中国足心道 足揉みぱくちゃん 「今日も元気だ!ご飯がうまい!」

「足揉みぱくちゃん」の療術師 市村良子の日々の出来事、暮らしを綴った日記です。

どこが違ったのかな?

2019-01-31 23:24:05 | Weblog
いっちゃんより、6歳年上のちいちゃん94歳。

時々、ブログに登場してもらってますが、こちらは7月4日に脳梗塞で倒れて入院。
回復期リハビリ病院に移って、もうすぐ自宅へ、というときにベッドから落ちて、大腿骨骨折、手術。
と、いっちゃんと同じような経過でした。
認知症があったのもいっちゃんと同じ。

7月11日から施術。勿論、ベッドの上で。7月は5回の足揉み。
8月3日、回復期リハビリ病院へ転院。
8月16日、ベッドから落ちて骨折。
23日大きい病院へ移って手術。8月は6回の足揉み。
6回と言っても、術後の足揉みは、足裏、甲のみ。他は触れない。ので、普段より短時間の施術。

9月、いつでも来れる時に来てくださいと言われ、10回の施術。
術後のリハビリは痛いし、情緒不安定が続いて、食欲なし。
娘さんが、拝むようにして、食べさせる。
元々、体格の良い方だったので、少々食べられなくても、まだ50キロの体重をキープ。

足揉みは、最初から、主に認知症の反射区を重点的にやっていました。
脳梗塞の反射区も同じような所です。

10月、再び回復期リハビリ病院へ転院。
最近のリハビリは、土日も休みなくやって、ある程度は回復させる。お見事!
でも、相変わらず、食事の量は少ない。
病院が神戸になったので、電車で週に1度の施術がやっとで4回。
この頃から、認知症とは思えないほどの気の使いようをされるようになった。

11月も4回。
カルテに毎週、落ち着いている、非常に落ち着いている、と書いている。
7月8月は、ご自分の体が大変で、人にまで気を使えなかったのか、それとも足を揉むことで気が安定してきたのか、どっちだろう。
相変わらず、認知症の反射区は、一番の重点反射区としていました。

12月、カルテの記述は、落ち着いているにプラス、体調良好。
ただ、脳梗塞の右半身麻痺の改善には至らず。
下旬に、神戸の病院から車で行けるご自宅に退院されたので、5回の施術。

1月、毎週、ご自宅で施術。4回。
飼い猫ちゃんもいるし、やっぱり家は良いね~。
車椅子生活になってしまわれたけど、自力で少しの時間たっておられるようになったので、寝たきりではない。
中旬、娘さんが「ご飯が普通に食べられるようになったんです。食べてくれるから嬉しい!」と。
下旬、デイサービスに週3回、通われるようになりました。

認知症からくる問題行動もありません。
娘さんと入院前から通ってくださってたヘルパーさん達に支えられながら、車椅子生活を続けておられます。

このまま毎週揉みを続けながら、94歳のちいちゃんは果たして、どこまで頑張るか!
頭も内臓もお元気だから、今のところ、「死」の陰は全くありません。

大腿骨骨折から食べられなくなって1ヶ月で旅立たれたいっちゃんと、同じ骨折で今はお元気なちいちゃん。
どこが違ったのかな?
7月、娘さんがおっしゃった言葉。
「私達夫婦は、子供もおりません。私は、一人っ子です。
母は、たった一人残った肉親なんです。
何としてでも、生きていて欲しい。どうしても、死んでほしくないんです!」と叫ばれた。

病院で、何も要らないというちいちゃんに、「食べなきゃダメ!」と無理やり食べさせていた娘さん。
そばで見ていて、正直もう勘弁してあげてって思いました。
もう、体が無理って言うてるって、言いたかった。
でも、諦めなかった彼女。
どんなに病院が遠くなっても、ご飯を運んでやってきた(病院食が嫌いだったそうで)。
ヘルパーさんと、お母さんより彼女が心配やね、と話したりしていました。

それが、今では、自宅でお元気に二人で、楽しくお話しできるまでに回復された。
29日、時間が取れなくて、夜に足揉みにお邪魔すると、二人で夕食も食べないて待っておられました。

先にちいちゃんを揉んで、次に娘さんを揉んでいると
「お母さん、お腹すいた?ごめんね、後で、ご飯食べようね。」
「大丈夫、大丈夫。座って待っとくよ。」と、ちいちゃん。
本当に嬉しそうにお話しされている。

7月から10月までは、こんな日がくるなんて考えられなかった。
脳梗塞が回復しても、もしかしたら寝たきりで施設へ入るしかないのでは、と思ってた。

足揉みの回数も多かったけど、現役の時、朝2時から起きて、エビ天を400枚揚げて、病院や学校へ納品し、6時になったら、ご主人とやってた乾物屋を開けるというような生活を続けておられたちいちゃん(12月に足揉みしながらお聞きした話)。

「お母さん、筋がね入りやったんですね~」
「忙しかったわ~」

根性が違うんだね。
どうぞ、このままの生活が長く続きますようにね。






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「自然死」を待つ

2019-01-31 20:59:26 | Weblog
いっちゃん、88歳男性。
認知症と糖尿病と肝のう胞がありました。

去年の2月から月に一度の施術を4ヶ月。
その後、同居の娘さん(50代)が肝臓がんで逝去されたため、足揉みは中断していました。

もうひとりの娘さんから、久しぶりに足揉みの依頼があったのが、12月30日。
12月中旬、朝トイレの前で転倒して、大腿骨骨折で手術しました、と。

右足にボルトをいれる手術後、リハビリが始まっているが食欲もなく元気がない。
30日、入院中の病院で施術。
ほとんど眠っておられたが、施術後バナナを少し食べられた。

それから1月27日に逝去されるまで、足を揉みながら自然死に至るまでの1ヶ月は次のようなものでした。

1月4日、再び病院へ。
「足揉みに来ましたよ~」と言うと、「サンキュー」とお返事が帰って来ました。
夕方、病院へ行った娘さんに「足揉みさんが来たよ」とおっしゃったそうで、認知がありながらも覚えていてくださったんだ。

1月12日、施術中、ほとんど眠っておられた。
足の甲の浮腫と足の冷え。
施術後ましになりました。

1月19日、相変わらず眠っておられる。
咳が酷い。痰の吸入器に結構溜まっているから、痰の吸引をされているのだな。
痰の吸引は苦しい処置です。実家の父も暴れていたっけ。。

15日に病院とご家族のカンファレンスがあって、経口摂取のみで自然な経過で診ていくということになったそう。
ネフローゼを起こしているので、脱水の補正を点滴でやっても効果がない。
最近の傾眠傾向もネフローゼ症候群の自然な経過として、見守って行こうということになりました。

1月20日、娘さんから「先生が誤嚥性肺炎を起こしているけど、抗菌剤の投与はどうしますか、と連絡があったのですが、どうしたらいいでしょう」とお電話がありました。

これは、これは。。。私にも、どうしたら良いか分かりませんとお返事する。
結局、抗菌剤を投与されたらしいのですが、効果があったのかどうか不明です。

21日、再びカンファレンスをされて、点滴をしても胸や腹に水分が溜まるだけだし、抗菌剤の投与も現在、痰が自分で出せない状況でずっとばい菌が肺に入ってしまっている状況と思われるから効果が出ないと思われる。
いよいよ、苦しくなったら、医療用麻薬で苦しみを和らげることもできます、ということでした。

この時点で余命数日と言うことでした。
以後、点滴も治療も一切なし。

1月22日。
昨日、足の浮腫が酷くなってます、と連絡があり病院へ。
数日前から、口から飲める分以外の水分が体に入っていないので、痰が止まっている。
ので、痰の吸引がなくなった。
足の浮腫はましになっているし、息遣いも穏やか。
酸素量97あるので、酸素マスクも無し。
緩やかに最後に向かっている感じ。足は温かい。

ただ、娘さんが「本当にこれで良いのでしょうか。親戚に医者がいるのですが、食べられなくなったら、せめて鼻腔栄養だけでもしないのか!と言われたんです」と。
私も、ど素人ですが「要らないと思います」と答えました。

点滴や鼻腔栄養で生かされる苦しさも聞いたことがあるので。

この辺から、娘さんと「自然死」ということを話はじめました。(勿論、病院もそのようにするつもり)
で、中村仁一さんの本を再び読んでみました。

「大往生したけりゃ医療とかかわるな 自然死のすすめ」の中に、「自然死」いわゆる「餓死」の実体が書いてあります。

「飢餓」・・・・・脳内にモルヒネ様物質が分泌される。
「脱水」・・・・・意識レベルが下がる。
「酸欠状態」・・・脳内にモルヒネ様物質が分泌される。
「炭酸ガス貯留」・麻酔作用あり。

死に際に何らの医療措置も行われなければ、夢うつつの気持ちの良い穏やかな状態になるということです。これが、自然のしくみです。自然はそんなに過酷ではないのです。私たちのご先祖は、みんなこうして無事に死んでいったのです。

7年前に母が末期ガンで自宅で亡くなった時、この本を読んで救われました。
亡くなる半月、痛み止めのモルヒネで口もきけなくなり、どんなにか無念な思いをしているだろうと思っていたのですが、本人は何の医療行為もなかったので脳内モルヒネが出て、夢うつつだったのか、と。

3年前に亡くなった父は病院にいたので、「せめて生理食塩水だけでも入れてあげないと辛いよ」と先生に言われ、最後まではっきりした意識の中で死んでいきました。
勿論、苦しい痰の吸引もありました。
自然死できず。

ちなみに、痰がでるのは、体内に余分な水分が入りすぎるからだそうで、いっちゃんは点滴を止めてから、母は入院中から死ぬまで、一度も痰の吸引をしませんでした。

1月24日。
相変わらず、眠ったまま。
施術前、左足くるぶしの腫れがあったが、揉んだら戻りました。

病院で口を開けたまま、意識のない状態で胃瘻などで生かされているご老人を見られたことがあるでしょうか。
口をぽっかりとあけて、意識があるのかないのか、眠っておられる。

足揉みをする前のいっちゃんも、そんな状態でした。
でも、施術後、口を閉じてスヤスヤ眠るようになられました。まるで、じいちゃん、お昼寝中?って感じ。

この日は、まだ手術した方の右足を動かすと、すこし顔が歪みました。痛かった?
22日までは、揉んだあと温かった足が、今日はなんとなく温まらない。もしや。。。?

そんなに経験がありませんが、施術後も温まらない時は、1,2日でお参りされる場合があります。
母も、数時間後に亡くなりました。

娘さんが来られるのを待ってる間、いっちゃんの右手をみると指が浮腫んでいる。
ついでに手も揉んでみようかと握ると、なんと握り返してこられた。
意識があるんだな。
握っては、握り返しを数回やってるうちに浮腫も取れたみたい。

その日は、看護疲れの娘さんの足揉みもやって帰りました。

1月27日の日曜日の午前中。
日曜なので、ご家族さんが全部で6人、病室に来られてました。
「昨日は、この子(爺ちゃんのひ孫、4歳)の誕生日だったので、ここでみんなで集まって誕生会をやりました。」
病室で賑やかに誕生パーティをされたそうな。

そう言えば、おうちで足揉みをしている時、じいちゃんの誕生パーティもご家族沢山でやっておられましたね。

この日、言葉は悪いけど「ほぼ、生きる屍状態」。
おしめ交換にも、口腔ケアにも全く無反応。
呼びかけにも、答えず。呼吸は、静か。
「酸素量が高いので、酸素の管要らないかな」と看護師さん。(鼻の入口に管が置いてありました)
足を揉んでも、冷たいのか温かいのか、よ~わからん。。。

この日で、食べなくなって10日程、飲めなくなって数日?(娘さんがスプーンで与えてた位)
「じゃ、またご連絡くださいね。」と失礼しました。

その夜、7時半頃。
お孫さんから、「今、亡くなりました。とても穏やかな最後でした」と、お電話いただきました。
そーだったのか、今日だったのか。
こう言う風になったら、旅立たれるのか。

まだ、経験値が少ない私としては、お医者様のように「あと数日です」というところがまだ、分かりません。
おぼろげに、何の医療行為もしなければ、食べられなくなって1週間、飲めなくなって1,2日位かな~と思っています。

ただ、「もはや自然死を待つ」のが良いのか、「まだ治療する価値がある」のかの見極めもできません。
欧米のように、両手が不自由な状態でなく、目の前に食事をだして、それに手を付けなかったら、自然死させるという定義も良いのか悪いのか。。。

今回のいっちゃんの場合、ご家族もかなり悩んで迷っておられましたが、「本人が苦しくないように」という一点で、こういう風にお見送りされました。
私も、そうしたいし(夫に)、そうして欲しい(私に)。

約1ヶ月の足揉みで、いっちゃんの助けになったことは、酸素量を落とさなかったから呼吸が自然にできたこと。
誤嚥性肺炎は、足が温かったので、自然治癒したように思います。

足を揉んでも命が消えたということは、これがいっちゃんの寿命だったのかな。

電話をくれたお孫ちゃんが、メールで
「今は、少し晴れやかな気持ちでいます」と。
本当に、お疲れ様でした、皆様。

いっちゃんは、誰からも好かれる、とても穏やかな方だったそうです。
「生きてきたように死んでいく。」
「死を考えることは、生き方を考えること」
生きることと死ぬことは、深く結びついているのですね。

足を揉んでいる皆様には、健やかに生きて、安らかに旅立っていただきたいです。
それができるように、日々精進ですね。


















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下町ロケット、カンドー!

2019-01-24 03:22:07 | Weblog
ブログの更新もご無沙汰でしたが、年末年始のテレビの録画も溜まりに溜まり。。。

やっと見られました、「下町ロケット」。
去年のドラマも楽しみにずーっと見ていたのですが、最終回が何か尻切れトンボで、気分悪かった。
それが、一気に吹っ飛ぶ、出来の良さ!

いや~、面白かったですね。
見てる方にしか分からない文章でごめん!です。

まず、殿村の爺ちゃんが、刈り取りを終えて去って行く無人コンバインに「ありがとう、ありがとう」と田んぼで土下座している姿。
カンドーしました。

農家さんにとって、手塩にかけて育てたコメは、補償金と引き換えにできるようなものではない。
うちも今年は、少~しだけ似たようなことがありました。
田んぼが2枚あるのですが、1枚目の刈り取りを終えて、2枚目の田んぼに行ってみると、なんと水が溜まって、とてもコンバインが入れるような状態ではない。

私が、入りかけると、ズブズブと泥の中にめり込んでしまう(重い軽いの問題でなく)。
一昨年、無理やり入れたコンバインのキャタピラが外れ、結局、農機具屋さんに大型コンバインを入れて刈ってもらったという悪夢がよぎりました(私は聞いただけ、息子の話)。

「これは、ダメだよ」と全員一致の、放棄。
手で刈り取るにも、多分無理だろうと、実った稲を見殺しにすることになりました。
そばを通る時も、切なくて、なんとかならんやろうかと思っていたとき、義兄の友人が天気が続いたら、刈り取ってくれると言ってくれました。

その友人も、毎年沢山作って、売っていたのですが、今年は体を壊して、ほとんど田んぼの世話ができなくて収量が激減。
お米を頼まれている人たちに売るコメがない。
もし、泥田の稲を刈れたら、分けてくれるやろかと義兄に頼んできたらしい。

「おー。全部持って帰ってくれ。金なんぞいらん。刈ってくれるだけで有難い。」
義兄も、自宅の裏の稲を毎日見るのが、苦しかったそうです。

ほとんど、お世話なぞしない我が家の稲でさえ、見殺しにするとなったとき、辛かった。
そのうちに立ち枯れて、それをトラクターで鋤込むのは、夫の仕事だったはずだから、気の弱い夫は、トラクターの上で倒れとったかもしれん。

30年ほど前、まだ若かった頃、台風で稲が倒れて、手刈りをしたことがあります。
倒れて水に浸かった籾から、すでに芽が出ていました。
それを手で引き上げて、刈り取ったことがあります。
若かったからでしょうか、今回のような感傷は何もありませんでした。
多分、しんど!って思ってた位でしょう。

だから、殿村の爺ちゃんが、台風の中、稲を刈り取ってくれた無人コンバインに、どんな思いで土下座をしていたか、有難かったか。
見ていて、本当にジーンときました。

台風の中、大型無人コンバインを積んだキャラバンがどんなに救いの神に思えたことでしょう。
あのアイデアは、すごいな~と思いました。
これからの農業のヒントやね。

クボタの無人トラクターがすでにテレビでコマーシャルされるようになったから、あの構想も近い未来やね。
それにしても、新潟の燕市の田んぼは素晴らしかった。
見渡す限りの田んぼ。
きれいに耕地整理されて、作業しやすいようになってる。
日本中にどれくらいあのような田んぼが確保できているのかな。

今回、我が家の田んぼが水浸しになった原因の一つに、周りがすべて田んぼでなくなった、ということがあるそうです。
西側は荒地。残り3方は、コンクリートの住宅地か用水路。
水の抜ける場所が無くなっている。
村の田んぼでも、周りが全部造成されて住宅が建ってしまい、水が溜まって稲作りができなくなったところがあります。
「あの田んぼ大好きなおっちゃんが、なんで田植えしてないんやろ?」って聞いたら、義兄がそう教えてくれました。

燕市のように、延々と田んぼだったら、入りすぎた水は隣の田んぼへと次々抜けていく。
畦は土だから、水を通す、コンクリートは通さない。

田んぼが無くなるということは、連鎖して色んなことに不都合が起きてくる。
大量の水を受け止めてくれていた田んぼがなくなった我が村では、大雨がふると村の中が洪水になるようになった。
洪水になって初めて、田んぼがあったメリットがわかったような次第。
水を溜めた田んぼを渡る風は天然のクーラーだったけど、今は、村全体が暑い。

燕市のような広大が農地がある村が、ずーっと生き続けていけるようにと思います。

それと、島ちゃんの技術力にもカンドーでしたね。誤差、200ミリで衝突回避。

誰のセリフだったか忘れましたが、
「空の上で、ヤタガラスが自分達を見ていてくれる」というのも。
TOYOTAが進める「モビリティ社会」にも、人工衛星は必須ですから。

さ~て、20年後、30年後、世界は全く変わっていますよね。
そんな先まで生きていられるかどうかなんて、消極的な人生じゃなくて、自分もいっちょかみしてみよか!って考えようかな~。

あっ、それでも消極的になりそうな御仁は、どうぞこれお読み。



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会ったことないけど。

2019-01-24 03:00:54 | Weblog
足揉みに来られた方々とは、よくお話をし、仲良くもなりますが、その方々の後ろにいらっしゃるご家族、友人、知人の方のことも興味深く思う時があります。

足揉み歴8年位の50代女性。
多分、40代の初め頃にお会いして、いつの間に50代になられたのですか~というくらいお若く見えます。

そのお父様(ご自分のお父様とご主人、子供達のご家族)が、とてもお元気で、気になっていました。
昭和3年生まれですから、2年前に亡くなった父と同い年。

旧制中学から大学まで進まれてるので、どうやら脳はかなりの好奇心持ち。
未だに、車に乗ってゴルフに行ってます、というお元気さ。

「本も沢山読んでます。」
やっぱり、好奇心旺盛な爺ちゃんだね。

そのお父さん、85歳の時。
ご家族がスマホを持ち始めて、人差し指をすー、すーっとスマホの上を滑らしている動作がすごく気になったらしい。
「それ、何?」と聞いてから、
「自分も買いに行ってこよ」と一人でスマホを買って来られたそうな。

「それまでは、ガラケーを持っていたのですが、すぐスマホを買ってきました。
私も少し教えたのですが、かかってきた電話を自分で登録していますよ」

90歳がスマホを持って、車でゴルフに出かける。
真似しようね~、みんなで。

あまりにカクシャクとされているので、会社でも経営されているのかと思ったら、ご住職でした。
大学はお坊さんの学校で、龍谷大学。
もっとお若い住職に「龍谷大学って古いんですか?」とお聞きしたら、400年位です、だと。

今でも、檀家さんへお参りに行くなど、ちゃんとお仕事をされているそうです。
見習おうね~、みんなで。

一度、お会いしたいもんです。



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低血糖ですね。

2019-01-24 02:45:37 | Weblog
「私の友人、80歳なんですけど、しんどい、しんどい言うて1ヶ月入院してたんです。
でも、しんどいのが治らないので、私の主治医の糖尿病の専門医を紹介したら、低血糖ですって。」

80歳の女性、糖尿病は食事制限をせなアカンと洗脳されたまま、今に至る。
いくつで糖尿病になられたのか分かりませんが、食事制限は50代まででしょ。

それ以上は、食事の量が減りますから、ほっといても低カロリーになってますわな。
以前、80代の女性を揉んでいたとき、
「私、糖尿病ですから、毎食120グラムのご飯、計ってますねん」とおっしゃるので、
「もう、ええでしょ。昔の半分も食べてないでしょう?」とお答えした。

しんどいの80歳女性は、3食のうち、1食だけご飯を食べておられたそうな。
あとは、おかずだけだったのかな?

「とにかく、しっかり食べてください。ご飯を減らしたらアカン!」
と先生に言われ、元気になったそうです。

低血糖もそうですが、低血圧も同じでしょう。
何年も、同じ降圧剤を年がら年中飲み続け、夏に低血圧になって階段から転げそうになった80代女性もおられます。

高齢者の血圧は、140から160で良いって書いてありました。やっぱり~。

前にも載せた、船瀬俊介さんの本です。



別の先生の本にも、
「これからは、病院嫌いの人が長生きするようになるでしょう」と書かれていました。

良かったね、父ちゃん。
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賢い足ですね~。

2019-01-24 02:13:27 | Weblog
「最近、ずーっと右手が痺れてるんです」と60代女性。
足揉み歴、4年ほど。

多発性硬化症で、夜も仰向けには眠れませんと言うほど。
毎晩、夫が痛い所を揉んでくれるんです、という仲良し御夫婦(吠える夫とは違~う)。

20代の頃は、失明しかかってステロイド80ミリという時もあったそうです。
結婚も難しくて、ましてや子供なんてとんでもないと言われながら、それを承知のご主人と出会い、一人息子さんもおられます。

手のしびれは、皆さん、脳血管障害かと疑われるのですが、もしそうなら手だけじゃなく足や唇も片側だけに痺れが出てきます。

手だけの場合は、首と頚椎。
足は腰からきていることが多いです。

と、見当をつけて、右足の頸部(首)を揉んだ時、「痛い!」と叫ばれた。
揉むというより、撫でたというくらいだったのですが。。。

痛いです~。そうですよね。こんなところ、今まで痛くなかったですもんね。

続いて、頚椎の反射区に来たら、これはもうブチブチして痛みも酷い。
「これが原因です。ばっちり!ほぐしましょう」
と、レギュラーを揉んで、重点反射区としてもんで、最後に揉んで、止めに揉む。

何だか、痺れが無くなってきたみたいです。およよ。。。即効性がありますね~。

施術が終わった時には、右手の痺れはすっかり取れていました。偉い!あなたの足!
念のため、毎日、こことここ、自分で揉んでいただけますか?
と、反射区をお教えする。

マジックで印をつけておきましょう。矢印もお願いします。

「今日は、足揉みに行ってきたよって主人に言うと、どこが痛かった?っていつも聞くんです。
だから、今日は、ここを揉んでもらいましょう」と。
夜、お二人でマジックの所を確認しながら、揉んでおられる姿が目に浮かびますね~。

私も、今は、左手の指先が少し痺れています。
昔、ムチウチをやって、左手全体が麻痺したことがあります。
夜中に痛みで目が覚めてしまい、さするのですが、全く感覚がありませんでした。
昼間は、そこまでの痺れがなかったのは、動いているから血流が良いということだったのですね。

夜、じっと寝てたら、完全に痺れて痛みで目覚める。
はまのっち先生に毎週揉みをお願いして、6週間で戻りました。

今でも、肩こり、首コリが過ぎると、左の指先がジンジンとしびれます。
久しぶりのブログ更新で、コリ過ぎかしらん?




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「こんなもんでええか?!」

2019-01-24 01:53:08 | Weblog
今年70歳になる夫。

最近、お風呂上がりやお酒を飲みすぎた時など、ゼーゼー言うてる。

60代の知り合いが、バタバタお亡くなりになってる中、病気もせずに風邪すら引かず、元気に生きています。
それが、今日は、夕方「アカン!」と言いながら、窓を開けてるので、嘔吐でもするのかと思っていたら、深呼吸してたみたい。。。

晩ご飯の時も、呼吸が乱れ気味なので、
「ほれ、最近父ちゃん、こんな感じやねん」と言うと、
「まだ、タバコ吸うてるんやろ?苦しかったらやめるやろ」と息子。

「もうええんちゃう?困るんか?」と息子。
何が良くて、どう困るのかわからんけど、
「まあ、こんなもんでええか!」と妻。

それを、モーローとした中で聞いていたらしい夫。

「何が、こんなもんでええか、じゃ!死んでたまるか!」と、吠える。

「何も、死なんでもよろしいがな。
病院も嫌い、タバコもやめない、お酒も減らさない。
少しは、体のこと考えたらどうや?と言うとるの」

「俺が死んだら、年金が無くなるんやど!」と追い吠え。

死ぬ、死ぬって。どうやって死ぬんじゃ!その元気で。

「なんで、あんなに元気なんやろ?」
「そりゃ、なんのストレスもないもん」
母と息子の会話でも、死ぬ話は出てこんな~。

足揉みで通ってる病院には、鼻に酸素の管を付けたおっちゃんもよく見かけるんで。
あんさん、あんなことできるか?

よーせんやろな~。








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シニア向けです。

2019-01-24 01:42:42 | Weblog


文字盤が大きくて、とっても見やすいでしょ?

80歳のご主人が78歳の奥様に、「お前のためにこんなの買ってきてやった」と言われたそうです。

足揉み中にピーピー鳴るので文字盤を見たら、メガネをかけずに見えました。

これからは、こんな商品が増えてくるんだろうね。

助かる、助かる。
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残念!

2019-01-24 00:48:24 | Weblog
例の「病院も行かず、薬も飲まず百歳まで働くには」の実験体になってもらおうと思っていた山ちゃん、70代女性、足揉み歴6年。

「お薬、飲んでいらっしゃらないですよね?」
「いえ、血圧の薬、飲んでますよ」
「いつからー?!」

山ちゃんは、最初、右肩の痛みで来られました。
ぶつけた後の痛みがいつまでも治らず、自転車通勤してるのに、痛みで時々下りて、肩をさすらないとアカンと言うて。
有名な整形外科へも行ってみたけど、はかばかしくない。

月に一度だけだったけど、毎月揉んでるうちに痛みは和らいで、自転車の運転には困らなくなりました。
それに加えて、今まで胃の痛みで通っていた内科にも行かなくなり、時々飲んでいた胃カメラも、すっかりご無沙汰していました。

なので、今では何の治療薬もないだろうと思っていたのですが。。。

「あの蕁麻疹の次の日、念の為に行った病院で、即血圧の薬が出て、ずーっと飲んでます」と山ちゃん。

「あの蕁麻疹」と言うのは、3年まえのこと。
夜、9時頃に夕御飯を食べて3時間ほどたった夜中に突然、体中が真っ赤になるほどの湿疹が出ました。
顔から手足すべてに蕁麻疹が出て、そのうち喉が詰まったようになり、呼吸がしにくくなってきたそうです。

苦しい息で、消防署に夜間にやってる病院でも教えてもらおうと電話をかけると、「救急車だしましょうか」と言われたのですが、次男さんが救急救命士で消防署勤務なので、迷惑がかかってはいけないと思い、「しばらく様子を見ます」と断ってしまったそうです。

その後、ウンチが3回出ました、と。
下痢じゃなくて、普通のウンチだったそうです。

「3回目のウンチの後、凄かったですよ。手の先から、すーっと湿疹が一気に引いてきたんです。」
全部の湿疹が引いたのが、夜中の3時。
12時頃から出始めた蕁麻疹が、3時間程で、きれいに消えてしまったそうです。

次の日も午後から仕事だったので、取り敢えず病院へは行っておこうと、午前中に近所の初めての医院へ行って血圧を測ってもらったら、高かった。
そりゃ、夜中にエライ目にあってろくろく寝てないもんね。当たり前じゃろ~。
と思ったのに、即、血圧の薬が出たんだそうです。

「夜、蕁麻疹でよく眠れてないっておっしゃったんですよね?」
「言いました。」
「初めて行った医院?なんで、それまでの先生の所へ行かなかったのですか?」
「それまでの先生は、バイクで20分程かかるので、元気になったし近くでも良いかと思いました」

「初めてかかった先生で、前の夜まともに眠れてないってことも分かってたのに、血圧の薬が出たということですか」
「はい。それまでの先生は、これくらいやったら、薬を飲むほどでもないやろって言われてた位の数値でしたけどね」
「それやのに、3年間、ずーっと飲んではるの?」
「脳梗塞になって、子供達に迷惑かけられへんからね~」

血圧の薬を飲み続けてたら、脳血管障害にはならんのかな?

その先生「そんなひどいことになった時は、すぐに救急車で病院行かんと危ないで」と言われたそうな。
でも、初診の患者さんに、ずーっと降圧剤出し続けるほうが、危なくないかい?

という事で、元気一杯の山ちゃんは、実験体にはなってもらえませんでした。残念!







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とんどは神事でございます。

2019-01-24 00:14:24 | Weblog
あれよ、あれよと言う間に1月も下旬。

自宅の向かいの田んぼで、14日にとんど焼きがありました。



夫と一緒に見ておりましたら、勢いよく燃え上がり、オー!



昔、子供達が小学生の頃は、村の元気な爺ちゃん達も沢山いて、立派なとんどを作ってくれました。
子供達は中に入って、作ってある棚に登ったりして毎日遊んでおりました。

今は、棚があるような頑丈なものは作れないようですが、燃やす当日には村人さんたちがお正月飾りなんぞを持って集まってきます。

私も、何年か分の年賀状を持って田んぼに行きますと、何やら立札が。。

「とんどは神事です。粗大ゴミを入れないでください。次のようなものは。。。。」
と書いてある中に、「ランドセル」とありました。

びっくり!ランドセルをここで燃やす人がおったんかい!
村は、JRの駅ができ、高速道路で東西南北どっちにでも行けるようになり、私がお嫁に来た40年前(古い話じゃ)の3倍の人口になっています。
とんどが粗大ゴミを焼く場所だと思う人も引っ越してきたのかしらん。

とんどが立てられている田んぼは、春になると田植えをし稲を作っているんです。
ほんとは、使って欲しくないかも。。だけど、提供してくださってるんだよね。
プラスティックや、金属の物は入れてもらったら絶対に困る。
わかるはずだけどね~。

暗がりの中で、ふと足元を見ると、今から火の中に投じるのか、ぬいぐるみが数個入った袋が置かれていました。
はよ、入れんと燃え残りますよん。







コメント
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