中国足心道 足揉みぱくちゃん 「今日も元気だ!ご飯がうまい!」

「足揉みぱくちゃん」の療術師 市村良子の日々の出来事、暮らしを綴った日記です。

正月の楽しみ~。

2016-12-20 02:45:30 | Weblog
「近頃は、ビールは冷えるので、あまり飲まないんです~。」
てなことを言うておりましたら、



こんなものやら、



こんな珍しいお酒まで、いただきました。



「明延鉱山の坑道の中で、熟成させたお酒です。
去年、持ってこようと思ったら、もうなかったんです。
で、今年は、是非にと。」

おありがとうございます~。こんな見たこともないお酒を!

今年は、実家の父の喪中ではありますが、お酒が大好きだった父なら、飲んだくれても喜んでおりましょう。

いや、一緒に飲もうやないか~、おとっつあん。
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笑顔で旅立ち。

2016-12-20 01:39:01 | Weblog
なかなかブログ画面に向かえず、長い時間が経ってしまいました。

ホスピスに入院中だった女性、亡くなりました。
足揉みと出会っていただいて3年と4か月。
9月末に1回目のホスピス入院。
退院後、11月上旬に再入院の後、今月15日に逝去されました。

39歳で足裏に滑膜肉腫を発症、その後、肺に転移。
余命2年と言われながら、抗がん剤以外の治療法で15年が過ぎていました。

本当によく頑張られました。
前のブログにも書いた通り、ホスピスに入院されてから激痛だった痛みも少し緩和して、とても末期の癌だとは思えないほどお元気でした。

が、「滑膜肉腫」という癌は、動き出すと大きくなるのが早いタイプだそうで、あれよあれよという間に、肺にあった腫瘍が食道と気管を圧迫、食べられなくなりました。
激痛だったけど、意識レベルの下がるモルヒネは使われず、亡くなる当日までご家族、友人と会話できたそうです。

最後の足揉みは、亡くなる4日前の11日。
いつもの半分ほどの時間でしたが、ほんの数十分の間「呼吸が楽になりました」と。

今から思えば、最初の出会いの時から、すでに症状は厳しいものだったかもしれません。
この3年の間に、手術、ラジオ波、粒子線に治験薬と次々厳しい治療が続いていましたから。

本当に、お疲れさまでしたね。

亡くなられた当日、夕方自宅で足揉みをしていました。
頭に、ふと白っぽい服を着た彼女が振り返りながら、上の方に上って行く光景が浮かびました。
足元には、9月に亡くなった猫ちゃんと去年亡くなった猫ちゃんがまとわりつき、左側をキャメルのコートを着た男性の後ろ姿がゆっくり歩いておりました。
「毎晩、実家の父が必ず夢に出てくるんです」とおっしゃっていたから、お父さんだったのでしょうか。

しばらくして、仕事を休んで病院に付き添っておられたご主人から「今、旅立ちました」とメールが届きました。

夜、病院にお邪魔すると、とても安らかな彼女が白い上着とコバルトブルーのスカートに着替えて、横たわっておられました。

それ以来、今日にいたるまで、ずーっと頭の中に、その旅立ちの姿が浮かんでいます。
とても軽やかな足取りで、本当に明るい嬉しそうな笑顔です。

私は、子供の頃から「空想好きな女の子」で、もしかしたら、そうであったら良いのにという思いから、こんな光景を頭に描いているのかもしれません。

5年前の実家の母の旅立ちは、亡くなった親戚が沢山乗った宝船のような船が迎えに来て、川のほとりに立っていた母を連れて行きました。
同じ年、膵臓癌で亡くなった80代の女性は、着物を着た男女が手に提灯をぶら下げて、浴衣をきたその方の背中を両側から支えて、連れて行かれました。

本当は、どうなのか誰にも分かりません。

ただ、亡くなった方は、暗闇の中で無になってしまうのではないという気がします。

今まで何人かのお見送りをして、その都度、とても悲しい想いをしましたが、なぜか今回だけは、その明るい光景がずーっと頭にあるので、悲しいと言う感情が出て来ないのです。

人は、亡くなってもどこかに行くのだ。
年を取ればとる程、そのどこかに居る人が増えて行くのだ。
そして、いよいよ自分のその時が来たら、向こうに居る人のほうが現世より多くなっているのだ。

母が亡くなった時、認知の父が「お母さんも、あっちの方に知り合いが多くなってるから、寂しくないやろ」と言っておりました。
認知の父の言葉は、いつも核心をついておりました。

「兄弟の仲が良いと言うことは、親にとって一番嬉しいことや」てなことも言っておりました。

自分がこの世を去る時、先に逝った人たちを懐かしく思い出しながら、旅立つのだろう。
その時、この笑顔で上って逝った方のことも、きっと思い出すに違いない。
いよいよ再び会えるのだと、嬉しくなるのかもしれない。

若い時には、想像もしなかった感情だ。

今62歳の私が、例えばあと20年生きているとしたら、この感情はもっと深くなるのだろう。

「誰もが、皆彼女のことが好きだったね。大好きだったね」
病院にお別れにきた人達の言葉でした。

ありがとう。私も、大好きでした。






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