いっちゃんより、6歳年上のちいちゃん94歳。
時々、ブログに登場してもらってますが、こちらは7月4日に脳梗塞で倒れて入院。
回復期リハビリ病院に移って、もうすぐ自宅へ、というときにベッドから落ちて、大腿骨骨折、手術。
と、いっちゃんと同じような経過でした。
認知症があったのもいっちゃんと同じ。
7月11日から施術。勿論、ベッドの上で。7月は5回の足揉み。
8月3日、回復期リハビリ病院へ転院。
8月16日、ベッドから落ちて骨折。
23日大きい病院へ移って手術。8月は6回の足揉み。
6回と言っても、術後の足揉みは、足裏、甲のみ。他は触れない。ので、普段より短時間の施術。
9月、いつでも来れる時に来てくださいと言われ、10回の施術。
術後のリハビリは痛いし、情緒不安定が続いて、食欲なし。
娘さんが、拝むようにして、食べさせる。
元々、体格の良い方だったので、少々食べられなくても、まだ50キロの体重をキープ。
足揉みは、最初から、主に認知症の反射区を重点的にやっていました。
脳梗塞の反射区も同じような所です。
10月、再び回復期リハビリ病院へ転院。
最近のリハビリは、土日も休みなくやって、ある程度は回復させる。お見事!
でも、相変わらず、食事の量は少ない。
病院が神戸になったので、電車で週に1度の施術がやっとで4回。
この頃から、認知症とは思えないほどの気の使いようをされるようになった。
11月も4回。
カルテに毎週、落ち着いている、非常に落ち着いている、と書いている。
7月8月は、ご自分の体が大変で、人にまで気を使えなかったのか、それとも足を揉むことで気が安定してきたのか、どっちだろう。
相変わらず、認知症の反射区は、一番の重点反射区としていました。
12月、カルテの記述は、落ち着いているにプラス、体調良好。
ただ、脳梗塞の右半身麻痺の改善には至らず。
下旬に、神戸の病院から車で行けるご自宅に退院されたので、5回の施術。
1月、毎週、ご自宅で施術。4回。
飼い猫ちゃんもいるし、やっぱり家は良いね~。
車椅子生活になってしまわれたけど、自力で少しの時間たっておられるようになったので、寝たきりではない。
中旬、娘さんが「ご飯が普通に食べられるようになったんです。食べてくれるから嬉しい!」と。
下旬、デイサービスに週3回、通われるようになりました。
認知症からくる問題行動もありません。
娘さんと入院前から通ってくださってたヘルパーさん達に支えられながら、車椅子生活を続けておられます。
このまま毎週揉みを続けながら、94歳のちいちゃんは果たして、どこまで頑張るか!
頭も内臓もお元気だから、今のところ、「死」の陰は全くありません。
大腿骨骨折から食べられなくなって1ヶ月で旅立たれたいっちゃんと、同じ骨折で今はお元気なちいちゃん。
どこが違ったのかな?
7月、娘さんがおっしゃった言葉。
「私達夫婦は、子供もおりません。私は、一人っ子です。
母は、たった一人残った肉親なんです。
何としてでも、生きていて欲しい。どうしても、死んでほしくないんです!」と叫ばれた。
病院で、何も要らないというちいちゃんに、「食べなきゃダメ!」と無理やり食べさせていた娘さん。
そばで見ていて、正直もう勘弁してあげてって思いました。
もう、体が無理って言うてるって、言いたかった。
でも、諦めなかった彼女。
どんなに病院が遠くなっても、ご飯を運んでやってきた(病院食が嫌いだったそうで)。
ヘルパーさんと、お母さんより彼女が心配やね、と話したりしていました。
それが、今では、自宅でお元気に二人で、楽しくお話しできるまでに回復された。
29日、時間が取れなくて、夜に足揉みにお邪魔すると、二人で夕食も食べないて待っておられました。
先にちいちゃんを揉んで、次に娘さんを揉んでいると
「お母さん、お腹すいた?ごめんね、後で、ご飯食べようね。」
「大丈夫、大丈夫。座って待っとくよ。」と、ちいちゃん。
本当に嬉しそうにお話しされている。
7月から10月までは、こんな日がくるなんて考えられなかった。
脳梗塞が回復しても、もしかしたら寝たきりで施設へ入るしかないのでは、と思ってた。
足揉みの回数も多かったけど、現役の時、朝2時から起きて、エビ天を400枚揚げて、病院や学校へ納品し、6時になったら、ご主人とやってた乾物屋を開けるというような生活を続けておられたちいちゃん(12月に足揉みしながらお聞きした話)。
「お母さん、筋がね入りやったんですね~」
「忙しかったわ~」
根性が違うんだね。
どうぞ、このままの生活が長く続きますようにね。
時々、ブログに登場してもらってますが、こちらは7月4日に脳梗塞で倒れて入院。
回復期リハビリ病院に移って、もうすぐ自宅へ、というときにベッドから落ちて、大腿骨骨折、手術。
と、いっちゃんと同じような経過でした。
認知症があったのもいっちゃんと同じ。
7月11日から施術。勿論、ベッドの上で。7月は5回の足揉み。
8月3日、回復期リハビリ病院へ転院。
8月16日、ベッドから落ちて骨折。
23日大きい病院へ移って手術。8月は6回の足揉み。
6回と言っても、術後の足揉みは、足裏、甲のみ。他は触れない。ので、普段より短時間の施術。
9月、いつでも来れる時に来てくださいと言われ、10回の施術。
術後のリハビリは痛いし、情緒不安定が続いて、食欲なし。
娘さんが、拝むようにして、食べさせる。
元々、体格の良い方だったので、少々食べられなくても、まだ50キロの体重をキープ。
足揉みは、最初から、主に認知症の反射区を重点的にやっていました。
脳梗塞の反射区も同じような所です。
10月、再び回復期リハビリ病院へ転院。
最近のリハビリは、土日も休みなくやって、ある程度は回復させる。お見事!
でも、相変わらず、食事の量は少ない。
病院が神戸になったので、電車で週に1度の施術がやっとで4回。
この頃から、認知症とは思えないほどの気の使いようをされるようになった。
11月も4回。
カルテに毎週、落ち着いている、非常に落ち着いている、と書いている。
7月8月は、ご自分の体が大変で、人にまで気を使えなかったのか、それとも足を揉むことで気が安定してきたのか、どっちだろう。
相変わらず、認知症の反射区は、一番の重点反射区としていました。
12月、カルテの記述は、落ち着いているにプラス、体調良好。
ただ、脳梗塞の右半身麻痺の改善には至らず。
下旬に、神戸の病院から車で行けるご自宅に退院されたので、5回の施術。
1月、毎週、ご自宅で施術。4回。
飼い猫ちゃんもいるし、やっぱり家は良いね~。
車椅子生活になってしまわれたけど、自力で少しの時間たっておられるようになったので、寝たきりではない。
中旬、娘さんが「ご飯が普通に食べられるようになったんです。食べてくれるから嬉しい!」と。
下旬、デイサービスに週3回、通われるようになりました。
認知症からくる問題行動もありません。
娘さんと入院前から通ってくださってたヘルパーさん達に支えられながら、車椅子生活を続けておられます。
このまま毎週揉みを続けながら、94歳のちいちゃんは果たして、どこまで頑張るか!
頭も内臓もお元気だから、今のところ、「死」の陰は全くありません。
大腿骨骨折から食べられなくなって1ヶ月で旅立たれたいっちゃんと、同じ骨折で今はお元気なちいちゃん。
どこが違ったのかな?
7月、娘さんがおっしゃった言葉。
「私達夫婦は、子供もおりません。私は、一人っ子です。
母は、たった一人残った肉親なんです。
何としてでも、生きていて欲しい。どうしても、死んでほしくないんです!」と叫ばれた。
病院で、何も要らないというちいちゃんに、「食べなきゃダメ!」と無理やり食べさせていた娘さん。
そばで見ていて、正直もう勘弁してあげてって思いました。
もう、体が無理って言うてるって、言いたかった。
でも、諦めなかった彼女。
どんなに病院が遠くなっても、ご飯を運んでやってきた(病院食が嫌いだったそうで)。
ヘルパーさんと、お母さんより彼女が心配やね、と話したりしていました。
それが、今では、自宅でお元気に二人で、楽しくお話しできるまでに回復された。
29日、時間が取れなくて、夜に足揉みにお邪魔すると、二人で夕食も食べないて待っておられました。
先にちいちゃんを揉んで、次に娘さんを揉んでいると
「お母さん、お腹すいた?ごめんね、後で、ご飯食べようね。」
「大丈夫、大丈夫。座って待っとくよ。」と、ちいちゃん。
本当に嬉しそうにお話しされている。
7月から10月までは、こんな日がくるなんて考えられなかった。
脳梗塞が回復しても、もしかしたら寝たきりで施設へ入るしかないのでは、と思ってた。
足揉みの回数も多かったけど、現役の時、朝2時から起きて、エビ天を400枚揚げて、病院や学校へ納品し、6時になったら、ご主人とやってた乾物屋を開けるというような生活を続けておられたちいちゃん(12月に足揉みしながらお聞きした話)。
「お母さん、筋がね入りやったんですね~」
「忙しかったわ~」
根性が違うんだね。
どうぞ、このままの生活が長く続きますようにね。