中国足心道 足揉みぱくちゃん 「今日も元気だ!ご飯がうまい!」

「足揉みぱくちゃん」の療術師 市村良子の日々の出来事、暮らしを綴った日記です。

毎日揉んで、結果出す。

2018-04-12 02:13:36 | Weblog
中国足心道では、「ガンと認知症のご家族のための上級実践講座」というのがありまして、30時間の本講座とは違って、8時間で取りあえず63ある反射区のうち、14か所を覚えていただきます。

今までに私の所で、4人の方が受講されました。

1人目、大学生の娘さん。
お母さんが肝内胆管癌で、余命が半年から1年と言われて、現在何も治療することがない状態(西洋医学では、の話)。

学校と、アルバイトをこなしながら、ほぼ毎日揉みをしてくれています。
私は、今は、2週に1度の施術になっています。(最初は毎週揉みでした)
余命は、すでに切れてしまいましたが、どなたが見ても、彼女が再発ガンを抱えているとは思わないでしょう。
一切の治療もなく、ただ娘さんの施術のみで、元気にパートのお仕事もこなされています。

2人目。60代女性。
ご主人が大腸がんの切除手術をすることになって、術前1か月位から、毎日揉み。
術後、しんどいことになったので、1度、病院へ施術に行きましたが、後は奥様の毎日揉み。
で、今は元気にお仕事に復帰している70歳。

3人目。50代女性。
ご主人が血液の病気で、2週間に1度の輸血で生きてます、という状態。
この方も、余命が切れてます。
輸血直後は、割合お元気なのですが、1週間ほど過ぎると動くのも辛い。
それが、ここ2回ほどの血液検査で、ヘモグロビンの値が上昇してきた。
今日、足揉みに来られたのですが、前回の輸血では、いつも2パック入れてる血液を1パックに減らしてみようかと先生がおっしゃったそうな。
「他にも、不快な症状があったのですが、少しずつ改善されているみたいです」と。
この奥様も、仕事がありながら、ほぼ毎日ご主人を施術されています。
「疲れて、足揉み中、つい眠ってしまうこともあるんです」

4人目。40代女性。
ご主人は、働く日本のサラリーマン。
海外のプロジェクトのため、月のうち半分は日本と外国を行ったり来たり。
前は、毎月私か、息子が揉ませていただいてたのですが、あまりに忙しくて来れなくなりました。
で、奥様が覚えて日本に居る時に施術。
「主人が、私の施術では短いから、もう一度揉んでって言うのですが、直後にもう一回揉んでも大丈夫なんでしょうか」とおっしゃる。
確かに、この講座での施術は、せいぜい30分~40分で終わってしまう。
私達の施術に慣れたご主人は物足りないのかな。
「どうぞ、どうぞ、あなたが良ければ何度でも。ほぐして欲しい反射区をおっしゃってくだされば、お教えしますよ。あなたも、もう長い間揉ませていただいてるから、大体わかるでしょ」

4人共、短い講習で少ない反射区ながら、きっちり結果を出してる。
凄いな~と感心する。
相手を思う気持ちが、施術を何倍も効果的にしているのだろうね。
どうぞ、このまま頑張ってくださいね~。


次に、上級実践講座を受講されたわけではないのですが、もう何年も揉ませていただいてる方がご家族を見よう見まねで揉んで結果をだしているのでは?と思われるケースを2つ。

前にブログにアップしました、89歳のふさちゃん。
1月に心不全の発作と背中の圧迫骨折で、ほぼ寝たきりになったところ、60代の娘さんが毎日病院へ通って揉んでくれた。
私も、週に1度程、病院へ通っていましたが、あまりの弱りように「もしや、これまででは?」と不安になりました。

が、退院後、サクサク回復。
今日、娘さんが足揉みに来られて、
「昨日、母の家に行ったら、介護ベッドがもうないのよ。びっくりした、あまりに元気で!」
「そうそう、2日に足揉みに行ったら、これが邪魔なのよね~ってベッドを見ておられたわ。撤収したんね」
娘さんに、
「あなたが、毎日、毎日病院へ行って、足を揉んでくれたってことがお母さんの助けになったと思いますよ」と伝えると、
「誰も、そんなこと言ってくれなかった。そうなんやね?」と、しみじみおっしゃった。
大好きな娘さんが毎日来て、とてもお気に入りの足揉みをやってくれたんだもの。
結果が出たのも当然か?

最後に。
この方も、以前開催してた「足揉み教室(2時間で自分の足を自分で揉めるようになる講習会)」に参加して、簡単な揉み方を覚えてくださってた女性。
ご自分の足揉みも、月に2回ほど近くの療術師さんの所へ通っておられます(足揉み歴9年位)。

70代のご主人に、ある日肺がんが見つかり、腹腔鏡での切除手術になりました。
私は、術前に一度揉みに行かせていただきました。
お元気で、これなら手術もパッチリやねと思いました。
が、術中、トラブル発生。
気胸を起こして、お顔の相も変わる程。
術後に病室に入った奥様ですら「間違えました、ごめんなさい」って位、分からなかったそうな。

術後、一度病院へ行きましたが、施術途中、発熱して苦しくて中断。
このまま破れた肺がふさがらなかったら、再手術と言われる中、奥様が毎日、毎日足揉みを続けられました。
ちょうど術後1週間目、「明日が再手術の予定でしたが、塞がりました!」とメールが届きました。
肺の傷を修復するのに、体は1週間を要したのか(勿論、病院の治療もありましたよ)。
そうやわね。もし、体の外を怪我したとしても、傷が落ち着くのに1週間はかかるよね。
その回復の手助けをしたのも、奥様の毎日揉みだったと思うのです。

上に書いた皆さん、誰もプロの療術師ではありません。
でも、必死の思いで、毎日家族を揉んでたら、脳は結果を出してくるんやね~とつくづく思いました。

人間の自然治癒力って、すごい!








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お花見行った?

2018-04-12 02:07:30 | Weblog
今年は、桜が早かった。
去年は、3月の末、お城に行ったけど、ただの棒きれだった桜の木。

今年は、3月31日、1日。お城の中は、お花見で大盛況。お~、今年なら良かったね~K様。



毎年のことながら、通りすがりの桜の木で花見。
大きい木だったので、下から見上げて撮りました。

日本中がピンクに染まる。
年々、桜が愛しくなるのは、やっぱり年だから?
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花粉症ズルズル。

2018-04-12 01:07:54 | Weblog
毎月第一日曜日は、娘夫婦の足揉みに。



程よく、雪が積もって、きれいな富士山でした。

婿殿の足揉みを最初にやるのですが、今月は花粉症が酷い。
「ずっと揉んでるのに、治らんー!」と娘。

自宅の息子も、足揉みを始めた3年前は、もっと酷かったのですが、今は日替わりでたまにズルズルの日がある程度。

私自身、夏の終わり、稲の花が咲く頃に、喉が切れそうに痛くなって庭仕事ができないほどでした。
勿論、鼻水、目の痒みなどもあったと思うのですが、足揉み歴14年。
今では、まったく花粉のケがありません。
(年が行くと鈍感になって治るという説もありますが。。)

婿殿も、揉んでる途中でましになってくるのですが、揉み終わって数時間たつと戻ってるー!
なぜ?
夕方、帰りぎわに「もう一度、揉んでみよう」と2回目。

後は、自分でやってね。
花粉症の反射区は、足の親指のてっぺんとその脇。
家でも、花粉症の方を揉むとたいてい、前頭洞の反射区がブツブツして、激痛。
隣の鼻の反射区も、ブツブツか固い。
内側の三叉神経も、これは固い。
全部まとめて、親指を180度ぐるっとほぐしましょう、と自分で揉めるように覚えて帰っていただく。

私が、たまに揉むよりも、毎日自分で揉みほぐすほうが効果があるんじゃない?
特に、てっぺんは痛いけど、ごーりごーり押し込むべし。

今月の車内読書はこれ。



日野原先生は、104歳で亡くなったけど、手帳はまだまだ予定がぎっしりだったそうです。
これは、100歳になった先生が、皆にあてた言葉。

2011年の秋、100歳。
その半年前、3月11日、東北の大震災。地震と津波と原発事故。
先生は、100年生きてきて、関東大震災やら、戦争やらを経験したけど、これほどの衝撃はなかったと。

本の中には、短い文章で読者にメッセージを送っておられるのですが、その中に
「肉体は老いても、その中に若い芽をもっている」とありました。

例えば、冬芽。
木の葉っぱが全部落ちても、その中に春に咲く芽を抱えてる。
人と言うのは、何度も再生を繰り返しながら、魂磨きをしながら2万年程生きると信じてる私だから、体が老いた頃、その中に次の世を生きる芽が芽吹いてるという考え方は納得しました。

もしかしたら、体が動かなくなったら、自分の今生を振り返り、来世の課題を模索する仕事があるんじゃないだろうかね。
今生の命題は、成し遂げられたか、次は魂のどこを磨くために生まれてくるのか、などと考える時間なのかもしれない。
先生も、命はずーっと続いて行くと書いておられます。

今から、日野原先生の年まで40年。
自分の考えは、まだまだ変わっていくだろう。
そう思うと、なにやら楽しい。



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手合せ会のご報告。

2018-04-12 00:03:51 | Weblog
3月30日は、中国足心道の療術師さん達と練習会。



皆、沢山お菓子を持ってきてくれて、おまけに置いて帰ってくれました。(豚のえさ~、ゴチになります)

今回も、20名余が参加してくださって、毎度の方、お久しぶり~の方、初めましての方など、賑やかに7時間。

師範の私と、準師範も数名参加してくださったので、予約カードを作りました。
師範、準師範に手合せを予約するってこと。

1人の手合せに、大体40分位かける。
なにせ、姫路のメンバーは働き者、使わなソンソン!とばかりに、こき使われる準師範(誰に?私に)。

準師範以外のメンバーさんに、
「はいはい、こちら偉い準師範の皆様ですよ~。さっさと予約いたしましょうね~。
あ、そっちの準師範、今空いてます?この方の手合せお願いしますね~。」とまるで、たこ部屋の親方のごとし。。。

「準師範の皆様、ごめんね~」
「いえいえ、教えることも勉強になります」と、いじらしいお言葉。(次回は、もっと働いてもらお!と密かに考える私。。)

今回、思ったこと。
亡き院長先生が、「足を揉むことは大切だけど、揉まれることはもっと大切だよ」とおっしゃってました。

それが、顕著に表れていました。(何となく分かった、揉まれ度が。ホンマでっか!)

年も感じさせないほど、生き生きと施術している療術師さんは、やっぱり沢山揉まれてる。
最低、月に一度。多い方は毎週ってのがいらっしゃった。イキがええわ~。

反対に、何となく輪郭がぼやぼや~としている方に聞いてみると、
「最近、忙しくて3か月位空いてるんですう。」とおっしゃる。そやろ~。揉まれなはれ。

もっと、凄いのが
「どれくらいの頻度で揉まれてます?」
「えーと、3年位まえに揉まれたっけ?」
「マジ!」

このお方、座骨神経痛があったらしく、関節ほぐしの名人、浜のっち先生と手合せ(絶叫!絶叫!)した後、「あら、痛くない。軽い~」という感想をおっしゃってました。

一緒に参加されたチェリーちゃんと、毎週揉みできないかしらん?頑張ってみよー!!

もう一組。初めて参加のご夫婦。
まず、ご主人との手合せ。優しい手やな~、ええ感じ。丁寧やし。
でも、この方もあまり揉まれてないよう~な。。。

次、奥様。
お聞きすると、ガンになった時、ご主人が毎週揉みをしてくださったそうです。
それで、今はとてもお元気な雰囲気。
奥様の手は、これまた良い手ではありませんか。

「ガンになった方は、再発を止めるために、ほぼ毎週揉みが良いのですが、どれくらいの頻度で揉まれてます?」とお聞きすると、
「今は、せいぜい月に1度です」というお返事。
勿体ないー!そこに居るのにー!呼んだら来るのにー!(犬か!)

私自身、息子が3年前に療術師になる前は、せいぜい月に1度揉まれる程度でした。
急にオファーするから、「空いてへん!無理です。急に言うても!」と、予約が取れずタイミングを外すことが多かった。

でも、今は、同じ家に療術師が住んでる幸せ。余程のことがない限り、揉んでくれる有り難さ~。
だから!ご夫婦、ご兄弟、親子の皆様。お互いをせっせと使いましょう。

自分を施術してくれる療術師が、元気であること。これは絶対!
ヨロヨロの療術師に揉んでもらっても、マイナスエネルギーが流れてくるだけで、改善は、難しいよ。

なので、私の場合、一番揉まれる回数が多い息子の免疫が落ちないように気をつける。
他の療術師に揉んでもらい、私も彼を揉む。(足揉みいらんかえ~と言いつつ)。

先ほどの奥様の耳元で、
「自分を揉んでくれる療術師(ご主人)を元気にしておかないと、治るものも治らないじゃん。
あなたのために揉ませていただくわ~と言いつつ、実は自分のためにご主人を揉むんです!」とそそのかす。
「自分のためなんですね!頑張ります!」
よくできました!

足を揉むことで、どれ程の効果が出るかってことは、10年やってみればきっと納得しますよ。
揉んで、揉まれて一緒に確かめていきましょう。

次回の手合せ会は、10月31日(水)です。
場所が決まったら、またご報告しますね~。













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何て読む?

2018-04-11 23:35:05 | Weblog
同じく、じいじいの座敷に揚げてある額の写真。



読めるかな~。
7年前に亡くなった、ばんばんのお姉ちゃんが書いて、ばんばんにくれたもの。

ばんばんも習字が好きやった。
姫路市民とちゃうのに、わざわざ姫路の老人大学に割り増し授業料払って習字のクラスに通ってたよ。
大学院まで行くねん(そんなもんあるんか!ってびっくりしたけど)って6年間、ずーっと習字をお稽古してた。
ばんばんが生きてる時、机の上には、筆や硯、いつも習字道具が置いてあったよ。

この額は、高山市に住んでるおばちゃんが、多分新築祝いにくれたんかな。

「春風 以接 人秋 霜以 自制」と言う漢字が書いてあります。

「春風(しゅんぷう)を以って人に接し、秋霜(しゅうそう)を以って自らを制す」って読むんやて。

母ちゃんも、初めて見た時さっぱり分からんで、ばんばんに聞いたの。

「春の風のように、人には温かく接して、秋の霜のように厳しく自分を制しなさいってことやで」って、ばんばんが教えてくれたん。

反対にならんよ~にね。

足揉みする時に使えるね、この心がまえ。
相手の方には、穏やかに優しい態度で接して、揉んでる自分には、どんなことでも見逃さないよう集中しておくようにね。

いつだったか、ねえねえのおっちゃんが、「これ、何て読むんやろ~」て言うてたから、機会があれば教えてあげて~。

で、これは法事の後、皆でわ~い!と撮った写真。






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覚えておいてね。

2018-04-11 22:55:34 | Weblog
ぱーぷるちゃん。

先月は、じいじいの3回忌やったね。
88歳まで生きて、
「よ~生かしてもろた。もう十分や」と言いながら、亡くなったよ。

「兄貴は、可哀そうなもんや。戦争で死んでしもて。。。」(じいじいの兄ちゃんは19歳で戦死した)



これは、じいじいの家の座敷に揚げてある写真。

左から、じいじいのお父さん。
海軍の軍人さんやったんで。
当時、横須賀の海軍基地に勤めてたから、じいじいは横須賀生まれや。
でも、跡取りが具合悪うなって、じいじいのお父さんは、兵庫県に帰って家を継いでたんやけど、元々軍人さんやから、召集令状も来てないのに、戦争に行ってしもたんやて。

で、ボルネオ島にいた時に終戦になって、手りゅう弾か軍刀かしらんけど、自決してしもたって。
なんで、帰ってきてやらへんかったんかな~。
家には、じいじいのおばあちゃんと、お母さん、妹3人が貧乏暮らししながら、待ってたのに。。。
じいじいは、よく「戦争に負けて、天皇陛下に申し訳ないって自決したのは、乃木希典とうちのおやじだけや!」って悔しそうに言うてたわ。
天皇陛下のためならば!って言うのが当時の教育やったとは言え、残された家族はえらい目におうたんで。

左から2番目が、じいじいのお母さん。
夫(じいじいのお父さん)と長男が戦争に行ってしもて、姑と子供4人を抱えて、働きづめやったみたい。
じいじいは、終戦の年に17歳やったから、頼りになるようなならんような年やね。
その下に3人の妹。一番下は、まだ小学生の低学年。

夫と長男が戦死して、しばらくは頑張ってたけど、じいじいが22歳の時、結核で亡くなったんやて。
「ワシの腕の中で、死んでいった」って言うてたわ、じいじい。

じいじいの両親は、どちらも40代前半で亡くなってる。若いね~。

一番右端、電気が光って見にくいけど、これがじいじいのお兄ちゃん。二つ違いやから昭和元年生まれ。
当時の男子学生は、ことあるごとに、「日本男子たるもの、お国のために志願して戦争に行くべし!」って教育されてたんや。
兄ちゃんとじいじいも、毎日毎日、憲兵に言われ続けて、志願したんやて。
兄ちゃんは、船に乗ってて、沖縄の海で撃沈されて亡くなったそうや。まだ19歳やったって。
じいじいの妹の一人が、「兄ちゃんは、カメラが好きやったわ」って言うてた。
生きて帰ってたら、デジカメで君たちの写真、沢山とってくれたかもな。

じいじいは、四国で予科練に入ったんやけど、戦争に行く前に終戦になって命拾い。
一緒に志願した同級生と爺さんになるまで、仲ようしてたわ。

あの当時、戦争に志願した学生、召集された若い人。何十万という人達が亡くなったんやで。
18歳位から25歳位までの若い人達。
じいじいのお兄さんもその一人やね。

忘れんといてな。
そんな人達が守ってくれた国に、今住んでるねん。

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