館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

館林邑楽母親大会で歌ってきた。

2013-12-06 06:07:26 | ロスト シングアウト
この集まりで会った方から、僕のブログの記事は週遅れだね・・などと言われた。読んでくれていて感謝だが・・
まったくご指摘のとおり!その週にあったことを土日に仕込むのでそうなっちゃう。
まあ、無理せず・・・が、長く続く秘訣でもあるので・・・

そこで、今日はやや、フレッシュな記事にしたぜ!




 
1954年3月1日アメリカがビキニ環礁で水爆実験をおこないました。平塚らいてうほか5名は全世界にむけて(国際民婦連と各国の団体へ)「原水爆禁止のための訴え」を送りました。


◆スイスでの世界母親大会に日本から河崎なつを団長にあらゆる分野から代表を選び、14名が参加しました。はばひろい母親運動の出発点です。

◆代表派遣費用は1人約80万円(当時)かかりましたが、地域ブロックが責任を持ち、カンパ活動に全力でとりくみました。貧しいくらしの中から1円、2円と集め、なんと1人平均100~150万円になりました。

◆帰国してから14人は日本中を歩いて、報告をしました。東北の土川マツエさんはまる2年間東北6県を歩いて180ヵ所、神奈川の菅原絹枝さんも毎日4~5ヵ所など全体で2000回も報告会が開かれ、参加者は70余万人。母親運動の種まきとなりました。

と・・こんな始まりの集まりだったらしい。

母親を「母性を持つすべての女性を対象にした呼び名」と位置づけ、「生命を生み出す母親は生命を育て生命を守ることをのぞみます」のスローガンを掲げ、ここ館林のような小さな町・そして県・・全国大会と、今も脈々と歩みを続けているようだ。

そいうえば、今年の春の沖縄では、出来たばかりの瀬長亀次郎さんの業績を集めた「不屈館」でみた、亀次郎さんの妻フミさんのコーナーで、フミさんが沖縄で母親大会を取り組んでいた記事などがあったなぁ・・・




子育てとか・平和とか・TPPとか・食の安全とか分科会が午前中開かれ、午後はアトラクションと講演会の日程だ。



講演は今年のトピックである「田中正造没後100年」に合わせた講演で、僕らロストやウッドランドは関連CDを出したこともあって、アトラクションを仰せつかった。

母親大会を仕切るおばぁ達には、僕らは頭を垂れる以外には無いのだった・・・

午前中、音響の仕込み・・・12時からリハーサルであった。



ワリワリ、ロストな~~~

久々に、ベースのフラットが写ってる写真だぜ!




朋友ウッドランド・リンギングの演奏な~~

両者とも、破綻の無い良い演奏ができたんじゃないかなと、思う。

反原発を唄でアピールであった。



ここを仕切るあばぁ・・渡辺さんのご挨拶。




メインの企画・講演会に突入であった。

事前の企画では、布川了先生が講演者であったが、ご不幸で、急遽山口徹さんに代わった。

栃木の高校の社会科の先生を歴任し、「足尾鉱毒事件田中正造記念館・まなびや講座」の委員長などなさった方だ。

当時民衆が読んだ詩や正造さんの詩など解説しながら、見事に代役をこなし、深い内容の講演であった。


こうした集まり・・・取り組んでおられる方々が、高齢化しているのは、どこでも事情を同じくする。
そこいらは、気がかりである。

お声をかけていただき感謝のわれわれであった。

フォークはこうした場所で、歌ってなんぼだでよ!
コメント (10)
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