過去の沖縄記事で、香川ベーベーから「市場」をもっとみせて~と、要望があった。
望む所よ!っと、那覇の市場を散策した。
そして、僕の推薦の「沖縄の公園はいいよ~~」の記事が後半なのだ。
国際通り(こくさいどおり)は、那覇市の県庁北口交差点から安里三叉路にかけての約1.6kmの通りの名称だ。戦後の焼け野原から目覚しい発展を遂げたこと、長さがほぼ1マイルであることから、「奇跡の1マイル」とも呼ばれる。沖縄県で最も賑やかな通りであり那覇最大の繁華街でもある。
その東西に走る通りの中央付近に、南北に、市場通りや平和通りが走り、そこから又枝のように、路地(スジグァー)が通るのであった。
その市場通りのメインの場所には「牧志公設市場」があって、肉や魚を中心に、乾物や食品の加工品が売られているのである。魚屋から鮮魚を購入し、2階の食堂に持ってゆけば「料理」して食べることが出来るのが大きな売りである。
その市場を囲むように、土産屋・総菜屋・果物屋・野菜屋が並ぶのだった。
何だか怪しげな、路地迷い込むと、明らかに若者向けとは思われない「洋服屋とか生地屋」などに遭遇することが出来る。迷い込んだら、なだらかな坂を上る感じで、北に歩けば必ず国際通りに出るからね。
市場の魚屋と肉屋な~
刺身なんぞ確かに安い!ビールなんぞ買って、スジグァーのベンチでつまむのもGOOD!
フルーツも旨そうなのだが、沖縄産なのか怪しいものも多く、県内産を求めるには、店のおばあと、よく話をしましょうね。おばあは、話し好きです。
パションフルーツの上物は、6個で500円だった。
その他・雑貨・お菓子・薬・まあ・・・市場にはなんでもありです。
もちろん、食堂もあります。
さて、ここは、少しディープな「栄町商店街」。
「 栄町市場は、戦後の復興時に誕生し、現在もなお、当時とほとんど変わらぬ姿で現存する、日本にただ一つ残された歴史の証人とも言える市場です。」
これが、公式サイトのご挨拶文。
国際通りの終わりの「安里三叉路」から、歩いて数分。歩くと色々見れていいですよ。
周辺住民の市場です。
見事に路地が多く、何度も同じ所に出たりします。
ちょっと寂れた風情。
よそ者には、愛想がありません・・・
なんだろう?と近寄ると、生活雑器だったりします。コップが2個で30円・・・だったりします。
この路地が夜には、変身します。
庶民の怪しい「飲み屋」が店を開き始めます。
しかし、怪しいです。怪しいところが醍醐味という人には、嵌ると大変な場所です。
さてここは、先の公設市の「市場通り」を基本まっすぐ南に、与儀を目指せば「農連市場」に出ます。
朝2時頃から、おじいやおばあ、時にねえねが、店を開き始め、4時から5時頃盛ります。
野菜や果物が中心ですが、惣菜・弁当・花・洋服・雑貨と店があります。
写真・馴染みのおばあ。
周辺にある食堂も、早朝から開店。
もやし屋さんです。自動のふるいのような機械で、殻を剥いています。
こんな店もあります。僕は時期には、ここで「たんかん」を箱買いして送ってもらいます。
乾燥させ・発酵させたような草・・・初めて見ました。蚊やハエが寄らないそうです。
「おばあ、らっきょうある?」
「あるさ、その箱の下だよ」
「うわ~多いや。半分で売ってよ」
「いいさ、かして!」
僕が袋を渡すと、どさっと、半分ほど床に落とし、残りを袋の口を縛って・・・
「はい!500円ね」
沖縄だと思うのだった。
値段・量・陳列してないブツと、交渉してみることのOKな島なのだ。
最近、昔ほど活気が無くなったきがする。店の間切りには「空き」が目立つ。
そこいら、おばあに聞いたら、やめる人もおおいのさぁ・・と言っていた。
沖縄の農業も、輸入産品のあおりで、苦戦・さらに大型スーパーの進出で大変なようだ。この市場は、いつまでも残っていて欲しいと思うのだった。
さて、ここから公園。
宿のすぐそば、「牧志緑が丘公園」。散歩に最適なのだ。
早朝なのに、おじい・おばぁがゲートボールに興じ、散歩に人たちも結構いる。
16世紀に中国から渡り、瓦の技法を伝えた渡来人の墓などある。
ここは、県庁から西へ、松山という、夜の街(これもんもいまふ・おねえちゃんによびとめられまふ)にある公園。昼なので、呼び止められません。
その名も「松山公園」。
あの「ひめゆり部隊(沖縄第一高女)」と並んで、若き女性達が悲惨な最期を遂げる、沖縄第二高女・「白梅学徒隊」の校舎のあった場所です。
空襲で跡形も無くなった場所。
ゆかりの人々が、鎮魂と証しを求め、碑が建っています。
沖縄は、琉球国王察度の時代の1392年、現代の福建省あたりに存在した閩(びん)と呼ばれる地域から、洪武帝の命により多くの学者や航海士などの技術者が来琉したのです。その人たちの功績こそ、貿易で栄えた「琉球王朝」の、柱でもありました。
ここ松山は当時の渡来人の居住した久米村の1部。
そんな「久米村」を伝える碑も建っています。
そうなのです!
沖縄の公園には、そのような、歴史を伝える「碑」がたくさんあるのです。
暑い沖縄・・しかし、いつも海を渡る「ジェントルウインド」が吹いて、木陰に入ると素敵に、涼しく、体を休めてくれます。
沖縄にきたら、ぜひ、公園を歩きましょう!いいよ!
その松山公園の道路を挟んで、新しく出来たスポットがあります。
こんな由来です。
中国式の体操などしている集団などいて・・・・
受付はありますが、入園無料です。
中国式の建物・庭園・・・・そんなに広くないのに、見事に広く感じる造園技術には驚き!
静かで、素敵な場所です。
国際通りから、タクシーで1000円しません。
フライトまで、2時間・・・どうしようか?なんて場合、格好のスポットです。ちなみに、ここから空港までは10分くらい(タクシーで)です。
写真・・・・看板のちかくには、その旨そうなたけのこが・・・・心を鬼にして、採るのを止めました。
エライ!
そういえば、数年前「与儀公園」の山之口漠さんの「歌碑」では涙したなぁ。
いかがですか?沖縄の公園・・見事なB級スポットなのです。
望む所よ!っと、那覇の市場を散策した。
そして、僕の推薦の「沖縄の公園はいいよ~~」の記事が後半なのだ。
国際通り(こくさいどおり)は、那覇市の県庁北口交差点から安里三叉路にかけての約1.6kmの通りの名称だ。戦後の焼け野原から目覚しい発展を遂げたこと、長さがほぼ1マイルであることから、「奇跡の1マイル」とも呼ばれる。沖縄県で最も賑やかな通りであり那覇最大の繁華街でもある。
その東西に走る通りの中央付近に、南北に、市場通りや平和通りが走り、そこから又枝のように、路地(スジグァー)が通るのであった。
その市場通りのメインの場所には「牧志公設市場」があって、肉や魚を中心に、乾物や食品の加工品が売られているのである。魚屋から鮮魚を購入し、2階の食堂に持ってゆけば「料理」して食べることが出来るのが大きな売りである。
その市場を囲むように、土産屋・総菜屋・果物屋・野菜屋が並ぶのだった。
何だか怪しげな、路地迷い込むと、明らかに若者向けとは思われない「洋服屋とか生地屋」などに遭遇することが出来る。迷い込んだら、なだらかな坂を上る感じで、北に歩けば必ず国際通りに出るからね。
市場の魚屋と肉屋な~
刺身なんぞ確かに安い!ビールなんぞ買って、スジグァーのベンチでつまむのもGOOD!
フルーツも旨そうなのだが、沖縄産なのか怪しいものも多く、県内産を求めるには、店のおばあと、よく話をしましょうね。おばあは、話し好きです。
パションフルーツの上物は、6個で500円だった。
その他・雑貨・お菓子・薬・まあ・・・市場にはなんでもありです。
もちろん、食堂もあります。
さて、ここは、少しディープな「栄町商店街」。
「 栄町市場は、戦後の復興時に誕生し、現在もなお、当時とほとんど変わらぬ姿で現存する、日本にただ一つ残された歴史の証人とも言える市場です。」
これが、公式サイトのご挨拶文。
国際通りの終わりの「安里三叉路」から、歩いて数分。歩くと色々見れていいですよ。
周辺住民の市場です。
見事に路地が多く、何度も同じ所に出たりします。
ちょっと寂れた風情。
よそ者には、愛想がありません・・・
なんだろう?と近寄ると、生活雑器だったりします。コップが2個で30円・・・だったりします。
この路地が夜には、変身します。
庶民の怪しい「飲み屋」が店を開き始めます。
しかし、怪しいです。怪しいところが醍醐味という人には、嵌ると大変な場所です。
さてここは、先の公設市の「市場通り」を基本まっすぐ南に、与儀を目指せば「農連市場」に出ます。
朝2時頃から、おじいやおばあ、時にねえねが、店を開き始め、4時から5時頃盛ります。
野菜や果物が中心ですが、惣菜・弁当・花・洋服・雑貨と店があります。
写真・馴染みのおばあ。
周辺にある食堂も、早朝から開店。
もやし屋さんです。自動のふるいのような機械で、殻を剥いています。
こんな店もあります。僕は時期には、ここで「たんかん」を箱買いして送ってもらいます。
乾燥させ・発酵させたような草・・・初めて見ました。蚊やハエが寄らないそうです。
「おばあ、らっきょうある?」
「あるさ、その箱の下だよ」
「うわ~多いや。半分で売ってよ」
「いいさ、かして!」
僕が袋を渡すと、どさっと、半分ほど床に落とし、残りを袋の口を縛って・・・
「はい!500円ね」
沖縄だと思うのだった。
値段・量・陳列してないブツと、交渉してみることのOKな島なのだ。
最近、昔ほど活気が無くなったきがする。店の間切りには「空き」が目立つ。
そこいら、おばあに聞いたら、やめる人もおおいのさぁ・・と言っていた。
沖縄の農業も、輸入産品のあおりで、苦戦・さらに大型スーパーの進出で大変なようだ。この市場は、いつまでも残っていて欲しいと思うのだった。
さて、ここから公園。
宿のすぐそば、「牧志緑が丘公園」。散歩に最適なのだ。
早朝なのに、おじい・おばぁがゲートボールに興じ、散歩に人たちも結構いる。
16世紀に中国から渡り、瓦の技法を伝えた渡来人の墓などある。
ここは、県庁から西へ、松山という、夜の街(これもんもいまふ・おねえちゃんによびとめられまふ)にある公園。昼なので、呼び止められません。
その名も「松山公園」。
あの「ひめゆり部隊(沖縄第一高女)」と並んで、若き女性達が悲惨な最期を遂げる、沖縄第二高女・「白梅学徒隊」の校舎のあった場所です。
空襲で跡形も無くなった場所。
ゆかりの人々が、鎮魂と証しを求め、碑が建っています。
沖縄は、琉球国王察度の時代の1392年、現代の福建省あたりに存在した閩(びん)と呼ばれる地域から、洪武帝の命により多くの学者や航海士などの技術者が来琉したのです。その人たちの功績こそ、貿易で栄えた「琉球王朝」の、柱でもありました。
ここ松山は当時の渡来人の居住した久米村の1部。
そんな「久米村」を伝える碑も建っています。
そうなのです!
沖縄の公園には、そのような、歴史を伝える「碑」がたくさんあるのです。
暑い沖縄・・しかし、いつも海を渡る「ジェントルウインド」が吹いて、木陰に入ると素敵に、涼しく、体を休めてくれます。
沖縄にきたら、ぜひ、公園を歩きましょう!いいよ!
その松山公園の道路を挟んで、新しく出来たスポットがあります。
こんな由来です。
中国式の体操などしている集団などいて・・・・
受付はありますが、入園無料です。
中国式の建物・庭園・・・・そんなに広くないのに、見事に広く感じる造園技術には驚き!
静かで、素敵な場所です。
国際通りから、タクシーで1000円しません。
フライトまで、2時間・・・どうしようか?なんて場合、格好のスポットです。ちなみに、ここから空港までは10分くらい(タクシーで)です。
写真・・・・看板のちかくには、その旨そうなたけのこが・・・・心を鬼にして、採るのを止めました。
エライ!
そういえば、数年前「与儀公園」の山之口漠さんの「歌碑」では涙したなぁ。
いかがですか?沖縄の公園・・見事なB級スポットなのです。