館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

めだか大学・東京。

2012-07-14 06:23:25 | 音楽を思う
土曜は音楽・・と、CDなど並べるのだが・・

本日は、僕の内なる音楽。






このようなところに、我が音楽の思考・思想的師匠の「コンサート」があるというので行ってきた。師匠に誘われて、実に光栄なのであった・・



その、岡田京子さんの、ご挨拶映像・・・数年前から、お年を召すことをやめたようである・・の、如き、お姿。元気そうであった。



40年以上前、ロックのウッドストックのように、この国のフォークシーンで語り継がれている「全日本フォークジャンボリー」。
その仕掛け人は、このスジでは有名な、笠木透氏である。

フォークの絶頂期、アメリカのフォークをなぞるようなプロが、雨後のタケノコのようにマスメディアにもてはやされた時代(やがて、ブームは引き潮にさらわれ、形さえ残らなくなるが)、そのプロのいかがわしさや、フォーク(民衆の)ソング(歌)とは相容れない歌謡曲まがいのブツに、笠木氏は、フィールドフォークというムーブメントを提唱し、自分達の音楽は、自分達で作ろう(作る作らないは別として、その精神性・・)と!活発に活動を展開した。僕らの「ロスト」も、「あかんべ山コンサート」もその申し子であることに違いなかった。



その40年前、笠木さんたちのコンサートに、岡田さんは接し、ショックを受け、ただ唖然としたという。「東京から行った私たちはただ唖然とするばかりでした。しかしこれはまっとうなことだということを私たちは感じていたのです。」と書いていました。そして、「すべての文化の創造をプロが独占し。またマスコミや中央が独占している不健康な状態をうすうす感じていたからです。」と、続いています。




その岡田さんが、ずっと続けている音楽講座に「めだか大学」がある。
岡田さんの地元東京での大学は、ここ数年、上記想いの具現化であると、僕は思っていたのです。笠木さんを講師に呼んでの「作詞講座」。その参加した、市井の人々が、生みの苦しみ?など持ちながら、出来た詞に、作曲家岡田京子さんの、薫陶よろしきを得て、作曲も行い、作った人が、ステージで歌うという、まさにその日が、このコンサートだったのです。



そして、その作曲。
作曲は「プロ」にしか出来ない高度なものか?そうであれば、あの美しいロシア民謡や、韓国朝鮮をはじめとする各国の「民族音楽」はどうやって出来たのでしょうか?
日本人・日本の民族の「生命の記憶」にある、五音階を、まず取り入れ、ものにして「作曲」をしてみよう!と、岡田さんの理念は明確なのでありました。


そうです、このコンサートは、自らの生活や記憶から、詞が作られ、民族の音階で曲が作られ・・その作り手は、そんなことを考えもしなかった、人々のコンサートなのでした。


取り上げた写真は一部・・・10数名の「めだか大学」の生徒達の、生々しい発表会でありました。本人が作ったものを、本人が歌う(もちろん練習を重ねて)リアリティーって、結構すごかったです。

笠木さん・岡田さん・・・・と、老いて(失礼!)尚、僕の難題をふっかけてくるのであった・・・

「なまじ、音楽などやってる人ほど、だめなのよね~~」などと、言ってるに違いないのであった・・・。分かるんだけどさ、俺はね、ちょっと、ひっかかることもあってさ・・・

笠木さん・岡田さん!勉強になってますよ~~~



コンサートの終わりには、笠木さんと増田さんのステージのおまけがあった。

お二人とも、健康など、少し心配である。

もすこし、生きて、僕らに「無理難題」をひっかけて、いいからね。

コメント (8)
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