先週の今日のこの時間は・・・那覇のビジネスホテルで、「もう帰らなければならないのか・・・」と、悲しんでいた・・・
僕が那覇に降り立ったのは、「慰霊の日」の前日の昼だった・・・
僕の蔵王は汚れてしまったので、そこへの回数を2回減らすと、沖縄が1回増える感じ?
慰霊の日は、牛島中将ってのが「最後の一兵まで戦え」などと言いながら、自分は自決して、日本軍の組織的戦闘が終わった日、23日なのだ。
実は、この23日以降、南部戦線では、地獄絵のような住民の殺戮が続くのであるが・・・
写真・那覇市立博物館のある、「パレットくもじ」。ゆいレールの県庁前からすぐだ。
国宝が見れるので、那覇市立の「博物館」に行った。常設展で国宝の首里王朝の漆器や螺鈿を見れた。本物は違うねぇ・・と思った次第。
特別展示も行われて居た。
すごい企画だ!!ヤマトでは考えられない・・・これを、行政が行うのである!
ヤマトでは、新宿ニコンサロンで「従軍慰安婦」の写真展が、会場運営のニコンから「政治的」と中止を求められ、裁判で争われ、22日地裁から「開催を認める仮処分」が出るという、恥ずかしい状況なのにである。
前回時間の足りなかった、県立博物館・美術館に次は行った。
なんと!ここ美術館でも、このすげ~企画だった。しばし、土門拳に堪能。
博物館では、本土復帰40年の企画展であった。
23日「慰霊の日」はラジオもテレビも、沖縄戦に向き合っていた。
祈りの姿の画像・決意を語る画像・・・と。
翌朝の新聞には驚いた次第・・・・・
1面から最後まで、文化欄からスポーツまで・・・紙面の7割は「戦争に向き合って」居た。
国際通りにある、那覇市の「伝統工芸館」に最終日に立ち寄った。
玉那覇有公 紅型 織物
宮平初子 首里織 織物
金城次郎 壷や焼き 陶芸
などの、那覇ゆかりの人びとの紹介・現物の展示と、本物の存在感を楽しんだ。
時間が無かった・・・調べておくべきだった・・・・
ここの3階では、「原爆と戦争展」であった。
ヤマトの平和ボケが恥ずかしかった。
こんな企画をどこかヤマトでと思ったら、良心的市民が走り回り・妨害に身を張り・浄財をかき集めて、やっと1つか2つだんべ?
10年前頃の沖縄と今では、沖縄戦・基地問題への沖縄の庶民の「想い」の違いを、はっきり感じる。
「基地で暮らしが成り立つ・・」の声もあった、10年前・・・
今は、ほとんどの人びとが、そのことの「負」をはっきり咀嚼し、声を上げている。
「もう、沖縄に基地負担はいいかげんいしてほしい」と。
オスプレイなど、もってのほかなのだ。
金銭的に貧しい物が、お金の鎖でつながれることにNO!を突きつける沖縄。
未だ、お金の鎖につながれる「原発立地住民」・・・
見て取れる、ヤマトの差別意識・・・・
沖縄から、僕らヤマトの罪や、精神性が見て取れる・・・だから、僕は。沖縄に通い続けているのかもしれない。
ものすごい衝撃が身を包む、6月の沖縄だった。
僕が那覇に降り立ったのは、「慰霊の日」の前日の昼だった・・・
僕の蔵王は汚れてしまったので、そこへの回数を2回減らすと、沖縄が1回増える感じ?
慰霊の日は、牛島中将ってのが「最後の一兵まで戦え」などと言いながら、自分は自決して、日本軍の組織的戦闘が終わった日、23日なのだ。
実は、この23日以降、南部戦線では、地獄絵のような住民の殺戮が続くのであるが・・・
写真・那覇市立博物館のある、「パレットくもじ」。ゆいレールの県庁前からすぐだ。
国宝が見れるので、那覇市立の「博物館」に行った。常設展で国宝の首里王朝の漆器や螺鈿を見れた。本物は違うねぇ・・と思った次第。
特別展示も行われて居た。
すごい企画だ!!ヤマトでは考えられない・・・これを、行政が行うのである!
ヤマトでは、新宿ニコンサロンで「従軍慰安婦」の写真展が、会場運営のニコンから「政治的」と中止を求められ、裁判で争われ、22日地裁から「開催を認める仮処分」が出るという、恥ずかしい状況なのにである。
前回時間の足りなかった、県立博物館・美術館に次は行った。
なんと!ここ美術館でも、このすげ~企画だった。しばし、土門拳に堪能。
博物館では、本土復帰40年の企画展であった。
23日「慰霊の日」はラジオもテレビも、沖縄戦に向き合っていた。
祈りの姿の画像・決意を語る画像・・・と。
翌朝の新聞には驚いた次第・・・・・
1面から最後まで、文化欄からスポーツまで・・・紙面の7割は「戦争に向き合って」居た。
国際通りにある、那覇市の「伝統工芸館」に最終日に立ち寄った。
玉那覇有公 紅型 織物
宮平初子 首里織 織物
金城次郎 壷や焼き 陶芸
などの、那覇ゆかりの人びとの紹介・現物の展示と、本物の存在感を楽しんだ。
時間が無かった・・・調べておくべきだった・・・・
ここの3階では、「原爆と戦争展」であった。
ヤマトの平和ボケが恥ずかしかった。
こんな企画をどこかヤマトでと思ったら、良心的市民が走り回り・妨害に身を張り・浄財をかき集めて、やっと1つか2つだんべ?
10年前頃の沖縄と今では、沖縄戦・基地問題への沖縄の庶民の「想い」の違いを、はっきり感じる。
「基地で暮らしが成り立つ・・」の声もあった、10年前・・・
今は、ほとんどの人びとが、そのことの「負」をはっきり咀嚼し、声を上げている。
「もう、沖縄に基地負担はいいかげんいしてほしい」と。
オスプレイなど、もってのほかなのだ。
金銭的に貧しい物が、お金の鎖でつながれることにNO!を突きつける沖縄。
未だ、お金の鎖につながれる「原発立地住民」・・・
見て取れる、ヤマトの差別意識・・・・
沖縄から、僕らヤマトの罪や、精神性が見て取れる・・・だから、僕は。沖縄に通い続けているのかもしれない。
ものすごい衝撃が身を包む、6月の沖縄だった。