デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



破壊された坐像






だいぶ西のほうに歩いてきたようだ



経年で仏塔の崩れ落ちたので
なければ破壊の跡なのだろうか






昔からこのままなのかもしれない


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仏塔が並んでいた区画だったのだろう






日本の城の石垣もそうだが年月が経つと草が
根づき、もとの姿が徐々に変わっていくのだ。






これらの仏塔にもアユッタヤーが滅ぼされる前に
他界した人々の遺灰が納められていたのかもしれない。


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「!?」と思ったが破壊された坐像の頭部に
あたる部分に小さい坐像が置かれているのだ。






寺院の東側にきたようである




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外壁が剥がされた建物跡もよく見かける。





やっぱり寺院跡だけあって痛ましい仏像も並んでいる









犬たちが日影で気持ちよさそうに寝転んでいた


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私のような旅行者、卑賤な存在たる旅行者が、かつて大繁栄した都市の遺跡を訪れる光景を見るたびに、時間性というものを目の当たりにする気分になる。単純に、時が止まったものとすぐに流れ去る短い時代のスタイルの服に身を包んだ生きた人間が同じ空間にいることで得られる不思議な感覚といってもいい。

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キャバリアーズ初V=3連勝でウォリアーズに雪辱―NBAファイナル

両チームともさまざまな困難を乗り越えての激突だった。第7戦は本当にいいゲームだった。キャブスを率いたレブロン・ジェームズにとってはまさに悲願達成だったろう。来シーズンもいいゲームを期待したい。

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何義麟著『台湾現代史◆二・二八事件をめぐる歴史の再記憶』(平凡社)読了。

台湾からの旅行者や留学生と体を動かしに行っている山でよく出会う。ここ二年くらいで直接メール等でやりとりする台湾人もでき、そのおかげで最近台湾についてのエッセイや台湾映画を読んだり観たりするようになったものの、台湾の歴史についての本をほとんど読んでいなかったと思ったので読んでみた。
記事のタイトルにある二・二八事件については、映画『非情城市』を鑑たことのある人を除き、おそらく1980年代、1990年代前半までに台湾を旅行した日本人で事件のことをある程度知っていた人というのはごく僅かだったんじゃないだろうか。少なくとも私は近年まで事件の名すら聞いたことさえなかった。
二・二八事件とは第二次大戦から台湾が日本から「光復」を果たした後、1947年2月27日台北でヤミ煙草の取り締まりをめぐって市民と警察が衝突し警察の威嚇発砲で市民の一人が死亡し、翌日の2月28日台北市民が煙草の専売局に抗議に向かいまた長官公署に陳情に向かったところ、長官公署の屋上から突然機関銃掃射撃が行われ多数の市民が死傷したことをきっかけに、台湾全土で政治暴動が一気に広がった事件を指す。時の陳儀政府は台湾全土で起こった政治暴動に対し警察と軍の武力で応じ、さらに本土の蒋介石にも軍の増援を依頼した。蒋介石はただちに軍を台湾に送り込み、政治暴動は島内の警察・国府軍と本土からの増援の軍の武力によって鎮圧させられた。
著書には二・二八事件がいかにして起こり、その後の台湾で事件発生と公権による暴動の鎮圧の事実を国府の独裁政権がどのようにとり扱ってきたのか、事件について語ろうとするメディアや論壇たちへの政府による迫害について最新の研究成果を取り入れて書かれているわけだが、沖縄に行く感覚で行けて、これまで個人的に二度旅行でその地を踏んだ台湾という地が、思う以上に多大な犠牲をはらわされ陰惨な迫害を受け翻弄させられ続けた現代史を背負っていることに、読んでいて正直衝撃を受けた。また台湾でも二・二八事件の歴史認識をめぐる議論を公の場でできるようになったのが20年前そこそこぐらいで、今も事件を巡る認識や解釈および教育方針について島内の意見が割れ続けている現状は、私のような「台湾らしさ」を自分の思い出の感懐にふけるお気楽な旅行者からすれば想像だにしなかったものといわざるを得ない。

「現代史というものが面倒なのは、すべての選択がまだ可能であった時期を人々が覚えているためであり、これらの選択が既成事実によって不可能になっていると見る歴史家の態度を受け容れ難いと感じているためであります。これは純粋に感情的で非歴史的な反応であります。」
E.H.カー『歴史とは何か』 (岩波新書)

現代史の本を読むと、いつも上のカーの言葉が頭をよぎるのだが、台湾における二・二八事件は台湾の人々にとって、ようやく負の歴史を堂々と正面きって議論できるようになってきているのは救いだと思う。
再び台湾の地を踏めたとしたら、最低一つでも二・二八事件縁の場所に立ってみたい。

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今にして思えば、天気の
いい日に行ったものだと思う。









右側に、ワット・プラ・シー・サンペットの
かつての姿の模型に見入る人々が写る。






私の好きな画家に18世紀後半に活躍したH・ロベールという人が
いることは何度か書いている。ワット・プラ・シー・サンペットを
訪れたとき、もし彼がこのアユッタヤーの地を訪れたならスケッチ
を延々と続けて手を止めないのではないかという思いを強くした。


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中国風の味付け、上海ディズニーが開園 アジア3カ所目

サービスの質の向上のモデルとして期待する声が有るのは分かる。同時にオールド・スタイルの上海の姿を残し伝えていく姿勢も続いていきますように。

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