デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




この辺りは水もきれいらしく、井戸水が飲める場所まであった。





冬に野菜が凍らないようにするのがポイントです






勉強になりましたねぇ



刀の鍔(つば)です。よく対決時の一進一退の緊迫した場面のことを「鍔迫り合い」といいますね。



正直、自分が持っていた小柄のイメージとはかけ離れていた。まるで暗殺にでも使いそうな…。









菅原道真公






特別展示、解体新書の中身。前野良沢や杉田玄白という名前、思い出した。



前野良沢らは解体新書の翻訳者なのです。






昔の薬剤師が使ってた道具や、薬箱もきれいに展示されていた。




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四条まで用事があったので、ひさしぶりに繁華街まで自転車で行った。台風が通過し、風も収まってきたことから、人出も多くなってきた。祇園祭を彩る、浴衣を着た人もちらほらみかけた。


ひさしぶりの練習場所の近く。増水している。




外でウクレレ弾けるかと思ったが、霧雨が収まらずあきらめて家に帰った。すると日が射してきた。
いつも夕焼けを撮る方向の逆を向いたら、先月末につづき、また虹が!


虹に気づいたのは女の子の方、男の方はぶっきらぼうに自転車を止めた。









こういう感じの空模様で虹が現れるときがあるのです。









時間で言えば大体20分ぐらいか。

虹は珍しいものではあるが、稀というほどのものではない。虹を見ようと思ったら、うっとうしい天気のときに外にいなければならないし、必ずみられるとは限らない。体も濡れるしカメラやメガネのレンズも水滴がつくわけだから、面倒くさいと話かもしれない。
しかし、あらゆる条件が揃わないと決して虹は見れない。それだけに、貴重だなぁと毎度思う。

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観光地にありがちな、でも何かうれしくなる「ユニークなマスコット」にもお目にかかれた。



武家屋敷岩橋家。





昼下がりの陽光の射し方が、またいいのです。





















井戸



炉辺



たぶん厠の復元



枝垂れ桜。4月や5月は人でいっぱいになるそうな。

公開されている武家屋敷で石黒家の屋敷は入るのに300円要るが、実際の座敷にも上がれ、ボランティアの方による説明と当時の生活をしのばせる展示品まであるので、行ってよかった。



説明では石黒家の石高は150石で、主(あるじ)は藩の財政(勘定役)を担う奉公をされていたとか。


おめでたいことが書かれている。松になんとかで鶴眠る…



すだれ上の襖から光がさすと、壁一面に亀が池で泳いでいるように見える彫り方だそう。



目上の役人はこの入口から入ってきた。家の人間、奉公人は違う入口からの出入りであった。









雪対策のために、縁側も工夫されている。



枯山水の庭へ



明治になって改築した部分もあるが、ほとんどが江戸時代の状態で残っている


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日曜早朝から秋田県まで出張、泊まった場所は角館(かくのだて)というところだった。






秋田県は未踏の地だったので、どんなところかいな?と思っていたが、なんとのどかなところ。
うまい具合に観光する時間ができた。角館は武家屋敷と枝垂桜で有名なところだそうで、さっそくカメラ持って出た。





秋田の犬はこうでないといけません…




武家屋敷は集落内で連なっているようで、また点在している様な感じだった。重要伝統的建造物群保存地区というそうだ。中世からの城下町だったそうだが、1620年に当時の城主芦名氏が古城山北麓の城下町を移転したことから今の形のように作られていったそうだ。



















































屋敷によっては入場料(ボランティアによる説明つき)が要るところもあるが、屋内に上がれないものの庭と部屋を無料で公開していることころもある。それだけでもけっこう楽しめる。


次回もさらに武家屋敷


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関西の大動脈を行く列車に、京都と大阪を結ぶ京阪(けいはん)電車がある。
京阪は昔、路線のほとんどが地上を走っていて、たとえ都市部であろうとも現在みたいに地下駅の整備どころか工事もなされてなかった。よってダイヤの本数は多いのに、町の車の交通量も多いことが災いし、開かずの踏切状態が続き、ちょっとした渋滞みたいなことが起こっていた。
当時、特急には車両内にテレビがある「テレビカー」が新しいもので、周囲にはテレビカーに乗ったことを自慢していた子供もいた。そのころによく活躍していたのが、上のタイプだった。(ちなみにテレビカーは今もあるが、正直、音がやかましいかも…)
このタイプを十数年ぶりに見たとき、今じゃ珍しいのではと思って、シャッターを切った。カラーは特急の仕様だが、各駅停車での運行だった。でも現役であるというのがうれしかった。

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肖像画で名を馳せた人のなかで、マリー・アントワネットの庇護を受けたマリー=エリザベート=ルイーズ・ヴィジェ=ルブランという画家がいる。上はヴィジェ=ルブランの自画像(ウフィッツィ美術館蔵)で1790年に描かれたものだが、これはマリー・アントワネットを描いているところである。
ルーヴルには彼女の描いた肖像画がたくさんあり、彼女の師匠であったクロード=ジョゼフ・ヴェルネの作品もあった。


ヴェルネ「月夜の港」(1771)

ヴェルネの作品の展示数は少なかったが、見たいと思っていた絵を見ることができてうれしかった。
このロマンチックな絵は、浪漫劇の背景にも用いられていそうだった。ヴェルネについてはよく知らないが、ローマっぽいような古代趣味が表れているように思う。
また昔は旅をするにも今より時間も体力も必要だったことだし、なおさら旅先の印象も強かったのではと思う。


ヴィジェ=ルブラン「ヴェルネの肖像」(1778)

ヴィジェ=ルブランが描いたヴェルネの肖像画。昔はこんな格好で絵を描いていたのか?といぶかりたくなるのだが、それにしても筆とパレットを持ってのポーズ、何と分かりやすいことだろう。

楽しみにしていたヴィジェ=ルブランの絵はたくさんあり、どれも見ごたえのあるものばかりだった。モデルになっている人の服もおもしろかった。


ヴィジェ=ルブラン「ルソー夫人とその娘」(1789)



フランス語読めません…



ヴィジェ=ルブラン「ヴィジェ=ルブラン夫人とその娘」(1786)

ヴィジェ=ルブランの絵は繊細で優美だった。いつの時代も人に苦労はつき物だが、絵に描かれている人の心の状態が一番落ち着いているのがロココ時代かもと思わせるような、そんな雰囲気をヴィジェ=ルブランの絵からは感じる。
尤も、ここまで美しく繊細な作品が発するものは、時代を超えても受け継がれるし、実際彼女は革命後19世紀半ばまで肖像画家として活躍した。彼女の功績はロココだけにとどまらず新古典主義にも影響を及ぼした。彼女は時代に翻弄されず、画家として生き抜いた。


ヴィジェ=ルブラン「ヴィジェ=ルブラン夫人とその娘」

たぶん、↑がルーブルで一番知られているヴィジェ=ルブランの作品だろう。


やっぱり絵を写真の収めたいですよね…


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6月29日(金)の18時20分以降、これらの光景を見た。私のほかに携帯のデジカメで撮る人が、ちらほらいた。
その中には空いている道ではあるが、バイクを止めて撮っている人もいた。当然後続車が「迷惑だ!」とクラクションを鳴らした。
私もデジカメを取り出したときに、前や後ろからくる自転車に迷惑をかけた。
でも、あえて言おう。こんな場合、足を止めないでいる方が難しいやろ。

それにしても二重になった、それも色の濃い虹だった。5分もしないうちにアーチが薄まってきて、たもとから消え始めた。儚い、だからなおさら貴重な時だった。

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