中国足心道 足揉みぱくちゃん 「今日も元気だ!ご飯がうまい!」

「足揉みぱくちゃん」の療術師 市村良子の日々の出来事、暮らしを綴った日記です。

平和教育の極みだよ。

2018-12-26 01:14:52 | Weblog
23日は、天皇誕生日。

で、記者会見で天皇陛下のお言葉。
通りすがりのテレビで、ちょこちょこ見ていましたら、あまりの感激で、全文を読みたいと、ふうこさんちで
「新聞、おくれ」といただいてきました。

ユーチューブでも、見ました。

すごい!
これ、全世界に向けても放送されたんだよね。

「究極の平和教育」
ペリュリュー島で深々と礼拝されたお二人のお姿を見たときも、思ったけど、このお二人の生きる意味は世界平和だったのかい?

23日と24日、NHKでお二人の番組をやっていました。
昭和50年、初めて沖縄へ訪問に行かれることになったとき、1か月の間に60人余の様々な立場の人々から沖縄の話を聞いて、勉強して訪問されたとありました。

頭いいんだね~、天皇陛下は。

24日の放送では、天皇陛下と美智子様のことを言ってましたが、3歳から両親と離れ、乳母に育てられた天皇陛下は美智子様から学ぶことが色々あったようです。
被災者の方々にまじかに顔を近づけて、お話しされるという行為も、先に美智子様がなさって、天皇陛下が真似をされたとありました。

人を愛するということを愛情深い家庭で育った美智子様から、どんなに学ばれたのかと。
もちろん、その逆もあったでしょうが。

沖縄の下りで胸を詰まらせながらお言葉を読まれていた陛下。
続いて、60年、天皇の旅に寄り添って自分を支えてくれた美智子様にたいするねぎらい。

この下りは、日本中の女性が自分のそばにいるおっさんを思わず眺めて、比較したに違いない。
しゃーない、「破れ鍋に綴蓋」と自分を納得させた人も多かろう。

「平成の世に戦争がなかったことが有り難い」
昭和8年生まれの戦争経験者の天皇だから、戦争の悲惨さも十分ご存じ。

私の父は、昭和3年生まれ。
認知になってからも、私が実家に訪ねて行くと、いつも同じ質問をしました。
「今、どこか世界で戦争をしている国はあるのか?」
「どこもないよ」
と答えると、
「そんならええ。戦争は絶対やったらアカン!」

戦争は絶対やったらアカン。これを次世代につなげていってほしいというのも、天皇陛下も同じ考え。
いつのお言葉か忘れましたが、
「満州事変(日中戦争だったけ?)以降の日本の歴史を学びなおしてほしい。知ってほしい」と言われたことがありましたね。

歪められている真実があるということを、天皇陛下は知っておられたのか。
あからさまに、指摘することもできず、ただ国民に学び直してほしい、と訴えられた。

今回が最後の会見になるそうです。
4月の退位の時にも、体力的にもうできない。

23日の一般参賀は、8万人以上。
外国の方も多々。
「天皇陛下にお会いできるのが楽しみ」と言ってる小学生もいました。どんな大人に育てられているのか。

年明けの1月2日の一般参賀は徹夜組が出るんじゃない?

天皇陛下ご夫妻が、一生をかけて伝えようとされたこと、想いを日本人だけでなく志のある人みんなで引き継いで行こうね。

昔、子供の時に読んだ本。
「おすそ分け」

隣におすそ分けした食べ物が回り回って、ほんの少しだけど、自分の所に戻ってきた。
登場人物はみんな、動物さんだったけど、なぜか忘れられないお話しでした。

こんな言葉もあります。
「奪い合えば足りないけれど、分け合えば余る」確か、聖書の言葉だったっけ?

神道では、「人も良し、我も良し」という言葉がありました。




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3時間歩いたらば。。。

2018-12-26 00:23:37 | Weblog
またまた、淡路島「けひの海」で女子会。



例によって、食べきれん程の朝ごはん。(きっちり2膳食べたけど。。)

淡路は姫路から近いので、車で2時間足らずの距離。
で、帰りは沼島に寄って帰ろうよと、船で10分ほどの沼島へ。

ここには、10年ほどまえに、娘と来た事があります。
「10年前」はすたすた歩けたのか、そんなに疲れるほどの道だという言う認識が全くありませんでした。

神話に出てくる、おのころ神社。こんな字です。



この看板までたどり着くまでにすでに、山道~。
神話では、天浮橋という所に、いざなぎの尊といざなみの尊が立って、海の水をこ~ろ、こ~ろ回していると、自然に凝り固まって島ができたとあります。

これがそのお二人が天ぬぼこでかき回してるの像。



「自凝」というのは、自然に固まるという意味の他に、「自分に凝る。自分の考えに凝り固まる」って意味もあるんじゃない?
と、すでに誰の言うことも聞かんやろ!という、我らおばちゃん達が、話合った。

天の声や他の方々のアドバイスを受け取ろうとしても、自我に凝り固まってると、すべて弾いてしまう。受け取れない。
それでは、あまりに勿体ない。

「ここで、自分に凝り固まってる自分を解放してやろう」「おー!」と、納得の「自凝神社」でした。

山道を下って、次は海のほうに向かう。
「杖があるよ」
「こんなもん、あったっけ?」なにせ、10年前は、若かった。杖なぞ、眼の外だったと思われる。

「とりあえず、持って行こうよ」
途中で、なんで2本もって来なかったんやー!2本杖やったら楽やったのに~!

坂の上から、こんな看板が見えた。



「この坂、降りたらまた上がってこなアカンってことやで。行く?」坂の上で、しばし躊躇。

でも、見えた景色はきれいでした。





10時半に沼島に着いて、13時20分の船に乗るまで、休憩もせず延々とアップダウンを歩きっぱなしの3時間。

道の駅で買い物し、オアシスで玉ねぎスープ(これは是非おススメ。蛇口から出る玉ねぎスープ)を飲んで夕方には帰り着きました。

その日は、ご飯も作れたし、きっちり食べました(何せ、お昼抜きで歩いてたので)。

翌日、脛が痛い。
何も食べられない。

足が痛いのは、当然の筋肉痛。翌日に出るのは、まだ若いじゃん!

しかし、全く何も食べたくない。
1日1食。というのは、時々あるけど、その1食もイラン。

お昼時、夫の食べ残しのウインナーのきれっぱしを一切れ食べたのが、夕方になっても油臭いゲップが出続ける。
まるで、脳が「食うな!って言うてるのに、何で食うか!」って怒ってるかの如く。

よよ、これはいかに。
とにかく、翌日の足揉みは、神戸のちいちゃんの病院へ行く日でした。
電車の中は、絶好の読書時間なのですが、読むどころが気分が悪いから寝よ。

帰りの電車は、なんと人身事故のため途中駅で1時間以上の停車。ここでも、寝る。
「事故で帰れんから、ご飯ないよ~」とおっちゃん達に連絡して寝る。

後で考えれば、まともに帰っていれば、また夕ご飯の準備で疲れたかも。1時間の停車は天の助けか?

その夜も、ほとんど食べることなく、9時過ぎに「お先に寝るね」。
二日目も、あまり欲しくない。
三日目、やや食べる。

まともに食欲が戻ってきたのは、4日目。
体重計に乗ってみると、ここ数年来、見たこともない66キロ台という数値(70キロ程あったんで。)。

食べんかったら痩せるんや。。。と当たり前のことに感心する。

消化器系は全く大丈夫だったはず。
けひの海で、たらふく食べて飲んでしたけど、翌朝は2膳やもんね。

筋肉疲労か何かわかりませんが、体が「修復しますから、胃にものを入れないでほしい」というサインを出していたことは確か。
ご飯を食べて消化するのに、体はハーフマラソン程のエネルギーを使うと聞きました。
そんなことにエネルギーを使うくらいなら、痛めた体の修復に回したいと思ったんでしょう、脳が。

だから、食べたい時に食べたいものを食べたいだけ食べるがよろし。
体が弱った時に、「食べないと元気になれないんよ、一口でもええから食べ!」と押し込むのは、体にとってアダになりまする。

筋肉疲労は、二日目に息子に揉んでもらって、その午後から痛みはとれました。
体が完全に回復するのに、3日かかりました。
でも、体はきちんと戻しましたね。

じーっと自分観察でした。




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いつも鼻歌歌ってます。

2018-12-26 00:01:04 | Weblog
足揉み歴7年、まゆちゃん、78歳女性。

とにかく、初めてお会いした頃は、夏だと言うのに、足が冷たかった。
それと、隣家の怖いお話。
これは、今でも、盗聴されている、盗み見されているなど時々、ありますが。。。

まず、笑顔がない。
関東出身の方なので、言葉使いもテキパキ、紋切り型。
初対面では、怖がられるタイプ?

「私、脊柱管狭窄症があるので」ときっぱり!
取りつく島がない。。。
さすがの能天気、明るい私も、どっから取りつくよ?

月に1度だけの足揉みをひたすら続けた結果、
「今日は、沢山笑いましたね~。」と、おっしゃるようになりました。笑うと免疫は6倍になります。

「今では、人が言うことにあまり影響されなくなりました」そーそー。

「最近、若いわね~って言われるんです」皆さん、ご同様で。

大正琴のお稽古をもう20年ほど、続けておられるのですが、
「私、弾く曲に合わせて、最近鼻歌を歌ってるんです」

先生と合わなくて、お琴のお稽古も苦痛な時もあったのですが、今では、その先生がご機嫌伺いに来られるほど、彼女に懐いてる。
免疫が上がって、気が高くなってるんですね。

毎度、毎度書いてますが、「気が上がる」。これが、何よりも嬉しいことです。
高くなった気力で、楽しい人生をお送りくださいね~。
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イケイケ、どんどん!

2018-12-18 23:24:17 | Weblog
2年前に亡くなった実家の父の日記です。



平成6年12月16日から始まって、平成20年5月29日で最後です。
父の年齢が、66歳から80歳までです。

父が認知症と診断されたのは、75歳位の時。
なので、5,6年は、認知症でありながら、ワープロを操作して書いていたということです。

最初は手書きで、途中からワープロ(書院)を買って、操作を覚えて、実家に行くと部屋にこもってカタカタ打っていました。
全部は読みきれていませんが、いつかすべて読んでやろうと思っています。

認知症と言っても、様々な種類があるのですが、父の場合は、最初は糖尿病性認知症、途中でアルツハイマーと診断されたこともあります。
最後は、何型か知りませんが、短期記憶がないということぐらいで、1年以上会っていない息子の顔も覚えていました。

80歳を過ぎて、ワープロの操作ができなくなり、文章も書かなくなりましたが、テレビゲームの将棋や囲碁はかなり長い間できていました。
足揉みは、75歳から月に2,3回続けていましたので、その効果もあったでしょう。
最後の3年間は、週に2回揉みというペースでしたが、認知症の改善ということはありませんでした。
せいぜい、進行を遅らせるということぐらいはできたでしょうか。

認知症の予防と言うことで一番は、脳が楽しいことをやれ!でしょうか。
何でも、興味をもって毎日、刺激的に生きている方は、脳が衰えない。

反対に、何もかも面倒くさがって、なにもしないという怠けものは、脳が「もう休んでいいかしらん?」となる。
面倒くさがる性格というのは、年をとったからなるのではなく、若い時も同じ。

もっとも、免疫が落ちてる時は、何事も面倒だと思いがちだけどね。
自分の生活を振り返ってみると、40代の自分は随分と怠け者だったな~と思う。

80代になって、脳に「休んでいいかしらん?」と言われないために、とにかく働きましょうか。
動きましょうか。
考えましょうか。

ワクワクすることを探して、実行あるのみ。
もう、あなたの邪魔をする人は誰もいませんよ、あなた以外にね。



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ゴージャス!

2018-12-18 23:19:33 | Weblog


いくつになっても、花をもらうと嬉しいのは、女性だから?(ホンマでっか?)

足揉み歴7年のいとこが、持ってきてくれました。

足揉み部屋が一気にゴージャスになりました。
ありがとうね~、はるちゃん。
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食べれるかしらん?

2018-12-18 23:05:31 | Weblog


何をやっているかと言いますと、畑の土をプランターに移して、種をまいています。
もう、外は寒いので、ナイロン袋を覆いをしています。

中身はこんな感じ。



ほうれん草、菊名、こかぶ、水菜を植えて芽がでてきましたが、なにせ寒いので育ちますか。。。

今まで畑にしていたところが、南隣の竹やぶが成長しすぎてほとんど日陰になってしまいました。
朝から午後まで、ほとんど日が当たらない。
ので、育たない。
お隣さんや~い。竹やぶ、切っておくれ~!と心の中で叫んでる。

で、せっせと土を運びまして、プランター栽培。
今までの畑は、EMボカシで作った堆肥を投入して、土作りに使うことにしました。

良い土で育った野菜は、強い。
虫にも負けずに育ちます。
少食、菜食にこんな野菜を食べてたら、150歳までいけるかしらん。えっ?迷惑?ごめんやして~。
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こんな本もありまっせ。

2018-12-18 22:37:46 | Weblog


社会派ジャーナリスト、船瀬俊介さんの著書。

先日来られた足もみ歴1年4ヶ月の60代男性が、
「船瀬俊介さんの講演会に行ってきました。やはり、抗がん剤は効かないってことですよ。」

ご自身は、糖尿病で薬の害も知りながら、なかなか数値が改善せずにおられます。
「人工透析もとんでもないことだそうです」と。

で、図書館でドンと借りてきた次第です。
乱読主義の私の読書は、あっち読み、こっち読みで、この中の「健康寿命120歳説」が面白い。

森下先生というお医者さんが世界中の長寿村を訪ねて歩いた記録です。
世界のあちこちに100歳を超えても尚、元気に畑仕事などしている。
150歳も何人か。130歳などは、ゴロゴロいる。

日本の長寿さんとの決定的違いが、寝たきりがいない。
死ぬ間際まで働いている。
そして、穏やかなとても知的なお顔。

80歳、90歳などは長寿とは呼ばない。
日本では、そんな年でも寝たきりや体が不自由になったりする。一体、どこが間違っているのか。
本を読んでもらえればわかるのだけど、一番は不自然な生き方をしているってことかな。

少食、菜食、肉を食べるな。と書いてあります。
世の中の言ってることと違うことが書いてあります。
他の本も、そうです。
世間で言われていることが、すべて逆。

船瀬さんが、慕っている人に花森安治さんがいます。
あの、暮らしの手帖を創刊した人です。
新潟大学の安保徹先生のことも本の中に出てきます。

病院任せ、医者任せ、政府任せにせず、自分で考えて、自分の生き方を決めることが大事、そして、それはできることなんだと。
足揉み歴15年の私。
薬ものまず、検診にもいかず、ただ自分の体をじーっと観察して、対処している。

自分の体がもう限界だよって言うまで生きて、そして終わろう。
今のところ、絶好調みたいやね。ありがと。

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