館林ロストシティーランブラーズ・フォークソングシングアウト

フォークを歌って43年の坂を今登坂中。世間に一言あってこそフォーク。軟弱アコースティックミュージックにシングアウトだ!

ドキュメント映画「ひめゆり」を観た。

2010-06-29 06:53:43 | 時事言いたい放題


あの沖縄戦で、看護要員として動員された、ひめゆり達の、生き残った方々の「証言」で綴られたドキュメント映画の日がやって来た。6月20日のことだ。

*ひめゆり平和祈念資料館が刊行している資料ではひめゆり学徒隊の動員数を240名、うち戦没者を136名としている(それ以外の戦没者が90名・戦没者の合計は226名)。



このような、決して楽しくない映画・・・そして、結局、あの鳩山氏のお陰で、いやでも認識せざるを得なかった「沖縄とアメリカの基地」について、本土の多くの国民は「しかたないが・・(いや、どこか後ろめたく申し訳ないが・・)沖縄に基地は引き取ってもらおう・・・」と世論調査の数字が語る、本土での上映で、人が集まるのだろうか?と、正直心配だったのだが、既に「当日券」さえ完売の会場で、僕は驚き・熱いものがこみ上げたのだった・・・




僕も配券されていたので、結構早く会場についた。
主催者などに挨拶して、会場に入った。
500程度が定員か?

女房・ミホと一緒であった。




主催の皆さんは「エイサー」を習っているようで、開演前「エイサー」の披露が、会場を盛り上げた。

これがまた、大変上手。

芸であった。



この方が、実行委員長。T氏。

さて、映画!

残念ながら「撮影は禁止」なので、画像は無い。

読谷村に上陸した米軍は、ほぼ無血で上陸。

やがて、嘉数陣地での1ッ月に及ぶ激戦・首里城を巡る攻防、そして首里城陥落以降、後方の支援や医療を行なっていた、南部沖縄が、惨劇を極めるのであった。

その現場の写真、今の現地、そしてそこにあの時身を置いていた「ひめゆり」の生き残った者の証言・・・それだけで、綴られた映画だったが、「証言」の生々しさや、心底真実だったろう内容に圧倒される映画だった。

その景色・・・3年かけて僕はその場に立っていたので、風景や匂いさえ感じて、圧巻であった。

どこぞで、機会があったら、見て欲しい。



高校生の子供を誘ったが、敢え無く、断られた。
ミホもそうだったようである。

お客さんは、若い人も混じってはいたが、やはり多くは「大人」であった。

「これはやはり、これから大人になる中学生や高校生、そして大学生などに見せることが大事だったな!」と実感した。

僕らの、こうした集まり・・・やはり、次の世代を巻き込む・・ってのが、弱いよな。


実行委員会の方々が、若い世代であったのが、救いであった。

売るのが大変な取り組みだったに違いない。
完売とは!
天晴れ!!

我がT市・・・・こうした若者を見かけないのが、ちと気がかりになった。
コメント (8)
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