デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



先日の月曜日、とうとうこの私もデジカメを購入した。携帯電話で性能のいいカメラを備えたものにしようかどうか迷ったが、落としたら電話・カメラ共に使えなくなるのはイタいので、デジカメにした。
で、早速、説明書読んだりしながら撮ってみた。初ショットがこれ。



きれいに写るもんだなぁと、画像を取り込んでみて思った。
2枚目はウケ狙いのつもりで「京都タワーの身体測定」というタイトルで撮ったのだが、うまく取れてなかったので後日撮り直すつもり。
これからデジカメでバシバシ撮っていくつもりだが、しばらくは、いやこれからフィルムで撮った分と見比べていく時間が多くなるかもしれない。
私はヘボいカメラが好き(というかカメラにお金をかけないので、適当に安いのを持っていた)で、ヘボいカメラでも自分にとっていい写真が撮れたらそれでいい、と思っている。ヘボいフィルムカメラで撮ったものと、今回手にしたヘボいデジカメは、どんなふうに違うのか、いつかここで屁理屈を述べるかもしれない。

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もう先週のことになるが、大阪の国立国際美術館へプーシキン美術館展を見に行った。
プーシキン美術館自体はモスクワにある美術館で、その一部の絵画が日本に来ている。来ていた作品は、印象主義以降の作品ばかりで、ピサロ、モネ、セザンヌ、ルノワール、ゴッホ、ゴーギャン、マチス、ピカソなど有名な作品もあったが、私個人がもっとも気に入った作品は、ジャン=フランソワ・ラファエリの「サン=ミッシェル大通り」(1890年代)という作品だった。この作品はパリのパンテオンを通りから見上げた視点から描かれていて、絵の中に自分がいるとしたら振り向いてみたい衝動に駆られたのである。当時は無いものの、今ならエッフェル塔を眺望することができるはずだ。
ところで、プーシキン美術館展のあった国立国際美術館では、プーシキン美術館展の作品よりも、印象に残ったものがある。それは美術館のCollection4という展示の中にあって、サイモン・パターソンの「The Great Bear」(1992)という作品だった。
作品見て数秒後、私は思わず笑い出してしまった。一見、単色の鉄道路線図がただ描いてあるだけだったのだが、その駅名をじっくり読むと、あらゆる画家や哲学者や映画俳優や政治家その他、あらゆる分野の「(歴代の)偉人」になっていたのだ。
後世が恒久に研究対象にしたり、また魅了される「偉人」を、ただの駅名、そして無機質で普遍的でシステマチックな対象に置き換えてしまう人を食ったような発想に、思わず声を上げて笑ってしまい、プーシキン美術館展の絵葉書より「The Great Bear」の絵葉書が欲しくなってしまった。
「The Great Bear」だけでなく、他にも日本人の彫刻家で齧られたリンゴを内側から表現した「ネガティブ」という作品も私の笑いのツボを刺激した。他にもいくつかインパクトの残る作品があったが、何はともあれ、企画展の入場料が、鑑賞者の目を輝かすものではないことが分かり、いろんな意味で勉強になった展示だったと思う。

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神戸のhttp://www.varit.jp/liveactbar/index.htmlまで、「朱夜~神戸編」という名のライブを聴きに行った。
「朱夜」には三バンド出演したのだが、どのバンドもとても個性があった。
K-106は、いい意味での目立ちたがり屋精神で、どんどん客を引っ張っていき、自分たちも客席に飛び出していく、たのしいバンドだった。
犬式(a.k.a.Dogggystyle)は、若気のボブ・マーリィ心酔ドン=キホーテといった感じで、独自路線を行っていた。
関西で今熱いSugar Mamaは、ただシビれさせられたとしかいいようのない、客を狂乱に渦に誘い込むようなヤバさと美しさがあって、インパクトが強い。
ライブハウス自体はほとんど行ったことが無く、ましてファンクやレゲエなどを聴くことなど普段無いから、今回の体験はそりゃもう強烈なものだった。たのしかったし体が熱くなったし、普段吸わない煙草もこの時だけは欲しくなって吸ってしまうほどである。
懐具合の問題から、あまり遠出はできないし、また耳も疲れるので、そう何度も行きたいとは思わないが、たまにならこういう機会に足を運びたい。

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先日、現在開催されているエルンスト・バルラハ展のチケットが当たり、美術に関心のある会社の同僚に、チケットを一枚あげた。
その際、私は同僚より先に企画展を見に行ってから、後日互いに感想を述べ合おうと思っていたのだが、結果的に同僚のほうが先に行き、同僚が美術館にいる間、私は野球を見ていた。
そういうわけで、今日、同僚が真っ先に熱い感想を語ってくれたのだが、彼は私が既に見に行っていると思っていたようなので、私はあたかもその話が分かるぞ、と言わんばかりの顔をしてお茶を濁してしまった。さっさと本当のことを言えばよかったが、間の魔というやつで言いそびれた。
正直、自分に対して顔が引きつり、嫌な気分、トホホな気分になっている。
まぁ、これも過ぎ去ったことなんで、よしとしよう。とりあえず近いうちに展示を見に行くので、そのときに感じたことを整理できればと思う。

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昨年12月中旬に図書館で予約した本(次の番が私だった)が、今頃やってきて借りることに。図書館の職員に非はないが、前の利用者に天罰が下るような沙汰はなかったのだろうか、と不満である。

 ***

それはそれとして、WBCの日本対キューバの決勝を最初から最後までTVで観戦できて、生中継を見ていることの楽しさを、久しぶりに実感できた。この大会はいろいろな問題が起こったので、ひそかに野球好きな私はシラケた気持ちになっていた。
でも、結果が最良のものになって、よかったと思う。日本の選手もキューバの選手も、本当によくやったいたし、かっこよかった。

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祭りのあと、といえば大げさなようだが、昨日の出勤は正直なところ辛かった。
でも、これは仕方の無いことで、パーティーの印象は印象として大事にし、日常生活は日常生活として、気持ちを切り替えてやるしかない。

先ほど、パーティーのときの画像を送っていただいた。自然と笑みがこぼれた。
デジカメを買うと決めた。

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ここ三日ほど、さまざまな芸術に出会い、こんなことは一生に一度しかないという時間を過ごしている。気分はとても晴れやかだ。
正直、何から書いていいか分からなくなる。順を追って書くと、映画「ストレイト・ストーリー」を見たこと、プーシキン美術館展に行ったこと、そしてフレイムハウスでの「リチャード・フィールド作品展(の記念パーティー)」、すべてが貴重な時間だった。
なかでも「リチャード・フィールド作品展(の記念パーティー)」は、私の中で最も印象深い時間となった。パーティーに集まった方々がリチャードを祝ったのはもちろんのこと、ギャラリーライヴとして、ウクレレとリコーダによる愛唱歌や60年代ポップス、中国の伝統楽器「二胡」と沖縄の三線のユニットによる沖縄民謡(特に「十九の春」)、独奏の早弾きウクレレとタップダンスの熱いユニット、リチャードの詩の朗読とパフォーマンス…etc、それらは私にとっていつか旅先で耳にした音色だったりもし、歌や演奏やダンスへの情熱すべてが生で心に響いてくるものだった。
そして、その場にいた方々と最近行ったライブのこと、音楽のことや外国で体験したこと他、つまりはお互いのことを垣根の無い雰囲気で楽しく話せたこと、また別のライブやその他の機会で会いたいと思えたことが、素晴らしかった。時間があっという間に過ぎた。みなさん、本当にありがとう!
話は前後(脱線)するが、私がこのパーティーに行こうと思ったのは、リチャードの作品にワーズワースの作品に登場する人物をモチーフにした彫刻があったからだ。とはいえ、ワーズワースについては何も知らないので、にわかに詩集だけ借りて、店に行く前に詩に目を通したものの、詩よりワーズワースの生涯の方に関心が行ってしまう有様だった。
パーティーがお開きになり、最終の京阪特急の車内で、店でのことを思い出しながらワーズワースの詩を繰った。たまたま「妹へ」(前川俊一訳)という作品が目に留まり、私の気持ちを表してくれていると思った。というか今日という日そのものと言えるかも。


わたしらの生きた暦を
くだらぬ形式で縛るのはよそう。
友よ、わたしらは今日の日を
年のはじめにしよう。

天地いたるところに愛が芽ばえ
心から心に流れ入っている。
大地から人へ、人から大地へと。
――今こそは五感のときだ。

今の一時は
永年の思索にまさるかも知れぬ。
心はからだの隅々から
春の精気を一杯に吸いこむのだ。

心はみずからの末ながくまもる
無言の掟をつくり出すだろう。
わたしらはこれから一年にわたる気分を
今日の日から引きだすだろう。

改めて、今日出会えたみなさんに、ありがとうと言いたいです。

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昨日、懸念していたお返しクッキーの件は、

終わりよければすべてよし!?

という結果に…。

  ***

農協の正面出入り口で定期的な古本の露天があって、今日、通りがかりに寄った。
買った本は、和露辞典と仏和辞典の2冊。計200円。
中身は線を引っ張った跡すらない、新品同様状態だった。前の持ち主は勉強が嫌いになったと見える…。
そんな新古品の辞書たちが私の許で再び役に立つだろう時は、ルーヴル美術館のサイトでフランス語表示しか出ない場合、機械翻訳では、へんてこりんな訳になってしまったりするので、結局最後は辞書を頼るといった時ぐらいかもしれない。
外国語は苦手というか文法もよくわからないが、せめて何か印象に残る単語について、辞書に線を引っ張るようにしようと、心がけだけは毎度新たにしてしまう今日この頃…。
ちなみに先月の「こうもり」の訳も、この古本の露天から100円の独和辞典を買ったことから、あの記事になったともいえるのだ。まず、興味あることから入ることが大事かも。

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先月のバレンタインデーのお返しに、今日、職場の男性陣代表として女性たちに買っておいたクッキーをお渡しした。
職場だから、義理というか挨拶程度の物なんだから気にすることはないのだが、渡した中身がまずかった。そのクッキーはチーズ味に香辛料がふってある、少しピリ辛のやつで、実際私が試食して悪くなかったし、買った店のポップや店員の情報ではそのクッキーが人気があり、職場での贈り物として堅いだろう、という事だったのだが、クッキーを口にした先輩の第一声は

「辛っ!」

で、第二声は

「罰ゲームですか!? これは?」

だった…。
心底怒っていたわけじゃないが、クッキーを口にした女性全員が、辛いのだめだったり、お世辞にも「おいしい」とは言ってくれなかった。
クッキーの話題が出るたび、私は脂汗をかく有様で、男性の同僚にも「本当に堅実なものだったんですか?」と軽く探りを入れられた。自分なりに弁解したあとで、決めた。
食の贈り物の買出しには、一切関わらないと

で、そう決めたのはいいが、問題は明日だ。まだクッキーを受け取っていない女性が二人いて、渡すべきか渡さざるべきか、これが問題だ。
明日がこわいが、早く結末がきてさっさと思い出にしていただきたいなぁというのも正直なところだ。
せめて、結果がマシなものとなりますように…

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昨日、フレイムハウス京遊亭喜多三さんの落語と、FROM NOW ONのライブを聴いた。
落語といえば、私は故・桂枝雀が好きなのだが、司会業もかねている喜多三さんの語り口は流暢で、本物は違うと思った。喜多三さん曰く、今の上方落語は天才肌の逸材がいなくて、そういう人は素人から出てくるとか。喜多三さんの内に秘めた思いは、いつか自分が枝雀ほどの存在感をかもし出すような落語家になること。(喜多三さんは今日も場所を変えて出演されます。)
落語の後に、FROM NOW ONの歌に酔いしれた。往年のジャズ、ブルースだけでなく、熱唱の最後に哀愁を漂わせるフェードアウトが特徴的なオリジナル曲の「白い坂のある街」「ISNESS」にも感動した。個人的に最も感動したのは正直「Imagine」で、高校のころに英語の授業で聴いたのがきっかけでジョン・レノンの曲にはまったこと、そして今もこの歌が好きであることを、しみじみと感じた。
落語、そしてライブ、とてもいい時間を過ごさせてもらった。

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