デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ウクリコさん(画像は動画の一部)

金曜の夜、パブ・デッシャロまでウクリコさんのライブを聴きに行った。
ウクレレのライブを聴く機会は2ヶ月ぶり。年が明けてから足を運ぶ回数としてはまぁまぁあるのだが、気分転換を図りたいと思っていた矢先だったので、本当に久しぶりに聴いたような気になった。またお客さんもよくウクレレを演奏される方が来ていたので、ウクリコさんのライブも飲みながらのお喋りも、とてもたのしかった。
今回の席は、これまでに無く、すんごい間近(笑)。次の演奏に入るまでに曲のことやユニークな楽器のことを訊ねたり、進行も形式ばったところの無い、とてもアットホームな雰囲気ですすんでいった。
ウクリコさんのレパートリーに、また新たな曲が二曲加わった。自分もまたいろんな曲を弾いてみようと思った。

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まさか雨にやられるとは。


夕日が沈む頃、ようやく止んだ。



水滴をきれいに撮るのは意外に難しいのかも…。


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二ヶ月ほど前、村上春樹の『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を読んだとき、作者がジョン・アーヴィングの小説を訳したのがきっかけとかで、小説の一つの可能性を見出したみたいなことを書いていた。また、初ウクレレ演奏のとき、小説好きな方と話したときにもアーヴィングのことが話題になったので、お薦めのあった短編集『ピギー・スニードを救う話』を読んでみた。
全体の感想となると私には難しい。多くが日常卑近なことをテーマにし、作中でアフォリズムになるようなことを混ぜてはいるけれどそれに固執せず、さらっと流してしまうような、私にとっては「苦手」なタイプの作品だ。でも詰まらない話かといえばそうではなく、話題性に乏しいわけではないので、読んで楽しい小説であるとは思った。
気に入ったのは「ピギー・スニードを救う話」「インテリア空間」「ペンション・グリルパルツァー」「小説の王様」の4編。小説の秀逸は「ペンション・グリルパルツァー」だと思う。
私は作者の思いが綴られている「ピギー・スニードを救う話」「小説の王様」の方に注目してみたくなった。人がものを創作する動機が語るとき、私はそれこそが大切な機会で、のちのち自身の心に残るものに通じるものがあると思っている。ディケンズについて書いた「小説の王様」の内容も、アーヴィングの熱い思いが端々に読み取れて印象に残った。いつかディケンズも読んでみようと思った。

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ルーヴル鑑賞において、プッサンの作品に負けないくらい、ここだけは外せないというセクションにやってきた。ジャン=バティスト・シメオン・シャルダン(1699-1779)の部屋だ。
シャルダンは、これまでに何度か書いているプルーストの『失われた時を求めて』に「登場する」のだ。作中にシャルダンの名前や作品が記されているわけではないのだが、作中に描かれる料理などの譬え、たとえば魚の内臓を大聖堂の内陣に譬えたりする豊かなプルースト十八番の隠喩は、プルーストがシャルダンの作品に対して抱いていた印象そのものなのだ。実際、プルーストは「シャルダンとレンブラント」という美術評論の中で、次のように書いている。

……シャルダンの諸作品のまえで足をとどめさせるだろう。そして彼が、かつては凡俗さと呼んでいたものを描いたこの豊かな絵に、かつては味気ないものと見なしていた生活を描いたこの味わい深い絵に、かつては安っぽいものと思いこんでいた自然を描いたこの偉大な芸術に目を奪われたとしたら、私は彼にこう言うだろう。……
 こういったものすべてが、今あなたに、見て美しいものと思われるとすれば、それはシャルダンが、それらが描いて美しいものであることを見出したからなんだよ。そして彼が、それらが描いて美しいものであることを見出したのは、それらが見て美しいものであることを見出していたからなんだな。
……あなたの頭上には、何とも奇怪な姿をした、かつてそいつがうねり泳いだ海のようにまだみずみずしい怪物が、つまりえいが一匹ぶらさがっていて、そいつを見ると、美食の欲求と、かつてそいつがそのおそるべき目撃者だった海の静けさや嵐の不思議な魅力とが融けあうんだな、そして、レストランの味のなかを、植物園の思い出のようなものを横切らせるさ。えいは開かれていて、その繊細で相愛名建築構造に感嘆することが出来る、赤い血や青い神経や白い筋肉などにいろどられていて、多色装飾の大聖堂の内陣といったところさ。
(筑摩書房『プルースト全集15』p248~252)


「赤えい」(1725-26)

吊るされたエイの内臓を大聖堂の装飾や内陣に譬えるという発想が、なかなかそう思いつかないものだと思う。そこに目をつけたプルーストもすごい。しかし、それも豊かな色彩で事物の実態すら描き出しているかのようなシャルダンの絵があってこそだ。シャルダンの絵こそ、私は究極のリアリズムだと思う。


「食前の祈り」(1740)

シャルダンは玉突き台を専門に作る家具師の長男として生まれ、社交界とは無縁な堅実な小市民社会で育った。
彼の観察眼・表現力・テクニックは作品を見て感じ取ることは出来るが、本人は仕事ぶりを誰にも見せずに秘密にしていたらしく、人々は「彼は魔法のような秘密の技法を持っている」と噂したほどだ。シャルダン自身「私は絵具を用いて仕事をするが、心で描く」と言っているとか。


「若き芸術家」(1737)

ルーヴル内のシャルダンの絵は油彩の風俗画・静物画、そしてパステル画による自画像があったが、シャルダンの作品は中の事物が動きだすんちゃうか?と思えるほど多層な質感を感じ取れるようだった。本当に空気までも伝わってきそうな。


「コマ遊びをする少年」(1738)

「赤えい」については書いたので、「食前の祈り」「若き芸術家」「コマ遊びをする少年」について一言。どれもドラマチックでもなく、まして誇張など感じられず、ひとり静かに自分の世界に無心に浸っているといったような、ようするに静かな生活の営みを描いた素晴らしい作品だった。このような過去にあったような光景は、ふと注意さえすれば、今の世でも見れそうではないか。
平凡で日常的なものが、シャルダンの造形世界にかかると、人間の真実みたいに思えてくる。これまで演劇的であったり劇的な効果を狙った作品を見てきたが、シャルダンの静寂・静謐な絵は、それらに対するアンチ・テーゼといったら言い過ぎだろうか。絵画の可能性を考える、すばらしい具体例が目の前にあった。

(以下、鮮明な画像の分です)


「赤えい」



「食前の祈り」


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二週間以上前のことだが、カメラとウクレレ持って自転車を走らせていた日のこと。(以下の桜の画像は先々週のもの)


深泥池(みどろがいけ)



新年度:期待と不安の相談

疏水分線の桜を撮っているとき、↓のこの場所だった。熟年の御仁と丁度、橋の上で鉢合わせしたので道を譲ろうとしたが、ひょんなことから御仁と私は譲り合うことよりもカメラと桜の話題を繰り広げた。


御仁との邂逅の場

桜のこと、その形や水面の様子などなど話が似通うな、と思っていたら、なんと御仁は↑の場所の風景を(幾度か?)絵に描いたことがあったので、桜が咲いたこの時期にもどんな様子になっているものか、見に来たのだとおっしゃった。
御仁が美しいと感じるアングルや、描きたいと思っているさまざまな場所、そしてご自身が美術の先生をされていたことから、その活動歴を聞いているうちに、お互いに美術の話題で盛り上がった。
そして灯台下暗しな私に、いろいろとお薦めポイントを教えて下さった。そして、美術仲間と教え子のグループの作品展の案内をいただいた。



というわけで、御仁との邂逅から二週間以上経ち、誘っていただいた作品展に足を運んできた。
大正生まれの画家さんたちの作品は、絵画も陶芸も込められた気持ちのエネルギーがほどばしり溢れていた。描く最中での精神力を維持するのはつらいと出展された方の一人はおっしゃったが、それでも並々ならぬものがあったと思う。
橋で出会った御仁は「コモ湖北部の風景」や「(ボッティチェッリの)フローラの模写」海岸を朝と夜で描き分けた作品などを出展されていた。過去にツアーでイタリアに立ち寄った際、少ない自由時間でスケッチをした風景の印象を、帰国後に自分の中で膨らませてカンバスに描き出すことに未だ改善の余地があるという。飽くなき追求心は衰えを知らぬ。なんかとても勉強になった。

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古田兼任監督退場、2000試合で暴言連発(日刊スポーツ) - goo ニュース
サンスポでの記事はこちら
この試合、スワローズの古田選手兼監督にとって通算2000試合出場というメモリアルゲームだった。
古田自身がマスクを被り、先発投手は竹馬の友の石井(一)だったが、ゲームは自身のパスボールでも失点を重ね、中継ぎの味方投手の二連続死球、乱闘一歩手前の小競り合い、最後は審判への暴言で退場という、古田にとっては本当に厄日だったろう。
なにかの記念日に、謀られたかのように悪いことが波のように押し寄せることってあるよなぁ。
なんかとても同情してしまう。記憶として良い物じゃないだろうが、とにかく進めと自分にも言い聞かせたくなってしまう。(最下位・成績不振が続いていることに対する意味でも)過ぎ去らぬ嵐は無いのだ。

   ***
(追記:23:00、翌12:40)
ヤクルト・グライシンガーが中日を完封、連敗2で止める(読売新聞) - goo ニュース
古田が笑った!退場翌日今季初のドラ叩き(日刊スポーツ) - goo ニュース
暗転した昨日と違い、今日はチームが勝ったようだ。今日だけは少し応援してしまったぞ(笑)。

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帰り際のこと。


新緑が現れ出した



桜はまた来年か。


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私にとって、どうしても見ておきたかったルーヴル美術館最高の展示室の一つが近づいてきたが、その前に最も有名な肖像画が私を見下ろしていた。



イアサント・リゴー「ルイ14世の肖像」(1701)


ご存知「朕は国家なり」と言ったあのルイ14世その人だ。画家のリゴーは前回触れたシャルル・ル・ブランの弟子である。
縦280cmの大カンバスにこれでもか、といわんばかり本当に王様しかできない格好で威厳を見せ付けた肖像画。身を包んでいるマントは白テンの毛皮、腰にはシャルルマーニュ伝来の剣、(今ではあまり考えられないが)ハイヒールも立派な履物だ。
ルイ14世は「領土を拡大することは、君主に最もふさわしい仕事である」と言って、たびたび戦争を起したが、当時のフランス王国を支えていたのは人口の6分の5を占めていた農村の人たちだったので、戦争をされると民衆の生活は圧迫された。もちろん、他にも疫病・凶作が襲ったこともあったし、重税なども科せられたわけだから、民衆の生活はかなり厳しいものだったそうだ。
1715年ルイ14世が亡くなったときパリの民衆は王の長い治世が終わったことを神に感謝して踊り、歌い、通り過ぎる王の葬列をののしったといわれている。
ちなみにルイ14世は死の床で後継者のルイ15世を呼んで
「私は戦争をたいへん好んだが、あなたは隣国と平和を保つことを心がけなさい。人民の苦しみをできるだけ軽減するように。もはや、私がしたような浪費はできないのだ」
と言ったと伝えられているが…。



ジャン・アントワーヌ・ヴァトー「ピエロ(ジル)」(1720?)


ルーベンスやレンブラントやフェルメール、プッサンやロラン、ジョルジュ・ド・ラ・トゥールらが活躍したバロック時代の次には、貴族趣味というか心的平和をフワフワした遊戯や宴をなどを明るく描いたようなロココ時代がおとずれる。
ヴァトー(1684-1721)は短命だったが、ロココ時代の幕開けを告げた画家として知られている。上の「ピエロ」でもロココ時代のティエポロやフラゴナールの絵の雰囲気が出ているように思う。
でも、この「ピエロ」は華やかで明るい画風の中にも、ピエロがもつあの独特の憂愁が表情から滲み出ていた気がした。それにやけに目立つこの白い衣装、ヴァトーの内面の表れとも思ってしまう。
ヴァトーは「恋の画家」と呼ばれていたそうだが、実際はそんなものとは縁遠い生活をしていたそうだ。ヴァトーの明るい雅な絵の世界は画家の夢だったというなら、彼はすべてを悟りきっていたのかもしれないと、思えてしまった。



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「おっ、画像がアップされてるぞ」
「いいから寝かせろ」



散る手前



呼ばれた、急げ!



ひと呼吸(1)






ひと呼吸(2)



散らす風(1)



散らす風(2)



散ったあと



鳥?









「半分は散った。また来年か…」
「まだ咲いているやつもあるでよ」↓



京都御苑(4/14)



上の木の先たん


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東宝シネマ系列のただ券が当たり、また先行上映ということもあったので、自転車飛ばして見に行ってきたよ。「ロッキー・ザ・ファイナル」。
ネタ割れはいけないので詳しくは書けないが、というか(世代・見る映画の好みにもよるが)"ロッキー"という時点で、大体わかるやろ?(笑)
過去にロッキーのシリーズに武者震いを覚えたり、とにかく見たことある人ならば、行って見てはと思った。あと、このシリーズや「ベスト・キッド」とかいった類の映画に見られる演出やあのノリが好きな人にもおすすめ。
作品自体は、いろんな意味でシルベスタ・スタローンの役者人生を象徴した、またうまくまとめたようなそんな感じだと思う。いろんな意味というのは、まぁ大目にみたほうがいいという意味もあるかも?!
それにしてもスタローンの肉体は還暦とは思えなかったな…。

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