中国足心道 足揉みぱくちゃん 「今日も元気だ!ご飯がうまい!」

「足揉みぱくちゃん」の療術師 市村良子の日々の出来事、暮らしを綴った日記です。

広隆寺散策。

2016-02-29 00:09:21 | Weblog


この本を読んで、お正月には坂越の大避神社へ。
そして、そのうち京都太秦の広隆寺へも行きたいと思っていたら、なんと今回の京都の研修の宿泊先が、太秦の「宇多野ユーズホステル」。

聖徳太子の側近、秦河勝が建立したお寺、広隆寺。
秦河勝は、朝鮮半島からわたって来たとなっていますが、大陸と半島はただの経由地で、元はアッシリアの東方キリスト教の一族だったらしい。

秦河勝を訪ねて、大避神社から広隆寺へと流れていきました。
宇多野で関東の皆とバイバイして、一人バスターミナルまで、てくてく。。。
バスに乗って、嵐山を抜けて広隆寺へと。
元々、車や電車の窓から外の景色を眺めるのは大好きで、久しぶりのバスの旅。

広隆寺の山門をくぐると、あら~、実家のある太子町の斑鳩寺に雰囲気がよく似てる。
斑鳩寺は、聖徳太子が、広隆寺は秦河勝が建立したと言われてますが、二人はよく似ていたのでしょうかね~。



このお寺には、有名な「弥勒菩薩」の像が収められています。
弥勒菩薩以外にも、千手観音や仁王像、秦野河勝ご夫妻の像もこの建物の中にありました。

どうしてだか、薄暗くて照明もほとんどないので、有名がな「弥勒菩薩」の微笑みも見えにくい。
でも、さすがに美しい仏さまでした。

入場料を払って、しばらく行くとこんなものがありまして。



見えにくいですが、「広隆寺十善戒」で検索していただくと、ばっちり分かります。
これを見て、すぐに「モーゼの十戒」を思い出したのは、私だけではないようです。
某ブログで、「日本人はどこから来たのでしょうね~」とつぶやいていました。

モーゼも広隆寺もどちらも、第1戒は「汝、殺すなかれ」と「不殺生」でした。
多分、「十善戒」は「十戒」から来たんだな。
当時の日本人が、「殺すなかれ」といちいち教えてもらわなければならないような種族だったとは思えない。

縄文時代にすでに、死者を葬って、花を供えて弔っていたという。
ほんの子供の頃から、西洋のものが好きだったぱくちゃんのルーツは、アッシリアの東方教会だったりして。。

秦河勝夫妻の像に向かって、「私のこと覚えてない?」と尋ねた私って、一体だれでしょう。


ついでに。。。
有名な弥勒菩薩の素敵な微笑みは、衆生に向けたものでなく、自分で自己満足したような、
「ふふふ。。。」って笑っているように見えましたが、ぱくちゃんには。




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「上級実践講座」始まります

2016-02-28 23:38:47 | Weblog
2月22日から3泊4日で、中国足心道の京都治療院で研修がありました。



京都治療院の院長の藤川師範は認定番号90番(ぱくちゃんは730番)の超ベテラン療術師。

最近では、膵臓がんから肝臓転移で手術もできないと言われた患者さんを週に2回揉み続けて、手術にこぎつけ、快方に向かわせているということです。

ここで、藤川師範以下、5名の師範(栃木、埼玉、姫路)が札幌本部の院長から受けた講習はこれ。



最近、急増している癌と認知症のための足揉みを、一般の方にお教えできるようになります。

普通、療術師が施術する反射区は全部で62か所あります。
そのうち、癌に対する反射区が5個、認知症には9個あります。
合計、14個の反射区と足全体をほぐす循環療法を8時間で覚えていただきます。

癌や認知症の患者さんを抱えたご家族の方が反射区を覚えて、毎日揉んであげる。
そして、時々プロの療術師が揉ませていただく。


「中国足心道の治療院」と看板をあげて、お仕事にすることはできませんが、ご家族や親しい方が癌や認知症になられた時、またはその予防としての足揉みを覚えるための講座です。

今回、私が先行して受講しましたが、数か月後には姫路にも何人が講師の資格を持つ療術師が誕生しますので、もしこの講座を受けてみようと思われるかたは、お近くの療術師にお尋ねくださいね。




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貧乏ですか?

2016-02-28 23:23:44 | Weblog


南米、ウルグアイのムヒカ大統領が2012年、リオデジャネイロの国際会議で行った演説。

本の帯に、
「貧乏とは、少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないことです。」
とあります。

演説の壇上に立ったムヒカ大統領。質素な背広にネクタイなしのシャツすがた。
給料の大半を貧しい人のために寄付し、大統領の公邸には住まず、町から離れた農場で奥さんと暮らしています。
花や野菜を作り、運転手つきの立派な車に乗る代わりに古びた愛車を自分で運転して大統領の仕事に向かいます。

土曜の夜のテレビ「世界ふしぎ発見」。
番組で一度も訪れたことのない南米、ウルグアイの取材。

その中で紹介されていた本です。
何となく惹かれて買いました。

気になった本をネットで即、購入できる幸せ。。。
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一緒に考えましょう。

2016-02-22 02:55:59 | Weblog


13日の土曜日、雨の降る中、珍しく最寄り駅まで歩いて、明石にある会場まで行ってきました。
最寄り駅まで、徒歩12,3分。なのに、その後3日ほど筋肉痛。
老化現象も甚だしい!

今回は、肝臓、胆管、膵臓の癌のお話でした。

まずは、肝臓癌の発症は、B型、C型肝炎ウイルスから肝硬変、そして肝臓癌となるケースが多い。
キャリアの方や、ぱくちゃんみたいに以前、肝炎を発症した経験のある方は年に1,2度腹部エコーで確認した方が良いとのことです。(勿論、そんな検査したことないけどね)

検査で、癌と分かったら、一番良いのは、手術で摘出してしまうこと。
手術ができれば、治癒の確率も高いそうです。
が、肝硬変から肝がんになった場合は、肝臓全体がすでに、固く変形してしまっているので、たとえ癌の部位を切除しても、残りの組織の改善が望めない。とっても取らなくても同じ。

肝臓はうまく切除して3割残せれば、元通りに復元する臓器だそうです。
が、膵臓の場合は、血管や他の臓器に密着しているので、手術自体が難しい。
上手く切除できずに、癌の組織を残してしまうと、手術のダメージで弱った体に一気に癌細胞が増殖するそうです。難しいですね~。

で、手術できない方、または、術後の抗がん剤ということになるのですが、よく効く薬は、副作用もきついんだそうです。
使い続けていると、抗がん剤が効かなくなるんじゃなくて、副作用でこれ以上体が耐えられなくなるから、弱い薬に替えざるをえないってこと。

おまけに、一度使ってしまった薬には、二度と戻れないそうです。
体調が戻ったからって、元の薬にもどせない。
だから、抗がん剤を切り替えるのは、十分考えてのこと。
間隔を空けてみる、量を減らしてみる。
一番効果的な薬を最初に持ってきてるはずだから、なるべくその薬で治療したい。
でも、これ以上耐えられない。ってことらしい。

今、抗がん剤治療中の方も、普通なら4か月で副作用に負けると言われてましたが、今8か月目で継続中。
一度だけ、白血球の数値が戻らず、できないことがありましたが、口内炎などの目立った副作用も出ず、続けておられます。

去年の4月に肝臓の7割を切除、2か月後に始まった抗がん剤治療の時からの足揉みスタートです。
毎週揉みで8か月になりました。
よく、足が副作用を止めてくれていると感謝しています。
ついでに、最初の頃にあった腰痛や座骨神経痛もいつのまにやら、なくなっています。

聞かなかったら、この方が抗がん剤治療中だとは誰も思わないほど、外見は普通です。
抗がん剤治療は高額なので、
「最近は、娘たちが、お母さん、抗がん剤止めて美味しいもんでも食べに行こうよって。」

「患者よ、癌と戦うな」の著者、近藤誠先生の本が出て以来、抗がん剤は悪者になってますが、今回の話を聞いて、足揉みとの併用で行けば、かなり効果的な気がしました。

手術後の回復に足揉み。
抗がん剤の副作用を止めるのに足揉み。
今の方の足揉みがどこまで、どんなふうに改善を続けていくのか期待して揉んでいます。

昔のように、ボロボロになるまで抗がん剤を続けて最後はホスピスに、ということでなく、癌を持ちながらなるべく普通の暮らしを続けていける治療を目指しておられる先生達の温かい気持ちが伝わってきました。

兵庫県立がんセンターは全国9位の症例数を持った病院だそうです。
「ぜひ、うちの病院へきてください」っておっしゃってましたが、行かずに済ませたい。

もう一つ、「緩和治療」という言葉は、もう打つ手がなくてあとは緩やかに死を待つということでなく(できればこの言葉を使うことは止めてほしいと国に言うてますっておっしゃってましたが)患者さんに初めて、「癌でした」と告げる瞬間から、患者さんを支えていくこと、これが緩和治療だと思っています、とおっしゃっていました。

今でも、たまに不愛想なで高圧的な先生もいるけど、今回お話された先生はどなたも、患者さんに寄り添って行きたいと思っておられるようです。

「聞きに行きたいけど、怖くて行けません」とおっしゃってた、ぱくちゃんの足揉みの方に
「キャリアでもなかったから、肝臓の他の部分は正常で癌のことろだけ切除できたこと。
抗がん剤も通常の2倍の期間続けていけてること。
今の所、一番良い治療法で進んでいると思いますよ。
今は、癌のことを忘れて、普通に生活されるのが一番体が喜ぶと思います。」

身体が喜ぶことをするのが一番。
嫌なことは、しなくていいから。
気が進まないことが来たときは、これは自分でないとダメなのか、他の誰かじゃダメなのか、または、しなくても良いんじゃないのか、と考えて、やっぱり自分しかいないと決まったら、丸呑みしましょか。
その代わり、そのあとに、何か楽しいこと入れてね。
これが終わったら、あれがあるじゃん!って思ったら、何とかなるもんじゃ。


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これで良いのよね。

2016-02-22 02:19:32 | Weblog
花粉症の息子の足揉みの最中、使っている携帯をふと見ると、

「えらい、古い携帯やな~。剥げてしもとるやん」
「ええねん、これで。」
と言いながら、友人とメールしている。

30代の息子はガラケーの他にも、スマホ、タブレット、パソコンとあれこれ使っている。
ほどなく、友人達が来て、お話中に、
「大介、えらい古いガラケー使ってるんよ」
と言うと、
「僕らも持ってます」と友人二人がゴソゴソ取り出したのが、これまた骨董市にでも出そかと言うくらいの携帯。

その友人が取り出したのが、薄型のノートパソコン。薄くて軽そう~。
「ここでも、インターネットつながるの?」と聞くと、
「シムカードなんで。。。」と取り出して、見せてくれた。

「シムカード」
知ってる方、手を挙げて!
ぱくちゃん、初めて聞きました。
このチップを購入すると、スマホ、タブレットの両方、街中でもインターネットができるんだそうです。

このあたりから、説明を聞いていた脳細胞が引っ越し始めた。
「なんで、広がらへんのやろな」と息子たちが話しているのを聞いていても、理解不能。

「ガラケーとタブレットを持ってる人がいるけど」
「うん、それが一番いいんちゃう?」と息子。
「ノートより、タブレットの画面小さいやろ」と友人。
「ほんまや、母ちゃん、老眼やから今のノート使っとき」

自分の周りが、スマホやタブレットに変わってくるので、そろそろかな~と思っていたけど、
若い人たちが自分のニーズに合わせて、使い分けているのを見たら、ぱくちゃんには、今のガラケーとノートパソコンで間に合ってるな。

で、息子のシムカードの利用料は、1000円まで。
使い放題つけても、2000円超えることはないやろ、って。
シムカードはネットで3000円で買えるそうです。
タブレットやスマホも、20000円程。安いのやったら、10000円までであるそうな。
高い機種を2年払いで払うのが当たり前って思ってたけどね~。

「母ちゃんの周り、高い料金払ってるよ」
「そうなんや、なんでやろな。携帯3社に喰われとる。
でも、僕も年がいったら、若い人のやってること理解できんかもしれんし。」

引っ越してしまった脳細胞が帰ってきませんので、これ以上は理解不能。
ですが、慌てて変更しなくてもいいってことだけは、納得。
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やっぱ、こわ!

2016-02-22 02:09:26 | Weblog
「ムーさん」の顔が可愛くないのね、と思っていたら、足揉みに来てくださった女性がおっしゃった。

「これくらいの方がいいんですよ。前に、ピンクのライフ(ホンダの軽)に乗っていたのですが、明らかに女性が乗ってるってわかる車だったから、煽られて煽られて、困りました」

女性の運転だと分かると、後ろにぴったり張り付いたり、嫌がらせをされることがあるんだそうな。

へ~。

で、ムーさんのカタログを取り出して見てみると、



ほれ、
深い海の底から、ズンズン、ズンズンと浮かび上がってくるシャークみたいやん。

これでいいのだ!
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着々と。

2016-02-11 01:17:37 | Weblog
夜、某病院の院長先生の足揉み。
奥様が毎度ブログを読んでくださってまして、今日も
「お父さん、大丈夫ですか?」と心配してくださる。

それが、足を切断してからの方が、元気でして。。。
お元気になられますよ、と先生のお言葉。

壊死した足をそのままにしておくと、やはり毒素のようなもので、身体がやられるそうな。
先生のお母上も、両足切断になりながらも、お元気になられて
「車いすに乗って、暴走してました」と。

91歳で、最後は老衰でお亡くなりになったそうです。

父もこのまま元気になって、車いす暴走族になるのだろうか。
今は、自分の身を起こしておくこともできないけど。
この3か月、父の変化で色々勉強になりましたけど、これから先、どんなふうに元気を取り戻していくんだろう。
また、最後はどうなるんだろう。

「色々見せてくれてるお父さんに感謝して、ありがとうって言うときなさいよ」とおっしゃった方もありました。
足の切断が決まってからは、あまりの酷さに「はよ、お迎えに来ておくれ~」と
宙に向かって叫んでいたけど、今は成り行きに任せていこうと。

認知で元気な片足の父。
なんか別の問題が起こりそうな気もしますが。。。
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可愛くないかい?

2016-02-11 01:06:06 | Weblog


「なんちゅう可愛くない顔やねん」
と、7日神奈川の娘婿殿の足揉みに行った際に、ブログを見た娘に言われたお言葉。

車に可愛い顔とか言うんかい?
そりゃそうや。皆、顔見て買ってるよ。
へ~。

と思って、しげしげ眺めてみると、そうやね。。。なんかいかつい。
ムーヴの「ムーちゃん」と呼んでたけど、おっさんぽく「ムーさん」に替えました。

夜、自宅に帰って、「ムーさん、ありがと」とポンポンと頭をたたいた。
「おうよ!」って言ったりしてさ。
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復活みたいね。

2016-02-07 00:27:20 | Weblog
どっちへ転ぶか分からなかった父は、その後回復しました。
糖尿病による壊疽を起こした、左足の切断手術も4日に無事終わり、モニターも不要になったようで、身軽になっておりました。

危篤かと言われてから1週間。
手術なんかできるんかいな、と思っていましたが、腰椎麻酔で箒の柄のように痩せこけてしまった足を脛の所から切断しました。

切断した足は、なんと役場の許可を得て、火葬場で荼毘にふすんですよ。
てっきり、生ごみ処分されると思っていたのに、びっくりです。
「お骨を拾って帰られる方もいらっしゃいますよ」と看護師さん。

術後、段ボールに入れたものを弟夫婦が焼き場に運んで、処理してくれました。
本当に、3か月間、毎日毎日、朝晩病院へ通ってくれてる義妹には感謝、感謝。

「あ~、そうなんですか、お嫁さんなんですね。私は、てっきり娘さんかと思ってました」と、これまた看護師さん。
いやいや、娘はほんのたまに来る程度。。。

手術当日はお嫁ちゃんが付き添いをしてくれたので、翌日はぱくちゃんが泊まるべと用意していたのですが、壊死した足がなくなると、身体が楽になったのかどうか、父の様子が安定してきました。

「泊まらなくても大丈夫ですよ」とお嫁ちゃんから連絡もらったけど、せめて顔だけでも見てくるかと病院へ行きました。

ここで、すぐに帰れば良かったのに、つい「リンゴジュース飲む?」って聞いちゃった。
「飲む」と父。
お茶ゼリーはイランって言うたくせに、リンゴジュースには即答。
そうだよね、ミキサー食になってから、美味しいものろくに食べてないもんね。

嚥下障害があるから、ミキサー食になってるはずだけど、数日前もお茶をごくごく飲んだから、行けるだろうと飲ませてみました。
ごくごくごくごく。。。
紙パックのジュースを飲みほしてしまった。。。

ここでやめときゃ良かったのに、もっと飲む?とお水を飲ませたのが悪かった。。
なにせ、部屋の暖房はエアコンで、かなり乾燥しているだろうと、思ってしまった。

やってしまった、誤嚥。
酷いせき込みで、このままおまいりしちゃうのかと思うほどの苦しみよう。
2,3分かもっとだったのか。
父の背中をたたきまくり、看護師さんを呼ぶべきやと思っているうちに、なんとか治まった。

「呼吸、大丈夫?」
「大丈夫、すまんこっちゃ。」とこちらを気遣う。
「ごめんね、調子に乗って、飲ませちゃって。
基成(弟)にジュースで死なせてしも~たなんて言うたら、殺されるね」
というと、大笑いしてました。

その後、「少し、拘縮が始まってるんです」と看護師さんに言われたので、腕の体操と揉みほぐし。
左足はもうないし、右足も術後の浮腫み予防とかで包帯のぐるぐる巻きになってるので、今は手揉みをしています。

札幌の講習時、「足が本線で手が支線です。両方揃っているときは、足揉みをしますが、事情で足を失ったら手がその役目をします」って習いました。

手揉みをして、腕のほぐしと上げ下げ。
見よう見まねの理学療法。(こんなもんだっけな?)

ぱくちゃんに、あれこれさせられて、眠ってしまった父を見ていると、
「精神は全く変わっていない父が、ボロボロになった肉体に閉じ込められている」
ような気がしました。

「今度は、コーヒーか卵焼きでも持っていこと思うねん」と息子に言うと、
「勝手に食べさせて、のど詰まらせたら、おっちゃんに怒られるで」と。

「美味しいもん食べて、詰まって死んだらおっちゃん怒るんやろか?」
「当たり前や!」

そーなんかな。。。

夜、お嫁ちゃんに
「誤嚥性肺炎になって熱が出ても、もっちゃんにはご内密に~」とメールすると、
「了解、了解。実は、私もやったころあるんです。お父さん、むせて怖かったです~」

またむせるかもしれんけど、コーヒーが大好きだったから、やっぱ持っていこ。

ふと思ったけど、在宅介護だった母は、大腸癌から肺がん、リンパ転移、骨転移と状況は悲惨だったけど、症状は全くなかったな~。
肺がんのくせに、呼吸困難も咳も痰もなにもなし。
誤嚥してむせることもなかった。

毎日の足揉みで頑張ってたのかな、細胞君たちが。

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危篤の風景か?

2016-02-01 01:28:23 | Weblog
「親父の容態が急変したって、病院から連絡があったんやけど。。。」
午後、実家の弟から電話が来ました。

食事もミキサー食になってたし、あんまり食べないしな~と思っていたこの頃。
あれこれ考えながら病院へ着いてみると、こうなってました。



バイタルって言うの?モニターにつながれたコードが色々。
おまけに酸素吸入器もつけてあります。
完全に、おまいり一歩手前の状況。
午後に、急に酸素量が低下したこのことでした。

4年前に末期癌で自宅療養していた母は、病院に居る間も自宅に帰ってからも、この装置には一切お世話になることがありませんでした。
週に1,2度、看護師さんが来て、このモニターにある血圧や、酸素量や諸々計ってくれてました。
父と同じく、導尿はしていましたが、パックのお世話はお嫁ちゃんがやってくれてました。

超低空飛行の状態が何日が続き、静か~に、いつ亡くなったのかも分からないうちに、母は亡くなりました。
このモニターを付けていたら、様々な数値が緊急事態をしらせてくれるので便利なんでしょうね。

でも、取り付けられた父は、さぞや鬱陶しかろうと酸素吸入器を外してたら、
「外さないでください」って注意された。
だって、呼吸は全然苦しそうでないし、酸素量が100ってモニターに出てますが。。。
とは、よう言わなんだ。

在宅だったら何もつけないのに、病院でもイランやんか!と息子に愚痴ると、
「ほな、連れて帰れって言われるで。看護師さんもずっと付いておられんのやから」
と、もっともなご意見で反論された。

コードだらけになって、酸素付けられて、痰の吸入されて(これは、何度見ても苦しそう。窒息してもええから、止めといてね、自分の時は)、ホントに在宅の看取りとは全く違う。

まだ意思疎通は十分できるので、酸素吸入器をまた外して、「お水飲む?」って聞いたら、
飲むって返事。
誤嚥するかもって思って、スプーンで少しずつ飲ませてると、結構いけてますやん。
ほなら、ストローでも大丈夫ちゃうのん?
とストローで飲ませてみたら、ごくごく飲んでまだ欲し気。
それならと、ヨーグルトも放りこんでみたら、食べた、ほんの少しだけどね。

誤嚥しない。普通に飲んでる。
飲めないもんだと、お水も何も飲まさず食わさずで居たけど、気の毒やったね~。

そういえば、前に、連れて帰ったら1週間で死にますよ、とお医者様に言われたおばあちゃんを自宅に連れ帰って、大好物のお饅頭を食べさせたら、復活して元気になった話を聞いたことがありました。

父の場合も、見るからに死にそうって風景だけど、どっちへ転ぶか案外分からないかもね。
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