少し前に、お一人暮らしのお父さんが自宅でコロナ死され、息子さんが悲しむ映像がテレビで流れていました。
「父親を孤独死させてしまった。。。」と。
自宅で一人で亡くなっているのを孤独死と呼んで、気の毒で可哀そうな老人というイメージがあるのですが、果たしてそうなのか。
「孤独死」という言葉は、阪神淡路の地震の後、地元で暮らせなくなったお年寄りが復興住宅に入り、そこで誰にも看取られずに亡くなる方々が頻発した頃に、造語されたように思います。
地震の後は、強制的に引っ越しさせられた方も多かったので、人間関係が希薄になり弱っていくお年寄りに気づけなかった。
一人きりで死と向き合うなんて、さぞかし寂しかっただろうと、周りの人が「孤独死」と呼ぶようになったのでしょう。
でも、今は、あえて一人暮らしを選ぶ高齢者の方も多いのでは?
子供達は、同居や施設入所を提案するだろうが、住み慣れた自宅で一人暮らしをしたいと思う人もある。
一人暮らしをすると決めた時から、何事かあれば一人っきりで死ぬかもしれないと覚悟をされているのではないか。
4人の親達の中で、一人で亡くなっていたのは実家の母だ。
末期の癌で自宅に帰りたいと言う母を、弟夫婦が連れて帰って最後の1か月を自宅で看てくれた。
最後となった夜、私が足揉みをし、物も言えなくなった母と初孫である息子が数時間過ごし、真夜中に「じゃ、また明日」と帰ってしばらく後、家族が気付かないうちに亡くなった。
自宅療養だったので、病院では通常つけているバイタルがなかったので、心拍数や呼吸数が少なくなるのも分からない。
癌は肺にも転移していたが、入院中から呼吸が乱れるということもなく、酸素吸入もしたことがなかった。
入院中は、今はやりの指先で酸素量を計る装置をつけていたが、いつも97,98という正常値だった。
危機的状態かしらん?とは思っていたが、その夜だとは分からなかったほど静かな状態でした。
で、一人でひっそりと逝ってしまいました。
ま、家族がいたので母の場合は、孤独死とは言わないのでしょう。
後の3人の親達は、病院で亡くなりましたので、生理食塩水の点滴やら、人工呼吸器、酸素マスク、もちろんバイタルの機械など、色々つけられておりました。
数値が下がると、ブザーが鳴り看護師さんが飛んできてくれます。
ので、多分、病院で一人でひっそり亡くなることはない。
それと、亡くなる時には誰かが迎えに来る。
何となく、これは本当だと思うようになりました。
だから、本人にとっては孤独死ではないのです。
迎えに来た誰かが側にいるのです。
母の場合は、今までに亡くなった親戚が大勢、宝船のようなものに乗って、賑やかに迎えに来てくれました。
膵臓癌のみよちゃんの場合は、和服を着た男女(多分ご両親)が提灯を下げて、みよちゃんの両側から背中を支えながら一緒に歩いていきました。
末期がんのひろちゃんは、山高帽をかぶってキャメルのコートを着た男性と2匹の猫ちゃんと楽しそうに登って行かれました。
父の場合は、「お、誰か来たぞ」とドアの方を見ていました。
勿論、誰もいませんでしたから、父にだけ見えたお迎えだったのでしょう。
マッチ売りの少女は、マッチの炎の中に確か、お母さんが見えていましたね。
映画「ゴースト」では、黒い影のような存在が悪人達を引きずって連れて行きました。
という事で、一人で行かないので、孤独死はないと。
一人で暮らしている中でその時が来ても、きっと寂しくないはず。
だから、一人っきりで旅立った人を可哀そうだとか、哀れな高齢者だとか思わないでね。
私も、きっとそうなるし、もしかしたら、ニーっと笑っているかもね(私の場合は夫らしい)。
孤独死したら可哀そうやからと病院や施設へ入れたら、怒るで~。
「父親を孤独死させてしまった。。。」と。
自宅で一人で亡くなっているのを孤独死と呼んで、気の毒で可哀そうな老人というイメージがあるのですが、果たしてそうなのか。
「孤独死」という言葉は、阪神淡路の地震の後、地元で暮らせなくなったお年寄りが復興住宅に入り、そこで誰にも看取られずに亡くなる方々が頻発した頃に、造語されたように思います。
地震の後は、強制的に引っ越しさせられた方も多かったので、人間関係が希薄になり弱っていくお年寄りに気づけなかった。
一人きりで死と向き合うなんて、さぞかし寂しかっただろうと、周りの人が「孤独死」と呼ぶようになったのでしょう。
でも、今は、あえて一人暮らしを選ぶ高齢者の方も多いのでは?
子供達は、同居や施設入所を提案するだろうが、住み慣れた自宅で一人暮らしをしたいと思う人もある。
一人暮らしをすると決めた時から、何事かあれば一人っきりで死ぬかもしれないと覚悟をされているのではないか。
4人の親達の中で、一人で亡くなっていたのは実家の母だ。
末期の癌で自宅に帰りたいと言う母を、弟夫婦が連れて帰って最後の1か月を自宅で看てくれた。
最後となった夜、私が足揉みをし、物も言えなくなった母と初孫である息子が数時間過ごし、真夜中に「じゃ、また明日」と帰ってしばらく後、家族が気付かないうちに亡くなった。
自宅療養だったので、病院では通常つけているバイタルがなかったので、心拍数や呼吸数が少なくなるのも分からない。
癌は肺にも転移していたが、入院中から呼吸が乱れるということもなく、酸素吸入もしたことがなかった。
入院中は、今はやりの指先で酸素量を計る装置をつけていたが、いつも97,98という正常値だった。
危機的状態かしらん?とは思っていたが、その夜だとは分からなかったほど静かな状態でした。
で、一人でひっそりと逝ってしまいました。
ま、家族がいたので母の場合は、孤独死とは言わないのでしょう。
後の3人の親達は、病院で亡くなりましたので、生理食塩水の点滴やら、人工呼吸器、酸素マスク、もちろんバイタルの機械など、色々つけられておりました。
数値が下がると、ブザーが鳴り看護師さんが飛んできてくれます。
ので、多分、病院で一人でひっそり亡くなることはない。
それと、亡くなる時には誰かが迎えに来る。
何となく、これは本当だと思うようになりました。
だから、本人にとっては孤独死ではないのです。
迎えに来た誰かが側にいるのです。
母の場合は、今までに亡くなった親戚が大勢、宝船のようなものに乗って、賑やかに迎えに来てくれました。
膵臓癌のみよちゃんの場合は、和服を着た男女(多分ご両親)が提灯を下げて、みよちゃんの両側から背中を支えながら一緒に歩いていきました。
末期がんのひろちゃんは、山高帽をかぶってキャメルのコートを着た男性と2匹の猫ちゃんと楽しそうに登って行かれました。
父の場合は、「お、誰か来たぞ」とドアの方を見ていました。
勿論、誰もいませんでしたから、父にだけ見えたお迎えだったのでしょう。
マッチ売りの少女は、マッチの炎の中に確か、お母さんが見えていましたね。
映画「ゴースト」では、黒い影のような存在が悪人達を引きずって連れて行きました。
という事で、一人で行かないので、孤独死はないと。
一人で暮らしている中でその時が来ても、きっと寂しくないはず。
だから、一人っきりで旅立った人を可哀そうだとか、哀れな高齢者だとか思わないでね。
私も、きっとそうなるし、もしかしたら、ニーっと笑っているかもね(私の場合は夫らしい)。
孤独死したら可哀そうやからと病院や施設へ入れたら、怒るで~。