デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ルイ・マル監督の映画『地下鉄のザジ』(1960)を見た。

上映時間は約1時間半だが、二日かけ45分ずつ分けて鑑賞。
パリに連れてこられた少女の冒険と彼女の周囲のハチャメチャなさまが描かれているコメディ作品である。この手の作品は、いろいろなことが盛り込まれているのだろうし、それっぽいセリフやシーンもなんとなく分かるのだが、私が理解できたのは戦前のことを少し振り返っている場面くらいだった。
個人的につい凝視してしまったのが映画の前半にザジが正体不明の男に追いかけられ、また追いかけられている中でも男をおちょくったりする場面のガラス屋根のギャルリやパサージュの中をコミカルに走るシーンだった。19世紀の思想家フーリエがファランステール(協働生活体)の居住空間とみなしたパサージュを撮影に使っているのには、パサージュも現代の作家や映画製作者にとってはパリのいち光景に過ぎないのだなぁと思った。
内容はシュールなコメディだし、笑えるシーンも多いのだろうが、私は「パリの街の中でよくこんな撮影できたな。どうやって撮影したんだ? 今じゃこんな映画つくれないだろう」とそういったことばっかり気になった。出演者のみならず、街全体が体を張って撮影に協力したような感じの映像は笑いよりも驚きが先んじた。パリに引き込まれたい人におすすめの作品だと思った。


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「映画大好きポンポさん」(2021) ★★★★☆
…映画制作の現場をアニメで描いた作品だが、たまにはこういった作品を見るのもいいかなと思った。

「グッドモーニング, ベトナム」(1987) ★★★★★
…若い頃に2回ほど見たが、その頃は戦争映画といえばアクションや映像効果ばかりに目が行って、この作品で何が描かれているのかよく分からなかったが、今になって「こんな話だったのか」としみじみ。クロナウアーとヒロインのトリンが握手して別れる場面に戦地における友情の形態が全て詰まっているように感じた。

「ブリジット・ジョーンズの日記」(2001) ★★★★★
…二度目の鑑賞。ある程度、大人にならないとブリジットの奮闘や悲哀やある種の切実さが分からないし、やっぱり再鑑賞すべき作品だと思う。

「マンマ・ミーア!」(2008) ★★☆☆☆
…ミュージカルの改悪作品、非常に残念だった。とどめの一撃は「I do, I do, I do, I do, I do」をなんでお前が歌うねんとツッコミを入れた場面だった…。

「ピエロがお前を嘲笑う」(2014) ★★★★★
…承認欲求を満たす若者の物語としてもおもしろく見れた。ハッキングやクラッキングはダメではあるが、昨今、ネット上でもラクをして有名になろう、アクセス数を稼ごうとすることへのアンチテーゼな面もあるかもと勝手ながら思った。

「地獄の黙示録 ファイナルカット」(2019) ★★★★★
…現代の戦争を描いた作品では、なんだかんだで私の心に一番刺さる作品だと改めて思った。最も心に残るのは現地の女性の飼い犬が乗船している場面だが、あの場面に戦争の愚かさと悲惨さを見る。また完全無欠の経歴を誇るカーツ大佐の「所業」に至った気持ちを推し量ろうとする、これまた平穏無事な世界に居られなくなったウィラード大尉の「なぜだ?」とつぶやく場面も改めて見るとゾッとするものがある。フランス人入植者たちと会食する場面も『ホワイトバッジ』を髣髴とさせた。

「プラトーン」(1986) ★★★★★
…「地獄の黙示録 ファイナルカット」の直後に再鑑賞したので、テンポ速えな!と正直思った(笑)。昔は新人兵士からの信望が厚く現地人に対して倫理観を失わないポリシーを持つエライアスが良いキャラ、バーンズは悪キャラで、主人公は勧善懲悪を成し遂げるなどとそんな見方をしていた。しかし、今回の再鑑賞だと、超ベテランのバーンズやそのとりまきがエライアスのことを「3年目で調子に乗ってきた青二才」と吐き捨てる気持ちも分かるし、テイラーが1度目に負傷する場面の前の時点でバーンズは部下を何人も失ってこれ以上の犠牲者を出すのはマズいと分かっていても責任は重く、さらに戦況は悪化していて苦戦が予想されるという相当苦しい立場であることが分かると、主人公は現実とキレイごととの間で葛藤するテイラーでもあり、小隊をなんとか率いるバーンズでもあるのがよく分かった。

「トゥルーマン・ショー」(1998) ★★★★★
…主人公の周囲が全て仕組まれたものである、というテーマは「人間に本当に自由意志はあるのか?」という問いにも通じるし、ネット上で収集された膨大なビッグデータがユーザーに何をもたらしているのか、という現代的なテーマにも当てはまるように思った。

「セントラル・ステーション」(1998) ★★★★★
…これほど引き込まれたロードムービーはひさしぶりだった。ブラジルの国内問題だけでなく、日本国内ではなかなか分かりづらいブラジル人のタフネス、タフでないとやっていけない現実も非常にうまく描けていると思った。

「デイズ・オブ・サンダー」(1990) ★★★☆☆
…トム・クルーズが飛ぶ鳥を落とす勢いで売れている時代の作品だった。彼が出る映画のヒロインのキャラのテンプレは相変わらずな時代、ともいえる。

「パリは燃えているか」(1966) ★★★★★
…史実を忠実に反映しているかはともかく、とんでもなく豪華ゲストな贅沢な作品だった。

「ボルサリーノ」(1970) ★★★★★
…ジャン・ポール・ベルモンドとアラン・ドロンの名コンビ、めちゃくちゃギンギンだった。マルセイユの街がそのまま撮影に使われていて、街を作品の聖地の如く思い入れてしまったも不思議じゃない。

「ウォール街」(1987) ★★★★★
…随分前に見たことあったが、再鑑賞で何が描かれているか、ようやく分かった。「欲は善だ、欲は正しい」のゲッコーの有名なセリフは未だ顕在で、ビッグデータが反映されてPCやスマホ画面上に表示される「あなたにおすすめ」のサービスを見るたびに彼のセリフを痛感してしまう。

来年も良い映画に出会えますように。


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「天気の子」(2019) ★★★★★
…年始に地上波で放送されていたので見たが、この作りこみのすごさには感心する。ただ、『君の名は。』のほうが好みだった。

「裏窓」(1954) ★★★★★
…内田樹著『映画の構造分析』を読んでからの再鑑賞。著者の見方は細かいなと思ったが、本の中にある最後の壁の意味が正直ピンとこない。映画はおもしろいが初見のときよりなんか色あせた感じだ。

「バルジ大作戦」(1966) ★★★★★
…事実上の主演のロバート・ショウのヘスラー大佐役は見事というほかない。「スティング」のロネガン役、「ジョーズ」の船長クイント役、同一人物とは思えず演じ分け方がすばらしい。

「北北西に進路をとれ」(1959) ★★★★★
…この作品も内田樹著『映画の構造分析』を読んでからの再鑑賞。おもしろい作品であることに変わりないし、本の内容もまま参考になったが、脚本家アーネスト・レーマンによる音声解説も聞いて超解釈せずに済んでよかった。

ニュー・シネマ・パラダイス(インターナショナル版)」(1988) ★★★★★

「ラ・ブーム」(1980) ★★★★★
…ソフィー・マルソーが13歳で主役デビューした作品。主題歌も聞いた事のある曲だった。映画の年代と舞台の雰囲気が時代の超えるとはいいきれないかもしれないが、初恋を描いた青春映画としてはよくできているし、私としては映画に懐古した。

大脱走」(1963) ★★★★★

ゴーストバスターズ」(1984) ★★★★★

「ラ・ラ・ランド」(2016) ★★★★★
…ストーリーは異なるものの、どこかミシェル・ファイファーが出ていた「恋のゆくえ ファビュラス・ベイカー・ボーイズ」を髣髴とさせる感じがして懐かしかった。星5つ付けているが、個人的には細かい点までキチンと鑑賞できていないという点で消化不良。なんかすごい作品だなとおぼろげに分かりはする。

「市民ケーン」(1941) ★★★★★
…再鑑賞。1941年以降の映画というものを知らずに見たい作品だということがようやく分かった。

「間違えられた男」(1956) ★★★★★
…ヒッチコック作品。冤罪って怖いなぁ、人の記憶や印象って人物の判別にとってアテにならなかったり思い込みや証言の誘導でなんとでも変わるのがゾッとした。

「見知らぬ乗客」(1951) ★★★★★
…これもヒッチコック作品。今年見たヒッチコック作品のなかで一番怖かった。

「ダイヤルMを廻せ!」(1954) ★★★★★
…この作品も内田樹、以下略。この作品を見る時期になると、本の内容に自分の感性を当てはめようとするのが馬鹿らしくなってきた。

「フィールド・オブ・ドリームス」(1989) ★★★★★
…再鑑賞。大谷選手の活躍のおかげもあってかまた見たくなった。私の頭のなかも野球脳であることを実感する映画であるし、晩年のバート・ランカスターの姿を見れる貴重な作品だなと改めて思う。

「レ・ミゼラブル」(2012) ★★★★★
…ミュージカル映画なので原作の長さこそ当然端折っているが、場面展開というか幕間の切り替えが巧いだけでなく、主要人物はたとえ短い時間であってもどのキャラクターにも脚光が当てられているのがよかった。個人的にはマリウスを片思いするエポニーヌ役の切なさが良く出ていていたように思う。今年最後に見た作品というのもあるかもだが、今年一番楽しめた作品。

来年もいい映画と出会えますように。

 ***

いくつかの近県の資料館には行ったが、美術館での特別展は5つ

「日本大判写真展」2021

古代エジプト展 天地創造の神話

フランソワ・ポンポン展

若冲と近世絵画展

和巧絶佳展

来年はもっと気軽に資料館でも美術館でも行けるようになることを祈ってやまない。


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またしても、内田樹 著『映画の構造分析』 (文春文庫) 内で紹介されている映画「大脱走」についての記述に影響されて、再鑑賞したものの「はて?」と疑問符がついたことの覚書である。作品を再鑑賞すると、なんだかシリアスとコミカルさが無駄なく散りばめられたほのぼのとした映画だなぁという印象を強く持った。

作品で描かれる時代は、ラストの更迭された収容所所長のセリフ「ベルリンに先に行けるのはどうやら君の方だ」からすると、もう第二次大戦末期であることが分かる。私が予備知識なしに鑑賞した時には作品内ではおそらくノルマンディー上陸作戦の直後かそれ以降に脱走が行なわれたと思った。(ちなみに原作ではノルマンディー上陸作戦の前の冬に脱走が行なわれたことになっている)
映画の序盤では新設された捕虜収容所に「脱走の常習犯たち」が集められ、さらに脱走の指揮を執るビッグXが入所したことで、捕虜を200名以上脱走させる計画が動き出す。
鑑賞していて抱いた違和感の一つに、何度も脱走を繰り返している連中を一まとめにし完全管理を目指したはずの捕虜収容所なのに、あまりにも笊過ぎる収容所ではないか?というものがあった。収容所所長はゲシュタポを嫌っていて敵ながら捕虜たちに敬意を抱いていており連合軍捕虜たちに甘いとはいえ、責任重大である意識が希薄ではないだろう。それでも、捕虜を管理する側として、集められた捕虜が何度も脱走を試みた、それこそ「選りすぐりの捕虜」であることは重々承知しているのに、ずいぶん杜撰な管理すぎではないか。もう第二次大戦末期に至っていて、ナチスドイツ軍としても捕虜収容所を管理する人材不足が深刻化していて、監視するに当たって脱走の常習犯たちのやり口を見抜けない程度の素人ばかり集められたのかもしれないが、あまりに節穴だらけである。それとも、それを分かりきった上で脱走されても逃げ切られたという失態さえ表面化さえしなかったらそれでよし状態だったのか。
あと、200名以上脱走させる計画が三分の一ぐらいの人数しか実現できなかったのは仕方がないものの、脱走してからのビッグXの振る舞いがおよそナチスドイツ軍の後方かく乱のためらしくない、むしろ挙動がおかしくて、あまりにもおどおどし過ぎてわざわざかく乱に失敗するのを早めている感がある。どんな困難に遭っても連合軍の後方部隊やレジスタンスと連携するといった信念や具体的かつ重要な計画のようなものは見られないし、脱走のプロなら最後まで収容所に残って何が何でも全員を脱走させる役割を徹底して担うほうが向いているし、その方が充分後方かく乱になるのでは? 捕虜を脱走させる事でナチス軍をかく乱する使命については収容所に入れられた時点のセリフで語られるものの、脱走後のプランが場当たりすぎ無策すぎることを分かりきってやったのか? それにしては違和感がある。最期の言葉のようにトンネルを掘る事だけが生きがいだったのか? 捨石になったようなナチスドイツ軍の後方かく乱の事実上の失敗を「見方による」ことで脱走のプランの総括を先延ばしし続けるのか?
違和感を違和感たらしめているのは、映画の冒頭に実話であると断ってあることもある。しかし実話のそれは、トンネルを造るにあたってのカモフラージュやトンネルを造ったテクニックの要素だけであって、それ以外は命がけの脱走であるのにどこか暢気なほのぼの感が漂っていてもかまわないつくりになっているところが違和感の原因かもしれない。
とどのつまり、ナチスドイツ軍に一発くらわせるため協力し合う連合軍捕虜に感情移入し肩に力を入れて戦争のリアルを凝視する映画ではないと今更そんなような気がしてきた。私は初鑑賞時で得たスリリングなおもしろさとともにこの映画に戦時下のとある一場面のリアリズムを求めすぎていた期待感を抱いていたことをようやく冷静に考えることができたのかもしれない。
なんか本の内容と関係のない記事になってしまった。


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先月、内田樹 著『映画の構造分析』 (文春文庫) という本を読んだ。全体的に興味深い内容ばかりでとてもおもしろく読めたのだが、本の内容を前提にして映画を再鑑賞してみると、鑑賞中にはて?と疑問符がついてしまい、挙句の果てに眠くなってしまって鑑賞を途中でやめてしまった。
本のコンセプトは映画を用いて現代思想を紹介し説明することにあるわけだが、映画の作り手は現代思想を映画として表現しようとして映画をつくったわけじゃない。映画が現代思想を紹介するにあたって都合のいい格好の内容になっていただけなのかもしれないと思う。
以下、覚書のような脈絡のない雑記である。
映画はニューヨーク市立図書館の書庫がゴーストによって荒らされるのを目の当たりにした女性司書が悲鳴をあげる場面から始まるが、映画の中では人間の日常生活をゴーストが荒らす現象が社会生活を送る人々の間で目立つ形で起ころうとしているところに、主人公たちがゴーストの存在を世間に知らしめたことで、ゴーストという存在が街・社会で認知されるのであって、決してゴースト研究をしていた主人公の二人がゴーストを生み出したわけではない。
映画ではヒロイン(ディナ)にとって、恋愛のアプローチを受けても嫌な気にならない男(ピーター・ヴェンクマン博士)とアプローチされて鬱陶しく思ってしまう男(ルイス)が出てくるが、ヒロインが抑圧された性的欲求を満たしたい相手は本当にルイスなのだろうか。ディナは言い寄ってきたピーターの活躍をTVで見るようになり有名になった男にすりよるような心がはたらく取り立てて恋愛のプロセスとしては珍しくない感情の動きを見せるのは別におかしくない。性的な相性と相手への関心は別物であることは分かるが社会的有名人になった相手への関心を抱き、たとえ憑かれてなくとも恋愛関係に至るまでのプロセスを踏んでいるとはいえる。よって、あくまで、「門」を担当させられるディナと「鍵」を担当させられるルイスが強烈に求め合うのは、ニューヨークに降臨する「神」によって憑かれてしまったことが原因である。もし、「神」が降臨しなくともディナがルイスに抑圧された性的欲求を爆発させる相手として無意識な感情を覚えていたのならば、そのサインの表現・描写はどこにあったのだろう?
環境保護局局長のウォルターはゴーストを退治するビジネスが出来てしまった社会に適応することができず、常識が変わってしまったことを理解できなかったことで既存の法体系からはみ出した存在を許せず、そのような相手から不遜な態度をとられたことが許せないというキャラに過ぎないのではないか。
本に書かれている内容の一端を感じとるセンスの欠片さえ私には無いことを自ら露呈させたようなことを書いてしまったが、やっぱり本の内容にある「ゴーストバスターズ」に込められた意味は超解釈な気がするなぁ…。


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映画「ニュー・シネマ・パラダイス(インターナショナル版)」を鑑賞した。
インターナショナル版は劇場版とも呼ばれている短いバージョンの方で、私はこの版を鑑賞したのは初めてだった。
インターナショナル版は巷でもいわれているように映画館の隆盛と衰亡および映画が村の最大の娯楽であった時代のノスタルジーの描写に重きが置かれ、トトは主人公でありながら映画館と深く関係した主要人物の域に留まっている。
私個人は最初に見たのが「映画よりも人生の方がはるかに難しい」ことをより考えさせるオリジナル完全版だったこともあってあのドラマチックな展開が好きだが、かつて映画に胸を躍らせた時代の人々や村に訪れる時代の変化をユーモラスに淡々と描いているインターナショナル版も大いに称賛されたのも納得できた。


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・「ナバロンの要塞」(1961)★★★★★

・「ユリシーズ」(1954)★★★★★

・「海外特派員」(1940)★★★★★

・「コクーン」★★★★★

・「最強のふたり」(2011)★★★★★

・「終電車」(1980)★★★★★

・「コクーン2」(1988)★★★★★

・「必死剣鳥刺し」(2010)★★★★★

・アラン・ドロンの「仁義」(1970)★★★★★

・「アメリカン・グラフティ」(1973)★★★★★

・「ダーティハリー3」(1976)★★★★★

・「クォ・ヴァディス」(1951)★★★★★

・「ジャッキー・ブラウン」(1997)★★★★★

・「天地創造」(1966)★★★★★

・「心の旅路」(1942)★★★★★

・「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」(2012)★★★★★

・「舞踏会の手帖」(1937)★★★★★

・「スターリンの葬送狂騒曲」(2017)★★★★★

・「運び屋」(2018)★★★★★

・「聖衣」(1953)★★★★★

作品毎に感想を書こうと思っていたが、結局「コクーン」しか短い感想を書けなかった。
どの作品も制作された時代のことを考えればがんばって作られた作品ばかりだと思う。それにいっちゃなんだが、「心の旅路」が作られた頃、日本はどんな映画を作ってたか調べると、なんとも言い難いがっくりくる気持ちに襲われたりしたものだ。
今年鑑賞した作品のなかで最もインパクトがあったのは、「ジャッキー・ブラウン」「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」「スターリンの葬送狂騒曲」「運び屋」の四作品だと思う。なかでもピアニストのアルゲリッチのドキュメンタリー映画はリアルな「オールアバウト・マイ・マザー」を見ている気になって、人様の人生に対して普段からいかに自分基準で軽く考えがちになってしまっているのか痛烈に反省させられるものがあった。


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映画「コクーン」(1985)鑑賞。
「スプラッシュ」や「バックドラフト」、「アポロ13」、「ビューティフル・マインド」や「ダ・ヴィンチ・コード」でも知られるロン・ハワード監督によるSF映画である。(このラインナップを見るだけでも器用ですぐれた監督だなぁと思う。)
いつかは見たいと思いつつ、予告編の映像がなんとなく不気味に思えて無意識に避けていたのだが、身構えつつ見てみると、とてもいい作品じゃないか!と素直に感動できた。
たぶん過去に多くの人がやったであろう、「E.T.」とも比較してしまった。「E.T.」は青少年向け、「コクーン」は大人向けだなと思った。
作品に出てくる老人たちが肉体的に生命力を回復させたとしても、やることなすことまで変わったりしないし、精神的に別次元に達するかといえばそうはならないこともきちんと描いているように思った。
また『サピエンス全史』や『ホモ・デウス(前)』を読み終えてからの鑑賞というのもあいまって、「コクーン」で採り上げられる不老のテーマは、現実世界でも生体工学の観点から目前に迫っていることを思わせた。ただ、「救出班」のリーダーが仲間の死と対峙し涙する場面を見て、人間の生体工学の行く末も願わくばこうであってほしいという感想を抱いた。
いい俳優も出ていたと思う。スティーヴ・グッテンバーグはいうに及ばず、「救出班」のリーダー(ウォルター)を演じている人って、映画「ランボー」でランボーを町から不当に追い出そうとし、ランボーの復讐の最終的ターゲットになってしまう強烈キャラ保安官ティールズを演じた人じゃないか(笑)。ブライアン・デネヒーという名前の俳優であることを知ったが、いい俳優だと思った。


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「日の名残り」(1993) ★★★☆☆
…雰囲気を出そうとがんばってはいるが、原作に見られる回想のなかの繊細さを映像化するのは難しいと思わざるを得なかった。

「レッズ」(1981) ★★★★★
…インターミッションのある長編で三日かけて鑑賞した。よくぞこんな作品をつくったな!と感心した。帝政ロシア末期からロシア革命、ソビエト成立の時代、アメリカでの労働運動と共産主義に傾倒していった実在のアメリカ人記者ジョン・リードとそのパートナーで女性解放運動家ルイーズの物語だが、ロシア革命を直接目にしたリードの高揚感とソビエトの官僚主義への幻滅の場面だけでも、この作品が革命に夢をはせ時代に翻弄される群像劇として秀逸であることを感じさせた。

「ドクトル・ジバゴ」(1965) ★★★★★
…これまた長編。主人公は没個性な聖人君子でないことに、今更気付いた。

「バリー・リンドン」(1975) ★★★★★

ベスト・キッド」(1984) ★★★★★

「弾丸を噛め」(1975) ★★★★★
…キャンディス・バーゲンが過酷なレースに参加するミステリアスな女性の役を演じていたとは知らなかった。

「冒険者たち」(1967) ★★★★★
「サムライ」(1967) ★★★★★
…両作品ともにアラン・ドロン絶頂期の哀愁漂う切ない役柄による魅力が爆発しているような作品だった。

今年はやたらラグビーとナチスドイツに関するドキュメンタリー、ベルリンの壁に関するドキュメンタリー、レオナルド・ダ・ヴィンチに関するドキュメンタリーを観ていた。
来年はもう少し見たい映画に対して積極的になりたいと思う。


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映画「ベスト・キッド(原題:The Moment of Truth / The Karate Kid)」(1984)をかなり久しぶりに鑑賞。東京五輪で空手競技があることもあって放送されたのだろうか。2時間以上ある字幕フルバージョン版の放送があったので鑑賞した。
今回の分は、かなり前に見た、日本でTV放映されていた日本語吹き替え版とは尺の長さからしてかなり異なっている。なので実質、初鑑賞みたいなものだった。
かつてTV放映されていたバージョンでのノリユキ'パット'モリタが演じたミヤギに、まるで仙人みたいな印象を抱いていた。しかし今回の字幕バージョンではミヤギは仙人ではなく、辛い過去を乗り越えてきた人であることに気づかされた。
どういった辛い過去なのか?それが分かるのは、彼が軍服を着て酩酊してしまう場面だ。要約すれば、ミヤギは第二次大戦でアメリカの日系人として従軍しヨーロッパにてドイツ兵に対して戦果を挙げ勲章まで授与された。しかし当時は日系人差別が激しかった時代でもあり、日系人収容所に収容されていた妊娠中の奥さんが母子ともに出産の際に医師の到着が遅れ合併症で亡くなった悲痛な過去をミヤギは持っていることになる。
私自身の記憶があやふやでなんだが、昔、TV放送された日本語吹き替え版にはその場面がある分と無い分が存在しているように思う。番組の尺の関係で2時間以内にそれもCMも挟まなければならないから実質1時間半と少しくらいの内容に編集されたものだと、主人公ダニエルの新生活とヒロインのアリとの出会い、コブラ会の傍若無人、修行、空手の大会といったスポ魂王道展開を前面に出すものになっていたのかもしれない。またミヤギが酩酊してしまう場面を日本語吹き替え版で見ても日系人差別や日系人収容所が意味するところのものが分かりづらかったように思う。日系人差別のことが理解できるほど精神が大人になってなかった頃というのもあるかもしれないが。
他、フルバージョンではダニエルとアリの関係が深まっていく過程が丁寧に描かれているように思った。デートなどを繰り返す場面がカットされた日本語吹き替え版だと、大会当日の会場にて選手のセコンドしか入れない関係者スペースにアリが「関係者」として入り込みダニエルを間近で応援する場面に妙な唐突感を覚えていたものだ。しかしフルバージョンだとアリもセコンドのような役割を担うにあたり十分納得のゆく描かれ方となっていることが分かった。フルバージョンで鑑賞すると話の脈絡がきちんとしているいい映画であることが分かってよかった。


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