デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 




マドレーヌ教会のあと、昔から現代に至るまでの芸術家の聖地ともいえるモンマルトルに足を運んだ。


坂道を登る

最初の画像に写っているサクレ・クール聖堂へは地下鉄ANVERS駅を降りて行った。駅を出て坂道を登っていくのだが、この界隈もお土産店や売店で賑やかなところだった。また、路上でカード賭博をしている輩もいたりした。


いかにもパリらしい音楽が。

サクレ・クール聖堂のある丘にたどり着くまでに、手品を見せる一団が道で立ちはだかっていた。それは手首に紐を巻きつけているのに、するりと解けてしまう「あら不思議」と言わんばかりの手品だが、さすがに貴重品を持っている身では自分の手首を縛らせる気にはなれない。
しかし、手品の輩の1人は私の手を強引に掴んだので、私が振りほどくと、今度は親切の押し売りとばかりお前の顔に何かついているぞと言ってきた。「あ、そう」と言って、さっさと坂道を上がっていった。無論、私の顔に何もついているわけは無かった。



この↑↓の風景・光景をみたとき、思い出したのが映画「アメリ」でアメリが気になる男のニノのアルバム(作品)を彼に返すときに、彼を右往左往させる場面を思い出した。もちろん、指で方向を指し示す「動く像」はなかった(笑)。



モンマルトルの丘ではジャズ用ギターでいろいろな音楽を奏でるミュージシャンもいたのだが、私個人はパリ独特というかベタなフランスの音楽を聴きたいところだった(笑)。



サクレ・クール聖堂に近づくにつれて、この丘は観光客でいっぱい過ぎると思うようになった。それに日曜日だから仕方が無かったのだが。それにしても、地元のパリジェンヌやパリジャンはどれだけいたのだろう(笑)。


丘からはパリが一望できます。



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Till there was you

ビートルズの音楽は「英語でしゃべらナイト」でよく流れる。とある回でこの曲がポール・マッカトニーが歌っている分で流れいたのを聞き、ウクレレでも合うのでは?と思ってちょっと弾いてみた。
この曲はビートルズのオリジナルではなくて、1957年にメレディス・ウィルソンという人が1957年の彼によるミュージカル「ザ・ミュージック・マン」のために書いた曲なのだ。
それにしてもこの歌詞、なんと素晴らしい韻の踏み方をしていることだろうと思う。歌詞で伝えたいことは一つだけという簡潔さ、そしてまた使われている単語も難しくなく、一つ一つの文を読むだけで情景というか、歌詞を語っている人が抱いているイメージを共有できてしまう。
しかし演奏はちょっと堅苦しめ?である(笑)。

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ukurico - 「悲しくてやりきれない」

加藤和彦といえば日本の音楽界で数々の名曲を生み出しヒットさせ、その活躍はイギリスにも舞台を移したこともあったほどだが、その加藤和彦の曲のウクレレバージョンを一曲紹介したい。
「悲しくてやりきれない」。この曲については、いろいろな俗説?があって、私が聞いたのは「曲が思いつかないことを、正直に嘆いたときに出来た歌」というもの。ただこの話、加藤和彦自身が語った証言からすると、当らずとも遠からずかも知れない(笑)。
名曲ができる時っては、意外にそういう時だったりするのか…。

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水田の稲穂を写真で撮ったのは初めてだった。





こうもクッキリ色が違うとは・・・



逆方向から



季節の変わり目


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mina - 「花咲く旅路」

ウクレレを始めたころに、いろいろな方の演奏を聴きに行ったが、今日紹介する「花咲く旅路」はその頃のライブ。あれから、2年も経つのか。
今「花咲く旅路」を聴くと、しみじみと響くものがあるなぁ。

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なんかバベルの塔にありそうな・・・

先月下旬の風景写真。何度もいうようだが、今年は本当に熱帯のような雲が多かった。





何ですか、これは…



雨上がり



突如現れた山のように


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ukurico - My Blue Heaven

今回紹介する曲は、以前にも紹介したことのある「マイ・ブルー・ヘヴン」(ウクリコさんバージョン)です。この曲は世界恐慌の前に作られた曲で、小市民の幸せを歌った作品です。この曲を聴くと、いつも古きよき時代みたいなイメージがわいてくるのですが、この曲「私の青空」という題で日本語の歌詞になっている分もあります。YouTubeにもありますので、ぜひ聴いてみてください。

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TVやネットでは、時に常識を疑うような出来事が取り上げられるが、見ている側としては、制作側の誇張のようなものを感じるときがある。
しかし、常識を疑うような珍しい出来事は、時としてわが身に降りかかることがある。桂文珍の創作落語で、現代のマニュアル対応を皮肉った作品があるが、それに似た?いやそれ以上のことが町なかであったのだ。
それは私が初めてウクレレを購入し、その他備品のことでも利用する十字屋のB1F楽器のコーナーへ譜面台を買いに行った時のこと。
私は楽器を始めてからというもの、いつも人様に譜面台をお借りしていて、未だ使用した譜面台を折りたたんだ状態にしたことは無かった。
しかし、自分の譜面台を買う以上、ちょっとした間違いで大切なフレームが折り曲がるようなことがあってはならないので、たたみかたを店員に尋ねた、のだが…以下がその時のやりとり。

私が、たたんで一番小さくなった譜面台の状態を見せていただけませんか?と頼めば、店員(髪の色と髪型がアルフィーの坂崎に似ていたので以下S)は、しばらく譜面台を触り、たたんだ状態どころか組み立て直してからこう言った。「ねじや調整するところをよく見れば、きちんとたたむことができますよ」
それから私が持っていたギターをチラリと見て、「ギターをされてるんですか、どのくらいされてるんですか、練習はどこでしてるんですか、ライブされてるんですか」などと譜面台と何の関係も無いことを、つくり笑いの顔で私に尋ねだしたのだ。
「いや、いや、いや」と私は憤怒の感情を我慢しながら、もう埒があかんとばかり、展示されてる譜面台を触りだして、その店員の前で自分で理解しようと努めだした。でも、台座にあたる部分のたたみかたが分からず、「とにかくたたみ方が分かったら購入するつもりなんだから、やってみせてくれ」と頼んだ。
Sは言い放った「譜面台の高さは高くしない方がいいです。どこで練習されているんですか?」
私は「たたみかた分からないなら別の方に尋ねて(呼んできて)もらえないか、たたみ方が分かったら買ってすぐに帰るんだから」と声のトーンが上がるのを自覚して言ったあと、自分でも抗しがたい忌まわしい卑屈な感情が沸いてきて「私は機械オンチで、譜面台でさえも何かを間違ってフレームをひん曲げてしまうようなことがあったらイヤなんだ、だから知っておきたいのだ」とまで言ってしまった。
しかしSはまだこう言った「ギターを始めてどのくらいですか?」
そのとき私のそばで、別の店員が店の作業をし始めたので、私はすかさずたたみ方を教えてくれと頼み、安い方と軽くてコンパクトになる高い方の二つあった譜面台のたたみ方をデモンストレーションしてくれた。
私が購入する方を決めて、それを伝えようとしたとき、Sが言い放った「高い方はコンパクトになり軽いので持ち運びに便利です」…。
安い方のを選んでレジで支払いをしながら、私は横にいたSに尋ねた。「譜面台のたたみ方なんて訊いてくる人が初めてだったのか?」 その返事は「(レジの方に案内の手を向けて、支払いを)どうぞ~」。
あんた、性質(たち)を悪くし機能不全に陥ったボッコちゃんみたいなんだけど???

要するにSは、私が譜面台のことのみ訊ねているのに、なんの脈絡も無くテキトーな感情のこもっていない営業トークを、客が商品を殺(あや)めてしまうのを覚悟に試行錯誤しているときに放ったわけだ(笑)。どんなマニュアルの誤読だ? ちゃんと教育しているのか?
もしかして、入りたてで事実上の研修初日だったのか? いや、私は対応はしてもらわなかったが、前にもSを見たことある気がする。
私は、譜面台のたたみ方を教えることができないことを責めはしない。でも「少々お待ちください、代わりの者を呼んできますゆえ」という一言さえ、言えなかったのだろうか? あまりにも今回の体験は異常だった。それに他の店員にも、私とSのやりとりは聞こえていたはずなのに、我関せず状態だった。
これを見ている人の中には、譜面台のたたみ方も分からなかったキミもキミだ、とか、さっさと分かる店員を呼べばよかったのだ、キレて店を出れば?と思う人もいるだろうなぁ。
そうだろうし実際、私のなかで抱いていたその店(グループ全体ではない)の「ブランド力」は急激に下がった。だが繰り返すが、私が初めてウクレレを購入した店だったのだ。

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日本でも一日一度は金融のニュースに登場するニューヨーク証券取引所やFRB(連邦準備銀行)があるウォール街へ足を運んだ。





ニューヨーク証券取引所



そこまで旗で覆うこともなかろうに…。



世界の株の動向に影響を及ぼす地は、立派な観光名所だ。







最初、ニューヨーク証券取引所という名前にミーハーな気分でいた私だったが、写真を撮っているうちに、なんかこの建物、ビルに無理やりギリシア式の神殿をはめ込んだようなように見えてきて、ちょっと滑稽に感じたのを覚えている。
それにしても物々しい警備だったな…。


フェデラル・ホール・ナショナル・メモリアル

その点、ニューヨーク証券取引所よりも、すぐそばにあるフェデラル・ホール・ナショナル・メモリアルの方が威厳を持っているように思えた。


像はジョージ・ワシントン

ここの階段ではウォール街で働く人々が、お昼時に座って昼食を摂っている姿が見られる。ただ、その時間帯もどこかしら、まるでビルの間に吹き付ける風のような騒音のみの静けさというか、シビアな空気が流れているような感じを受けた。



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