デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




 

 

 

仏像及び神々の説明のみならず仏教美術史まできちんと触れた解説はありがたかった。さらに、有名な僧たちがガンダーラ美術について記録を残していることにも何気なく触れられていて、仏教史を学ぶ上でかかせない基礎的な縦の歴史へのきっかけも与えてくれていたように思う。


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横山崋山展に行ってきた。幸いなことに前期・後期ともに足を運べた。
展の目玉は「祇園祭札図巻」なのだろうが、私個人は紅花屏風と西湖十景図屏風、そして蘭亭曲水図屏風が最も印象に残った。
古来より中国から「蘭亭序」の存在や内容が日本に伝わっていたことは、今ならば分かる気がするが、江戸時代の絵師にとっても蘭亭曲水図が画題として大きなテーマであり、実際描かれていることを知ることができたのはよかった。
西湖も蘭亭も絵として描かれるうえでの型があるのだろうけど、西湖十景図屏風には三潭印月と三石塔、蘭亭曲水図屏風には詩作にふける詩人や酩酊する詩人そして鵞鳥もきちんと描かれているのを見ると旅へのあこがれを掻き立てるものがあった。


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祇園祭は山鉾の登場や山鉾巡行でそれでおしまいかといえばそうではない。7月の1ヶ月間、どこかしらで祭りの行事があり、八坂神社の疫神社夏越祭で締められる。詳しくはこちら
さて、画像にある粽は昨年の分が左、右が八坂神社で拝受した今年の分である。
両方の粽ともに「蘇民将来之子孫也」とあるが、これは粽が厄除けの御守りとなるきっかけとなった言い伝えと大いに関係する。
牛頭(ごず)天王(のちにスサノオノミコトと同一視)が旅人に扮してあちこち旅したが、疲労困憊に陥ったときに宿を探した。牛頭天王は大きな屋敷を構えた富饒な巨旦(こたん)将来に一晩泊めさせてくれるよう乞うたが、巨旦将来は牛頭天王の身なりを見て門前払い。次に見つけた、つましい家に住む貧窮していた蘇民将来(巨旦将来の兄)に宿泊を乞うと蘇民将来は快く招き入れ精一杯の食事でもてなし寝床を提供した。
翌日、牛頭天王はお礼に蘇民将来の子孫に茅(ち)の輪を腰に着ければ疫病を免れるようにして去り、蘇民将来の子孫は疫病にかかることなく繁栄したことが粽の由来とされている。(ちなみに富饒な弟の巨旦将来の家は滅んでしまったという。昔ばなしの典型の一つっぽく感じられた人は私だけではないだろう(笑)。)
この話は鎌倉時代の卜部兼方による注釈書『釈日本記』のなかに「素戔嗚尊乞宿於衆神。」と冠し、詳しい記述がある。
ようするに粽に「蘇民将来之子孫也」とあるのは八坂神社が祀るスサノオノミコト(素戔嗚尊)の加護によって疫病が寄ってこないお守りであることを示すのものなのだ。
世界各国、疲労でやつれた人を泊めさせてあげたら神様だった、泊めさせた家はのちに繁栄した類の話はそれなりにあることだろう。ただ、このタイプの話で粽の由来としても伝わっているものがあるとは意外に思う人も少なくないかもしれない。



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