作品で何が描かれているのかよく分からなかったが、今になって「こんな話だったのか」としみじみ。クロナウアーとヒロインのトリンが握手して別れる場面に戦地における友情の形態が全て詰まっているように感じた。

「ブリジット・ジョーンズの日記」(2001) ★★★★★
…二度目の鑑賞。ある程度、大人にならないとブリジットの奮闘や悲哀やある種の切実さが分からないし、やっぱり再鑑賞すべき作品だと思う。

「マンマ・ミーア!」(2008) ★★☆☆☆
…ミュージカルの改悪作品、非常に残念だった。とどめの一撃は「I do, I do, I do, I do, I do」をなんでお前が歌うねんとツッコミを入れた場面だった…。

「ピエロがお前を嘲笑う」(2014) ★★★★★
…承認欲求を満たす若者の物語としてもおもしろく見れた。ハッキングやクラッキングはダメではあるが、昨今、ネット上でもラクをして有名になろう、アクセス数を稼ごうとすることへのアンチテーゼな面もあるかもと勝手ながら思った。

「地獄の黙示録 ファイナルカット」(2019) ★★★★★
…現代の戦争を描いた作品では、なんだかんだで私の心に一番刺さる作品だと改めて思った。最も心に残るのは現地の女性の飼い犬が乗船している場面だが、あの場面に戦争の愚かさと悲惨さを見る。また完全無欠の経歴を誇るカーツ大佐の「所業」に至った気持ちを推し量ろうとする、これまた平穏無事な世界に居られなくなったウィラード大尉の「なぜだ?」とつぶやく場面も改めて見るとゾッとするものがある。フランス人入植者たちと会食する場面も『ホワイトバッジ』を髣髴とさせた。

「プラトーン」(1986) ★★★★★
…「地獄の黙示録 ファイナルカット」の直後に再鑑賞したので、テンポ速えな!と正直思った(笑)。昔は新人兵士からの信望が厚く現地人に対して倫理観を失わないポリシーを持つエライアスが良いキャラ、バーンズは悪キャラで、主人公は勧善懲悪を成し遂げるなどとそんな見方をしていた。しかし、今回の再鑑賞だと、超ベテランのバーンズやそのとりまきがエライアスのことを「3年目で調子に乗ってきた青二才」と吐き捨てる気持ちも分かるし、テイラーが1度目に負傷する場面の前の時点でバーンズは部下を何人も失ってこれ以上の犠牲者を出すのはマズいと分かっていても責任は重く、さらに戦況は悪化していて苦戦が予想されるという相当苦しい立場であることが分かると、主人公は現実とキレイごととの間で葛藤するテイラーでもあり、小隊をなんとか率いるバーンズでもあるのがよく分かった。

「トゥルーマン・ショー」(1998) ★★★★★
…主人公の周囲が全て仕組まれたものである、というテーマは「人間に本当に自由意志はあるのか?」という問いにも通じるし、ネット上で収集された膨大なビッグデータがユーザーに何をもたらしているのか、という現代的なテーマにも当てはまるように思った。

「セントラル・ステーション」(1998) ★★★★★
…これほど引き込まれたロードムービーはひさしぶりだった。ブラジルの国内問題だけでなく、日本国内ではなかなか分かりづらいブラジル人のタフネス、タフでないとやっていけない現実も非常にうまく描けていると思った。

「デイズ・オブ・サンダー」(1990) ★★★☆☆
…トム・クルーズが飛ぶ鳥を落とす勢いで売れている時代の作品だった。彼が出る映画のヒロインのキャラのテンプレは相変わらずな時代、ともいえる。

「パリは燃えているか」(1966) ★★★★★
…史実を忠実に反映しているかはともかく、とんでもなく豪華ゲストな贅沢な作品だった。

「ボルサリーノ」(1970) ★★★★★
…ジャン・ポール・ベルモンドとアラン・ドロンの名コンビ、めちゃくちゃギンギンだった。マルセイユの街がそのまま撮影に使われていて、街を作品の聖地の如く思い入れてしまったも不思議じゃない。

「ウォール街」(1987) ★★★★★
…随分前に見たことあったが、再鑑賞で何が描かれているか、ようやく分かった。「欲は善だ、欲は正しい」のゲッコーの有名なセリフは未だ顕在で、ビッグデータが反映されてPCやスマホ画面上に表示される「あなたにおすすめ」のサービスを見るたびに彼のセリフを痛感してしまう。

来年も良い映画に出会えますように。


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「天気の子」(2019) ★★★★★
…年始に地上波で放送されていたので見たが、この作りこみのすごさには感心する。ただ、『君の名は。』のほうが好みだった。

「裏窓」(1954) ★★★★★
…内田樹著『映画の構造分析』を読んでからの再鑑賞。著者の見方は細かいなと思ったが、本の中にある最後の壁の意味が正直ピンとこない。映画はおもしろいが初見のときよりなんか色あせた感じだ。

「バルジ大作戦」(1966) ★★★★★
…事実上の主演のロバート・ショウのヘスラー大佐役は見事というほかない。「スティング」のロネガン役、「ジョーズ」の船長クイント役、同一人物とは思えず演じ分け方がすばらしい。

「北北西に進路をとれ」(1959) ★★★★★
…この作品も内田樹著『映画の構造分析』を読んでからの再鑑賞。おもしろい作品であることに変わりないし、本の内容もまま参考になったが、脚本家アーネスト・レーマンによる音声解説も聞いて超解釈せずに済んでよかった。

ニュー・シネマ・パラダイス(インターナショナル版)」(1988) ★★★★★

「ラ・ブーム」(1980) ★★★★★
…ソフィー・マルソーが13歳で主役デビューした作品。主題歌も聞いた事のある曲だった。映画の年代と舞台の雰囲気が時代の超えるとはいいきれないかもしれないが、初恋を描いた青春映画としてはよくできているし、私としては映画に懐古した。

大脱走」(1963) ★★★★★

ゴーストバスターズ」(1984) ★★★★★

「ラ・ラ・ランド」(2016) ★★★★★
…ストーリーは異なるものの、どこかミシェル・ファイファーが出ていた「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」を髣髴とさせる感じがして懐かしかった。星5つ付けているが、個人的には細かい点までキチンと鑑賞できていないという点で消化不良。なんかすごい作品だなとおぼろげに分かりはする。

「市民ケーン」(1941) ★★★★★
…再鑑賞。1941年以降の映画というものを知らずに見たい作品だということがようやく分かった。

「間違えられた男」(1956) ★★★★★
…ヒッチコック作品。冤罪って怖いなぁ、人の記憶や印象って人物の判別にとってアテにならなかったり思い込みや証言の誘導でなんとでも変わるのがゾッとした。

「見知らぬ乗客」(1951) ★★★★★
…これもヒッチコック作品。今年見たヒッチコック作品のなかで一番怖かった。

「ダイヤルMを廻せ!」(1954) ★★★★★
…この作品も内田樹、以下略。この作品を見る時期になると、本の内容に自分の感性を当てはめようとするのが馬鹿らしくなってきた。

「フィールド・オブ・ドリームス」(1989) ★★★★★
…再鑑賞。大谷選手の活躍のおかげもあってかまた見たくなった。私の頭のなかも野球脳であることを実感する映画であるし、晩年のバート・ランカスターの姿を見れる貴重な作品だなと改めて思う。

「レ・ミゼラブル」(2012) ★★★★★
…ミュージカル映画なので原作の長さこそ当然端折っているが、場面展開というか幕間の切り替えが巧いだけでなく、主要人物はたとえ短い時間であってもどのキャラクターにも脚光が当てられているのがよかった。個人的にはマリウスを片思いするエポニーヌ役の切なさが良く出ていていたように思う。今年最後に見た作品というのもあるかもだが、今年一番楽しめた作品。

来年もいい映画と出会えますように。

 ***

いくつかの近県の資料館には行ったが、美術館での特別展は5つ

「日本大判写真展」2021

古代エジプト展 天地創造の神話

フランソワ・ポンポン展

若冲と近世絵画展

和巧絶佳展

来年はもっと気軽に資料館でも美術館でも行けるようになることを祈ってやまない。


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またしても、内田樹 著『映画の構造分析』 (文春文庫) 内で紹介されている映画「大脱走」についての記述に影響されて、再鑑賞したものの「はて?」と疑問符がついたことの覚書である。作品を再鑑賞すると、なんだかシリアスとコミカルさが無駄なく散りばめられたほのぼのとした映画だなぁという印象を強く持った。

作品で描かれる時代は、ラストの更迭された収容所所長のセリフ「ベルリンに先に行けるのはどうやら君の方だ」からすると、もう第二次大戦末期であることが分かる。私が予備知識なしに鑑賞した時には作品内ではおそらくノルマンディー上陸作戦の直後かそれ以降に脱走が行なわれたと思った。(ちなみに原作ではノルマンディー上陸作戦の前の冬に脱走が行なわれたことになっている)
映画の序盤では新設された捕虜収容所に「脱走の常習犯たち」が集められ、さらに脱走の指揮を執るビッグXが入所したことで、捕虜を200名以上脱走させる計画が動き出す。
鑑賞していて抱いた違和感の一つに、何度も脱走を繰り返している連中を一まとめにし完全管理を目指したはずの捕虜収容所なのに、あまりにも笊過ぎる収容所ではないか?というものがあった。収容所所長はゲシュタポを嫌っていて敵ながら捕虜たちに敬意を抱いていており連合軍捕虜たちに甘いとはいえ、責任重大である意識が希薄ではないだろう。それでも、捕虜を管理する側として、集められた捕虜が何度も脱走を試みた、それこそ「選りすぐりの捕虜」であることは重々承知しているのに、ずいぶん杜撰な管理すぎではないか。もう第二次大戦末期に至っていて、ナチスドイツ軍としても捕虜収容所を管理する人材不足が深刻化していて、監視するに当たって脱走の常習犯たちのやり口を見抜けない程度の素人ばかり集められたのかもしれないが、あまりに節穴だらけである。それとも、それを分かりきった上で脱走されても逃げ切られたという失態さえ表面化さえしなかったらそれでよし状態だったのか。
あと、200名以上脱走させる計画が三分の一ぐらいの人数しか実現できなかったのは仕方がないものの、脱走してからのビッグXの振る舞いがおよそナチスドイツ軍の後方かく乱のためらしくない、むしろ挙動がおかしくて、あまりにもおどおどし過ぎてわざわざかく乱に失敗するのを早めている感がある。どんな困難に遭っても連合軍の後方部隊やレジスタンスと連携するといった信念や具体的かつ重要な計画のようなものは見られないし、脱走のプロなら最後まで収容所に残って何が何でも全員を脱走させる役割を徹底して担うほうが向いているし、その方が充分後方かく乱になるのでは? 捕虜を脱走させる事でナチス軍をかく乱する使命については収容所に入れられた時点のセリフで語られるものの、脱走後のプランが場当たりすぎ無策すぎることを分かりきってやったのか? それにしては違和感がある。最期の言葉のようにトンネルを掘る事だけが生きがいだったのか? 捨石になったようなナチスドイツ軍の後方かく乱の事実上の失敗を「見方による」ことで脱走のプランの総括を先延ばしし続けるのか?
違和感を違和感たらしめているのは、映画の冒頭に実話であると断ってあることもある。しかし実話のそれは、トンネルを造るにあたってのカモフラージュやトンネルを造ったテクニックの要素だけであって、それ以外は命がけの脱走であるのにどこか暢気なほのぼの感が漂っていてもかまわないつくりになっているところが違和感の原因かもしれない。
とどのつまり、ナチスドイツ軍に一発くらわせるため協力し合う連合軍捕虜に感情移入し肩に力を入れて戦争のリアルを凝視する映画ではないと今更そんなような気がしてきた。私は初鑑賞時で得たスリリングなおもしろさとともにこの映画に戦時下のとある一場面のリアリズムを求めすぎていた期待感を抱いていたことをようやく冷静に考えることができたのかもしれない。
なんか本の内容と関係のない記事になってしまった。


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先月、内田樹 著『映画の構造分析』 (文春文庫) という本を読んだ。全体的に興味深い内容ばかりでとてもおもしろく読めたのだが、本の内容を前提にして映画を再鑑賞してみると、鑑賞中にはて?と疑問符がついてしまい、挙句の果てに眠くなってしまって鑑賞を途中でやめてしまった。
本のコンセプトは映画を用いて現代思想を紹介し説明することにあるわけだが、映画の作り手は現代思想を映画として表現しようとして映画をつくったわけじゃない。映画が現代思想を紹介するにあたって都合のいい格好の内容になっていただけなのかもしれないと思う。
以下、覚書のような脈絡のない雑記である。
映画はニューヨーク市立図書館の書庫がゴーストによって荒らされるのを目の当たりにした女性司書が悲鳴をあげる場面から始まるが、映画の中では人間の日常生活をゴーストが荒らす現象が社会生活を送る人々の間で目立つ形で起ころうとしているところに、主人公たちがゴーストの存在を世間に知らしめたことで、ゴーストという存在が街・社会で認知されるのであって、決してゴースト研究をしていた主人公の二人がゴーストを生み出したわけではない。
映画ではヒロイン(ディナ)にとって、恋愛のアプローチを受けても嫌な気にならない男(ピーター・ヴェンクマン博士)とアプローチされて鬱陶しく思ってしまう男(ルイス)が出てくるが、ヒロインが抑圧された性的欲求を満たしたい相手は本当にルイスなのだろうか。ディナは言い寄ってきたピーターの活躍をTVで見るようになり有名になった男にすりよるような心がはたらく取り立てて恋愛のプロセスとしては珍しくない感情の動きを見せるのは別におかしくない。性的な相性と相手への関心は別物であることは分かるが社会的有名人になった相手への関心を抱き、たとえ憑かれてなくとも恋愛関係に至るまでのプロセスを踏んでいるとはいえる。よって、あくまで、「門」を担当させられるディナと「鍵」を担当させられるルイスが強烈に求め合うのは、ニューヨークに降臨する「神」によって憑かれてしまったことが原因である。もし、「神」が降臨しなくともディナがルイスに抑圧された性的欲求を爆発させる相手として無意識な感情を覚えていたのならば、そのサインの表現・描写はどこにあったのだろう?
環境保護局局長のウォルターはゴーストを退治するビジネスが出来てしまった社会に適応することができず、常識が変わってしまったことを理解できなかったことで既存の法体系からはみ出した存在を許せず、そのような相手から不遜な態度をとられたことが許せないというキャラに過ぎないのではないか。
本に書かれている内容の一端を感じとるセンスの欠片さえ私には無いことを自ら露呈させたようなことを書いてしまったが、やっぱり本の内容にある「ゴーストバスターズ」に込められた意味は超解釈な気がするなぁ…。


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