中国足心道 足揉みぱくちゃん 「今日も元気だ!ご飯がうまい!」

「足揉みぱくちゃん」の療術師 市村良子の日々の出来事、暮らしを綴った日記です。

肉団子のスープ。

2020-01-01 23:38:49 | Weblog
実家の両親もすでに亡くなっていると言うのに、未だにお正月は実家へおよばれに行く我が家。

実家の姪っ子が食べてみたいと言ってた「肉団子スープ」を持参して。
何も、お正月のご馳走がならぶテーブルに、お惣菜を置かなくてもよいじゃないかと思いつつも、。。
足揉みに来た姪に、息子がうちのお袋の味は、「肉団子スープ」と言うたらしい。

で、これがそのスープ。




いつ、誰に教えてもらった料理か忘れましたが、子供達が小さい頃から作っていました。
夫は、ギョーザ以外のミンチ料理は苦手なので、夫が夜勤の時に親子3人で食べていたものと思われます。

ミンチは、豚肉でも合い挽きでも何でも良いです。
炒めた玉葱と卵、牛乳でふやかしたパン粉を入れて(ハンバーグの種やね)コネコネ。
その前に、白菜と人参、えのき、冷蔵庫の野菜はなんでも良いと思いますが、鍋に野菜と水を入れて、300㏄に一個の割でコンソメスープを入れて煮ます。

その間に、ハンバーグの種状になったミンチを丸めて、片栗粉をまぶして油で揚げます。
あとで、白菜の中に入れるので、中まで完全に火が通ってなくても大丈夫。
外が固まったら、油から上げて、コンソメで煮込んでいる白菜の鍋に入れます。


肉団子に火が通って、団子の周りの片栗粉がとけて、ややとろみがついたれ出来上がり。
材料費がとっても安いので、若い頃の私達には、ありがたいメニューでした。
冬の寒い日に、どうぞ食べてくださいね。

元旦の夜は、昼間届いた年賀状のお返事書き。
若い頃は、村の消防団にいた夫が年末警備に夜中の2時、3時まででかけていたので、それを待ちながら年末に年賀状を書いておりました。
それが、いつの間にやら、元旦に書くようになってしまいました。

キチンと元旦に届くように書いてくださる皆様、ありがとう。
何年も会うことなく、年賀状だけの友人。
今は、どうなってるか分かりませんが、若い頃のお顔を思い出しながら、お返事を書く。
お正月のご挨拶の年賀状のはずが、ハガキ一杯に長文のお便りになってしまう方も。

さて、このブログを書き終えたら、年賀状書きを始めましょうか。
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ルーツは一つ、皆同じ所から生まれた。

2020-01-01 00:31:57 | Weblog
2020年、明けましておめでとうございます。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

皆様からの「食の提案」お待ちしています。何でも、言うて~。

暇なもんで、年末からずーっと夜更かし。。。
たまたまつけたテレビで見た、ETV特集のスイッチインタビューという番組。

ピアニストの舘野泉さんと高槻市にあるJT生命誌研究館の館長、中村桂子さん。
舘野泉さんは、北欧のフィンランド在住で、昔NIHKのピアノのお稽古の先生で見て知っていました。
透き通るようなピアノの音色は、やっぱり北欧にお住まいだからかな~なんて思っていました。

それが、何年か前、脳血管障害で右手が不自由になられ、そのまま引退かとおもいきや、左手のピアニストとして復活されました。
いまでは、左手のピアニストのコンサートを開催したり、募金を募って左手用の曲を作曲してもらったりと、以前と同じかそれ以上の活躍をされています。
右手が使えなくなったのは、そのためだったのか!と思えるほどのお仕事ぶりです。

でも、発作のあと(多分フィンランド人の)奥様が「やっと、私の元に帰ってきてくれた」と言う、前向きの言葉をおっしゃった。
いまでは、また世界中を飛び回っておられるかもしれませんが。。。

中村さんは、東大の理学部を出た科学者です。
DNAと言う言葉がまだ日本に入ってなかった頃に、教授からそれを聞いてとても好奇心をそそられたそうです。
以来、ずーっと生命科学の分野で働かれています。

ミジンコも人もその細胞の一つ一つにDNAを持つ同じ仲間だという。
元は、一つだった。その一つから枝分かれして種ができた。
最初は、一つで皆が同じルーツを持ち、仲間だという意識ができたら、人は随分と優しくなるだろうと。

どちらも同じ83歳という高齢ですが、全く年齢を感じさせない人たちでした。
中村さんは、おうちは東京にありますが、普段は高槻市の生命誌研究館におられるみたいです。
一度、是非訪ねてみたい所になりました。

ネットというのは、本当に便利で、中村桂子さんを検索すると沢山でてきました。
その中で、在宅ホスピス医の内藤いずみさんとの対談がありました。
内藤先生は、「自宅であなたを看取りたい」という本をだしておられて、病院嫌いの夫のために参考にしようと購入していました。
末期がんの強烈な痛みを抑えるのに、内藤先生も以前は県内一番というほどモルヒネを使用しておられたそうですが、今はほとんど使わなくて済むようになりました、と。

自宅で好きなように暮らすということが、癌の体にとっていかに大切か、ストレスのないことか。
でも、大抵の方は、不安で自宅で闘病できないのだと思います。
それを内藤先生は、徹底的にサポートする。
寄り添って、励まして。
「私が行くと、悲しみ2割、笑うのが8割です」とおっしゃる。

癌の患者さんと寄り添うことを「死の淵を共に歩む」と例えておられました。
自分がしっかりしていないと、引きずられて一緒におちてしまう。そんな体験もあったそうです。
これは、私達療術師も同じで、重篤な方を施術するときには、自分の免疫を高く保っていないと引きずられます。

中村さんも内藤先生も、「命をどう捉えているか」という視点が同じなんだと思います。
面白かったので、良かったら、またみてみてね。

内藤先生は、30年間、自宅で最期を迎えるお手伝いをされてきたのですが、最近は、お国が、病院や施設ではなく自宅で死んでね、という方向に転換しました。
「経済的な理由からでしょうね」とお二人はおっしゃる(なにせ医療費が42兆円)。

何年もかけて内藤先生がやろうとしてきたことが国がやれば一発でできた、ということだそうです。
経済的にだろうと何だろうと、「自宅で最期を迎える」というのが一番だと思います。

それには、本人の覚悟も勿論ですが、家族の覚悟も。
それと、内藤先生のようなモルヒネの資格を持つホスピス医がもっと増えないと。
死生観をもった医者や介護者も必要。
技術だけではなく、「生と死」を考えられる人。

お年よりのほとんどが、「死」にたいして不安感を持っていますと、内藤先生。

「死ぬのを怖がるお年寄りは、次がないからな~。
ちゃんと生きている人は、今回の生を終えたら、次の生では何をしようかと、もう考えているよ」と、YMおっちゃん母上。

私も、今生の命でできるだけのことをやって、次はまた魂のどこの何を磨こうかと考えていた。
人は、何度も何度も生まれ変わって、その生の間に魂磨きをする。
この世は、修行の場という言葉が示す通り。
ピカピカに磨きあがった魂は、もうこの世に下ろされることはないそうな。
今生の命題をやり損ねたら、また来世も同じ命題の繰り返し(磨かなあかんとこが磨けずに死ぬ)。

死んでは生まれ、生まれては死ぬ。
だから、何度も経験する死がそんなに過酷なものであってはならないと思うし、あるはずがない。
なんで、ここまで忌み嫌われて、恐れられるようになってしまったのか。
どこで間違ってしまったのか、死ぬことが。

もっと明るく、もっと楽にお別れして、また次へと続こう。

今、年末にやってたN響の「第九」を見ています。女性の指揮者さん。
昔は、そんなに好きじゃなかったし感動もしなかった第九だけど、2年前、市の文化センターであった同じく女性指揮者と関西フィルの第九。
物凄く感動的でした。
指揮者と関西フィルが良かったのか、私が年をとったせいなのか。。。

今聞いてるN響もテレビだけど、いいな~、特に第2楽章。
これから合唱があるわけだけど、「世界中、皆仲間。全員で抱擁しあおう!」みたいな訳でしたっけ?

若い頃は、自分の周りを囲い込むような感じだったけど、60歳を過ぎると自分から周りに放出していく感じ。
自分と他者を隔てるものもなくなった。

中村先生のおっしゃる、「皆一つから生まれた。だから同じ」と一緒の感じやね~。

YMおっちゃん母上の「市村さん、生きてるって楽しいね~」が深まるのかな、これから益々。







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