最近のテレビ(テレビばっかり見てるんかい!)は、引きこもりや不登校だった方の特集が多いように思うのですが、今月は「引きこもり月間」とかになってるのかしらん?
「80-50問題」と言うのは、知っていましたが。
80代の親が50代の引きこもりの子供と同居して、それを年金等の収入で養っていると。
親が死んだり、施設に入って収入が途絶えた引きこもりの方が、誰にも支援を求めることなく亡くなっていくケースが増えているのだそうです。
今の日本は、職種さえ選ばなければ、何かしら働く場所があると思っていたのですが、外に出て人と触れあうということに恐怖を感じてしまう人たちが増えている。
私も、10歳までは、無口な子供でしたし、今でも電話をかけるということは、非常に苦手です(ホントです)。
一人で、本を読んだり庭仕事をするのが一番好きで、晴れてお一人様になったあかつきには、一人でも宿泊できるお宿に泊まってそこらへんをウロウロしてみたいと言う願望をもっています。
日本人は、国民性なのか「人と同じ」であることに、安心感をもっていますよね。
人と違うことをしたい、違っていたいというのを好むのは少数派。
なので、学校でも自然と周りと同じように行動し、はみ出したり、目立つことを避けようとする。
自分が避けてるだけで良いのに、違っている人を目ざとく指摘し、それを晒す。
晒し続けられた人たちが不登校になり、果ては引きこもってしまう。
先週の逆転人生に出てきた、吉藤さんというロボット開発者の20代男性も、小学校で不登校になり、自分が人と何か違うと感じ、その感じたことで、自分自身の分身ロボット「おりひめ」を作り上げた。
「おりひめ」のことは、前にテレビで見たことがあったのですが、こんな人がこういう経緯で作ったものだったのかと。
夜中にYouTuberのHikakinさんと対談していたミュージシャンの「まふまふ」さんも、6年以上引きこもりでしたと。
引きこもってしまう人たちと言うのは、他の人よりより繊細で考え深いのかもしれません。
人は、皆違ってる。皆、別々。
同じであるはずがないし、同じでなくてもいい。
今の年になったから、そう思えるのかも。
6年前、息子が30代半ばで、仕事を辞めると言うた時、もし30代、40代の私だったら絶対許さなかったかもしれません。
そして、毎日、どうするの、どうするのと責めたかもしれません。
息子は、私がきっとそう言うだろうと想像したのでしょう。
荷物をまとめて、家を出る準備を始めていました。
「昔住んでたアパートが、今も空いてるからそこへ引っ越すわ~」と言いながら。
その時、私は60歳少し前。
「家に居たらええやん。」
「でも、働かざるものは家に置かんって言うたやろ?」
「昔の話やな。今は、もうそんなこと思わへんわ」
「なら、何があっても1年間は、何も言わんとってよ」と釘をさした息子。
その当時は、まさか息子が療術師になるとは、夢にも思わず、息子が働かないのなら親の自分がその分働けばいいか。
他の子供さんが60歳まで働くなら、25年間自分が余分に働けば済むことや、などと考えたことを覚えています。
その後、まさかの療術師になった息子に今では、
「同級生は65歳定年やけど、あんたは、人より20年は余分に働きや!
いや、90歳まで行けるか!」
などと、冗談が言えるようになりました。
仕事を辞めると息子が言った時、「引きこもり」という言葉が頭をよぎりました。
そのせいで、今、テレビ番組の「引きこもり特集」に眼が行くのかもしれませんね。
今日の番組では、引きこもりになった息子に、サラリーマンで定年退職した父親が息子を叱責して喧嘩し、なぜあの子が自分の子供なのだと悩む思いが日記につづられていました。
普通に学校を卒業し、普通にどこかに就職し、普通に結婚し子供が生まれる。
それを普通だと思ってきた父親が、普通でない息子を不思議な思いで眺め、激励するつもりが叱責になってしまう。
「普通」だったら、孫年齢になってる私達夫婦。
友人の中で、孫のいないのは、とうとう私だけになりました。
昔の私だったら、結婚しなさい、不妊治療しなさいと煩く子供達をつつき回っていたかもしれません。
今、すべてを穏やかに見ていられるのは、本当に、足揉みのおかげだとシミジミ思っています。
物事を冷静に受け止めて、変えられるものは迅速に行動し、変えられないものは、そのまま受け入れる。
足を揉んで、いつも気を一定に保っておられる。
一喜一憂して、ぶれることもない。
毎日のコロナ報道に感じることは何もなく、ただ高齢の皆様の不安をあおるから、ええ加減にしておくれ~とは思う。
夫には、
「あんたは、絶対にかからんよ!」と励まし、
万一、かかったら「死なへんから、安心し!」と耳元でわめき、
もし、運悪く三途の川を渡ってしもたら、
「残念やった!」と仏前で謝ろ。。。
夫が絶対にこれを読まないって分かってるとは言え、言いたい放題やな~、全く!
「80-50問題」と言うのは、知っていましたが。
80代の親が50代の引きこもりの子供と同居して、それを年金等の収入で養っていると。
親が死んだり、施設に入って収入が途絶えた引きこもりの方が、誰にも支援を求めることなく亡くなっていくケースが増えているのだそうです。
今の日本は、職種さえ選ばなければ、何かしら働く場所があると思っていたのですが、外に出て人と触れあうということに恐怖を感じてしまう人たちが増えている。
私も、10歳までは、無口な子供でしたし、今でも電話をかけるということは、非常に苦手です(ホントです)。
一人で、本を読んだり庭仕事をするのが一番好きで、晴れてお一人様になったあかつきには、一人でも宿泊できるお宿に泊まってそこらへんをウロウロしてみたいと言う願望をもっています。
日本人は、国民性なのか「人と同じ」であることに、安心感をもっていますよね。
人と違うことをしたい、違っていたいというのを好むのは少数派。
なので、学校でも自然と周りと同じように行動し、はみ出したり、目立つことを避けようとする。
自分が避けてるだけで良いのに、違っている人を目ざとく指摘し、それを晒す。
晒し続けられた人たちが不登校になり、果ては引きこもってしまう。
先週の逆転人生に出てきた、吉藤さんというロボット開発者の20代男性も、小学校で不登校になり、自分が人と何か違うと感じ、その感じたことで、自分自身の分身ロボット「おりひめ」を作り上げた。
「おりひめ」のことは、前にテレビで見たことがあったのですが、こんな人がこういう経緯で作ったものだったのかと。
夜中にYouTuberのHikakinさんと対談していたミュージシャンの「まふまふ」さんも、6年以上引きこもりでしたと。
引きこもってしまう人たちと言うのは、他の人よりより繊細で考え深いのかもしれません。
人は、皆違ってる。皆、別々。
同じであるはずがないし、同じでなくてもいい。
今の年になったから、そう思えるのかも。
6年前、息子が30代半ばで、仕事を辞めると言うた時、もし30代、40代の私だったら絶対許さなかったかもしれません。
そして、毎日、どうするの、どうするのと責めたかもしれません。
息子は、私がきっとそう言うだろうと想像したのでしょう。
荷物をまとめて、家を出る準備を始めていました。
「昔住んでたアパートが、今も空いてるからそこへ引っ越すわ~」と言いながら。
その時、私は60歳少し前。
「家に居たらええやん。」
「でも、働かざるものは家に置かんって言うたやろ?」
「昔の話やな。今は、もうそんなこと思わへんわ」
「なら、何があっても1年間は、何も言わんとってよ」と釘をさした息子。
その当時は、まさか息子が療術師になるとは、夢にも思わず、息子が働かないのなら親の自分がその分働けばいいか。
他の子供さんが60歳まで働くなら、25年間自分が余分に働けば済むことや、などと考えたことを覚えています。
その後、まさかの療術師になった息子に今では、
「同級生は65歳定年やけど、あんたは、人より20年は余分に働きや!
いや、90歳まで行けるか!」
などと、冗談が言えるようになりました。
仕事を辞めると息子が言った時、「引きこもり」という言葉が頭をよぎりました。
そのせいで、今、テレビ番組の「引きこもり特集」に眼が行くのかもしれませんね。
今日の番組では、引きこもりになった息子に、サラリーマンで定年退職した父親が息子を叱責して喧嘩し、なぜあの子が自分の子供なのだと悩む思いが日記につづられていました。
普通に学校を卒業し、普通にどこかに就職し、普通に結婚し子供が生まれる。
それを普通だと思ってきた父親が、普通でない息子を不思議な思いで眺め、激励するつもりが叱責になってしまう。
「普通」だったら、孫年齢になってる私達夫婦。
友人の中で、孫のいないのは、とうとう私だけになりました。
昔の私だったら、結婚しなさい、不妊治療しなさいと煩く子供達をつつき回っていたかもしれません。
今、すべてを穏やかに見ていられるのは、本当に、足揉みのおかげだとシミジミ思っています。
物事を冷静に受け止めて、変えられるものは迅速に行動し、変えられないものは、そのまま受け入れる。
足を揉んで、いつも気を一定に保っておられる。
一喜一憂して、ぶれることもない。
毎日のコロナ報道に感じることは何もなく、ただ高齢の皆様の不安をあおるから、ええ加減にしておくれ~とは思う。
夫には、
「あんたは、絶対にかからんよ!」と励まし、
万一、かかったら「死なへんから、安心し!」と耳元でわめき、
もし、運悪く三途の川を渡ってしもたら、
「残念やった!」と仏前で謝ろ。。。
夫が絶対にこれを読まないって分かってるとは言え、言いたい放題やな~、全く!