デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



…雇い主であるフィリップへの接し方、人を見下すフィリップの養女への怒り方、弟、妹、母親とぶつかりながらも、優しさを秘める接し方、どれをとってもドリスの気持ちというのは、ものすごくイスラム的なのです。…
 突き詰めて言えば、それは、分け隔てをしない他者への接し方です。人と人との間に「線を引かない」態度と言ってもよいでしょう。…
 ドリスは、相手を障がい者だから、大富豪だから、と人間に線を引いて接しようとはしません。もちろん、郊外の移民の出身ですから、白人のフランス人への反感はドリスにもあります。しかし、本質的に、他の人に対して「差別」や「区別」をするという観念がないのです。
  内藤正典『となりのイスラム』(ミシマ社)p49~50

『となりのイスラム』のなかで上のように触れられていた映画『最強のふたり』(2011)を鑑賞した。今年も映画はあまり見ていないけれども、たぶん今年見た映画のなかでは一番の作品だろう。
感動ポルノの押し売りのいつになったら世界は救われるのか分からない一晩中やってる番組を見て涙を流すよりは、この映画を見た後に1時間のディスカッションをしたほうがはるかにいい。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




バンコクとアユッタヤーの画像をアップしはじめて久しいが、今更にして、柿崎一郎『タイの基礎知識』(めこん)というタイに関する概説書を読み始めた。
しっかりした研究とデータに基づいた堅い感じの本で、まだ第二章を読み終えたばかりなのだが、タイ語と地理に関しては焼け石に水程度で勉強したものの本当に何も知らないまま出かけたんだなとつくづく思い知らされる。
次の第三章はタイの歴史とのことで、楽しみである。たぶん、これまでアップしたタイの画像にも追記したくなるような内容が豊富に出てくることだろう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





美術全集で大きく採り上げられている作品が、「一生で一度は見ておくべき作品≒名作・名品」のようにところがあるし、事実それらの刷り込みや手引きがなければ、私などは鑑賞に困る。
しかし、それだけでは面白くないなぁという思いはどこかにあってしまうのだが、今回の松方コレクション展では有名な画集に載っていなくても他では普通に注目されているよ、といった作品が集まっていたように感じた。それは作品リストにけっこう多くの美術館や博物館や企業の名があることかも分かる。
印象に残った作品は多かったが、とりわけG・モローの「ジョット」には三回見入った。モローはギリシア神話や聖書に題材をとった幻想的で神秘的な作品が多いが、まさかのルネサンス絵画の父ともいえるようなジョットの肖像を描いているとは思わなかった。モローの「ジョット」はメランコリックな表情の中に霊感を受けている風ではあるが、色使いが現代のマンガのデザインっぽくておもしろい。
ほか、トロワイヨン、ドービニー、ブラングインらの作品が印象に残ったりした。レールミットの「羊飼いの女性と羊のいる風景」に今なら女性がスマホ触りながら放牧しているような風に見えてしまったり、ダッドリー・ハーディーの「海の収穫」に描かれる網にかかった"機雷"に皮肉と大いなるリアリズムを感じ、ルパージュ「ロンドンの靴磨きの少年」にはこの絵を購入したときの鑑識眼はすばらしいものじゃないかと素直に思えた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




国立国際美術館




先日、大阪で開催されている「ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち(展)」と、神戸で開催されている「松方コレクション展」をはしごした。一日に二つも回るべきでないな、と思えるほど、両展ともに密度の濃い充実した内容だった。
ヴェネツィア・ルネサンスの巨匠たち」はヴェネツィア絵画好きならたまらない内容だったと思う。
まずは、昔、友人がくれた絵葉書と同じ「受胎告知の聖母」の模写が目を惹き、驚き戸惑ったマリアが右手をピクッと上げる動作の表現を人間味を感じさせるなぁと感じたことを思い出し、懐かしい気持ちになった。
カ・ドーロにあるヴィットーレ・カルパッチョの「聖母マリアのエリザベト訪問」の解説にあった「同信会」という言葉も懐かしかった。ヴェネツィアには今もかつての同信会の建物があり、同信会がカルパッチョに依頼した絵画が飾られているのだ。
ティツィアーノが用いた赤はこの展示でも目立っていたように思う。あの赤色はティツィアーノの以後のヴェネツィアの画家たちにも多大な影響を及ぼしたように感じた。
パオロ・ヴェロネーゼの「レパントの海戦の寓意」は寓意どころかあからさまじゃないかと少し笑ってしまった。ヴェネツィアや「信仰」を表した女性がローマの守護聖人たちに囲まれているのはまだしも、天使がオスマン・トルコの海軍に向けて矢を放ってるのは肩入れしすぎだろ(笑)と。
私の勝手な憶測だが、ひょっとするとヤコポ・バッサーノの工房「動物たちのいる風景」は石版を叩き割ろうとしているモーセの絵では?と思った。
他にもすばらしい作品があって語りきれない。語弊があるかもだが、展はヴェネツィアでどうしても見落としてしまう作品、言い換えれば現地に行ったら必ず見たい作品リストの影に埋もれてしまう珠玉作品たちを見れる機会だといっていい。それはある意味、ガイドブックには載っていない入り組んだ路地に入ったら、たまたま目の前に現れた教会に入ってみたら素晴らしい作品を発見するような機会でもあるように思う。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




威容を誇るプラーンをまだまだ見ておきた
かったが、時間的なものもあるので次の遺跡へ。






はじめ分からなかったがお釈迦様の頭部なのだ









日がだいぶ西に傾いたように思った


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





大阪にはちょくちょく行くが、大阪駅前のすぐ横に新しい感じのするバスターミナルがあって、ここから近場なら一律210円で行けることを今更ながら知った。
小銭を持っていなくても、一律料金の区間なら、1000円札を入れれば自動的に790円のつり銭が出てくる機械も初めて利用した。便利になったもんだなと思った。

コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




ちょっと神戸に行ってきた
最初何の鉄骨だ?と思った



神戸ルミナリエの電飾の昼間の姿なのだ。



昼の電飾を見るのは初めてだった。とても細かかった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )































やっぱり晴れたら見え方が異なる。
市内は来週がピークかもしれない。


コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )











もう色づき始めていて、町はだんだん観光客が増えてきているように思う。昨年は暑さが去らずさらに大雨が降ったりしたので紅葉が落ちてしまいぜんぜん美しくなかったが、昨年に比べれば今年は美しい紅葉が見られるかもしれない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





田舎から干し柿用渋柿が贈って来た。皮をむいて焼酎を吹きかけて干すのは毎年の作業なのだが、干し終えると年が押し迫っているような気になってしまう。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


« 前ページ